2014年12月27日土曜日

第303話 ローマ・テルミニのクリスマスツリー

今日(12月26日)は、サン・ステファノの日にあたり祝日であります。
昨日は、クリスマスでしたから2連休の祝日休みとなりました。

しかし、多くの観光客で市内の観光名所は何処も溢れかえっております。
年末の風景を全3回にわたりご案内したばかりですが、やはりテルミニ駅の構内に飾られた愉快なクリスマス・ツリーも追加させて頂きます。

既に毎年このブログでご紹介した参りましたから、覚えていらっしゃる方も多数いらっしゃるかも知れませんが。

”愉快なクリスマス・ツリー”のその訳は?

飾りものは殆どなく、駅の利用客が思い思いに自分のメモや、煙草の空き箱などを使ってサンタ・クロース(Babbo Natale)への訴え、希望、願いを書き込み、そして自分でモミの木に取り付けるだけです。

暇にまかせてぐるっと一回りしてみましたが、流石にローマ・テルミニ駅です。世界からローマに来られた利用客が、自国の言葉で綴っているのが
微笑ましく思えましたが、日本語でのメモ書きは、見当たりませんでした。

面白いのは、駅構内に設置されたクリスマス・ツリーですから、簡単でも
ツリー設置の曰く因縁とか、使い方を紹介する看板などがツリーの側に置かれてもよさそうなものですが、そのようなサービス?は一切有りません。

これもイタリア人気質なのか、このような流儀なのか、素っ気ない処が面白いのかも知れません。”書くも書かぬも旅人にお任せします!”と云うところでしょうか?

えっ!?これは何。
                 お客が作るクリスマスデコレーション?
                 下の写真をご覧ください!

                 
ツリー全体をご覧戴くとメモの数の凄さが
                 お分り頂けるかも知れません。
                 セルフサービスです。御参加されますか?


                 テルミニで 七夕さまを 想い出す
                 天の川なら 電車要らぬもの

                 夢希望 サンタに頼む 気は同じ
                                    元鷹

                             

2014年12月26日金曜日

第302話 ローマの歳末風景 その3

クリスマス当日の今日25日は、聖夜♫ならず”サイレント・デイ”と言っても良いようなまことに静かな日となりました。昨日と同様に空はドンと重く普段のあのローマの青空は影を潜めていました。

ローマの歳末風景”その3”の一番目には、先日23日(火)にオープンしたばかりのお店/お菓子屋さんをご紹介します。

場所は、サン・ベルナルド広場の一等地にあります。
たまたま散歩中に眼に入ったお店のネーミングにビックリしてしまった次第です。お店の名前は、”EXQUISITALY”(イクスクィズィタリー)です。
※Piazza di San Bernardo,99 Roma 00187

英語のEXQUISITE(イクスクィズト)とITALYとの合成語であることは、ほぼ間違いないところです。この前半のEXQ(省略)は、極めて美しいもの、
極めて上質なもの、という表現の形容詞です。

このお店はお菓子屋さんですから、さぞかし”他では手に入らない最高に美味しいお菓子・チョコレート”を用意しております、という経営者の心意気をお店の名前にされたのではなかろうか、と想像してしまいました。

そうだ、部屋の明かりを今少し明るくしようと出掛けた先は、フイユーメ広場にあるデパートの"LA RINASCENTE"(ラ・リナシェンテ)でした。

流石にクリスマス直前の買物客は、プレゼント品探しで忙しそうな風情を醸し出しておりました。

地階(家庭用品、雑貨品、旅行品、照明器具などを扱う)のフロワーには、
これまで見たことが無い数のお客様で賑わっていました。
さて、探し物・電気スタンドは結局諦めざるを得ませんでした。

スカンジナビア・デザインのお洒落な製品が多く、予算にも手が届かないし、アパートとの雰囲気もマッチしないことから、見送ることにしてしまいました。

帰りは、いつものように化粧品売場裏側に在る出入り口から外へ出ました。バス停へ向かおうと左側へ足を向けるとデパートの隅に年恰好70歳位の男が、ジッと坐って焼き栗を売っていたのでした。

コートの襟を立てながら足早に歩く買物客や通勤客たちは、そんな焼き栗売りの所在も気に留めずに家路へ急ぐのでした。

ギラギラと輝くデパートの明りとその裏側の焼き栗の男のジッと動かない姿が、帰りのバスの中で妙に頭に霞んで仕方ありませんでした。


ガラス戸で店内も丸見えです。
                 品揃えは、まだまだこれからの様子でした。


                  

            遠くからもTVの大画面のように映っていました。


            
鳥打帽が似合った焼き栗屋さんでした。
            寒い路地でポツンと・・・ああ、歳末かな!


         
             歳末に 街角でみる 明と暗
                             元鷹

2014年12月24日水曜日

第301話 歳末のローマ風景その2

今日は、クリスマスイヴの日です。ここ10日間前後は、どこのお店も
と言って良い程に多くの買い物客で賑わいを見せていました。

歳末の街角の風景には、ヴァチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂をご紹介しなわけには参りません。タイトルは、「歳末のローマの風景」としましたが
その大きな一角ですから、年末の風景にはピッタリであります。

23日(火)午前10:30ころ。大聖堂の広場は、既に広場の列柱にそうようなカタチの列がまるで長蛇の如く続いていました。

今年、ここサン・ピエトロ大聖堂に10回前後の訪問をしてきましたが、
これほどに大聖堂へ入場するための長い長い人垣をみたのは、初めてです。どう少なくみても、2,000人以上は並んでいたように思えます。

広場中央には、例年のように”プレゼピオ”が実物大にホンモノであるかのように造られていました。また、プレゼピオの正面から右側へ廻り込みますと、巨大なモミの木(それに違いない!OR?)を楽しめます。

毎年イタリア各地から或は他の国の町から、ヴァチカン市国へ贈られると
聞いているのですが、このような巨木をどのように運び入れるのかが、不思議で仕方が有りません。

一体、市内の歴史的建造物を見ても同じことが云えるわけですが、
巨大なものの造形や設計設置に関しても見事な技術とアイデアを披露できるセンスをイタリア人は、持ちあわしているのに違いありません。

世界からサン・ピエトロ大聖堂に。
            列は入口から正面左側まで、このように。
            案内係や整理係員がゼロと云うのが真にスゴイ!

モミの木(?OR!)
                 隣のオベリスクは、建築家F/ドメニコ
                 によって1586年に移設された。

                 
     
毎年のことですが、見事に造られています。
中央に見えます揺り籠の中には25日未明
に生誕の神の子が入る仕組みです。   
 
 
広場には 人も歴史も 綿々と
                元鷹

第300話 歳末のローマ風景 その1

2014年午年もいよいよ残すところ丁度1週間となりました。

振りかえってみますと、計画が目出度くできたこともあり、また中途半端のまま先へ進まない状態に成ってしまったものあって、複雑な心境です。

笑っても泣いても今年は、あと1週間。精々自省に十分な時間をかけて、
来る年2015年(羊年)に期待したいと願うものであります。

そんな年末歳末のなか、ローマの街角のブラリと歩いてみた昨日今日の
印象を雑記帳へ印すように書いてみたいと思います。

最初は、昨日22日(月)夜半に、ローマの音楽の殿堂AUDITORIUMへ音楽仲間と一緒に出掛けた印象記です。

この日は、アンナ・ネトレブコ(ソプラノ)とサンタ・チェチリア国立アカデミー・オーケストラ&コーラスの共演(競演か?)があり、指揮者はアントニオ・パッパーノという豪華版でした。

会場となったサ-ラ・サンタチェチリアは、恐らく市内最大の音楽堂であり
2,500人前後の聴衆を収容することが出来るそうです。

昨日のコンサートは、タイミング的にはクリスマス直前であり,いやそれ以上に上記の豪華出演者アンナ・ネトレブコとパッパーノ率いるサンタ・
チェチリア国立アカデミーとの共演だった為、ほぼ満員の会場でした。

うっとりと堪能したコンサートでしたが、会場を後にすると底冷えするような寒さが待っていました。市内からそれほど離れていない割には随分と温度に差があるように感じた次第です。

私は、コンサート前にとった軽食の際の白ワインが、効きすぎてコンサート
前半に睡魔に襲われてしまったのが、何ともはや残念でした!

”腹ごしらえ”をしてから、コンサートへ。
            オーディトリウムの一角にあるレストランの風景。
            安くて美味しいので超満員状態が続きました。

            
会場のサーラ・サンタ・チェチリアです。
            オーディトリウム最大のホールです。

            
中央左:ネトレブコ(ソプラノ)
            中央右:指揮者パッパーノ
            世界最高のソプラノと素晴らしい演奏に
            会場からはエールを送る拍手が長く続きました。

            
            年の瀬に ネトレブコ聴く 幸せよ
                                元鷹  


2014年12月22日月曜日

第299話 老舗菓子店”ダニーノ”の陳列棚

ローマでは、普段の日曜日や土曜日の午後など閉めるお店が多いのですが、この時期クリスマス商戦の繁忙時には、流石に多くのお店がオープンしております。

また、このシーズン(11月下旬~クリスマス直前まで)の風物詩とも言えますが、イタリア人(ロマーニ)のお買物品探しで商店街は人混みするのが常であります。

恐らくですが、最愛の家族に、妻に夫に、そして彼・彼女に、或はお世話になったあの人へ・・・と、最適な贈り物を探すために多くのショップを訪ね歩くわけです。

この熱意ある行動力には、敬愛の念を抱きつつもエネルギシュさには
ただ驚き感心するのであります。

彼らのクリスマスへの熱い想いは、日本で育った私には理解を超えるものであるのは、当然なことであります。

よって、多くのお店が、「休み」最優先のプライオリティの土地柄であるにも関わらず、仕事に入るのは需要・供給の原理に自然に沿ったものと言えます。

以前(昨年だったか?)にも、ご紹介しておりますが第299話のタイトルの
如くローマの有名老舗お菓子屋さん”ダニーノ”(シチリア・パレルモに本家あり)の今の”ヴェトリーナ”(ショー・ウインドー)を撮影して参りました。

余りにも可愛らしく、愛おしく、愛情味を発散してくれるこの「ヴェトリーナ」
を見るだけでも”幸せを貰える”のです。

そうです!幸せを売る店、見せる店というのがオーナーの経営姿勢の中に生きているのかも知れません。

ローマにお越しの節には、是非とも””ダニーノ””の藝術的とも思える
お菓子、ケーキをお試しください!

☆ショップ情報 Imformazione di
  DAGNINO / ダニーノ
  *PASTICCERIA / お菓子屋、ケーキ販売店
  Via Vittorio Emanuele Orlando,75  00185 Roma
     TEL.**39-06-4818660
  

雪化粧の馬小屋 
幼子の生誕
 
まるでお伽の国のお話しのようです
 
”ダニーノ”入口全景 
            ガレリアには二人掛けのテーブルとイス
            とがオシャレに並べられています
 

 
遺跡佳し 勝れるドルチェ あっローマ
 
 
ダニーノに 歩めば幸の 香り発つ
 
 
如何せん 始めたディエタ 三日坊主
 
 
                    元鷹 
 
                                 

2014年12月21日日曜日

第298話 師走のコルソ通りは凄い!

最初にお願い申し上げます。久しくの休筆をご容赦下さいませ。先ず持ってお詫び申し上げます。本日から再開させて頂きます。

さて、第289話は題目の通り、毎年掲載させて頂いておりますが、師走の「コルソ通り」の夜空を飾るクリスマス・デコレーションでございます。

因みに、一般にはクリスマスとは申さずに”ナターレ/NATALE”と呼んでいます。メリー・クリスマスは、”ブオン ナターレ”となります。

一昨日の19日(金)日の入り後、満を持してコルソ通りへ出掛けてきました。40番のプルマン(乗合バス)をヴェネチア広場に下車すれば、グァンと広場中央に白銀で覆われた背の高いクリスマス・ツリーが眼に飛び込んで来ました。

そして、広場からポポロ広場までおよそ1.5KmのローマNO.1(私にとって、ということだけですが)のコルソ通りに入りました。

今年の飾りつけは、想像以上の華やかさで師走の夜空をゴージャスに
輝かせておりました。

その飾りは、各国の国旗をモチーフにしたものです。
第一番目は、当国イタリア共和国と欧州連合の旗を飾っています。
※反対側に位置しますポポロ広場側からみれば一番最後となる訳です。

その夜空の輝き具合やカラフルな国旗の浮き彫り具合などは、下記の
写真をご覧頂いた方が、一目瞭然となっておわかり易いことかと思われます。

当然ですが、直ぐに気に成りますことは、一体全体”日本の国旗は、何処にあるのだろうか?”という想いでした。

それは10分も歩かないうちに解決できました。
見つけた場所は、コロンナ広場近くでした。丁度、スペインのお店「ZARA」の前の位置と申した方が良いかもしれません。

海外で、況や地元ローマ市中の繁華街で眺める日ノ丸は、やっぱり
感動でした。改めて、国旗の持つデザインの魅力に感激した次第です。

12月19日午後5時15分ころ
            ヴェネチェア広場のクリスマス・ツリー

           

            夜空に浮かぶ欧州連合とイタリアの国旗


            

            ついに発見!我が国”ニッポン”登場です!!
            もっと輝け日本の国旗!!!と願いました。


              LED コルソに光る ノーベル賞 
                                    元鷹

            

2014年11月29日土曜日

第297話 ワタッラさんと再会しました。

師走の足音が近づいているのですが、ローマの気候は例年と違ってポカポカ陽気です。街のブラブラ歩きにはもってこいの気温の今日この頃です。

ローマ・テルミニ駅へ向かう道路のひとつにヴォルトォルノ通りがあります。この通りの突端、すなわちソルフェリノ通りとの交差点近くを歩いていますと何処かで見た顔の人がBOX型のチケット販売所におりました。

”ワタッラさん”でした。かつて、2年前位でしたでしょうか、共和国広場に
近いナチォナーレ通りにある新聞雑誌販売店の直ぐ脇にあるチケットブース(販売所)で働いていた外国人男性です。

英語を大変流暢に話してくれるうえに、親切な対応ぶりでしたから、ブースの前には常にと云っても良い位、観光客が列を成していたことを思い出します。

私もここのブースを通るたびに、「BUONGIORNO!」とばかりに互いに挨拶を交わしたり、握手をしたものでした。

いつの間にか、姿を見ないと思っておりましたら、テルミニ駅近くに在る
チケット・ブースに変わっていた訳であります。

主な販売アイテムは、観光客にとってはよく知られています、美術館の入場料無料(但し、二館まで)やメトロ、バスの乗り放題ができる大変便利な「ROMA PASS」という商品です。※料金は36ユーロ(5,500円位)
3日間有効というものです。

ワタッラさんからの情報ですと、現在は、2日間有効で1か所だけの美術館を楽しめる「新・ROMA PASS」も発売しているそうです。〔写真参照〕

ところで観光立国イタリアの首都ローマの街角で、観光客相手に働く多くの人達は、やはり海外から働きに来ている外国人による労働力によるものです。

例えば、ワタッラさんのようなチケット販売のほか、四季折々の歳時記商品/ミモザの小枝、イタリア国旗、シャルパ・肩掛け、焼栗販売等がありますが、他に年間を通じて雨の日には傘、カッパの販売などもあります。

この辺のシステムと言いますか、アレンジメントが真に巧みに思われてなりません。販売員と商品調達は、殆どが一般のストリートであるにも関わらず迅速であり、販売員のポイントは一定なのです。

これらのことは、日常茶飯事にみかけることなのですが、私の眼にはその動きが不思議でなりません。

久し振りに再会をしたワタッラさんのお人柄の良さは変っていませんでしたが、2年前の姿を覚えている私には少し寂しげに映りました。私の気のせいであれば、これに越したことは無いのですが・・・。

小型オフィイス・販売ブース前で。
            ブログにご紹介させて戴くことをご了承頂きました。

           
            

            左の赤いローマパスは36ユーロ、
            新しく発売の白い方は、28ユーロです。
            ”宜しくお願いします!”

           
            街角に 雨風の日も 逞しく  元鷹
              

2014年11月17日月曜日

第296話 ピラミデ辺り


七大聖堂巡礼は今年のテーマですが、あと二聖堂を巡るのみとなりました。そのひとつサン・セバスティアーノ教会を訪ねることにしたのです。

道順は、テルミニ駅からメトロB線にて「ピラミデ駅」下車、バス118番に乗り換えると云うものです。先週14日《金》のことでした。ショーペロの話を聞いてはいましたが、大分のバスは走っていましたから、大丈夫だろうと目検討で出発したのですが・・・

行き先を経由するはずのバス118は、40分位待っても来る気配もなく待つ客も1名の男性だけでした。これは、アカンナとばかり、それならこの周辺を散歩してみようか、と気持ちを切り替えての行き先変更でした。

ピラミデ周辺には、イギリス人の墓地があると何かの本で見ていましたから、お天気も上々でしたからボチボチ出かけてみることにしました。

ピラミデ《ピラミッドのこと》を撮影した後、10分も歩くと墓地は見当たらず
気になった建物にぶつかりました。大通りのマルモラータ通りから、左折したVia Galvani《ガルヴァーニ通り》を歩いて100mも歩かない位の左手にあった建物です。

取りたてて珍しい形をしているわけではありません。玄関近くに掲示された案内文字”EDMONDO DE AMICIS”がググイィーと私の眼を惹き付けたのでした。

と申しますのも3年前に古本屋さんで購入した「CUORE」というイタリアの古典的な良本を一度はほっぽり出していたのですが、イタリア語学習の一助にと二たび三度と机脇に置いている毎日だったからでした。

因みに今し方調べてわかったのですが、日本でも有名な”母を尋ねて
3千里”という話は、この本”クオレ”の話の一部が源であったそうです。
作家は、エドモンド・デ・アミチスといい1886年に書かれたものです。

さて、その後どうしたかと言いますと、玄関近くにいらっしゃったご婦人に
挨拶をして聴いてみることにしたわけです。

この建物は、E/デ・アミチスの博物館でしょうか?と。ご婦人に中に入っても宜しいものか否かを伺いますと、ご親切にも仲介の労をかって出てくれまして受付掛かりの方に縷々聴いてくれたようでした。

結果、ダメ!だったのですが、受付の人の優しそうな男性は、何処からか
絵葉書《デ・アミチス生誕200年記念スタンプ付》を持って来られて、私に
差し出したのでした。

予想外の展開に驚きながらも、我が愛する「CUORE」本を書いた作家の
記念ハガキを手にした時の大感激は、筆舌に尽くし難いものであります。

私は、帽子を脱ぎ深々と頭を垂れて腹からの御礼を申し上げてお二人の前から離れたのでした。その時に聴いたお話しですと、その建物は眼と歯に関わる学校《専門学校?》であるとのことでした。

うれしく、そしてはやるこころ持ちを抑えながら、そして一見の外国人《私》への優しいおもてなしをしてくれたイタリア人のこころの広さに感激しながら、私はポプラ並木を散歩しました。

本の題名「CUORE」とは、”こころ”というイタリア語ですが、なんとも心温まる接遇を頂いた素晴らしい午後でした。頂いた絵葉書は、その日から私の大切な宝物となりました。

                               ローマのピラミデは、古代ローマ法務官
            カイウス・ケスティウスの墓、高さ27m。

            
建物には石版がはめられていた。
            "EDMOND DE AMICIS"の文字が・・・

            
マンリオ・ジェルソミーニ広場から
            M/ジェルソミーニ通りを望む

            
読書中の本「CUORE」の表紙ですが、
            横になったままで失礼します。

            
一見の私にプレゼントして頂いた
            生誕200年記念ハガキです。


            ピラミデに 優しさクオレ 生きている

                                元鷹                
                

2014年11月16日日曜日

第295話 ローマ歌劇場 ガレリア6列22番席

冬の夜の楽しみのひとつは、室内での娯楽が似合っています。してみると室内娯楽と云えば、オペラ観賞を挙げることが最適ではないでしょうか。

題目に「ローマ歌劇場」と掲題させて頂きましたが、正式名称は
"TEATRO DELL'OPERA DI ROMA"となっております。ただ我々仲間内では、”オペラ劇場”と通称で気軽に呼び合っています。

今日現在は、①2013-2014のシーズンが終了、②2014-2015シーズンへの移行期であり、劇場周辺は寂しい雰囲気が漂っています。

①の末尾を飾った出し物は、「RIGOLETTO」でした。この出し物は、私にとって初めての観劇でしたから、興味深く第一幕から終わりの3幕まで楽しむことが出来ました。

出演したカンタンテの歌の旨さ加減などとても評することは私には不可能ですが、さすがに晴れ舞台のステージに上る方々の歌唱力、演技力は正に圧巻で、かつ目して観なければなりません。

さて、「ガレリア6列22番席」のナンバーの不思議であります。

昨年10月でしたか、年間予約制度①を初めて使わせて頂きましたが、劇場の案内ガイドさんに添乗して戴き、自分で選んだと云うよりも、彼女のお薦め(ステージが見易い、と)もあって選んだ席でした。

”不思議さ”とは、その決まった年間予約席のナンバーのことであります。
ガレリア6列22番の数字は、私の誕生日19○○年6月22日と同じものでしたから、ビックリ仰天!してしまいました。

何か、偶然という一言では片付けられない”不思議さ”を覚えたものでした。ローマ歌劇場の総席数は、1600席余とのことですが、1600分の一の確率で自分の誕生日のナンバーと同じだったわけですから。

さて、②シーズンのスタートは間もなくです。〔11月27日~〕
しかし、今年は年間予約②(ABBONAMETO)は申し込みませんでした。

②シーズンもカタログを拝見しますと興味をそそられる出し物が多く、楽しみですが、出し物によってその都度に”マイ・シート”を見つける自由気ままなスタイルに変更することに致しました。

                               年間予約席NO.22/ガレリア6列のシート
            期間最後の日(10/21)に撮影しました。

           
フィナーレの挨拶場面
 主役のリゴレットは左です。
 
2014-2015年間スケジュールの
ローマ歌劇場発行のリーフレット
楽しみがいっぱい詰まっています!
 
 
歌劇場 22席の 不思議さよ
                    元鷹
 

2014年11月7日金曜日

第294話 カンポ・ディ・フィオーリ広場

やっぱり今年もローマの気象は異常なのかも知れません。
なんと今日まで3日(5,6,7日と)連続して雨が降り続けています。

昨日6日〔木〕は、児童生徒の安全を期して、ということでしょうか、ローマ市内の学校は休校だったと伝えられています。

さて、今日は”カンポ・ディ・フィオ-リ広場”についてご案内します。
多少なりともローマにご関心の在る方なら、雑誌やガイドブックに、この広場を認めていらっしゃることと思います。大変有名な広場の一つです。

場所は、テヴェレ川左岸〔地図の右手になります〕でコルソ・V・エマヌエレⅡ世通りとテヴェレ川に挟まれた地域一帯の中心的存在であります。

古代、中世時代からローマの人々が住みついた歴史の在る旧市街地だった、と云われています。歴史的建造物、教会、神殿、古代遺跡、美術館、由緒ある通り、など魅力の詰まった地域と言えます。

カンポ・ディ・フィオーリ広場の中心には、哲学者ジョルダーノ・ブルーノ〔1548-1600〕の像が立っているのが先ず眼に入ります。

何でもお膝元であるカトリックの教義に対して異端を唱えた罪で火刑に
されたそうですが、その場所に像が立っている、と云うことでしょうか?

面をうなだれて、どうも重くるしい表情なのが、この広場にはそぐわない気がしました。しかし、逆に言えば周囲の空気とのアンバランスが、面白い。

広場には毎日市場が繰り広げられています。八百屋、果物屋、乾物屋、花屋、家庭雑貨屋、等々が所狭しとテントを張り広げています。

そして、その数多くのテント群を囲むようにバール、ピッツェリア、レストラン、トラットリアなどの飲食店とお店が立並び、ユニークで楽しい広場を演出してくれているのです。

そういえば、以前にスパゲッティー、ローマの味の”ラ・カルボナーラ”について載せたことがございました。

時々の話題に上る訳ですが、この広場の一角〔噴水が店頭に有りますからすぐにお分かりになります〕に在るレストラン”ラ・カルボナーラ”が、お店の名の通り、最初に「ラ・カルボナーラ」を作ったと、伝説に成っています。
 

   ※ローマでは良く有る話ですが、人によって変りますのでご承知下さい!




八百屋さん店頭に置かれた赤トウガラシと
            グリーン唐辛子



             
哲学者ジョルダーノ・ブルーノ像
            台座には異端者裁判の様子がブロンズ板に
            彫られています。

            
像正面のブロンズ板に火刑にされた場所と
説明書きされています。
 
左にはテントショップが、右手は食事を楽しむ
            観光客たちで賑わいをみせる広場の風景 



            いつ来ても 花の広場は 人盛り
                                元鷹      

2014年11月6日木曜日

第293話 国立21世紀美術館 MAXXI

いよいよ霜月11月に入りました。初冬の光が薄いオレンジ色となって地表を温かく照らしているかのように映ります。

此処に掲載させて頂いているお話しの大分は、観光名所旧跡が多いのですが、そんなローマのイメージと全く違った面を見せてくれる”現代アート”を展開している美術館をご紹介申し上げたいと思います。

場所は、フラミニオ駅〔メトロA線〕からトラムに乗り換えて、マンチーニ広場で下車します。地図を片手に美術館の所在地VIA GUIDO RENI, 4A を訪ねます。鐘楼が見事に美しい教会が目に入ればそのお隣です。

外から目立つ建物です。直ぐにこれが「国立21世紀美術館」であることが
分ります。英国の女性建築家ザハ・ハディド氏の建築によるものだそうです。美術館の内外そのものが、見応えのする建築というか美術です。

中庭一杯に大きなオブジェがあって、一体これは何だろうか?と首を捻ってしまします。エントランスもガラス張りで大きな広がりを見せてくれます。
レセプションは、ホール空間に調和してとてもエレガントです。

ザイノ〔リュックザック〕を背負っていたものですから、係員からアドヴァイス
を受けて〔正確には諭されて〕、受付所近くのコイン式のロッカーに収納してから、じっくりゆっくりと館内を巡りました。

さすがは、21世紀美術館の名の通りでした。
先にもお伝えしましたが、箱モノ〔建築物〕自体が良く言えば面白く、展示紹介された”アート作品”は、ユニークなもの〔現在展示のテーマ:open museum 0pen city-〕(10/24-11/30)ばかりでした。

さて、このブログを仕上げるために、このユニークな建物をデザインした建築家ザハ・ハデッド氏をネットで調べてみました。

恥ずかしながら、と言いますか遅まきながらと言いますか、初めて知ったのですが、”新東京競技場建築”の国際デザインコンペの最優秀賞に選ばれた建築家だった、と知りました。

www.fondazionemaxxi.it


国立21世紀美術館外観 Via Guido Reni,4A
                                右側奥に教会の鐘楼がご覧いただけます。

            
入口から撮影 右に階段 中央はレセプション
           独創的なデザインを各所で観られます。

           
3Fからガラス越しに中庭を撮影しました。
            巨大なオブジェが何とも凄い感じです。  

                               行って観る 美術館に 値打ちあり
                                 元鷹
             
      
         

2014年11月2日日曜日

第292話 セルウィウスの城壁

フィレンツェから、或はナポリから電車でローマに到着する際には、大概の場合、ローマ・テルミ駅を使うことになります。また、メトロ〔地下鉄線〕は、A線とB線と呼ばれますが、このA,B線が交差〔乗換〕するのもここテルミニ駅となります。

テルミニ駅の今一つの特異性は、何と紀元前6世紀に造られた城壁の一部を構内外にもっていることであります。七つの丘を囲んでセルウィウス王が城壁を造ったのですが、その一部〔既に残骸化〕だとされています。

ローマらしいのは、2600年前の遺跡/城壁と陸の表玄関とも言えるローマ・テルミニ駅が、時代を超えて住み分けしていることであります。

テルミニ駅正面に向かって左側に城壁跡を見ることが出来る訳ですが、
その壁の延長とも思える城壁の一部が、500人広場の前を走るニコラ通りを超えて、ヴォルトゥルノ通りとの角地にも表出しているのが分ります。

面白いのは、ローマ・テルミニ駅B-1にファーストフードの「マクドナルド」が
あるのですが、その直ぐ傍にも一体何だろうか?と思わせるような岩の塊がニョキ・ニョキと天井に聳えています。

まるで、駅地下街とアートのオブジェが、共存しているかのように見えるから不思議です。左右に行き来する通行人は、殆ど関心を寄せないようですが、何とも滑稽な気もします。

遺跡を上手く残しながら駅を造った設計も素晴らしい、と感心しております。正に「此処にもローマが在る。」と思わせるアート的風景があります。

現在も市内のあちこちで観る城壁は、アウレリアヌスの城壁と呼ばれています。西暦271年ごろのものだそうですが、旧ローマ市内をおよそ20KMに亘って囲んでいたそうです。因みにセルィウスの城壁は、約10KMであったとのことです。

9月には、ピア門を何度か取上げてご紹介させて頂きましたが、このピア門は、城壁を出入りする門の一つだった訳です。この城壁は、観光で皆さんがローマに入る時には、必ずガイドさんがご説明されるはずです。

しかし、ローマ・テルミニ駅をバスで走っている時に、上記のセルウィウスの城壁跡を案内するガイドさんや添乗員の方は、意外と少ないかも知れません。

ローマにいらした際に、古代に造られた城壁〔跡〕にご関心を持たれた方は、2500年以上の歳月を超えて今日なお静かに息づいているセルウィウスの城壁跡のオブジェを是非ともご覧になってください。


セルウィルスの城壁跡は、ひっそりと
して現代もなお息づいています。
 
ローマ・テルミニ駅地下に保存されて
多くの通行人の眼に止まっています。
 
ニコラ通りとヴオトォルノ通りの角に
やはり城壁跡の一部が残っています。
 
 
古代壁 時代を映し 今もなお
 
                元鷹




2014年10月31日金曜日

第291話 ヴァチカン国際音楽祭に参加して 後編

さて、後編は翌々日26日〔日〕に開催されました一夜の音楽祭について、
合唱〔バス〕に参加したひとりとして、お話しを申し上げさせて頂きます。

それは、西本智実指揮によるG/ヴェルディの”MESSA DA REQUIEM”の演奏会のことであります。前編にもお知らせのように4大聖堂のひとつサン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ大聖堂が演奏会場となりました。

用意された観客席は、招待客・一般客共およそ2,000席を数えました。
聖堂内を覚えていらっしゃる方ならば、お分かりかと思いますが、聖堂の
中央にそれらの席は、大きな大理石柱に挟まれるようにセットされました。

この大理石柱は、中々のモノでして1本1本見て居るだけでうっとりする様な不思議な魅力を兼ね備えているのです。聖堂内にはざっと数えただけで80本はありました。※何でも数えてしまう癖があります。

26日〔日〕午後9時。いよいよ本番が始まりました。場内アナウンス〔挨拶・開催趣旨〕が、伊語、英語でスピーカーを通して聖堂内に流れました。続いて、ヴァチカン市国の代表者〔大司教様?!〕のご挨拶スピーチ。

イントネーションなどから、この代表者?はイタリア人ではないなぁ、とは
後でイタリア人の同僚が、ふっと洩らしたことばでした。ただ、そんなことよりも挨拶が短めでとても良かった、と思ったのは”私の感想”です。

予定とおり、レクイエムの前にアンドレア・バルコーニの”ヴァチカン賛歌”
が、演奏されました。一人の日本人男性が指揮者の横に立ち、奏でるオーボエは、ひと際静かな雰囲気で上質な音色を堂内に響かせました。

さて、西本智実指揮者のタクトが振られました。ppp sottovoce ♪Requiem,
テノーレとバッシから、静かに静かに演奏は、Andanteから始まりました。

演奏会の全てはとても語れませんが、今振り返りますれば、演奏時間のおよそ90分はあっと云う間に過ぎてしまいました。

幸いにも、左隣りで歌ってくれたジャンルーカさん、後で歌っていたアレッサンドロさんの好リードもあって、普段の練習が遺憾無く発揮できました。〔あくまで自己満足でしかありませんが。〕※イタリア人男声は素晴らしい音でした!

纏めに”特記事項”と言いますか、記録して置きたいことを一つ。

[pppp♩♩♩libera ]で全曲が終演した訳ですが、指揮者西本智実さんは、両腕を真っ直ぐに下ろし,頭を垂れたまま、どの位の時間だったのでしょうか、じっと動じずに直立不動の姿勢をされていたのでした。

やがて、観客席に向い深々と一礼をしたとき、2000人の聴衆者からの大聖堂割れんばかりの感激の万雷の拍手は、暫くの間、止むことを忘れたかのようでした。



プログラム右側囲み部分が演奏会の紹介です。
            4人のソリストは、素晴らしい演奏でした。

            
 
 
大聖堂の中庭風景/石像は剣を持つサン・パオロ
撮影は8月20日  
 
ガランとした大聖堂中央〔撮影8月20日〕
 
ここに2000人のお客様をお迎えしての
ヴェルディの”REQUIEM”演奏会が催行
されたのです。10月26日〔日〕21:00
 
 
 
聖堂に 日伊合作 レクイエム
 
ヴェル・レク 西本指揮の 見事さよ
 
 
                   元鷹 
 
 
 
 

2014年10月28日火曜日

第290話  第13回 ヴァチカン国際音楽祭に参加して 前編

いよいよ秋も深まって24節季でいうところの”霜降”の季節もまじかとなりました。暖炉近くで家族との語らいや囲炉裏端でのパチパチと炭のはねる音などのイメージが彷彿される今日この頃です。

本日は、先日24日〔金〕サン・ピエトロ大聖堂と翌々日26日〔日〕サン・パオロFLM大聖堂にて開催された”ヴァチカン国際音楽祭”の一部の模様をお伝えさせて頂きます。

先ず、今年第13回を迎えた”ヴァチカン国際音楽祭”ですが、ブログを
お読み下さっておられる多くの皆さまには、未だ耳慣れない国際音楽祭ではないでしょうか。

かく言う私も昨年まで、ローマに居ながらも承知しておりませんでしたから
当然ではございます。早速に掻い摘んでお話しを申し上げます。

ヴァチカン市国が主催する音楽祭《正式名称は、XIII FESTIVAL INTERNAZIONALE DI MUSICA E ARTE SACRA》で、世界から屈指の
オーケストラ、合唱団等が招聘されるものです。

アジアからは、昨年に初めて西本智実指揮イルミナートフィルハーモニー
オーケストラ&イルミナート合唱団が招聘され、大好評を博し本年も2連連続で同音楽祭に招かれた経緯があります。

先立っての演奏会は、ミサ曲が24日〔金〕午後5時よりサン・ピエトロ大聖堂大祭壇前に於きまして1時間30分ほど掛かって演奏されました。

曲目は、オラショほか、隠れキリシタンが歌い引き継いできたミサ曲や
AVE VERM CORPUS、ヘンデルのハレルヤ等5曲をオーケストラ付、或は無伴奏で演奏されました。

ミサ曲が演奏される中、大司教様によるミサが、厳かに執り行われたのですが、我々合唱団はおよそ90分ほど立ちぱなっしで、足が棒になった感じでした。

対面するシスティーナ礼拝堂合唱団の皆さんは、腰掛けたままの状態で歌われたり、立ったりして歌いましたが、その美声は大礼拝堂に響き渡り本場宗教曲の素晴らしさを遺憾なく発揮していました。

この讃美歌は中世のヴァチカン市国の大音楽家パレストリーナの作曲かもしれない、などと勝手に想像を逞しくして聴いていた次第です。

⇒後編へ続く



サン・ピエトロ大聖堂のクーポラ遠景。
               ボルゴ・ヴィットリオ通りにて撮影。

              

              第13回ヴァチカン国際音楽祭
              リーフレット表紙


                
リーフレット中身
 
10月22日より順次開催された演奏会のプログラム
※左ページ赤枠囲みが、参加したプログラム
 
 
今日だけは ハレルヤ歌う 空高し
 
ミサ見つめ ミサ曲歌う なぜ此処に 
 
 
                   元鷹
 
 

2014年10月27日月曜日

第289話 カロリーナ・コストナー選手 ローマへ

CAROLINA KOSTNER《カロリーナ・コストナー》選手が、25日ローマに来るというニュースを23日(木)朝に、道を訪ねた体育大学の学生ダニエッラさんから聞くことが出来た。

ご存知のようにカロリーナ・コストナー選手は、今年行われたソチ冬季オリンピック・フィギュアスケート女子の銅メダリストです。

オリンピックや世界選手権などでもTV映像を通じて、日本の選手らと上位を競ったイタリアのチャンピオン選手です。スケート練習場に通う子供たちにとっては、憧れの的であり、きっと目指す英雄的存在の大選手でしょう。

25日(土)午前10時と午後2時にマンチーニ広場にある”AXELスケート
センター”にて、カロリーナ選手を迎えてのイヴェントが行われることを同センターの受付に置いてあったチラシで詳しく分りました。

是非、私もカロリーナ選手の素顔をみたいものだ、またエキスビションを見物させて貰いたいと早めに家を出てみました。午前10時のイヴェントは、
どんな様子かを私には解説できないのですが、どうやら基本のスケーティングを教えて居るように見えました。

指導中は終始笑顔を見せて一所懸命参加して練習している生徒さん達をひとり一人(10名の生徒でした)優しく、そして包み込むように教えているカロリーナ選手の姿を見て感動してしまいました。

会場となったAXELアイススケートセンターの関係者に伺えたのですが、
これまでも自身の練習会場として、〔ローマに来られた時には〕何度かリンクに来場されているとか、但し今回のような生徒さんらを指導される機会は初めてです、とのことでした。

さて、午後2時からはカロリーナ選手の模範演技が始まりました。
実は、国内でもフィギィアスケートをリンクへ行って見た経験は有りませんでしたから、見るもの全てが新鮮でした。

演技時間は、10分もあったでしょうか。写真を撮っているにいつの間にか
終わっていました。結構早いスピードでリンクを何周もするものですから、
シャッター・チャンスも掴めずに、納得のゆく出来栄え、否、写り映えの良い写真を撮ることは出来ませんでした。

それでも応援に駆け付けたカロリーナ選手の地元ファンの大歓声を聞けて、楽しませて頂きました。驚いたのは、演技中に尻もちをついた時でさえ、大きな拍手で声援を送ったことでした。

このような声援はイタリアらしく、呆気らかんとして愉快な思いを抱きました。兎に角、カロリーナ選手の全ての動きが、会場に集まったファンには
たまらなく嬉しいに違い有りません。

そんな会場の空気を居る間中ずっと感じとりました。いつの間にか、多くのファンの中に居る自分が、周囲のイタリア人と一緒に同じ世界に入り込んで居ることに気づいて、何か可笑しかった。

親切に道案内をして下さって、なおかつ貴重な知らせ《カロリーナ選手の
エキシビジョン情報》を下さった体育学校のダニエッラさんに心から感謝したい気持ちでいっぱいです。有難う!グラツェ!!ダニエッラさん!!!

 





スケートりンク天井中央に吊るされた
            カロリーナ選手の顔写真が目立ちます。

            

            ピントも距離もイケマセンデシタ!(中央)
            残念でした!!笑顔をみられないのが。

            

            生徒さん達によるデモンストレーションも
            ご紹介されました。会場は、応援の熱気に
            包まれていました。


            ありがとう! ダニエッラさん ご親切

            カロリーナ 夢はぐくむ スケーティング

                                 元鷹  

2014年10月24日金曜日

第288話 ユリウス城

前話の古代遺跡「オスティカ・アンティカ」のストーリーは、如何でございましたでしょうか?ブログをお読みになっている間、地中海からの爽やかな風を、読者の皆さまのお部屋まで届けできたら、と空想しております。

さて、第288話は「オスティア・アンティカ」の続編といっても良い内容です。お気軽にお読み飛ばして頂ければ何よりです。

さて本論ですが、「ユリウス城」というお城をご存知でいらっしゃる方は少ないでしょうね。オスティア・アンティカ遺跡の正に入口周辺《国道を挟んで》にドーンとどっしり構えている建造物です。〔写真ご覧願います〕

手元には、調べる伝手も少なくて多くを語れません。
唯一、いつもお世話になるガイド本「旅する21世紀ブック望遠郷9ROMAローマ《イタリア》」同朋舎出版から、その歴史をご紹介致します。

城塞の天守は教皇マルティヌス5世(1417-31)が建て、他の部分は
後に教皇ユリウス2世(1503-13)となる枢機卿ジュリアーノ・デッラ・ロヴェレが、1483年から86年に建てた、とあります。〔同書p416〕

残念ながら、入場できる日が限定されておりまして、当日はNO!の日でした。かと言って、またの日に来ようという訳にも行かず、お城の外側だけで我慢することにしました。

ユリウス城は、お城を完成させた第216代教皇GIULIOⅡの名前をとったネーミングだった訳です。この法王は、ローマ・ルネッサンスを興隆したことで知られています。

SAVONA《北イタリア・リグリーア州》生まれ。ラッファエロ、ミケランジェロらを招いて、藝術・学問を奨励しローマ・ヴァチカン市国を再生させました。サン・ピエトロ大聖堂の再建立にも活躍した法王様でした。

また皆さんが良くご存じのシスティーナ礼拝堂に「最後の審判」(ミケランジェロ作)を注文した法王としても有名です。彼のお墓は、サン・ピエトロ・イン・ヴィコリ教会にありますが、ミケランジェロ作「モーゼ像」で有名です。

それでは、なぜこの法王様〔正確には、枢機卿時代〕はローマ郊外のオスティアにお城を造ったのでしょうか?当時の大権力者であるはずの枢機卿にとって、単に避暑地を求めたものでは無かったようです。

調べてみて分ったのですが、2代前の法王アレサンドロ6世(1492-1503)とのコンクラーベ《法王選出選挙のこと》争いに大いに関係が在ったようですが・・・。

ユリウス2世は、自分のお城の前に古代の遺跡「オスティア・アンチカ」が
地下深くに眠っていたことなどは知らなかったのでしょうね。何せ、遺跡が調査発掘されたのは、近世19世紀になってからということですから。

現在では、オスティア地区のシンボルとして地元に人々や世界からの
観光客に親しまれているお城のようです。



遺跡《を背にした》の入口付近から
             ユリウス城を撮影しました。
             デザインが見事だと感心しました!

            

            ユリウス城の近くまで参りました。
            此処に来た時には、城の歴史も分らなかった
            のですが、今回ブログを書いてビックリしたことが
            沢山ありました。歴史の面白さ、不思議さです。

          
            不思議だな ユリウス城 遺跡前
                                元鷹
            
             

            
            

2014年10月18日土曜日

第287話 古代ローマ遺跡 オスティア・アンティカ

今日は、皆さまをローマ郊外にある古代ローマの遺跡”オスティア・アンティカ”(Ostia Antica)の旅へ誘(いざな)いたいと思います。

紀元前に建設された街オスティア・アンティカには、あの有名な南イタリアのポンペイの遺跡とはひと味の違った趣を感じることが出来ます。

”OSTIA ANTICA”を初めて耳にされる方も多いのではないでしょうか?
昨今、日本からローマに観光にいらっしゃる方々で、”オスティカ・アンティカ”(古代ローマの遺跡)を訪問され方は、殆ど皆無に近いと思われます。

ローマ・テルミニ駅から、メトロと国鉄線を乗り継いで行けば、ほぼ1時間
程度で、遺跡のあるまち”OSTIA ANTICA”駅に到着できます。

松並木をゆっくり歩きながら、遺跡までは5分位で到着出来ます。
入場料11ユーロを支払って入場します。広大な敷地の遺跡群もさることながら此処かしこに”ローマの松”が点在していることに驚かされます。

オスティアは、ローマ第4代の王・アンクス・マルティウス(前640-616)
によって、建設されたという伝承があります。

さて昨夜遅くの豪雨の為か、今日は空気が澄みわたり、遺跡群には何処からともなく海風が心地よく吹きこまれてくるのが、何とも嬉しかった。

そういえば、海辺に近いレオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港(通称、フィミチーノ空港)は、それほど遠くないところに位置しているはずだから、地中海からの海風が、この一帯を駆け巡るのも、なるほどかなであります。

ところで、記録によれば私は1996年5月26日に此処を訪れています。
もう18年以上も前のことなので、残念ながらすっかり記憶が蘇りません。

ただ二つだけですが、①モザイク模様、②大理石の公衆水洗トイレだけを不思議と思いだしながら、市街の大通りであるデクマヌス・マクシムスをゆっくりと歩きました。

遺跡の大通りデクマヌス・マクシムス

            
象牙貿易を行っていたリビアの町サプラタ
            の事務所のモザイク。ローマ・コロッセオに
            登場する象も扱っていたらしい。

            
半円形劇場・音楽堂
             4000人もの観衆を呼び込めたと
             紹介されています。

          
FORICA(公衆トイレ) ※この字型の右側部分
            腰掛けて用を足すらしい?長閑な風景が展開
            されたことでしょう。男女の仕切りは、中央にあった
            ようです。紀元前の水洗式トイレに驚きました!


             心地よく オスティア歩く 風の中
                              元鷹