2015年12月31日木曜日

第439話 サムアップ Di Roma その10 お便り

とうとう2015年12月31日(木曜日)、本年の大晦日を迎えました。
そして、既にご案内のようにブログ”ROMAの麗雅都だより”の最終便を迎えることとなりました。

最終月の千秋楽・大晦日です。
12月は、サムアップと題しまして、10のテーマを取り上げることにしましたが、ラスト・テンのお題目は、”お便り”です。日本を離れて生きる私、または数多くの在外に生きる日本人、否何処の国の人々にとりましても、関心度の高いテーマなのではないでしょうか。

便りの代表格として、私たちが学んだものに次のものがありました。
     「一筆啓上火の用心おせん泣かすな馬肥やせ」
江戸時代の侍ホンダなにがしが留守宅の妻宛てに書いたものでした。
短文で要件を満たした手紙であることに間違いありません。

先ずは、1.火事に注意せよ!そして愛娘おせんを2.しっかり養育せよ!最後に3.侍にとって大切な馬について3.縷々大切に世話をせよ!
と伝えています。※解釈は、元鷹流に咀嚼したものです。悪しからず。

良く見れば、この短文は7・6・7・5のリズムになっていて発音上のゴロが良いですね。一度覚えてしまうとしっかりと記憶に残るものです。

ところで、ローマに居りまして、胸がワクワク・ドキドキするものの筆頭格は
私にとりまして、さぞかし多くの同朋にとっては”便り”(封書・葉書)であります。仕事が終わって家路に着いた時に、”便り”を発見したときの嬉しさは格別です。

今日では、電子メールという真に便利な機器が好まれて世界の人々に使われています。一瞬時に情報が届いてします。ペンを取って、便箋を出して、切手をはる必要も有りません。しかも、タダ同然です。

そして、このブログ自体も電子メールと同様ですから、真に偉大なる発明発見です。

しかしながら、私にとりましては手書きの便りに優る情報交換は在りません。ペン、用紙、封書、切手、そしてインクの文具品は常に私を勇気づけてくれております。書く、という行為は相手をイメージしてこころを込めて
成されるもの。

こころの準備として、必要とする「間」も大切です。
手書きの便りには、そのような手順が問われるから、きっと好んで手書きの便りを創造すること、一種の小さな作品だと考えています。

         
             惜しむらく 今日が最後か 大晦日
             嬉しくもあり 寂しくもあり

                                元鷹

2015年12月29日火曜日

第438話 サムアップ Di Roma その9 無いものネダリ

今年2016年も残すところ、今日を含めて3日間となりました。
先日、ヴァチカン市国の郵便局へ出掛けて参りました。

ところが、局も広場の左側に常駐しています販売店もしまっていましたから、用を足すことはかないませんでした。なるほど、出かけた日はサント・ステファノの祝日でした。

大聖堂の広場には、海外から多くの観光客が、大聖堂への入場をめがけて列をなしていました。

12月8日に聖なる扉が開けられた訳ですが、この扉を潜(くぐ)る為に態々世界の各地からヴァチカン市国へ来る人々の大変さを思えば、ローマに住んでいる私などは、直ぐにでも駈けつけられそう思われるかもしれません。

25日には、4大聖堂のサン・ジョバンニ・イン・ラテラーノに立ち寄って、「聖なる門」を初めて潜ってみました。やはり此処でも、警備体制が敷かれて、入場時間が掛かりました。聖なる門は、まさに狭き門でもあるのです。

さて、今日のサムアップの話題は、「無いものネダリ」であります。
私は、時々まるで子供のように”無いものネダリ”をすることがあります。
勿論、ねだる相手は自分自身で、ねだるものは日本のものです。

例えば、ローマでは中々食べることが出来にくい「ざるそば」、「かつ丼/天丼」はじめ日本では普段に食べていたものばかりです。しかし、日本レストランへ行けば、食べられるものばかりですから、何と他愛ないことであります。

生活に不可欠な食べ物ばかりではありません。
頭の栄養滋養になる書籍についても同様です。日本では、傍らに在っても目を通さなかった本をここにいて、にわかに読みたくなることがあります。

無いものネダリとは、叶わぬことを欲すること、或は現実離れしたことをしたがる欲求である、と言い換えても良いかも知れません。

しかし、また若き頃を想い出しますと、目の前の宿題を放り投げて、好きな小説に時間を費やしてしまう逃避行為に似ていないだろうか、とも思えるるのです。

まあ、残されたローマの生活では、無いものネダリを棚に挙げて、ローマにだけしかないもの、特有のモノにこだわって楽しんでみたいと思います。


             日本離れ 無いものネダリ 頻繁に
                               元鷹

2015年12月25日金曜日

第437話 サムアップ Di Roma その8 郵便局について

クリスマスの今日のテーマには、持って来いのお話しをしたいと思います。クリスマス・カードを書いて、ポストに入れる時などワクワク感があって密かに嬉しいものです。

私は、子供の頃から郵便局が好きで切手、ハガキを良く買いに出かけた経験を想い出します。さて、ここローマの郵便局事情をひとつ。

”待たされる”のが、ローマの郵便局の一大特長なのです。
切手一枚買うのにも10分から30分も待たなくては購入出来ないことが在ります。次に観察の結果を書いてみます。

1.窓口に係員がすくない。
2.おしゃべりが多く、そして長い。
3.一人あたりにかける(接客)時間が長い。
4.システム(仕事手順)が悪い。
5.正確・迅速に仕事する姿勢がない。

といった悪さ加減であろうか?
郵便局にお世話になりながら、この様にリストアップすることに恐縮してしまうのですが、全く実感ですから致し方ありません。

例えば、切手購入を希望しますと窓越しの係員は、後ろのドアを開けて隣の部屋へ行き、切手を持ってくるのです。私が通う局だけではありません。殆どの局は、このようにしているのです。

切手は、かつてタバコ屋さんで購入出来たのですが、現在は殆どのお店が販売しておりません。雑貨屋さんに行けば、購入できる場合も有りますが、扱いが無いことも多く全く持って不便な限りです。

ですから、私の場合には朝早く局へ行って、まとめ買いするようにすることもございます。

もうひとつ困ったことには、切手の価格がいつの間にか、ドンドン値上がりしてしまうことであります。この4年半年間でも3~4回くらい値あがっています。現在、日本まで2.20ユ-ロですから、およそ300円超です。

因みに、日本からハガキでローマまで70円、封書で110円程ですネ。
ですから、葉書の場合4倍以上の価格差があるのです。

また、面白いと言いますか”良く分らない”のは、葉書と封書の切手代金は変わらないのです。勿論、封書は中身が増えれば、重さが増えますから、比例して高額になる訳です。

思わずに”良く分らない”と書いてしまいましたが、ローマに居りますと、この言葉を何度も使用せざるを得ない代表的な口癖が、”良く分らない”であります。

この郵便局事情のこと、”良く分って欲しい”と願っております。


            切手買う 待つ楽しさや 何処にやら
                               元鷹

第436話 サムアップ Di Roma その7 「時間」について

今日は、12月25日(金)ですから、クリスマスであります。
イタリアは、祝日休暇です。また、明日の26日(土)は、サン・ステファノ野日でありますので、同じく祝日です。翌日は、日曜日ですから3連休です。

今日は、”時間”について書いてみたいと思います。
一般的にイタリア人は、時間にルーズ(ゆるい、気に掛けない)であるようにに思われている節があります。

では、実際ローマの人達と仕事したり、お付き合いしている中で、感じる処を述べますと、やっぱり「ルーズである」と言えます。あくまで一般的なことですから、時間に厳しい人もいる訳ですが。

ここでイタリア人の時間管理のことを書いても余り興味を寄せられませんから、止めて置きます。但し、反対に時間の大切を人々に啓蒙したのは、イタリア人の先達でありますラテンの詩人ホラティウスであります。

Quintus Horatius Flaccus 紀元前65年-同8年 南イタリア生まれ
有名な警句/格言ですが、
CARPE DIEM  カルペ ディエム
この日を掴め 次の日に信を置いたりせずに

”カルペ・ディエム”のお話しはこれまで何度か申し上げて参りましたのでこの辺で止めて置きます。

そもそも私たち人間/ひと は時間の点から、考えますればLIMITA
(有限時間)の中で生きているわけですから、本能的に生きる時間のことを気にしているのでしょう。

プラトンもソクラテスも孔子も、2000年前以上にどう生きるか?如何に生きるか?を考えた訳ですから、大変なことであります。これらの大思想家たちが、時間をどのように考えたのか関心がありますが、未だ残念ながらその説に当って居りません。

時間と言うとらえようもない宇宙の中、私たちは生きている、否、生かされている訳です。上記の”カルペ・ディエム”の教えるところは、希望することがあれば、即実践せよ!ということなのかも知れないと最近思うようになりました。

日本でも古来より、”時を惜しめ”と言った戒めは存りました。人は、時間的有限の中で生きていることが、自覚出来た時にこそ、自分のおもいを実践するスタート/タイミングである、と思う次第です。

ローマ滞在中、街角で偶然出会ったこの”CARPE DIEM”と言うラテン語は、私に”時間”を考えさせてくれる起爆剤になったことだけは事実であります。

それにしても、不思議なモノ、その名は「時間」であります。


           ローマにて 時間の不思議 噛み締める
                                 元鷹     





第435話 サムアップ Di Roma その6 トイレ

フランチェスコ法王は、今年12月8日から来年11月までのおよそ1年間を聖年とは宣言(本年春)したわけですが、12月8日はサン・ピエトロ大聖堂の聖門(ポルタ・サンタ)が法王に依って開かれました。

また、続いて12月13日(日)には、4大教会のサン・ジョバンニ・イン・テラオとサン・パオロ・フィオリ・レ・ムラ聖堂の聖門が開かれたのです。
最後にサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂が、カポ・ダンノ(元旦/深夜)に開門されるそうです。

皆さまご存知のように本来は25年毎(中世紀には、100年、50年毎だったようですが)に聖年は行われるようですが、前回は2000年だったので、未だ10年先の2025年が本来だったように思われるのですが、今年2015年に行われました。

私の住むVia Calatafimi(カラタフィーミ通り)から、サンタ・マリア・
マッジョーレ聖堂は、徒歩15分程度ですから、元旦に行って見てみたいものです。

お話はタイトルの「トイレ」に戻ります。
イタリアのトイレ事情は、余り良い状態であるとは言い難いものがあります。世界から来た旅行者は困惑しているのではないでしょうか!

ここでは、如何に快適に「用」が足せるか?という実用的なことに的を絞りたいと思うです。

☆実際と対応方法などについて
A.レストランやバールのトイレ
  殆どの場合、便座が外されています。長くローマ居りましても、どうして か不明です。従いまして、お尻を付けないような恰好で用を足すほかありません。足腰の訓練にはなるかも知れませんが? 

B.観光中にトイレを探さなくてはならない場合
  先ずは出掛ける前にホテルで用を済ませておくことが前提です。
しかし、それでもトイレは必要になります。団体旅行であれば、添乗員・ガイドさんらが、親切にアドヴァイスをしてくれることでしょう。

中々公衆トイレは、無い訳ではありませんが、発見することが難しいと思います。一般的には、BAR/バールを利用します。(BARのことは既にご紹介していますが)

○借用する時のお願いの言い回し
 
 ブォンジョルノ!イル・バーニョ、ペル・ファヴォーレ?
  こんにちは!スイマセン、おトイレを貸して下さい?

 ※この表現は、旅行本には殆どの場合記載されているはずです。
   直ぐ使えるように目印を付けておくと良いでしょう。

C.有料トイレの場合
  金額は、0.5から1€が相場であります。
  小銭コインを常に携帯する必要が在る訳です。

  大別すれば、係員がいて0.5ユ-ロほどを渡すケース、或は自動ドア入口にコインを入れて入場できる仕組みとになります。
有料だけあって、トイレの清掃は行き届いているのが通常です。

おおよそは、以上のことが語っている通りですが、いろいろなケースがあるかと思われます。何事もあわてずにBARの、またはレストランの係員に率直に相談してみて下さい!

トイレは、整備されていなことがあっても、そこに働く係の人達は意外と親切で、頼りになることが多く有りますから、余り心配しないでください。


           バーニョとは 俺のことかと トイレいい
                               元鷹

2015年12月23日水曜日

第434話 サムアップ Di Roma その5 相違を愉しむ

今年も余すところ今日を含めて10日となりました。
毎年毎年越年の頃に前においては忘年会、後においては新年会を楽しんで参りましたが、今年は少し変わったカタチで歳末を楽しんでいます。

ローマで親しくお世話になった方々と席を挟んで来し方の想い出を語り懐かしんでおります。ローマ滞在は、1カ月を残すのみとなりました。

さて、本日のテーマは「相違を愉しむ」であります。
少々判りにくいタイトルではあります。

一口で申しますと、日本とイタリア、お米とパスタ、(アメリカン)とエスプレッソ、日本語とイタリア語、右側通行と左側通行、握手とイタリア式キッス、切りがありませんからこの辺で。

ローマは、コロッセオが象徴しておりますように真に”グランデ”(巨大である)なのですね。表現が難しいのですが、抽象的ですが”全てを飲みこむ”
と言ったら良いでしょうか!

兎に角、ここに存る空気は「懐(ふところ)が大きい」のです。

さて、このような空の下、今回4年と半年を過ごさせて戴き、思いますのは
タイトル書きの如く”相違を愉しむ”こころを大切に!とアッピールしたいと思うのです。

日本の便利さは、ローマでは得難いものになります。ローマは、近代的便利さを求めにくいところではあります。

しかし、日本のストレスは此処には在りません。
逆に、ローマ特有のストレスはありますから五分五分です。

ただ、その五分五分の中身が違います。
ローマのストレスは、人に依って違う訳ですが、時間の経緯と共に不思議と快感となるマジックを秘めているのです。

書き言葉では、言い表せない”ニュアンス”(微妙な差異)です。
このニュアンスを感得した外国人(私もその一人ですが)は、俗に言うイタリアに嵌(はま)った!という表現が用いられるのだろうと考えています。

日々の生活のなかで「相違」は、あらゆる点で存在しています。
私は、ここにきて(時間的経緯)どうもこの”相違の愉し
み方”に喜びを感じる程、病膏肓の域に入ってしまったようであります。


                          個性とは 相違を許し 立つおのれ
                             元鷹


2015年12月20日日曜日

第433話 南イタリア紀行 ヴェスヴィオ山

ソレントに宿をとったホテルのテラスから、海の向こう側にくっきりと
ヴェスヴィオ山が見えました。カタチは日本の富士山に似たなだらかな
稜線をしていて、何とはなく親しみを感じさせる雰囲気を感じました。
士ました。

いよいよ4日目の朝、ローマに帰る日でしたが寄り道をして、あの
ヴェスヴィオ山へ登ってみようと決心しました。

登ると言っても標高1281mもある山です。おいそれとは登れません。
ホテルのレセプショニストに訊ねてみれば、ほぼ火口近くまでバスで連れて行ってくれるとの情報でした。

さて、ソレントの駅から1時間は、たっぷりと電車に揺られて最寄りの駅である「エルコラーノ」で下車しました。駅前の猫の額程しかない広場の隅にヴェスヴィオ山行きの案内事務所がありました。

客はスペイン人夫婦(バルセロナ)と私だけの3名でした。小型バスに乗せられて山に向かったのは、事務所を訪ねてから1時間余り経ってからでした。料金は、往復一人17€ほど。

どのように小型バスが、火口近くまでルートを走ったのかを詳しくお名は市出来ませんが、40分前後で辿りついたような記憶です。
入場にはさらに10ユ-ロを支払いました。登山料金です。

ここからは、歩いて登らなくてはなりません。
生憎、太陽が雲に隠れていましたから下界の眺めは今一つハッキリしていませんでした。

それでも、遠くのナポリ湾を望む絶景には一見の価値をみることが出来ました。”ナポリを見て死ね”とは、この場からの景色を讃えた格言だったのでは、と思わせる一幅のシーンでした。

徒歩20分位で、やっと火口近くまで登りつめることが出来たのでした。
その間、スペイン人夫婦と励まし合うかのように雑談を楽しみながら、ゆっくりと登りつめたのでした。  

火口を見下ろせば、まるで巨大なすり鉢状の洞穴であります。
所々から、今でも白煙を天に向けてあげていました。

我々3人は、ゆっくりと火口周りをナポリ湾を眺めながら歩き、記念の写真を撮ったりして時間を費やしました。

火口側にまでお土産ショップ(2か所)があったことに驚きました。

ところでヴェスヴィオ山と言えば、カンツォーネの”フニクリ・フニクラ”(あの軽快なメロディです)が想い出されますが、山登りの車からも、そして火口からも当時の電車の遺跡?は見つかりませんでした。

ネット情報に依れば、1880年に始まったヴェスヴィオ登山電車は、1944年に起った噴火がもとで破壊されたそうです。

しかし、現在でも世界中で登山電車のPRソングは人々に愛されて歌われている訳ですから、何とも不思議な感じがします。

尚、ヴェスヴィオ山の大噴火でポンペイとエルコラーノが一昼夜にして
火山灰の下に眠ってしまったのは、西暦79年8月24日のことだったそうです。

                                ポンペイを ヴェスヴィオ火口 一気飲み
            ヴェスヴィオの 火口や広し 昔の火
            富士もよし ヴェスヴィオもよし 冬の旅

                                元鷹  




2015年12月10日木曜日

第432話 南イタリア紀行 アマルフィ

ここ10年来、南イタリア人気が日本では進んで来ております。
長い年月、具体的には何時頃のことを指すのでしょうか、1994年前後以来イタリア・ツアーに大ブームが起きました。

当時のツアーアイテナリー(日程)と言えば、主にミラノ⇒ヴェネチェア
⇒フィレンツエ⇒ローマ見物といった最も人気度の高い歴史的都市への旅だったと思います。

イタリアと日本との相性は真に良いように思っています。
国がらが似ている点も、或は反対に違うことも比較的歴然としている為でしょうか?観光立国イタリアにとっては、日本人は優良顧客であります。

さて、南イタリアのお話しに戻りましょう!

先ず、本論に入る前に最近読みました新書「イタリア旅行」に詳しいのですが、18世紀にヨーロッパ(特にイギリス)で起ったイタリア・ツアー、”グランド・ツアー”と命名されたようですが、ご紹介致します。

イギリスの貴族の間に長期間<数カ月~数年も>古代ローマを、ギリシア文化の足跡を訪ねるツアーだったようですが、ローマ・ナポリはその人気の中心にあったとのことでした。

さて、そのナポリ<ギリシア語から派生した言葉>から、更に電車で1時間チョット南のソレント<この街はご紹介しましたが>から、海岸線沿いを走る運行バスで更に1時間余走った辺りに”AMALFI”の小さな町があります。

この間の沿岸線道路は、切り立った崖スレスレに作られていますのでスリル満天のドライブを楽しめました。日光のイロハ坂を懐かしく想い出させてくれましたが、それ以上にスピードを出す運転手のハンドル裁きに拍手を送るほかはありません。無事に往復できてホット!しました。

時間の都合で、ほぼソレントとアマルフィの中間位に位置するポジターノには、下車出来ませんでした。当初には、見学先として印を付けていただけに残念でした!まあ、将来への楽しみにして置きましょう。

アマルフィは、冬のこのシーズンでも観光客が溢れていましたから、シーズンの夏には、どんなに込み合うのだろうか、と要らぬ心配をしてしまいました。

私は、細い道に並んだお土産ショップを眺めながら小散歩を楽しみましたが、1店舗だけ面白いグッズを販売しているお店に入ってお土産品を購入しました。それは、手作り商品のマリーン・グッズの品々でした。

バンディエラ<国旗>の小さめのモノを選びました。
ご存知のようにイタリア共和国の国旗は、左から緑・白・赤のストライブデザインです。購入した国旗は、その白い中央に中世紀のイタリアの4つの海洋国《アマルフィ・ジェノヴァ・ヴェネチェア・ピサ》の紋章がロープ柄で囲まれたものです。一眼で気に入って仕舞いました。

※美しいアマルフィの写真を添付出来ずに失礼します。
  未だに写真添付機能が上手く稼働しないのです。
  再開次第にご紹介致します。

      

           アマルフィ 映画で見た浜 此処に在り
           パラダイス アマルフィほど 目に余る
                                 元鷹
           


第431話 サムアップ Di Roma その4 噴水


今日は噴水に纏(まつ)わるお話しです。
ローマ市内、ヴァチカン市国、至るところに大中小の噴水がみられる風景は、ローマらしさの特長であります。

”噴水の在る街の風景”こそローマの大きな魅力のひとつなのだろうと思っております。ブログ始めてからこのかた街歩きの見所の一つとしまして、主な噴水を取材して参りました。

ですから、ローマの噴水のサムアップの役割は、個々の噴水のことはバックビュー(かつてのブログ)に任せまして、私の総論、まとめを書いてみることに致します。勿論、断片的な或は独断の発想にしかない点はご容赦を乞う処です。

ロンドンにはテムズ川があり、パリにはセーヌ川、そしてローマにはテヴェレ川があります。人々を魅了してきた大都市は何処も”川”が中央に流れています。

しかし、ローマには古代に、中世に作られた水道橋遺跡が残っているのはご承知の通りです。古き時代に皇帝が、中世には法王が水道をローマへ導き、或は再整備して市内へ水を引き浴場を噴水を作りました。

また1930年代には、ローマの10か所に区割りされた地域に、其々の
地域をイメージしたデザインで噴水が作られたのでした。

法王庁・ヴァチカン市国は、いつのころからでしょうか、世界からカソリック信者をローマへ巡礼させる為には、宿の整備は勿論、途中途中に水道(噴水)の設備を設置しなければならなかったのでしょう。

ですから、殆どのピアッア(広場)には、水飲み場(噴水)の提供がなされていたのだろうと思われます。生活者の飲料水、洗濯用の水、そして巡礼者への命の水の源になっていた大切な噴水だった訳です。

遡って古代ローマでは、歴代の皇帝は市民の為の浴場を作ったと云われて居ります。知名度が高いのは、現在でも夏の間だけですが、野外オペラの会場となります「カラカラ浴場」(カラカラ帝)です。

ローマ・テルミニ駅500人広場前に広がる一角、現在はローマ国立博物館や教会として活用されているテルメ・ディ・ディオクレツアーノが、よく知られております。

其々の浴場には、1、500人、3、000人の市民が浴場を楽しめたと云う巨大なものでした。これ程の規模の浴場ですから、相当な給水・排水システムを有していたものと考えられます。

古代ローマ時代から、土木建築技術に優れた技を発揮してきた歴史をみるたびに、ローマの街作りの憩いの場所(広場)に噴水を設置するというアイデアは、地下水が豊富であることがベースに在って初めて可能なことなのだ、と思うのであります。

そう言えば、皆さんが必ずローマに来たら訪れる映画”ローマの休日”に写されていましたが、”トレヴィの泉”は1年以上も掛かり、やっと最近になって修復が終わりました。

さてトレヴィの泉では、コインを肩越しに投げると再びローマに戻れる、といわれています。修復中、噴水は止まったままでしたが、見学者がコインを投げるポイントだけは、しっかりと用意してありました。

なるほど、世界の冠たる観光シティ・ローマ当局の”しっかり振り”には変な感心をしてしまいました。


            晴れた日の 水や輝く 生き生きと

                               元鷹     

2015年12月8日火曜日

第428話 南イタリア紀行 ソレント

さて、2日目は今回のツアーでは、私にとっての憧れの聖地となったソレントへ向かいました。宿泊のホテルからは、タクシー代わりのミニヴァンを出して頂きました。

幸いにも親切な運転手で、時間的余裕もあったこともあって、海の見える通りをみせて挙げるとばかり、遠回りしながらペストゥム駅へ向かってくれたのでした。

人懐っこい彼は、是非また来て下さい、次回は自分の車でご案内しますから、とPRをしながらもこの近辺の街の良さを訴えて居りました。
とは言っても、流石にこの地には中々来られるものではないなぁ、と自問自答しつつ私はただ聞いて置きました。

ペストゥム駅から、中継地点のナポリまで電車で戻ります。ナポリへ向かう通勤客で結構車内は込み合っていました。

ナポリで電車を乗り換えて、ナポリ⇔ソレントを往復している電車<片道3.60ユ-ロ>を利用したのですが、運賃は安く時間も1時間余でソレントに着きました。ポンペイやヴェスヴィオ山へ行くにも便利そうな路線です。

さて、ソレント駅の一角には、”帰れソレントへ”(Torna a Surriento)の名曲を作詞したG.B.De.Curtisのブロンズで出来た胸像が建てられていました。もう、駅周辺からは、南国ムードを誘う雰囲気が漂って来ていました。

宿泊先は、G.B.De Curtisが”帰れソレントへ”を作詞したテラス<ナポリ湾を望める>を持つ”Imeperial Hotel Tramontano”でした。

このホテルの敷地では、16世紀の詩人トルクアト・タッソ<1544年3月11日生>が生まれた、との説明がホテルから頂いたリーフレットに書いてあり、驚きました。

ずっと以前になりますが、”タッソの樫の木”のお話しをブログに紹介したことがあったからでした。詩人タッソは、ローマともご縁の深い詩人だったのでした。

その他、著名なアーティストが宿泊先として利用したホテルだったようです。風光明媚、気候温暖な南イタリアのソレントには、国内外からの多くの旅行客が、押しかけてくるのでしょう。

只、この12月はシーズン・オフらしく、街にもホテルにも外国人客は、余り目立ちませんでした。

ホテルに荷物を下ろして、早速海岸線を走るバスに乗って見ることにしました。アマルフィまで、バスにて1時間少々で辿りつけるそうです。
発着場所は、先ほどのソレント駅前広場でしたので、歩いて行ってみることにしました。

※前回同様に写真添付が儘なりません。
  後日纏めて実行させて戴きたいと思います。

           ペスカトーレ ソレントおきに 投げる網
           テラスから ベスビオ高く 靄の中
           憧れの トラモンターノに テラス見ゆ
           ソレントは レモンもミカンも街にあり
           ソレントは 熱海の夜に 似たりけり
                                元鷹 
           

第430話 南イタリア紀行 カプリ島

ソレントのホテル(インペリアル・ホテル・トラモンターノ)からは、カプリ島は岬の後ろ側に位置する為に見ることは出来ません。

しかし、直ぐ近くの小さな港から、快速船がカプリ島とソレントの間を何度も往復しているのが見えましたので、計画外でしたが20余年振りに行ってみることにした次第です。(12月3日正午過ぎ)

カプリ島まで船足は快速で波は静かでした。カンツーオの”サンタ・ルチア”でも自然と唸りたくなる様な景色を楽しみながら小さな港に着きました。不思議と20年余前と変わっていないのです、景色が一部の看板などを除けばですが。

バス乗り場(常にバスに乗りたがります)を探しました。
アナカプリ(島の上の方の町のこと)まで、カーブに揺れながらバスは、そこそこのスピードを出して走りました。因みにバス代金は、一律1.80ユーロでした。

お昼をアナカプリで食べよう!とソレントに居た時から決めていましたので、恰好なレストランを探しながらの散歩を楽しめました。

散歩しながら気がついたのでしたが、車道が細いこともあってのことでしょうか、日本では昭和30年代に流行ったオート三輪車が活躍しているのが眼に着きました。

形は同じでも赤、黒、黄、白色に塗られた三輪車は、アナカプリのオシャレ度を高めているように思えました。燃費も良いのでしょうが、それ以上に町で自由に動き易い機動力が人気なのかも知れません。

今一つ眼に止まりましたのは、お玄関口の表札です。
何れの家も陶製でオシャレなカタチ、カラーで飾っているのが印象的でした。お庭のお手入れも研ぎ澄まされているように見えました。

30分位歩きました。プチ・ホテルや一部の店舗は店を閉じていました。
ここも夏型集中ビジネス実施中!と言うことでしょうか?効率を考えての経営なのですね。オーナーが、半島から来る人なのでしょうか?

結局、お昼はアナカプリの大きめなレストランで、シーフードの具がたくさん入ったオリジナル・パスタをタップリと楽しみました。綺麗な海に囲まれたアナカプリのレストランで頂いたパスタは、一段と美味しく思えました。

※今日も写真が添付できません。ご了承願います


            カプリ島 むかし皇帝 いま旅人
            街興し カプリウオッチ 島中に
            アナカプリ 三輪車が 似合う道
            カプリ島 三輪車 ここかしこ
            快速船 湾を横切り 波残し 
            カプリ島 ”帰れソレント” 客船で
 
               
                            元鷹

2015年12月7日月曜日

第429話 サムアップ Di Roma その3 安全度

よく耳にする言葉のひとつに日本人旅行者から「安全ですか?」と聞かれて、返事に窮することがしばしばあります。

ローマは、安全であるかどうかはさて置き、安全とは?どういう状態をさすのでしょうか?中々難しい問題を孕んでおります。昨今は、世界的に「安全」に暮らすことに、当然ですが多くの関心が寄せられています。

概ね訊ねる方は、それほど深い意味を聞いているのではなくて、単に
安心を確認してから旅行をしたい、とお考えなのかも知れませんですネ。


もしくは、団体ツアーですと国内から添乗してくるツアー専門家<添乗員>から、耳にタコが出来るほど、バス・電車・地下鉄、歩行時、ひとの集まるところ、等々ではパスポート・財布を十分気を付けて、と注意が在るそうですから、私のように長く住んでいる同朋から現場の声を聞いてみたい、ということかも知れません。

実際の話しですが、<スリ,置き引き、など>の被害に遭った日本人の方のケア<大使館連絡、警察署案内、カード会社連絡、等々>のお手伝いを会社の方針として、出来る限りのことをお手伝いしています。

被害に遭った方々から直接に何処で被害にでくわしましたかと、最後に伺いますと、殆どの方が地下鉄(メトロ)と市営路線バスであり、タイミングとしては、乗車・下車の瞬間にトラブルに遭った、と証言されています。

従いまして、この対策としては、メトロ・バスには乗らない、という方針が
大切です。または、乗っても貴重品は持たないこと、などの事前準備が
問われます。

以前にもブログに書いておりますが、現金は少なめに、クレジットカードは2枚<1枚はVISAもしくMASTERカード>位は、お持ちになった方がベターです。尚、トラベラーズ・チェックは安全度は高いのですが、殆どのお店などで、受領しないようですから、ご注意を。

路上散歩中に時々、声<英語、日本語使用>を掛けてくる外国人?
が出てきます。相手にせずに耳を傾けないことです。言葉巧みに悪さをする人達ですから。

私も夜間に何度も出くわしては、困ったものかな!と思っています。
さて、いろいろなケースを挙げて防止法を書く事も出来ません。

個人旅行が増加傾向<もう20年以上前からですが>に在るようですが、
ローマのみならず、安全対策は所詮、自己責任と割り切って、事前の準備<パスポートは、身肌外せず!>が、最も肝要である、と言うことに尽きます。


          安全は 自分が作る 気概もて
                           元鷹
 

2015年12月6日日曜日

第427話 サムアップ Di Roma その2.バール

イタリアにおけるBAR<バールと発音>の存在は、格別なポシションを担っているように思えてなりません。

ローマは、教会の多い街並みですが、バールの数も相当なものでは
無いか、と平素から感じております。大ざっぱですが、通りの50メートルに1店舗は在るのかもしれない、と思うほどです。

イタリアへお越しの方でも、特に団体旅行ですとバールに立ち寄ることも無く過ごしてしまうのかも知れませんが、ちょっと勿体ない気がします。

日本には同じ形態の飲食店は少ないように思います。但し、銀座にはバールが在りましたね、確か。エスプレッソ、カップッチーノほか、数多くの飲物を提供してくれます。また、パニーニなどの軽食が食べられます。

朝食、昼食時間の取れない場合など、活用すれば便利です。
イタリア人は、朝食はカップッチーノとコルネットで、昼食はパニーニとエスプレッソ<カップッチーノ>を頂く人も多いようです。

さて、バールの一次的役割は飲食販売に在ることは申すまでもありません。しかし、バールは今一つの顔を持っているのです。

この要素がお馴染さんにも一見のお客さんにも大切なファクターですから、見逃せないのです。それは、あらゆるジャンルに亘っての
「情報交換の場」としてのバールです。ですから、バールはおしゃべりで大変賑やかです。

整理すれば、1.飲食をもてなす場 2.情報交換/収集の場
ということになります。今ひとつ加えますと”トイレ活用の場”としてのバールでもあります。多くのツーリストが、活用しております。

ローマならず多くの街で旅行中に困ることは、共通して「トイレ」を探さなくてはならないことです。そんな時、本当に助かるのはバールの存在であります。”バーニョ、ペル・ファヴォーレ!”と一言お断りして、使わせて頂く訳です。このタイミングを取ることが大切です。挨拶など必ず一言添えましょう!

使用した後すっきりしたところで、御礼代わりに、”ウン・カッフェ、ペル・ファヴォーレ!”とバリスタへ笑顔で注文すれば、彼は”グラッツェ!ウン・モメント!”(グラツェ!少々お待ちを!)とご機嫌に接してくれることでしょう。是非お試しください。

※その1.ことば にてお伝えのようにイタリア語の入門編学習は
  やはり楽しい旅をする為に不可欠ですね。

第426話 南イタリア紀行 ペストゥム

いよいよローマに居て最後の長期休み<FERIE>を得ることが出来ました。迷うことなく長年の夢であった南イタリア旅行を楽しむことにしました。

行き先は、ペストゥムとソレントの2つの街に的を絞りました。
ペストゥムは、ギリシア時代か<紀元前5*6世紀>の神殿が良い形で残っていることで知られています。

20年も以上のことでしたが、知人から頂いた本<題名も作家も忘れたのですが>に絶賛されていたことが頭をかすめて止まなかったのですが、長い期間、憧れとなってそのままになっておりました。

やっぱりこのままでは、日本へ帰れないとばかりに踏ん切りを付けて3泊4日の南イタリア旅行を催行した次第です。

そのご報告顛末をブログにてご案内申し上げます。

第一日目
ローマ ⇒ ペストゥム<ナポリ経由> 
およそ3時間<ナポリ乗り継ぎタイムあり>位掛かったでしょうか?
ビックリしたのは、ペストゥム駅は無人駅で、周辺は畑ばかりだったことです。ホテルに電話して迎えをお願いして、車で15分程でホテルへ。

早速に行動開始とばかりに、ギリシア神殿の見学へと徒歩で向かいました。ホテルからは、乗物は何もないところでしたから片道およそ45分を
てくてくと歩きました。

イタリア半島でみるギリシア神殿は、イメージ以上に荘重さを感じました。
ドシーンとした厳粛さに圧倒されながらもドッシリさの美と言いますか、2500年の歳月を過ごしてきた歴史の貫録に胸が打たれました。

ア~ッ、来て良かったなぁ!!と腹からおもいました。

※写真が本日の所、添付できません。
  後日チャレンジします。ご容赦願います。


    
            ペストゥム ドリスの柱 荘重なり
                              元鷹

2015年12月1日火曜日

第425話 サムアップ Di ROMA その1ことば

いよいよと言いますか,ついに2015年未年の師走に入りました。今年も
31日となりました。

皆さまのお住まいの街の気候は如何ですか?大分寒くなりましたでしょうか?ローマは、11月後半から急に冷え込みだしております。

さて、今日のタイトルは「サムアップ Di ROMA その1」としました。少々変なタイトルですが、”ROMAの麗雅都だより”最終月のネーミングとして他に妙案もなく、決定した次第です。

「サムアップ」とは、”纏めてみれば”、”総括すれば”と言った英語ですが、上手くサムアップできるかどうか判りませんが、兎に角サムアップしてみたいと思います。

先に参ります。その1.として「ことば」をあげたいと思います。
先ず「言葉ありき」では無いのですが、イタリア共和国の言語イタリア語についてサムアップします。

語学好きの語学オンチの私が申上げるのも野暮な感じです。
私自身は、延べ23年間もつきあって来ているわけですが、大した進歩をせずに来てしまったと反省しています。

個人的には語学学習への取組は、早い方がベターであるかと考えています。

昨今、国内では語学教育(殆ど英語が対象かと思いますが)について
熱心に各界において議論が活発のようですが、何れにせよ島国国家日本です。30年、100年の計をベースに武蔵ならぬ二刀流(母国語と英語、他の外国語)の方向に進めなくてはならないことは必須です。

旅行者としてのローマ(イタリア)を楽しむ上でのイタリア語を考えてみますと比較的簡単です。時間・経済(コスト)を考慮して、私自身の体験から申しますれば、NHKラジオ講座の語学テキスト、ヒヤリングがお薦めです。

個人差はありますでしょうが、1年から3年程継続した学習に励みますとイタリア人との平易な会話は、十分楽しめることかと思います。有難いことに一般的にイタリア人は、外国人好きなところがございます。

特に日本人への接し方、と言いますか日本(日本語・文化・歴史)への憧れもあってか、大変親切な対応をみせてくれるケースが多いかと考えています。少しのイタリア語でも、とても喜んで返事を返してくれます。

イタリア人によっては、外国人の使う間違った発音や使い回しを修正してくれる人もいる位です。

ですから、イタリアへ旅行をされる前に多少の時間を使ってイタリア語のイロハを学ぶことは、楽しいイタリア・ツアーをゲットするコツであると言えます。是非、お試しあれ!と叫ぶ?次第です。

末筆ですが、ここローマの人達が口癖のように語るフレーズをご紹介しまして、その1.を〆たいと思います。

☆街でよく耳にするイタリア語を上げますと
1.ヴァー、ベーネ!2.スト・アリヴァンド!3.チ・ペンソ・イオ!
4.アスペッティ!5.ブオンジョルノ!コメスタイ?
6.ノン・チェ、プロブレマ!7.アリヴェデルチ!
などです。

比較的大きな声で、ハッキリと発音するのが特徴と言えば特徴であります。是非とも、チャレンジ!して下さい。
イタリア旅行が一層楽しくなることと信じています。

       FORZA!(ガンバレ!)



Via Giulia にある中世紀の噴水はいまでも健全です!



              ホステリア「ラ クエルチア」
            ファルネーゼ宮殿の裏側で見つけました。
            一度出掛けてみたい、と思わせる佇まいでした。  


この真っ青な空がローマの元気です!
                Via Volturno テルミニ駅近く

             ※写真は文章とは関係なく掲載しております



             師走なり 麗雅都だより サムアップ
                                元鷹
 

2015年11月30日月曜日

第424話 カンポ・ディ・フィオリ周辺を歩く

今日は、ガイドの仕事をしている友人のHさんからのお薦めのあった
展示会へ出掛けてみました。場所は、スリが多くの乗ることで有名なバス64に乗車して、「カンポ・ディ・フィオリ」の近くで下車、徒歩3分位の処です。

レオナルド・ダ・ヴィンチの常設展示会場でもあるカンチェレッリア宮殿の
一角に在りました。生憎、到着しましたらPAUSA(パウザ・休憩)のまっただ中で、しまってましたので、この間を活用して近隣を散歩することに。

このカンポ・ディ・フィオリ周辺は、ローマの旧市街15~16世紀の佇まいを楽しめる街並みが、いっぱいあるところです。

即ち、64番バスが走るV/エマニエレⅡ世通りとテヴェレ川に挟まれた地域ですが、道路反対側のナボナ広場、パンテオンの所在する地域と共に中世のローマを彷彿させるに十分な趣きを楽しませてくれます。

今日、散歩した通り名を列記してみます。
1.バンキ・ベッキ通り
2.リッチ広場
3.モンセラート通り
4.ファルネーゼ広場
5.マスケローネ通り
6.ジィウリア通り
7.ペッレグリーノ通り
8.カンポ・ディ・フィオリ広場
と言った広場、通りをゆっくりとショーウインドーを眺めながら散歩したのでした。骨董のお店、ジュエリー(手作り)のお店が結構、軒を並べているのが目立ちました。時間がタップリある時の散歩路として、お薦めです。

会場は午後4時から再開です。
十二分にパウザ(休憩)も取りましたので、カンチェレッリア宮殿に戻りました。催事は、長崎県のキリスト教遺産の展示会です。ユネスコの世界遺産登録へ立候補している、というお知らせが友人Hさんからの情報です。

不思議なことに、今年去年そして一昨年とヴァチカン国際音楽祭<このことはご紹介させて戴きましたが>参加の際に毎回サン・ピエトロ大聖堂の大祭壇近くで、江戸時代から歌われていたというミサ曲を合唱した経験もありましたので、関心を持って展示会に行く事が出来ました。

最終日の今日は、夕方の時間にも関わらず多くの人達が詰めかけて居りました。それほど大きくない会場でしたが、一部屋一部屋に分り易い資料が展示されて、興味を誘いました。

私にとりましては、「親指のマリア様」の複製画が眼に止まりました。
何故に此処に展示されたのかなあ?と疑問を持ちながら拝見しました。

確かなことは、調べる必要がございますが、このオリジナルは18世紀初頭に日本へ来たイタリア人宣教師ジョバンニ・ジデッシが、持ち込んだものと記憶しております。

新井白石は、G・ジデッシとの会話から得た知識を「西洋紀聞」としてまとめた、と云われています。 ところで当時(18世紀初)、お侍の新井白石とG/ジデッシどのようにして会話が成立したのか、興味深いものがあります。

この複製画の出来栄えは素晴らしく、マリア様の表情には気品が満ちて居りました。私は、カン違いをしていました。「親指のマリア様」は親指ほどの大きさに描かれたものを指しているのかと勝手に想像していました。

しかし、今日みた複製画は長さ30CM×25CM位のしっかりした額に収まった油絵のようにも見えました。※写真ご参照ください。

注意してみますとマリア様の衣裳から、小さな親指が出ていたのを発見しました!成程、そうかと合点がゆきました。散歩の楽しさを存分に満喫できた午後のひと時でした。


 
バンキ・ベッキ通り
            歳末の通りの飾りつけが出来たばかり
            に見かけました!お天気は良かったのですが
            赤と白のアンブレラが綺麗に花のように! 

           
           
 ジュリア通り
            ローマの通りの中で好きな通りのひとつです
            ファルネーゼ宮殿の後ろにあります

            
親指のアリア様
              中央に親指が、見えますでしょうか
             偶然の出会いに感謝します! 
             そして、勿論Hさんのお薦めにも。 

               散策は ゆっくり素直に 急がずに
             旧市街 歴史漂う 散歩道
                              元鷹
 

2015年11月29日日曜日

第423話 国境なき合唱団 ローマ演奏会

”国境なき合唱団”何か耳なれない、しかし、いつか聞いたことがあるような合唱団名です。”国境なき医師団”は、時折り耳にしたり、目にしますが、皆さまには如何でございますでしょうか?

先週の21日の土曜日には、この”国境なき合唱団”の皆さんとステージに上がりました。場所は、市内に在る「テアトロ・イタリア」という劇場です。
演奏会で頂いたパンフレットには、合唱団について紹介されております。

「国境なき合唱団は2007年に結成された混声4部合唱団。私たちは毎年国境を超えて世界のいろいろな国を訪れ、その国の檜舞台でベートヴェン交響曲第9番を歌う慈善コンサートを開催しております。合唱やその他の活動を楽しみながらコンサートを作り上げ、恵まれない子ども達へ愛の贈り物を届け続けてゆきたいと願っています。」と紹介しています。

これまでの訪問都市は2007年のウィーンをスタートに、シンガポール、ベルリン、プラハ、オックスフォード、ホノルル、そして今回のローマです。

今回の曲目の第1部は”日本の歌”でした。
ふるさと、花は咲く、大地讃しょう、そうらんぶし

そして2部は”マスカーニのオレンジの花は香り”、
ベートヴェン交響曲第9番合唱付 第4楽章

指揮は、全て横島勝人氏でした。また、ピアノは原 恵子氏。
私は第9だけの参加を予定しておりましたが、全くの偶然となり行きとで、全曲参加するようになった次第です。

とは言いましても初めての曲もありましたので、とても即席で歌えるものではありませんから、クチパクだけの参加の歌も一部出てしまいました。

生憎、当日の悪天候の影響を受けてか、演奏会場に駈けつけてくれた聴衆は多くはありませんでした。それでも、合唱団・オーケストラの演奏に耳を傾けて頂いたことは、嬉しく感謝しております。

国境なき合唱団の皆さんのお陰で、久し振りに第九合唱に参加することが出来ました。ローマでの最後の合唱に第九を歌うことが出来ましたのは、何かのご縁を感じました。皆さまのご来伊に御礼申し上げます!

合唱団の皆さんを乗せた専用バスの
            バーナー「国境なき合唱団」練習会場へ

             
会場になった”テアトロ・イタリア”の
           正面玄関口です。DOPO LAVORO と
           見えます。”仕事が終わってから”とでも
           訳すのでしょうか?


           第九の日 国境なき 和を求め
                            元鷹   

2015年11月23日月曜日

第422話 写真展を終えて

今日は勤労感謝の日で、日本では昨日の日曜日に続いての連休を迎えたことと思います。この勤労感謝と言う日本語は、素敵な響きに思えます。

少し古臭いような気も致しますが、勤労を尊ぶという考え方はごく自然なこころの働きかと考えるのです。

ローマに生活してみて、労働/仕事に対しての日本人、イタリア人、」あるいは、他の国からローマに来て仕事をしている人々の労働への取り組み姿勢の違いは、当然ながら違うものです。

日本人の一般的なごく普通の勤労感とは、どんなものなのでしょうか?
時代時代で変わりつつあるものの底辺に在る立ち向かい方は、大きく変わっていないものと思います。

さて、この勤労への立ち向かい方の違いは、当然ある訳ですが、おおよそイタリア人の見方は、労働観ではなくて恐らく、生き方感の方に主軸を置いた姿勢から来るものなのではないだろうか、と思うのです。

よく話題の登る「価値観の違い」と言えば、そのようにも思えます。
しかし、価値観は日本人の間でも十人十色です。

「価値観の置き方」の違い、と言った方がより分り易いのかも知れません。
人生の価値、意味への根底の押さえ処が違うのです。
何か、纏まりのないお話しで失礼しました。

折角ですから、今日の日本の「勤労感謝の日」には、どんな意味合いが込められているのかを、今一度調べてみたいと思います。

さて、本論ですが、先の二話にてご案内しました写真展の顛末についてお知らせ致します。

予定通り、11月20日(金)の夕刻をもって無事に終了出来ました。ご来場の皆さまに、そしてこのブログDE写真展をご覧下さった皆さまに、厚くそして熱く御礼申し上げます。

思っていた以上に多くの方々のご訪問を受けて、驚いたり喜んだりした2週間でした。ローマ滞在を締め括るイヴェントとなりました。

改めて、「写真(フォート)」の面白さ・不思議さを感じた次第です。

皆さまからも比較的好評なコメントを頂いて、恐縮したした次第ですが、
同じ街ローマに生活していても、イタリア人の観る街ローマと一外国人である私という日本人から観る街ローマは、「写真」と言うフィルターを通じて表現に差異が在り、この差異が観る方の興味・感心となるのかも知れない、と思っています。

末筆ながら、こころ良くギャラリーをご提供頂いた友人のアッレサンドロ氏に深謝申し上げます。

                               前回と同じものですが、再掲載します。
            写真展示会場入口に飾ったポスター&
            イメージの句です。〔左から2番目の額〕

             ”天高く 理想も高く 秋の空” 元鷹

              

           写真展のコンセプト
              CARPE DIEM ”時を掴め”
              玄関敷き/会場に敷きました
              ※写真タテヨコ調子が儘ならず
                  ご免なさい!


           デジカメラ ローマの街角 如何に観る

                             元鷹   

2015年11月17日火曜日

第421話 ブログ DE 元鷹写真展

ローマは、11月に入って連日太陽がサンサンと輝く良い気候に恵まれております。さて、今日は前回ご案内しました写真展に纏わるお話です。

11月06日(金)夕刻6時には、写真展の幕を開けることができました。
早いもので今日17日(火)で、開催12目に当ります。あと4日を残すのみとなりました。

大変感激したことには、会社の同僚が出勤前に、或はお昼休みを使って
写真展の観賞に来てくれたことです。このような展示会は初めてでしたが、お客様の居ない空間で一人待つのも、多少辛いものがあることを学びました。

また、20年来のローマの友人も駈けつけてくれて、励ましの言葉を頂く事が出来ました。多くの皆さまに只管感謝であります。紙上(?)を借りて厚く御礼申し上げます。

新企画??です。第421話では、写真展の一部を皆さまにご覧戴きたくタップリと写真展の写真?!をとくとご覧下さいませ。

ギャラリー入口には、①ポスター②句
            ③風景写真 と続きます。

            

            EURの桜、コルソ通り(2011年12月)
            街角の小噴水?

人物コレクション
            左下には、スーパーマン?も・・・。

自然コレクション
            左から、テルニの滝、アッピア・旧街道、
                 ネットッーノ海浜


              瞬間 シャッターチャンス 運任せ
                               元鷹 

2015年11月5日木曜日

第420話 写真展を開催します。

ブログを継続してきたお陰もありまして、4年以上に亘って撮影した記録は5,000枚以上に上ります。毎回のブログには、平均ですが3枚添付を原則として来ました。

ですから、数えたわけではありませんが今日のブログ掲載までに、
1,200枚程度は、文章と共に載せているものと考えられます。

さて、トリノ通りからガレリア≪V/オルランド通りへ抜ける回廊≫に在る
カメラ店主の友人アッレサンドロ氏のお誘いを受けることが出来まして、この度お恥ずかしながら、写真展≪個展≫を開催することになりました。

テーマは、「Carpe Diem」《今日、その時を掴め》、そしてサブ・テーマは「Spread Your Wings and let the world discover you !」《いざ、君の翼をひろげよ!されば、君の世にあらんこと知らしめん!》を挙げております。

個展の規模は小さいものです。日本の間取りで申し上げますと、さぞかし4畳半ほどのギャラリーです。写真は、A4サイズのものを20点、その半分のサイズのものを5~6点選びました。

決して、力作、佳作と申せませんが、私にとって想いでの深い懐かしさがこみ上げてくるもの特に選びました。さて、知人友人らから如何なる批評、コメントを頂けるものか、今から楽しみです。

☆期間 2015年11月8日(金)18:00~11月20日(金)18:00迄
☆お問合せ先 alibianca313@gmail.com
☆TEL      ++39-06-3899538471   

この期間にローマへお越しの方がいらっしゃいましたら、是非ともお立ち寄り、ご高覧賜ります様にお願い申し上げます。

また、イタリア/ローマにお住まいの方は、お気軽にご来場ご観賞戴けましたら幸甚に存じます。


            締めくくる ローマの滞在 ヴィジュアルに
                                 元鷹   

2015年11月3日火曜日

第419話 文化の日に想うこと

今日は、日本の祝日”文化の日”です。

幸いにも、この時期は秋晴れの好日が多かったように想い出されます。
今日の日本のお天気は、如何だったのでしょうか?

ローマは、今この時点で午前10時を少々過ぎた時間ですが、日本の祝日を祝うかのように青空が広がっております。

私にとりましては、年間に数ある祝日のなかでも大変親しみのあると言いますか、響きの良い祝日であります。

日本を暫く離れている関係上かどうかは分りかねますが、ここ数日前より今日の”文化の日”なるものが、どんな意味を有するものか、”文化”とは何ぞや、などと頭を霞めるのです。

例えば、「文化」というイメージで想い出します言葉を書き出してみますと。文化センター、文化鍋、文化住宅、文化文明、文化的生活、文化人、
文化功労者、文化文政時代、文化的活動、文化的考察、文化クラブ、
文化人類学、などなどが浮かびあがりました。 

英語では、CULTURE《カルチャー》、伊語は、CULTURA《クルトゥーラ》、ラテン語では、CULTUS《耕作、手入れ、育成、教育、洗練、生活様式》などと説明されています。

語源は、どうも直感でしかありませんが、”耕す”ことに始まって、生活、技術、藝術、あらゆる分野・ジャンルで、結果、洗練され得ること、人類の生活向上の役に立つこと、等々のことを示唆するものだろうか、と思えるようになりました。

”文化”を愛する国民の一員として生まれ育って良かった、と今日は感謝をしながら、日本の味を噛み締める一日にします。そして、皆さんでこの素晴らしい祝日”文化の日”をお祝いしたいと思います。


          文化の日 故郷想い 寿司食らう
                            元鷹   


2015年11月2日月曜日

第418話 諸聖人の日

11月1日(日)は、イタリアの祝日”諸聖人の日”です。
この祝日は、どんな日であるのか余り関心を寄せずに居りましたところ、先日、曰く因縁を伺いましたのでメモ替わりに書いてみます。

ちょっと耳慣れない祝日の名前ですが、イタリアに長く住む知人の説明に依れば、年間を通じて毎日カレンダーには、誰誰の聖人の日と定められているそうです。

しかし、聖人《サンタ・サント》は、数100人、数1,000人?にのぼり、カレンダーに収まり切れない聖人をお招きする特別な1日に為るのだそうです。

まあ、何と合理的な考え方があるものだ!と門外漢の私には真に愉快な想いのするフェスタ《祝日》ではあります。

更には、翌日の11月2日は毎年”死者の日”と呼び、ご先祖様のお墓参りをする習慣があるようにも親しいイタリア人から聞きました。
まあ、日本のお彼岸の日のお墓参りと同じような様なことですね。

今年の諸聖人の日は、生憎と日曜日に重なった為、連休または飛び休とは行かずに残念がったイタリア人もここに住む外国人もホゾを噛んだかも知れません。
          ※写真は上記の文章との関連性はありません
シチリア島パレルモのCATTEDRALE
            2013年9月に訪問しました

 神聖ローマ帝国とノルマン・イタリア王国 
              継承者だったフェデリコⅡ世が眠る墓
                  《1194ー1250、55歳没》

            
              合理的 諸聖人が 一堂に
                             元鷹
 

2015年11月1日日曜日

第417話 音楽祭本番の合間に

昨日も今日もローマは、温かい気候に恵まれ秋日よりを楽しみました。

先日30日(金)には、ヴァチカン国際音楽祭の千秋楽としてのプログラムのひとつの演奏会が、サン・パオロ・フィオレ・レ・ムラ聖堂〔ヴァチカン市国4大聖堂の一つ〕にて開催されました。※同日21:00から

私は初年度の2013年には、西本智実指揮によるベートベン第九合唱付にバスメンバーの一員とて、翌年2014年には同指揮者によるG/ヴェルディのレクイエムの合唱(バス)メンバーとして参加しました。
そして、本年も2014年と同じ曲目でしたが、やはり西本指揮者に依って演奏されました演奏会に出場することが出来ました。

聖堂会場は、おおよそ1700名位の聴衆者で、ご招待客を含めてですが、ほぼ満席状態になっておりました。これまでの演奏会では、一番恵まれた天候の下、多くの聴衆者をお迎え出来ました。

地元に詳しい、とある日本女性の言によりますと、「金曜日の夜の演奏会は、参加率が高くなります。」とのことでした。勿論、入場無料という大きなみ力も含めてのことかと思いますが。

合唱には、日本各地からの参加者がおおよそ100名位でした。
そして、地元ローマのベテラン合唱員が40余名ほどだったでしょうか。

さて本番の演奏会時間の6時間前にはゲネプロ(プロバ)が、同聖堂ステージにて実施されました。実質90分位だったかと思いますが、無事早めに終了しました。

今日のテーマ《音楽祭本番の合間に》は、この聖堂裏側にありますBARの敷地に咲いていた何とも優雅なカタチ《ラッパ型》をして、周りの色彩にも馴染んだ色合の花に、私は演奏会前の緊張をほぐして貰うことが出来たのでした。

バール《BAR》のバリスタに花の名を訊ねても「分らない。」と素っ気ない返事が返って来ました。毎年10月、11月に花を付けるが、中々いい香りであることなどを強調しておりました。

成程、そのラッパ状の花の開いているところに顔を近づけますと僅かですが、甘い香を味わい納得することが出来ました。

家に戻ってから、ネットで調べてみますと、「エンジェル・トランペット」と言うことが、分りました。正式な学名では無いかも知れませんが、この名前には、ナルホド上手いネーミングではないだろうかと感心して仕舞いました。

サン・パオロF・L・M聖堂上空の夕陽に舞う
            ムク鳥の一群

見事なラッパ状の大輪を咲かせて
            お客の眼を惹く「エンジェル・トランペット」


            
近づいて撮影してみました
             花に鼻を近づけて香りを楽しみました
             DOLCI《ドルチ》でした!


            バールの花 カタチが愉快 香味わう
                                元鷹  

2015年10月28日水曜日

第416話 EUR《エウル》を歩く

EUR《エウル》に出掛けました。この地区の話題としてブログには、確か6月に一度”東洋エクスポ”のことについて書かせて頂いております。今回は、「ローマ文明博物館」を初めて訪ねることが目的でした。

さて、"EUR"と綴って、「エウル」と呼びます。
伊和辞典《小学館》によりますと"Esposizione Universale di Roma"
ローマ万国博覧会 *万国博のためムッソリーニが創設した、ローマ新都市、エウル。と説明しています。

地理的には、ローマの南に位置し、レオナルド・ダ・ヴィンチ空港《通称フィウミチーノ空港》の往復時にこの地区を通過しますから、皆さんにも比較的親しまれているかも知れません。

毎年4月ころには、サクラの花を咲かせてくれる公園が在るのもこのEUR地区の一画(”Passeggiata Giappone”)です。

このような訳で、エウルには市内中央では見られない大型の博物館、官庁オフィス、人造湖、はたまたアパート群、などのノッポビルが、散見できます。広々として、市内では味わえない”ゆったり感”が生きているのです。
 
ところで、エウル地区のご紹介はここまでにしまして、「ローマ文明博物館」のことについてお話しを進めましょう。

最寄りのメトロ駅は、B線「EUR FERMI」です。ここから、徒歩15分位だった思います。道路幅のたっぷりしたコロンボ通りに沿って歩きます。

嬉しかったことに「ローマ文明博物館」への道すがら、紅葉した木に出会いました。木肌を見る限り、日本で言う”サルすべり”の木のようでした。はっきりとは判りませんでしたが。※下に掲載の写真をご覧ください。

ローマでは、紅葉、黄葉は殆どこの時季でも見ることは滅多にございませんから、何か日本を想い出してでしょうか、ホットするのであります。

そして、いつものように通りすがりのイタリア人に再確認のため、道を訊ねましたところ、5~6分程度の距離に近づいたことが分って安心しました。

人気の無い入口に到着しましたところ、大きな門扉は閉ざされていて、ビニール袋に収まった告知が眼に入りました。

内容は、「当館は、施設整備の為当面の間閉鎖します。云々。」です。
何とういうことか!!後悔先にたたずの巻。時々、このような失敗はあることですから、腐らないで記念写真を1枚パチリと撮って記念にしました。

いつか将来来てみたい見物候補先にリストアップすることにしよう、と
自分を慰めるかのように心の内に言い聞かせて、静かなエウルの街を後にしました。

道案内ボード
            行き先を教えてくれるボードです。
            手前は、フランス人作家ですが、
            スタンダール通り、そして奥の案内は
            行き先のローマ文明博物館通り。

ローマ市内では、見られない紅葉。
            色が変わる自然の姿は、何ともはや
            美しいものです。


「ローマ文明博物館」正面玄関先
中央大きな扉やや左下の告知ビラ
ご覧いただけますか?
 
秋深く エウル訪ねて 知るローマ
                  元鷹

第415話 エッ!もうナターレ?

26日(月)午後にピアッツア・ヒィーウメにあるローマ唯一のデパートに行ってきました。これと言った買物品が有った訳ではありませんが、時々メンズフロワーやB1にある家庭用品、雑貨日用品、旅行用バッグ用品などを下見するだけでも楽しめるのです。

お世話になったあの方この方へプレゼント品、或はギフト包装紙を観てみようと言った感じでフロワーを歩きまわりました。

幸いにもB1日曜雑貨品コーナーにラッピング用紙が飾られていました。
中に気に入ったデザイン、カラーのラッピングがあったので調達しました。
1ロール8ユ-ロでした。これだけの長さが有れば、結構使えるかな?!

いつも導線にあるスーツケース売場を見るのが常に為っています。今回もフランス製、イタリア製、ドイツ製などの商品を拝見しました。其々のメーカーに特長があって、甲乙つけ難しです。

でも、フランス製のバッグが良さそうに思えて、今後の買物時に参考にしたいと思いました。デザイン、機能性に優れた点がありました。

ところで、このB1には”NATALE”(Xmas)のデコレーションが、されていたのには、少なからず驚きました。未だ、10月下旬です。関連商品もチラホラと並べられていました。年々歳々、スタートが早まっているようです。

デパートを出た通りにもほんの数件ですが、ナターレの飾り付けを始めたお店を見て、もう季節はクリスマス商戦へ移ったのかも知れない、と頷いたしだいであります。
ラ・リナシェンテ百貨店B1家庭雑貨用品
            もうXmasディスプレイが、始まっていました。


               

            やはり百貨店近くの一般のお店
             家庭雑貨のお店でしたが、Xmas関連
             商品が展示されていました。


             過ぎたるは 孔子曰くや 今昔
                             元鷹  

2015年10月27日火曜日

第414話 クワットロ:フォンターネ

さて、話題はローマへ戻しました。比較的見かけることの多い噴水のひとつに”クワットロ・フォンターネ”(4つの噴水)が、町中の交差点にあります。クワットロとは、イタリア語で数字の4という意味です。

他の知名度の高い噴水と違って、交差点の4つ角に在る為に、ゆっくり鑑賞が出来ないと云うデメリットが有るのです。と言いますのもここは交通量が比較的多いところでして、観賞スペースが確保されていないのです。

16世紀後半に法王シスト5世(在位1585~90)の命によって創られたそうですから、その時代から車社会以前までは、さぞかしノンビリと人々は、この噴水を眺め楽しめたものと想像します。

さて、噴水の説明ですが四つ角の噴水のうち、2つは男神(ナイル川とテヴェレ川)、他の2つは女神(ユーノとディアーナ)です。

今日では、カメラを向けるのも一苦労を要するほど、噴水を観賞することが難しい状態です。かと言って、「引越し」させる訳にも参りませんでしょうから、私たちとしては安全に注意を払いながら楽しむ他ありません。

また、ガイドブックにも説明があるようにこの交差点からは、遠くに3つのオベリスクを眺められます。そして、ピア門も小さくみることができてユニークなポイント《交差点》ではあります。

ユノーの女神・・・大統領官邸に向かって
            右側角
     
            
 
ナイル川の男神・・・大統領官邸に
向かって左側角
 
テヴェレ川 の男神・・・Sマッジョレー聖堂に
向かって左側角
 
ディアーナの女神
・・・ピア門に向って左側角
 
如何でしょうか?其々の噴水の在処が、写真と説明書きでお分かりになられましたでしょうか?直ぐにピーンときた方は、少ないかと思います。
 
メジャーな噴水では無いのですが、アイデアに満ちた噴水、泉の都ローマならではの噴水です。チャンスがございましたら、出掛けてご覧願います。
 
 
クワットロ 四方八方 水の出る
               元鷹
 
 

第413話 ナポリの国立美術館 その3/終章

ここナポリの国立美術館は、紀元前後の時代に創られた美術品が数多く展示されていました。殆どの遺跡品や大理石像の時代背景は未だ、ナポリがギリシアの植民地?だった時代でありましょうか?

兎に角、紀元前/後の彫刻や、ポンペイ(ヴィスヴィオ火山で埋もれたナポリに近い古代の町/多くの観光客を集めています)遺跡の出土品が、随分多く展示されていたことには驚きました。一見の価値あり!であります。

話を戻しましょう!
”シヌエッサのビーナス”の展示場所

前回にもお話しをしましたように美術館入口にあったインフォメーションにて場所を確認したのでしたが、ついつい探し切れずにぐるっと回ってから再びインフォメーションに再度伺いました。

学芸員の方でしょうか?大変親切に同じフロアーの回廊(正面左側)まで導いて下さりました。この辺の親切は、イタリア人、否ナポリ人でありました。

彼は、何故このビーナスに関心を持っているのか?とご尤もな質問を
直球で投げてきました。私は、そのまま正直に和辻先生の本の話を基に態々見に来た理由を説明して、彼の納得を頂きました。

彼もここの美術館の展示品を勉強中のようで、私に対しても自分のクラスの生徒であるかのように、ビーナスのお話しをしてくれたのでした。
残念ながら、私にヒヤリング能力が足りずに専門的な部分は、チンプンカンプンでした。

美術観賞の感想を申し上げるのは、私にとって中々困難ではありますが、”シヌエッサのビーナス”の前に立つと、その迫力に押されてしまい、作者の力量にただただ頭を下げるしかありませんでした。

和辻先生の書かれたことばを今一度「イタリア古寺巡礼」p121~122から拾ってご紹介させて戴きます。

”このヴィナスは、首、肩、両腕、胸の半分が欠損したトルソーであるが、しかし残っている下半身だけでもこの彫刻が神品(しんぴん)であるであることを感ぜしめるに十分である。〔中略。〕人間の「いのち」の美しさ、「いのち」の担っている深い力、それをこれほどまでに「形」に具現したことは、実際に驚くべきことである。”(p.121~p.122から一部抜粋しました。)

和辻先生の美術品へのシャープな鑑賞眼によって描き出された評論こそ、読者の皆さまには、是非一度お読み願いたいと存じます。

さぞかし、美術館回廊にひっそりと立つ”シヌエッサのヴィナス”の前に居るかのような空想体験をされるかも知れません。

 ”シヌエッサのヴィナス”は、人気の少ない
              地上階(テラス)の回廊中程にありました。
              紀元前4C、彫刻家スコパス作と推定されて
              いるそうです。〔同著/p.121より〕  

             
            

            ヴィナスの左面側から撮影/回廊の様子が
             少々伺えるかと思われます。


            
              ”アレキサンダー大王の戦い”のモザイクを
             観賞する入館者たち/世界史の本で観た
               ことがありますね。 


             
 
”アレキサンダー大王”の部分をアップしました。
この画が、モザイクで描かれているようには
見えません?私は、出来る限り近寄って見て          
参りました。ポンペイ遺跡からの発掘です。
 
 
ヴィナスとは 悩ましきもの 想像し
                   元鷹
 

2015年10月26日月曜日

第412話 ナポリの国立考古美術館 その2

ナポリは、何度も訪れていましたが地下鉄(メトロ)乗車は,初トライでした。構内のインフォメーションオフィイスに行き、美術館への道のりを尋ねました。メトロ2に乗車で、5つ目の駅「MUSEO」下車と教わりました。

メトロ構内も電車そのものもローマに比べてみると真にキレイなので驚きました!照明も明るくて安心出来る気がしましたし、駅全体のデザイン、カラーなどのが、モダンに構成されていたことにビックリしました。

さあ、いよいよ目的の美術館前に着きました。
楽しみにしていた紀元前4Cギリシアの大理石像”シヌエッサのビーナス”と、モザイク画”アレキサンダー大王の戦い”を観賞できる期待感で気持ちが高ぶってきました。

”シヌエッサのビーナス”とは?

日本に居た時にもここローマでも折に読んでいた岩波文庫の「イタリア古寺巡礼」に詳しく説明されていますので引用させて戴きます。
以下、「イタリア古寺巡礼」p.121

”その中で飛びぬけて優れているのは、ナポリ北方二十マイルほどのモンドラーゴーネから発掘されたヴィナスである。そこに昔シヌエッサという町があった関係から、<シヌエッサのヴィナス>と呼ばれている。中略。
しかもその美しさはパリにある<ミロのヴィナス>の比ではなく、今まで発見されたヴィナスの裸像のうちでこれほど優れたものはないと言ってよいのである。”

さらに和辻哲郎先生の見識は続きます。
和辻先生が、これほどに絶賛されたビーナスをローマに居ながら、このまま見ずに日本へ帰ることは出来ません。どんなに美しいビーナスの名だろうか?もう、目の前に来たのであります。

時間は、丁度正午を廻った頃合いでした。
美術館は、それほどの人混みも無くゆっくりと見られそうな気配がしました。入場料13ユーロ≪およそ1,800円≫私物(リュック)を預けて、さあ!いよいよスタートです。

インフォメーションで、①シヌエッサのビーナスと②アレキサンダー大王の戦いの展示場所を教えて頂き、会場へ向かいました。

美術館のスペースは、たっぷりとして広々した空間の中に古代ギリシア時代の大理石像が、程良く配置されていました。兎に角、大理石像が大きいのには驚きました。

今日の日程は、ここの美術館巡りとナポリのピッツアを昼食にすることの2点しかありませんから、気持ちの上でも急かずに観賞が楽しめました。

※気になる読み方、”ビーナス”か”ヴィナス”?
    英語表記:VENUS
 参考*イタリア語表記:VENERE/ローマ神話/愛と美の神
     ギリシア神話:AFRODITE 

 *ビーナスよりもヴィナス(「イタリア古寺巡礼」表記)が、
  英語読みに相応しいと思われます。気になりましたので
  一言付記します。以上 

国立考古美術館の正面玄関です
ナポリの美術館らしさを味わいました
 
ライオン像が入館者を見守っている
            かのように居座っていました

             

            ああナポリ 美術の宝庫 今来たり
                               元鷹

 

2015年10月25日日曜日

第411話 ナポリの国立考古美術館 その1

24日(土)は終日、秋晴れの好天気に恵まれました。

とは、申しましてもローマのことではありません。ナポリのお天気のことでした。10;00発ソレント行きのフレッチャ・ロッサ《赤い矢》特別急行に身を任せて、ナポリに行き終日ナポリの町を散策していたからでした。

さて、念願叶ってナポリの国立考古博物館へいって参りましたので、今日のブログは、ローマとはまたひと味違った「ナポリタン」になりそうです。

電車は、ほぼ満席状態でした。4人掛けで向き合うシートに座ったところ、ほかの3名は、アメリカからイタリア旅行を楽しんでいらっしゃるご婦人がたでした。

大きな布製のキャスター付きバッグを天井棚に乗せる手伝いをしたこともあって、われわれ4人は、まるで同じグループ意識が生まれて、ナポリに着くまでのおよそ1時間は、楽しい”英会話”の教室のようになりました。

話題は、イタリア旅行《ヴェニス、フローレンス、ローム(以上地名は英語式発音)》の体験、ナポリでは美術館巡り、アマルフィーへ出掛けること、ポンペイ、カプリにも行きたい、等々話題は盛り上がりました。

あっと言う間にナポリ中央駅に到着。

大きなバッグを下ろして、プラットホームにて別れました。それにしても、
3人のアメリカ人ご婦人らの元気さ振りには敬服の至りでした。楽しいご旅行を!と申し上げて、私はメトロ(ガルバルディ駅)へ急ぎました。

                               テルミニ駅にて
            出発前のプラットホーム11番線にて



            国越えて 旅の話題は 楽しけり
                              元鷹    

2015年10月24日土曜日

第410話 謹んでお知らせ申し上げます。

             読者の皆さまへ

謹んでお知らせを申し上げます。
タイミングを見計らいながら、とうとう今日の日を迎えました。
と申しますのも、2016年新春の1月に日本へ帰国する予定でございますこと、ご報告させて戴きます。

此処ローマは本当に住み易いところで、全方位的にみましても、さぞかし得難い町であろうかと常に想う次第であります。しかし、先のブログにても、在ローマ通算10年を経過しましたことをお伝えさせて戴きました。

2011年8月からスタートしましたこの”ROMAの麗雅都だより”のブログ作成のお陰で、随分とローマを散策することが出来ました。
ローマの散歩を心から楽しみ、張りのある生活を送ることができました。

そして、同じ位の喜びをローマの市井の人達の親切さの中に味わうことが出来たのでした。下手なイタリア語でも、ローマの人々は、初めて会った日本人の私の質問へ真剣に耳を傾けて、真摯に答えてくれたのでした。

このようなローマの人々の素晴らしいお人柄に幾度も幾度も助けられました。明るく気取らずに、率直に話をしてくれたローマの人々にどれだけの感謝の気持ちをもってしても、伝え切れない深謝のことばが、そのまま行き場を失って、宙に浮いているように思えてなりません。

区切りとしまして、かってながら本年12月31日大晦日を境に、「ROMAの麗雅都だより」の発信を終了したいと存じます。
何卒どうか、予めのご理解とご了承を切に腹からお願い申し上げます。

この時点でお伝えした理由は、他ならぬパソコン事情もその一端を担っております。この4年間で、幾度となくパソコンが自由に為らずに困り果てたことがございました。

今は、やっと調子が戻ってきておりますので、皆さまへのご挨拶に失礼が無きように、少々早めかと存じますが、ご報告ご挨拶させて頂いた次第でございます。

ほぼ残すところ70日余りですが、出来るだけ精一杯の努力をしてローマの話題をお伝えしたいと云う気持ちで一杯でございます。

どうぞ、最後の最後までおつきあいを賜ります様に心からのお願いを
申し上げます。

日本は、秋も深まり紅葉の素晴らしい季節を迎えようとする頃でございますでしょうか。実りの秋にあやかって、読者の皆さまには一層の幸多からんことを期する次第であります。

             
       秋深し 光陰ははや 矢の如し
                       元鷹      





2015年10月21日水曜日

第409話 生まれ変わるコロッセオ その2

ローマに来てコロッセオに遭遇しない観光客は少ないと思います。
市内のほぼ中央に位置していますし、交通の要所でもありますから、必ずやコロッセオを近くに或は遠くにあってご覧になることでしょう!

私が初めてコロッセオを観ましたのは、丁度40年前の1975年8月でした。心臓がドキドキ、音を立てるほどの驚きだったことを今では懐かしく
想い出すのであります。

その時の印象は、”ローマの石の建築文化”に触れたことへの感動でした。トレヴィの泉にも行った記憶が残っていますが、コロッセオを観た時の驚き程のことはありませんでした。

さて、コロッセオのサイズ・特徴をみてみたいと思います。

1.大きさ
   長径188m、短径156mの楕円形(それぞれ諸説のサイズあり)
   外周壁50m
2.建築材料
   トラヴァーチン(大理石)100,000m3(平米m)
   鉄300t、など
3.収容人数
   50,000人~55,000人
4.入り口(地上階アーチ)
   80箇所(66箇所と指摘する参考本もあり)

建設者、その他など

1.時の皇帝ウエスパシアヌスが、西暦72年に始め
  息子ティトゥス帝の時代(西暦80年)完成した。
2.西暦214年 コロッセオに落雷、442年 地震があった。
3.コロッセオの近くに高さ35mのブロンズ製のネロ像《コロスッス》が
  あった。中世以来、コロッセオと呼ばれたのはこの像から派生した
  もの、と言う説がある。※但し、ネロ像の呼称は、他にも例えば、
  コロッサーレ、或はコロッソと説明している図書もあります。いずれ
  にせよ、ネロ像から派生して名付けられもの、としている点では
  同様であります。
4.3層のアーケードは、3種類の古典建築オーダー(ドーリス式、イオニ   
 
  ア式、コリント式)を積み重ねたもの。   

大体ではありますが、以上の事柄を頭に入れてコロッセオを見学されてみては如何でしょうか?

このコロッセオでは、北アフリカから連れて来られたライオン、像、豹ほか多くの野生動物が、剣闘士と戦わされたと言うことであります。また、剣闘士同士の戦いも見せものになっていたとか。

西暦404年になって、剣闘士の争いが禁止されたとも記録されています。
そして、野獣の殺し合いが禁止されたのは、西暦523年だと云うことです。
また、中世には廃墟のようになったコロッセオの建材《大理石、レンガ、他》は、歴代法王によって持ちだされ、教会などの施設に使用されていたようであります。

2012年の元旦だった思いますが、早朝6時頃にコロッセオを一周歩いてみました。ジッと見詰めましたところ、大理石が剥がされた部分からは、薄いレンガが、幾重にもなっているのが見えました。レンガとレンガの間は、セメントで固められているのでした。

1枚1枚のレンガによって、この巨大な建造物は支えられていることが、真に不思議でなりませんでした。幾百人、幾千人の人間がこのコロッセオ造りに加わったのだろうか?などと、答えも出ないようなことを空想しながら、一周したことが想い出されてきました。

観光客が楽しみに世界から見学に訪れるローマの多くの歴史的建造物は、今修復中になっています。コロッセオ他、トレヴィの泉、スペイン階段などです。

これは、今年12月08日からスタートする聖年《2016年12月00日まで》を迎える為のお化粧直しがその理由ではないでしょうか?

サン・ピエトロ大聖堂を始め由緒ある聖堂、教会の聖なる扉が開きます。
《通常は閉じたまま状態》この聖なる扉を潜ると天国への道が開かれるのでしょうか?

正しい知識を持ち合わせて居りませんが、世界から多くの巡礼者がヴァチカン市国に来ることだけは、ほぼ間違いないようであります。
コンスタンティヌス凱旋門と
            コロッセオのデュエット
            どちらも美しい!美の競演です。


             2000年 永久に建つかな コロッセオ
                                 元鷹                                     

2015年10月20日火曜日

第408話 生まれ変わるコロッセオ その1

いい季節となりました。女心(男心とも)と秋の空。毎日のお天気は、天気予報とは違って、非常に読み憎い日々が続いています。

それでもお天気が良い日は、何と言っても爽やかで気持ちが晴れる想いがします。其々の季節に恵まれている日本と同じようにローマの季節も素敵です。

私にとっては、この時期は”旅愁”のメロディーが朝に夕に浮かんでまいります。アメリカの作曲家オードウェイ、そして作詞は犬童球渓です。
秋の深まりと共に、♫ふけゆく あきのよ たびのそらの ♪と何処からともなく聞こえてくるようです。

さて、前回から随分と時間を空けてしまいました。
実は、またまたエンストならぬブログ・スト?に嵌ってしまいました!

8月にもお世話になったP/CサービスセンターにP/Cを持ちこみまして
ヒントを頂いたお陰で、やっと再スタートが出来ました。
ご心配をお掛けしてしまいました。恐縮至極であります。

いよいよ本論へ。
先週13日に所用???がありまして、コロッセオへ参りました。
相変わらずの堂々とした体格、否、建造物*体でありました。

側に建つコンスタンチヌス凱旋門からコロッセオを観ましたら、
なんん・・・とその右側中央辺りは、修復されてモダンなデザインに生まれ変わっていたことが分り、驚き感心した次第です。

そのような感慨を抱きつつ、古代ローマの代表的な巨大石造建築/円形
競技場”コロッセオ”のことをもっと掘り下げてみたい、という欲求に駆られて、トボトボと小雨のなか諸皇帝通りを一人歩き、ヴェネツア広場のバス停へ向かいました。

ここの部分は、メトロB線「コロッセオ」
            駅を出て、ほぼ反対側の位置となります。
            まん中右側をご覧ください。修復された
            箇所となります。


            
新しい顔を創りだしたコロッセオ(部分)
            アナボコばかりのコロッセオでしたが、
            モダンな今風のイメージを発信しています。


            コロッセオ イタリアの臍 ど真ん中
                               元鷹 

2015年10月4日日曜日

第407話 噴水三昧 その2

ローマ市内至る所に設えられた大中小の噴水は、市民には勿論のことですが、旅行者や巡礼者には大切な憩いの場所となっています。

歴史的には、古代ローマ時代から街の中心地へと、水路は延々と水道橋などを利用して運ばれてきたようです。

市内の水のターミナル《プールされた位置》の目印的オブジェとして、或は時の権力者の威厳を保つものとして、泉・噴水が造られたようです。

とくに顕著なのは、16世紀から17世紀に掛けてのいわゆるバロック時代と括られる時代です。時の法王シスト5世は、大司教のころからローマに都市計画が必要なことを考案し、着々とタイミングを計ったのでした。

ときや良し、法王《1585-1590》になると一気にローマの都市整備へと情熱を傾けたのでした。今でもそのカタチを私たちは眺めることが可能です。その代表的なものは、オベリスク、噴水にみられます。

さて、本論に戻ります。前回の「亀の噴水」に続いて、”本の噴水”を
ご紹介します。パラッツォ・アルテンプスを後にしてリナシェメント通りを
エマニエレⅡ通りに向かう左側に、Via degli Staderariがあります。

この通りへ入ると直ぐに右側の建物に組み入れられた噴水が、
「本の噴水」です。この地区は「サンテウスタキオ」と呼ばれています。
噴水は、建築家ピエトロ・ロンバルディに依るものです。1930年代頃。

そして、ラルゴ広場に近いVia delle Botteghe Oscure,31に在る
「CRYPTA BALBI」博物館に立ち寄り、ヴェネチェア広場を通り越してコルソ通りへ出て、ポポロ広場へ向って左側を歩くとVia LATAが見えます。

観光客で人混みが多く、見失いがちですが、ラータ通りに入ると直ぐに右側の建物の壁に嵌った噴水がご覧に戴けます。面白い構図の「ファッキーノの噴水」です。”水売り人”がモチーフです。

結構な年をした男が、胸に水樽を持って水を出しているのですが、
その商売の恰好がそのまま噴水のデザインになっていて中々愉快です。

建築家ピエトロ・ロンバルディの噴水
            本と鹿頭部には、ストーリーがあります。

”ファッキーノの泉” 16世紀後半に造られた
            ファッキーノとは、力仕事に従事する人の総称だったとか。


             街ぶらり 噴水みかけ 憩う我
                             元鷹

2015年10月3日土曜日

第406話 噴水三昧 その1

さて、パラッツオ・アルテンプス《美術館》を堪能したあとは、街中の散歩を楽しみました。前話にてお話しましたように入場券は、合計4つの美術館を訪ねることができます。

整理しますと、1枚13ユーロで購入した「ローマ国立博物館」《Museo Nazionale Romano》入場券は、

1.ディオクレツァーノ浴場跡《美術館》
2.パラッツオ・マッシモ《同》
3.パラッツオ・アルテンプス《同》
4.クリプタ・バルビ《同》

以上の4か所での美術品の観賞が可能なのです。
金額の面では随分とお得感が有りそうですが、条件がありまして、3日間で廻らなければなりませんから結構大変なのです。

しかも、展示されたアートは、殆ど大理石の彫刻です。ですから、自分の好みも鑑みてみる必要があります。幸いなことに、私は彫刻の方が絵画より好みがあるタイプのようで、面白く興味を持って歩くことが出来ました。

さて、説明が長くなりましたので先を急ぎます。
クリプタ・バルビ《美術館》へ行く前に、通りがかりに在る「亀の噴水」を
久し振りに見に行ったのでした。

ジャコモ・デッラ・ポルタとタッデオ・ランディーニに依って創作されたと案内板に紹介があります。この噴水については、ずっと以前にも書かせて戴きましたので、アーカイヴの「ローマの噴水」をご覧願いたいと思います。

余談ですが、この「亀の噴水」の横に、”亀の噴水”と命名されたバールがあります。ここに知人のアルベルトさんが働いていることを承知していましたので、挨拶に顔を出してみました。

アルベルトさんは、私の突然の訪問を満面笑みを浮かべて迎えてくれました。彼は仕事の早い人でしたが、感動したことには、私の好みを忘れずに覚えていてくれたことでした。それは、私がグラスの器で飲むことです。 

さすが、アルベルトさんは、プロのバリスタ《BARISTA》です。客の好みを忘れずに、さり気なくもてなすサービス精神に感激したことは言うまでも有りません。

ここで頂いた一杯のエスプレッソはローマ一番の味に感じられました。

                  
 
マッテイ広場の”亀の噴水”は、ローマで最も
エレガントなデザインをしていると思います。
 
 
亀の子が 優雅に遊ぶ マッテイに
                 元鷹

第405話  パラッツオ・アルテンプス(美術館)

Altempsと綴って「アルテンプス」と呼ぶそうです。今日では、美術館となっているのですが、元々は法王シクストゥス4世の甥ジロラモ・リアリーオの館だったそうです。

やがて、1568年マルコ・シッティコ・アルテンプス枢機卿なる人物がこの館を買取ったそうですが、以来450年の変遷を得ながら、持ち主も変わって、「パラッツオ・アルテンプス(美術館)」として存在しているわけです。

今日は、このパラッツオ・アルテンプス(美術館)のご案内です。
此処を訪ねたキッカケは、紀元前5世紀のギリシャ彫刻の傑作「ルドヴィシの玉座」を再び観賞することにありました。

と言いますのも前回は、もう20年も前になるのですが、ローマ国立博物館(テルミニ・五百人広場の前)の回廊側にあったルームで観たことがあって、今一度再会?したいと暫くの間念じていたからです。

幸いにも先日「ヘンリー・ムーア展」に入場した入場券は、他の3か所の美術館を3日以内なら入場出来る仕組みになっている共通券だったのでした。これは、何としてもこの機会に、と3日目の本日滑り込んだ次第です。

今日の金曜日は、交通機関がストライキ《ショペロ》でした。
道路も混雑している様子だったので、運動不足解消も兼ねて目的地まで歩くことにしました。

テルミニ駅から精々2km~3km程度なので、大した距離ではありません。ナボナ広場に近いところに在る美術館ですから、ナボナ広場も見学しながらノンビリと秋空の下を歩きました。

入場してみると館内には、見物客は少なくてゆっくりと展示品《ギリシャ彫刻》を観ることが出来たのは、幸いでした。

特に待ちに待った作品《ルドヴィシの玉座》の部屋では、たっぷりと時間を使って観賞出来たのは大きな収穫でした。

 「ルドヴィシの玉座」右側面の香を焚く乙女

             
              正面・二人の乙女に海から引き上げられる
              アフロディーテ
              左側・フルートを吹く乙女


              
              
              ギリシャの美 アルテンプスに 集い来る
                                   元鷹 

2015年10月2日金曜日

第404話 スパヤキソバ

いよいよ10月となりました。ローマは、早朝から雨で肌寒い位です。
芸術の秋、スポーツの秋、そして食欲の秋であります。

今日のご紹介は、私の十八番(おはこ)メニュー、「スパヤキソバ」です。
大変簡単に作れて美味しく召し上がれますから、是非お試しください。

スパヤキソバ 2人前

○材料 スパゲッティ 番手の細いもの 200g、お好みでOK。  
     キャベツの細切り/適量、ウィンナーソーセイジ/7ヶ、人参薄切
     少量、ミニトマト/お好みで                  
     茹で卵1個/半分カット、海苔/千切り少々、

○調味料 塩・胡椒少々、オイル/フライパンに少々
      水お猪口2杯程度、焼きそばソース適量

○作り方 スパゲッティは、3分出来上がりのモノは3分茹で
      5分出来上がりのモノは5分茹で、とします。
      ※具とは別に茹で上げて置きます。


      次に、具を調理します。
      オイルを敷いたフライパンに、上記の具を一度に入れて、調味
      料を使って炒めます。出来上がったら、皿に盛って置きます。


      フライパンに茹で上げたスパゲッティを入れて1~2分炒め、            最初に水お猪口2杯程度を上からかけます。

      火が通ったら、具と良く合わせて火を止めて下さい。

      お皿に盛り合わせて、お早めにお召し上がりください。
      焼きそばが咽喉につかえることが有りますので、お水など
      飲物をご用意願います。

      それでは、この第404話を書きながら、作りましたので
      写真をご覧下さいませ。
                               本日のお弁当は、             ”特製スパやきそば” となりました。
       

             BUONAPPETITO!
                                 Mangiare Tanto !


             さあ食べよ スパヤキソバは おらが味
                                   元鷹


  
     
    

2015年9月30日水曜日

第403話 ヘンリー・ムーア展

ヘンリー・ムーア展が、9月24日から来年の1月まで、テルミニ駅に近いローマ国立博物館にて開催されていることを博物館前通りに掛かった懸垂幕で知りました。
※Henry Spencer Moore(1898~1986)
  イギリス人彫刻家

主催者側の意気込みと言いますか、プロパガンダ(宣伝)に大変な力瘤を入れていることが読み取れたこともあって、興味をそそられてしまいました。

記憶に間違いが無ければ、1974年(昭和49年)には三越日本橋本店の特設会場(本館7Fだったか)にて、同展示会を観たように覚えております。随分と昔のことですから、全くの勘違いかも知れません。

さて、ご承知のようにここの博物館は、4世紀前半(306年)にときの皇帝ディオクレツァーノのよって造られたテルメ/浴場の跡に在る訳ですが、その遺跡あとを上手に残し、否残ったところを上手に活用しております。

一部は、共和国広場側にサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会として使われておりますし、残りの大部分がローマ国立博物館となっています。
1911年イタリア統合50周年記念事業として、博物館ができたそうです。

因みに博物館には、自動操作によるプロジェクトリーダーを使ったレクチャールームが用意されていて、4世紀のテルメ・ディ・ディオクレティアーノの構築イメージを詳しく分り易く解説しております。

ヘンリー・ムーア展は、いつもの特別会場(離れの会場)にて、観ることが出来ました。展示会場には、数多くのブロンズ像が立ち並び、そしてリトグラフが壁面に飾られていました。

昨年、ここの展示会場ではロダン展≪大理石彫刻≫を観賞しておりましたが、テルメ(浴場)跡の天井が高く古代の空気が漂う会場でのヘンリー・ムーア展は、やはり味わい深い展示会場であると言えます。

会期は、来年2016年1月まで。この間にローマへお越しの方は、一歩足を伸ばされてみては如何でしょうか?

                               ヘンリー・ムーア展 ブロンズ像
              9月30日(水)午前11時ころ

                 会場入口に置かれたブロンズ像


               ローマ国立博物館入口近いフェンス
               大きなバーナーが飾られています

           
             
                
              ムーア展 古代の遺跡 台にして
                               元鷹

2015年9月26日土曜日

第402話 雑記

今回の3泊4日の北イタリア旅行では、其々の街の人々に道を訪ねさせて頂きました。概算ですが、一日20人の方々に聞いたことに仮定しますとおよそ80人に道を、或は建物を尋ねたことになります。

そのような道聞きお願いの中で、一つ大失敗がモデナで
起ったのでした。恥ずかしながらも御披露させて頂きまして、
皆さまの今後の何かの糧?にして頂ければと願います。

モデナ駅を反対側に出てしまいました。行き先のフェラリー美術館への行き先を伺った後の会話です。シニョーラは、男の子(生後間もない)を
ベビーカーに乗せていました。
さて、以下の会話でした。

genyou: E' molto carino !  e' suo nipote?

Signora: No! e' mio figlio!!!


元鷹:お孫さん、とても可愛いですね!

シニョーラ: いえっ、私の息子ですのよ!!!

この後、直ぐにお詫びしたのですが、一体どのように
申し上げたのか、全く想い出せないのであります。


雑記ですから、旅行中に作った吾伊句(わいく
太利でを作る)を補足させて戴きます。

   
    パルマでは 美味くて安い トラットリア

    フェラーリに 努力と熱 ことばあり

    ボローニャは 店主の顔に 味が出て 

                         元鷹

パルマ ロマネスクゴシック様式
               洗礼堂 八角形6層 12C建築始まる
                     9月17日(木)朝7時ころ撮影

第401話 北イタリアの旅愁

北イタリア紀行をほぼ1週間かけて、ブログに書きあげてみました。
初めて訪れた街々には、やはり感動することが沢山ありました。
その一端だけですが、お伝え出来たとしたら嬉しい限りです。

見学先も数え切れないほどありましたが、所詮3泊4日の旅でしたから、つまみ食い式に駈け足での訪問となりました。

それでもイタリアの街は、其々歴史と伝統を持っています。その街に住む人達も、私は通り掛かりでしかないわけですが、自分の街を愛し、自分の人生をしっかり生きているなぁ、という印象を受けました。

それが何であるかをはっきりお伝え出来ないのですが、その姿・その表情を見つめるだけで元気をいっぱい頂いたように思います。

ローマは、今回訪問した北の街々と、どう違っているのだろうか?
先ず、やはりイタリアの歴史(古代ローマから)の基礎を知って置く必要がありました。

日本と違って、イタリアは1861年の統合までは全く違った国々が、イタリア半島の中で違った政治・文化・産業を持ち、違った暮らし・様式をしていたお国がらです。

ことばも北と南とでは、或は中部イタリアでもラテン語から派生しながらも其々のお国言葉を有して居たのでしょう。〔きちんと学習した訳ではございませんので、ご配慮願います〕

公国、王国、自治国と言った国々が、教皇派と皇帝派に分れて、戦いあった中世紀もあれば、近代ではオーストリア、フランス、スペイン、ノルマン、等との戦いもあったりして、中々イタリアの古代からの歴史を時系列に学び、知ることは容易ではありません。

しかし、皆さんがローマにお越しになって、歴史的建造物、遺跡、美術品などを見学されますと、大いに知識欲を活性化されはずだと思います。

16世紀中葉に鹿児島へ法王庁から派遣されてきた宣教師F/ザビエルの腕を、現在ローマのジィズ教会の祭壇で観ることが出来るのですが、真に歴史の不思議さであります。

教科書でしか知らなかった宣教師F/ザビエルの腕が、何故ローマの教会に祀られているのだろうか?!歴史への感心・興味は尽きません。

北イタリアの街々も、体験して感動したことがただございました。
点と点が、旅をしたことに依って細い線・糸になった、或はなりそうだ、という発見や想像は、本当に嬉しいものですし、楽しい限りです。

どうやら、私にとりましてはここで申しましたように旅の効用が、歴史上の点と線との結合、そして人との邂逅、に在ると思う次第であります。

2015年9月25日金曜日

第400話 北イタリア紀行 ボローニャ後編

                               ローマ滞在通算10年達成記念
           北イタリア紀行

恐縮ですが、最後に立ち寄ったボローニャの紀行だけが前編・後編の2編となってしまいました。前編は観光、後編はレストランの記事となりました。

◎BOLONGA/ボローニャ  9月17日(木)午後2時~

さて、いよいよプランツォ/昼食の時間だ!事前の調査は一切しておりませんでしたから、当てずっぽうの”勘頼り”であります。

ここがいいかなぁ、あそこがいいかなぁ、とヨチヨチ歩いている内にぶつかった通りが、VIA DE'CARBONESI という名前でした。
ここにオシャレぽいレストランがあったのです。

その名も「CESARI」と偉い(皇帝の称号)名前でした!時間は、午後2時30分を回っていましたので、中に入れば二組みの客人達だけでした。

店内には小奇麗なエレガントな空気が流れているのに気づくまで時間は掛かりませんでした。お店は、50席ほどの程良い大きさでサービスも味も期待できるだろうと直感しました。

注文品

飲物 ビール  MENABREA 小瓶 × 1
   グラスワイン         × 2
    アックア  小瓶       × 1    
第一の皿    タリアテッレ・アッレ・ボルネーゼ
第二の皿    フンギ・ポルチーニのグリル
   カッフェ           × 1  

私の席を担当してくれたのは、リカルッドさん。
とてもキメ細やかに、そして親切な仕事ぶりに感動しました。

特に第一のお皿、ボロネーゼ風タリアテッレは本場ボローニャの味で満足度の高いものでした。旬のフンギ・ポルチーニのグリルも新鮮な香りが漂って美味しかった。

お腹を満たしたところで、ボローニャ観光も終盤となりました。
再びマッジョーレ広場をゆっくりと通過して、ポルティコを歩いてボローニャ中央駅へ向かいました。

◇レストラン情報
 CESARI
  Via de' Cabonesi,8  Bolonga
Tel.051-237710
www.da-cesari.it
※日曜日休み
                                     本場ボローニャ 第一の皿
           タリアテッレ・アッレ・ボロネーゼ

111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111
ハンバーグではございません!
イタリアの秋の香りフンギ・ポルチーニのグリル
 
 
レストランCESARI 店内風景
          もうお客様は私だけ!夕食の準備に
          入って居りました。


          ボローニャの タリアテッレの 味逸品
                        元鷹