2014年8月31日日曜日

第271話 BRIOCHES CON GELATO を食す

もう朝夕には秋風が吹き始めたのに"ジェラート"の話しも如何なものか、と
半信半疑のていではありますが、やはりご紹介をさせて戴く価値は有り也、と勝手に決めて一筆?申し上げます。

ずっと以前にこのブログに取上げております「LA ROMANA」と云う
ジェラテリアのことであります。ここのジェラートの美味しさや評判は既に詳しく御案内していますから省略します。

さて、メニューのなかに「BRIOCHES CON GELATO」(アイスクリーム入りブリオシュ)があります。今日は、このブリオシュを皆さまへご紹介させて戴きたいのであります。

昔から、”となりの美田”とか”となりの芝生は青い”とか申しまして、お隣の家、お隣の人の動きは兎角気になるものであります。

食べ物でもそういうことが言えますね。自分の注文品よりも臨席の他人の注文品が大きく見えたり、美味しそうに見えることはよくあることです。

実は、ジェラート付きブリオシュのメニューがあることを全く知らなかった訳です。

前回、私の前に並んでいた女性客が、このブリオシュを注文して、近くで旨そうに食していたことが忘れられずに居たのです。正に「となりの芝生ならず、隣のブリオシュ」だった訳です。

そのような次第でいよいよ「BRIOCHES CON GELATO」の挑戦となったのです。お値段は、3.50ユーロ。〔およそ500円〕

最初にレジで支払うと、あとはブリオシュの中に入れるジェラートを3種選ぶのです。私は、フロゴラ、ヨーグルト、ピスタッチョの3種を注文。
結構なボリュームです!写真をご参照願います。

結果、チャレンジした”BRIOCHES CON GELATO”は中々のいい味でした。「となりの美田、となりの芝生」の実践もいい勉強になることを実感した瞬間でした。

ボリュームたっぷり!3色ジェラートに
            パンナをかけて頂きました。

            

            店内スナップ。トップに見えますのは
            ジェラートのメニューです。

お店情報
Gelateria La Romana
Via venti Settembre60 Angolo Via Piave 00187 Roma
Tel.++39-06-42020828
Web.www.gelateriaromana.com


            初ものは なんでも美田 旨きもの
            ジェラートを ロマーナ寄らず 語れない

                                元鷹 

2014年8月30日土曜日

第270話 ラ・カルボナーラ

スパゲッティー「ラ・マトリチャーナ」と「ラ・カルボナーラ」とは、ローマの
名物メニューです。日本人の特に若い人のなかには、「ラ・カルボナーラ」を特に興味を持っていらっしゃる方が比較的多いように思います。

ナツィオナーレ通りと交差するミラノ通りをトンネルの見える方向と反対側へ歩いて5分程度で、今度は、パニスペルナ通りとぶつかります。
右へ50m位歩けば、左側に”ラ・カルボナーラ”と看板を掲げたお店を見つけることができます。

8月は、ローマの主なレストラン、トラットリアは2週間~1カ月間の長期休暇を取るのが、恒例です。今週になって、ボチボチと再開し始めたお店が
みられるようになってきたところです。

今日は、店名が「LACARBONARA」となっているレストランのご紹介を致します。創業は1906年と言いますから、今年108年目を迎えたわけです。

一説では、ここが店名のように「元祖カラボラーナ」であることを主張する方もおられます。しかし、片や「元祖」は旧ローマ市街中心地にあります
カンポ・ディ・フィオリにある、やはり「カラボナーラ」という店名を冠するれストランである、という御仁もいらっしゃるから、話はややこしい。

さて、このパニスペルナ通りのレストランへ話を戻します。
それほど多くの回数を重ねたわけではありませんが、兎に角いつ行っても
満席なので、事前の電話予約はしなければなりません。

肝心のメニューの価格は、良心的です。スパゲティーの類は、6€から8€と
めっぽう安いのであります。他の市内のレストランでは、少なくても10€~15€位の値段ですから、概ね半値です。

パスタの注文は、数名で席に着いたのであれば3種類位を相談して決めて、それぞれの皿の味をシェアするとお腹にもお財布にも都合が良いように思われます。

ワインは、リストを見る限り地元ラツィオ州産地のモノが多く、手頃で安心な価格です。4~5人で卓を囲めば、赤白ワインを愉しく味わうことが出来て好都合です。

通常、どのレストランへ出掛けてもテーブル・ワイン(IL VINO DELLA CASA)を私は、注文して楽しむことにしています。

ここでの一押しメニューは、アンチ・パスティの「フリット・ミスト」です。
フリットのあげ方が、日本のテンプラのようで味わいがあります。ワインの或はビールのおつまみに恰好のアンチ・パスティです。

ワイワイ・ガヤガヤとワインと美味しいパスタでのイタリア料理を大いに楽しんで戴きたいと願います。

レストラン情報
LA CARBONARA
Via Panisperna214,  00184 Roma
tel.++39-06-4825176
andrea@lacarbonara.it

                              外で順番を待つお客様も。中々の人気です。

            
店内左側にはBAR&STANDがあって
            オシャレな雰囲気です。お髭のバリスタは
            ”イタ・メン”です。


            

            店内は細長いレイアウトです。
            満席の中、カミリエリが忙しく駆け回ります。


            ローマでは 一度食べたし カラボナラ
            炭焼きは 食べるべからず カラボナロ

                                   元鷹
           






2014年8月29日金曜日

第269話 サンタ・プラッセーデ教会

7月のある日、ローマに来ていた友人夫妻から、「S/Mマッジョーレ聖堂の近くにあるモザイクのとても綺麗なサンタ・プラッセーデ教会に感激しました!」と眼を輝かして、教会を称賛したことばが忘れられずにおりました。

教会は、ガイド本で知っていたのですが、未だ出掛けて居なかったところ、S/Mマッジョーレ聖堂の近くカヴォール通りにある韓国・日本食材店へ行く前に、この教会の話を想いだしたので、少し寄り道をすることにしました。

S/Mマッジョーレ聖堂を背にして、VIA MERULANAを歩きだして直ぐに右に入る細い道が、この教会に続いているので「ここだな!」と直ぐ分ります。教会の所在は、Via S.Prassede です。


さて、教会らしからぬごく一般の家屋のようなファザードというよりも、簡単な入口を潜るとこれまた通常の教会のレイアウトとは違った様相でした。
なぜなら、入ると直ぐに後陣の祭壇の右横に立つようになるからです。

これは恐らくですが、長い年月の間に正面出入口の位置が変ったものと思われます。全くの推測でしかありませんが。教会は、通常薄暗いのが当然ですが、教会内はこれまでには無かった明るさがありました。

それもその筈で、本来正面入口であるだろうところが解放されていて、明りとりの役割を果たしているではありませんか!外は、手入れされていない中庭のようでもあり、塞がれた路地のようでもありました。

この辺で、話を教会の成りたちに戻します。
やはり、いつも参考にさせて戴く「ROMA(同朋舎出版)」p、171より引用しますと、

「9世紀に法王パスカリスⅡ世が創設した教会で、ビザンチンの芸術家たちが、色鮮やかなモザイクで飾った後陣のモザイクには、白衣の長老たち、金色と青の天国から地上を見おろす選ばれた人々、ひょろ長い脚の子羊たち、生い茂るヤシ、真っ赤なケシの花などが描かれている。」(抜粋)

ところで、サンタ(聖女)・プラッセーデは、実存した人では無かったと、このガイド本に詳しく記述されています。妹をプデンツィアーナといい、2人は、迫害されたキリスト教徒に救いの手を差しのべたということである。

ピアッア・エスクイリーノ(サンタ・マリア・マッジョーレ後陣側に在る広場)
から、徒歩5分位歩いたところにサンタ・プデンツィアーナ教会があります。

「後陣には12使徒をトーガをまとったローマ元老院議員の姿で描いた注目すべきモザイク(4世紀)がある。」(前出「ROMA」p、173より)

モザイクにご関心のある方は、サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂を訪ねた際、ご紹介しました姉妹の名のついたモザイクが、見事な2つの教会をお訪ねになられたらご満足頂けるのではないでしょうか?

サンタ・プラッセーデ教会の入口です。
            構え(ファザード)は、一般の建造物と
            殆ど変わりません。

             
後陣上層部を撮影。
            ぼやけて撮れてしまい、残念! 

             

            モザイクの美しさを十分に満喫できる
            礼拝堂が幾つもあります。
            

           

            モザイクの 色鮮やか  プラッセーデ

            姉妹 近くに在りて 今もなお

                               元鷹   


2014年8月28日木曜日

第268話 ”神様のポケット”

”ほほ笑みを忘れないで”と,優しく訴えるような新聞記事が偶然眼に止まって以来〔2013年2月17日・日本経済新聞コラム「こころの時代」(編集委員 木戸純生)〕、この言葉の持ち主・渡辺和子さん〔ノートルダム清心学園理事長〕に私の関心は、ずっと今日まで惹きつけられてきました。

さて、その記事の一部を抜粋してご紹介させて頂きます。

「私は『神様のポケット』という自分で創作した言葉が好きです。他人にあいさつしても、ほほ笑みかけても、相手が返してくれない時があり、損した気分になることもあります。

そんな時、『私のほほ笑みは無駄になっていない。神様のポケットに入ったのだ』と考え、例えば『被災地で寂しい思いをしている人にあげて下さい』と祈るのです。心が穏やかになります。そして私の祈りはきっと叶えられると信じて、幸せになるのです」

この文章は、記事の最終章に掲載されたものですが、私は渡辺和子さんの発想の転換、神様にお願いするという天真爛漫な機知にナルホド!これは素晴らしいことだ!!と感動したのでした。

記事全体の内容も分り易くて、読後何か元気がワクワクと出て来るような
気がしたものでした。早速、紹介された本「置かれた場所で咲きなさい」を
入手して、読ませて頂きました。

さて、渡辺和子さんがおっしゃる「神様のポケット」を必要とする場面が、
私たちの日々の生活の中には沢山ある思いますが、如何でしょうか?

そんな時、相手を責めず、かつ自分に元気をくれる「神様のポケット」を持てないだろうか?と思い巡らしているうちに「神様のポケット」の一筆がきを創ってみたのです。(7月10日未明)

あれよあれよ、と云う間にイメージからカタチ《ロゴ》が出来上がりました。
筆記体のディをベースにしたものですが、[Dio ]を読み込んでいます。

ネーミングは?そのままイタリア語で書いてみました。

                              神様のポケット 
            LA TASCA DI DIO

私流[神様のポケット]=[LA TASCA DI DIO]を心の何処かに持って
から、気持ちが穏やかに持てるようになった気が致します。

私は、少し幅を広げてこのポケットを創ってみました。元鷹流?
生きて行く上で私たちは、幾つもの試練を乗り越えなければなりません。私流”神様のポケット”は、試練を堂堂と受け止める楯にもなるのです。

同僚のイタリア人スタッフに「LA TASCA DI DIO」(神様のポケット)の
話しをすると強い関心を示してくれるのです。

カトリックの国がらも当然影響しているかと思います。でもそれ以上に、
仕事上の、或は生活上の”悩み”や”苦しさ”を神様のポケットに預かって貰い、その重さを軽減してくれるストリーに興味を示してくれたのだと想像しています。

※ 「LA TASCA DI DIO」は、”神様のポケット”の意訳です。
   人間の悩みや苦しみをも拾い上げてくれるのです。

中央の赤色のハートの上から一筆がきを
            始めます。”DIO”と読み取れますか?

           
昨年2月17日付の日経新聞
            コラム「こころの時代」切り抜き

            
私が関心を寄せていることを知って
            同僚が、態々貸してくれたのです。
            ただ今、読書中です。


          
            ポケットに 一旦入れて 夢託す 
                               元鷹


            
              




2014年8月25日月曜日

第267話 ヴァチカン郵便局

急いで日本へ郵便物をださなければならないことがあって、休みの先日21日、ヴァチカン市国内の郵便局に書き立ての3通の封書をショルダー・バックに詰めて出掛けて参りました。

ずっと以前にも取上げたこの話題〔ヴァチカン市国の郵便局への投函は、早く着くという言い伝え。〕を覚えていらっしゃる読者の方には、「ナルホド!」と合点を頂けたかも知れません。

実際にそうだ!と云う確証は無いのですが、ローマ市内の郵便ポストに出すよりも、ヴァチカン市国の郵便局に投函したほうが、日本へ早く着くというジンクス《風評》があるからです。

私の場合、もう一つの理由があるのです。
それは、日本の記念切手がそうであるようにデザイン・カラーが大変魅力的でもあるからです。もっと別の言い方をすれば、切手のデザインが実に愉しいということであります。

日本宛ての切手代金は、封書〔20グラムまで〕もハガキも同額〔2€およそ280円〕です。不思議な料金設定ではありますが・・・?

郵便局は、サン・ピエトロ聖堂前広場の両脇に其々位置しております。
また、広場の左側には特別車〔バスを連想します〕が、ドンと構えております。車内では、切手や絵葉書、記念グッズなどの販売をしています。

結局、このバスのような移動郵便局〔?〕とその先にある郵便局で、
日本とイタリア国内〔0.7€〕へ発送するための切手を購入したのでした。

私にとって、日本の家族・親せき、そして友人・知人へ便りを送ることは、大きな楽しみであり、同時に10,000kmの距離を縮める唯一無二の
方法でもあるのです。

写真に撮りましたのでヴァチカン市国発行の切手をお楽しみ下さい。


 局内の大テーブルで絵ハガキを綴る観光客
            和気藹藹と楽しい雰囲気が漂っていました。

            
”法王フランチェスコ 就任第2年度2014”
  といった意味のイタリア語が上部に印字されています
大変人気の高い”庶民派”パパ〔法王〕として知られています
 
 
左   GIUSEPPE VERDI 1813-1901
           中央 WILHEIM RICHARD WAGNER 1813-1883
             右   GIUSEPPE GIOACHINO BELLI 1791-1863
           ※ヴェルディとワーグナーが同年生誕だったのは発見!です


              
            愉しけり 手紙葉書の 書く時間
           

             不便なり 切手購入 何処で買う
               
             啓上 お元気ですか? お元気に!
              

             幸せです 貴方に邂逅 ペンを取る 

            不思議だな 一万キロに 君想う


                                 元鷹 
               
            
        
                  

2014年8月21日木曜日

第266話 七大聖堂巡り サン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ聖堂 後編

さて、いよいよ聖堂内に入りますとヒンヤリとした空気に包まれた大空間に圧倒されました。通常は、パイプチェアが1千、2千と並んでいるのに、s幸いにもこの日に限っては一切他の備品はなく、すっきりしていました。

聖堂の特長である大理石の太い列柱が、美しく並んでいます。
歴代の教皇の姿(顔・胸)がフレスコ画で四方に並んでいます。
高く遠いのと、さらに暗さ加減で教皇名が読み切れませんでした。

オペラ・グラスを持参せずに残念だった。次回は忘れずに持ってこよう。

聖堂の今一つの見ものは、円柱のある回廊庭園《キオストロ》です。
堂内をゆっくり眺めつつ奥の院にある大天蓋を仰ぎながら出口方面に向かう途中にキオストロへの入場口があります。

入場料は4€ですが、観る価値は十分にありますから、高くはありません。13世紀のローマの主要な建築的・装飾的作品と云われています。
美術装飾に関心のある人にとって、大いに参考になることと思われます。

確か去年訪ねたシチリア島パレルモ市の何処かの教会でも、同じようなキオストロを垣間見た記憶が残っているのですが、その教会の名を失念してしまいました。

ところで、1823年7月15日の夜、大火災で聖堂は破壊的な被害を受けたと前出のガイド本に記載されております。

「大修復工事には、100年以上を要し、グリエルモ・カルデリーニによる100本の円柱が林立する4面の列柱廊の建設《1928年》を最後に完成した。」《同本p.383》

火災のあった翌日(1823年7月16日)、作家スタンダールは聖堂を訪れていた様子で、彼の作品「ローマ散策」に詳しく記述されている。《同本》
興味を呼びそうな作品ではあります。

閑話休題

昨年11月10日〔日〕には、西本智実指揮者によるベートヴェンの第九交響曲の演奏会がサン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ聖堂にて開催されました。

本年2014年10月26日〔日〕21:00同聖堂にて、西本智実指揮によるヴェルディの”MESSA DA REQUIEM”の演奏会が予定されています。

   豪華荘厳な雰囲気が渦巻いているようです。  
               イスが一切セットされてない状態は初めてでした。


               
                            
            調べたところ、左:165代教皇CELESTINOⅡ、
                    右:166代教皇LUCIOⅡ
            のフレスコ画かと思われます。

  キオストロ《回廊のついた中庭》風景
            他に見学者は無く、贅沢な気分を味わうことが
              出来ました。 
            
 
100本 世界から来た 大理石
一堂に 法王居並ぶ サン・パオロ
キオストロ バラの花まで 独り占め 
              
                    元鷹
 
foto in omaggio
撮影19AGO.2014
 


2014年8月20日水曜日

第265話 七大聖堂巡り その5 サン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ 前篇

暑いさなかではありましたが、意を決してというと些かオーバーですが、
「七大聖堂巡り・その5」を探求すべく、いよいよサン・パオロ・フオリ・レ・
ムーラ大聖堂を訪ねて参りました。

”フオリ・レ・ムーラ”とは、アウレリアヌス市城壁の外側に在ることを示唆した命名と思われます。ですから、ローマのガイド本でもヴァチカン市国の四大教会でありながらも十分な情報が書かれていないことがあります。

それは、ローマ市内〔城壁内〕の情報だけでも山ほどあって取捨選択が、困難だからかも知れません。3000年の歴史が埋まっているローマですから、城壁内優先?は、仕方ないのことなのかもしれません。

さて今回は、一体何度目の訪問になるのだろうか?と、目的地に着くと
ついつい考えが浮かんでしまいます。5回目か、はたまた6回目だろうか。

それは兎も角、今日は暑いながらも風が心地よく吹いてくれて、時間も十分掛けることが出来、聖堂を巡ることができた訳ですから、文句なしの
最善の訪問日だったと言えます。

毎回このシリーズの際にエクスキューズ〔言いわけ・お断り〕を申し上げることは真に恐縮ですが、正しい〔と思われる〕聖堂/教会の説明をする為に
ガイド本〔※〕からの引用をさせて頂きますことご了承願います。

「アウレリアヌスの市城壁から2km以上も離れた野原の中に、使徒
パオロが殉教後〔67年〕に埋葬されたと思われる小さな礼拝堂があった。

その跡地に、コンスタンティヌス帝が教会を建設し、教皇ホノリウス時代の
395年にようやく完成したのが、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂である。

サン・ピエトロ大聖堂が16世紀に再建されるまでは、ローマ最大の聖堂だった。13世紀、15世紀に装飾が加えられている。」
                    
 

                     〔※〕ROMAー同朋舎出版p.382より。

さて、大聖堂に入る前には広い中庭があって、四方が回廊となっています。入口を入った処の回廊では、10余名の団体が2組ほどガイドの説明を聞いていた。

最初のグループはドイツ人のようであり、お隣のグループは英語での説明を受けていたので、一体どこから来られた観光客だろうか、と要らぬ気掛かりをしてしまった。

私は、右側の回廊から聖堂の入口扉へと写真を撮りながらゆっくり歩いた。8月の暑い日差しの下、この時間(14:30頃)に聖堂を見学に来る観光客は少なく、私の先を歩いていたのはシスターと2人の女性だけでした。

回廊中程に愛想のない中年男が、机に向かって腰掛けていた。入場料でも取るのだろうかと勝手に思い聞いてみたが、首を横に振るだけだった。

机上の丸まったモノを見ると、どうも服装が相応しくない人に衣類を貸し出す仕事をしているのだろうとみてとった。だとすれば、他の教会ではない親切なサービスであります。

 空の青と列柱の白が際立っていました。
            ギリシャ神殿を連想させる美しい姿に感動!
             8月19日午後2時30分ころ 

            
            
  中庭風景。剣を持つ使徒パオロ像。
            奥正面に見えるのが、聖堂入口扉です。

           
            

               聖堂入口右側の扉/ブロンズ製
                 2000年の聖年に取り付けたもの
 


           
               城外の 観るべきところ サン・パオロ
                                   
               
               ぽつねんと されど堂々と サン・パオロ
     
                                      元鷹
               

2014年8月17日日曜日

第264話 漢詩に親しむ

今日は8月16日です。ローマは今週即ち11日から明日の18日までの
この一週間は、年間を通して最も道路が空いている期間です。

多くの工場、商店、レストランはFERIE(フェーリエ・中長期休暇)をこの8月にまとめて取る国がらです。12ケ月1年の商売を11ケ月でやろう、と云うのですから驚きです。

特にこの一週間(8/15祝日・FERRAGOSTOを挟む)は、普段の喧騒は消え、まるで地方の小さな町に住んでいるかのような錯覚を起こさせるほど静かになるのです。

もっともこの暑さのローマでの生活を離れて、山や海の家へ或いは海外へ家族・友人とリフレッシュに出掛けるという習慣は、理に適っています。

家族を最も大切にする国民性も手伝ってか、遊び上手は中々のものです。国がら、国民性、そして土地がらということも言えるかもしれません。

さて、漢詩のお話です。
5月でしたが、サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂に近い中国食品店で見つけた1冊の本がきっかけでした。「唐詩一百二十首」と題名の付いた本を
定価8€で購入しました。

ページを捲れば、懐かしい漢詩が眼に映りました。例えば、孟浩然の
「春暁」(”春眠暁を覚えず”、で始まるあの詩です)や、杜甫の「春望」
(”国破れて山河在り”)ですが、他に白居易、李白、王維などの名前が
懐かしい限りです。

中国語会話も仕事に必要になっております。ノンビリと漢詩でもあるまいに、と思わないわけではないのですが、意外な発見!をしてのです。
中国語の難しさは、発音にあり。

漢詩を音読(ピンイン)読みしてみたら、四声を学ぶこともできて、詩も楽しめるから、これは一石二鳥かも知れないぞ!!と一人合点です。

何とか、うろ覚えながら「春暁(chun xiao)」を暗記しまして、恥かしさも押し隠さずに、中国人スタッフに聴いて貰います。独習の成果もなく、発音を直して貰うばかりでした。

しかし、驚いたのは若いスタッフですが全員が、この詩を暗記していることでした。これは、一体どういう訳だろうか?

つい先日のことですが、休憩中の歳の恰好70歳代の中国人女性に筆談で、孟浩然の「春暁」を書いて、お見せすると嬉しそうな表情をされて読み上げてくれたのです。

また、こんなことが有りました。6月だったでしょうか?5歳のお嬢さんと
お婆ちゃんの中国人にやはり「春暁」の漢詩をお見せしたところ、お二人で詠いだしたのでした。私は、ただただ感心してしまったのです。

唐の時代(7~8世紀)の詩を今日でも、ごく一般の人々が自然と朗々と
よみあげるのです。私たちが万葉集の歌とか松尾芭蕉、小林一茶などの句を歌うのと同じようなことなのでしょうか?

私ごとで真に恐縮でございますが、半世紀も昔に母が独りごとのように私に聞かせてくれた万葉集の憶良の歌が今でも忘れられずにおります。

       しろがねも くがねもたまも なにせむに
       まされる たから こにしかめやも

偶然に中国食品店で出逢った漢詩の本

              
            
 暗唱のため墨書きしてキッチンのドアに。
            ♫ チュンミエン ブ ジュエ シャオ ♪
              ”読書百遍意自ら通ず”と念じつつ。
              
            

            これは王維の漢詩”竹里館”をメモに書いて
            覚えようとしたものです。
             
               今に知る 漢字の世界 大宇宙
                               元鷹

                 




































































































































2014年8月14日木曜日

第263話 スイカとイタリア国旗

暑い昼下がりに冷えたスイカを食べながら感じることがあります。
それは、「ウ~ム、西瓜はイタリア国旗だ!」とスイカの切り口の皮部分をみつめて思うことです。 ※下記の写真をご覧ください。

スイカの皮は、外側からみどり色、しろ色で構成されています。
そして、食べる部分〔果肉?〕は、あか色です。

さて、今度はイタリア国旗を見て下さい。青空に風に棚引くイタリア共和国の三色旗は、見る者に清々しい印象を与えてくれます。カラー配色のポジションは、旗竿側〔正面左側〕からグリーン・ホワイト・レッドです。三色旗を縦に並べる時には、上から同順となります。

[ご注意]イタリア国旗に類似した国旗をもつ国は、アイルランド、ハンガリー、メキシコ、コートジボワールなどがあります。

スイカの色はまるでイタリア国旗の配色〔緑・白・赤〕にそっくりですから、
スイカを食べる時には、自然と空に風に棚引かせている3色旗をイメージ
してしまいます。

事のついでにと言いますか、WIKIPEDIA[ウィキペデア]を開いてイタリア国旗[三色旗]を調べてみますと大変興味深くてついつい止まらなくなって
しまいました。国旗には、国の歴史・伝統・文化などが秘されています。

現在のイタリア国旗成立を知るためには、どうも18~19世紀まで遡る必要がありそうです。ご関心をお持ちの読者のみなさまもお暇な時に是非ご一読下さい。

さて、改めて知ったのですが、3色の示す意味は次のようです。
緑⇒国土或は自由
白⇒平和或は平等
赤⇒熱血或は友愛

緑色部分が青のフランスの国旗のことも想い出されてきます。
イタリア統一[1861年リソルジメント]前の1800年前後には、イタリア北部の一部では、ナポレオンによって統治された時代があったようです。

兎に角、「国の旗」はその国を象徴するデザインであり、カラーなのです。
その国旗≪三色旗≫が、ローマの、否イタリアの各街々の建造物に広場に飾られ、国民やこの国へやってきた外国人にエールを送るが如く、ある時は強風に、そしてある時は微風によって、そのカタチをしなやかに踊らせては優雅に棚引くのです。

スーパーCONADで、切売り1.60€(約236円)でした。
皮側から、緑・白・赤という順が愉快です。
 
                               Via Cernaia 国庫省正面入口の三色旗
            手前の下がりランプも入ってしまいました!
             三色旗は、一般にTRICOLORE・トリコローレ
             と呼ばれています。 

            
ローマテルミニ駅ビル屋上にたつ三色旗と
            EU旗です。旗竿側に緑色が着ます。

            

             以前にもとりあげましたが、三色旗デザインの
               冷蔵庫のドア正面です。この発想にはUMMM?!
              「スゴイもの」(エネルギー、ギャグ、カラー感覚)を
              感じます。

              
              さあお食べ 西瓜ご馳走 盆の席  
                                      元鷹

              トリコローレ スイカ食べ食べ 想い出し
                                      元鷹

              あ、イタリア 歌劇ヴェルディ 色緑
                                      元鷹

              ※お盆特集です。写真・吾伊句とも増量?
                しております。
  
               

2014年8月10日日曜日

第262話 風鈴を楽しむ夏

ローマで4回目の盛夏を迎えました。
今年の夏は、毎日のように風鈴の音〔ね〕が、朝に昼にそして夜に、
こころの真棒まで涼しさを運んでくれるのです。

私のアパートの部屋に飾った風鈴は、少し変わっています。風鈴と云えば、南部鉄や陶製で作った鈴をイメージされるかもしれません。

風鈴は、鈴の中に吊るされた短冊が風に揺らされて、風の強弱に応じて独特の風流な音を創りだします。本体の素材によって、音は様々です。

しかし、我が家の風鈴はいつも決まった音色を聞かせてくれ、風が無くても楽しませてくれています。なぜなら、それは本物の涼しげで澄んだ風鈴音を記憶させたアイデア商品〔グリーティング・カード〕だからです。

タネを明かせば、先月7月22日に6月にローマで知り合いになった
K様ご夫妻から届いた封書の中にお手紙と共に入っていた模擬風鈴なのです。

朝顔の絵や、一つの鈴には花火の大輪が2つ、もう一つの鈴には赤い金魚が2匹描かれているのですが、何とこれらの絵、即ち朝顔・花火・金魚の3点セットが、風鈴の音色とともに相乗効果を生みだしてくれるのです。

2ケの風鈴は、縁側に掛けた簾〔すだれ〕に取り付けた風景をイメージしています。ボタンをいつでも押せばチリン、チリンと癒しの涼しげな音色を出す仕掛けです。

ですから、朝に昼に夜にとボタンを押しては風鈴の音を楽しむことが出来るのです。単純な仕掛けではありますが、何と優雅で風流なものでしょう!日本人の繊細な機転・アイデアの賜物であります。

ところで「鈴」というイメージは、私にとっては江戸時代の国学者・
本居宣長を想い出させます。確か彼の作った書斎のことを「鈴の屋」と
呼んでこよなく「鈴」を愛したという話を想い出しています。

また、彼は桜を大いに好み俳句、和歌に随分多くの作品を創ったことでも有名です。

宣長は、春は桜に心酔しながら季節を楽しみ、書斎・鈴の屋では
国学の書を紐解きつつ人生を貫いたインテリ風流人だったのかもしれない、と勝手に覚束ない想像をしております。

ベランダへ抜けるガラス戸に吊るされた
            模擬風鈴の音色が、私に毎日元気をくれています。


            
            風鈴の  音色や涼し ローマの夏
                                  元鷹       

2014年8月7日木曜日

第261話 国立楽器博物館

先月29日に国立楽器博物館〔Musio Nazionale degli Strumenti Musicali〕を訪ねてみました。前話にご紹介しましたサンタ・クローチェ・イン・ジェルザレンメ聖堂から、正面左側へ徒歩2分程度のところに位置しています。

実は、3年前程前にも訪問したのですが、その際には修復中とかで入場できなかった経緯がありました。ローマを訪ねる多くの観光客の目ぼしい
訪問先リストには、先ず載らない博物館のひとつであろうことは間違いありません。

さて、この博物館は1974年に開館し、3000もの世界の楽器がコレクションされている、とガイド本には紹介されています。今年で40周年を
迎えた楽器専門の国立博物館ということになります。

この日入場(5ユーロの入場料)してみますと本来は、18室の展示会場があるようにパンフレットに紹介されているものの、実際には8室でしか開いておらず、あとの半分強は閉鎖されていて、拍子抜けしてしまいました。

展示の楽器は、17世紀18世紀のピアノフォルテ(日本でいうピアノ)、17世紀のハープ、スピネット(クラヴィチェンバロに似た弦楽器、15Cヴェネツィアの考案者、G/SPINETTIの名に由来する)16世紀17世紀のイタリアの主な地域で流行ったマンドリンなどが、処せましとしかし漫然と置かれているだけである、と言ってはお叱りを受けてしまうだろうか?

ガイドブックに書かれた内容と入場受付で頂いたパンフとの案内とから得た展示内容と実際の楽器群とは著しく違ったものであり、これは羊頭狗肉という古いことばをもってして批判の矢を放つほかはありません。

まあ、これもイタリア・ローマの一面の実態かな!と苦笑する次第であります。しかし、いわゆる弦楽器やピアノの歴史にご関心のある方には、興味津津なのではないでしょうか?

いつか近い将来には、パンフやガイド本に書かれているように、あらゆる時代〔エジプト・ギリシャ・古代ローマ・イタリア各地の伝統的楽器〕の楽器〔弦楽器・打楽器・管楽器〕が、広く展示される日が来ることを願っています。FORZA!

 古めかしい門構えの国立楽器博物館
              中央の建物が博物館です

            

            これは博物館側面に飾られたポスターの1枚です
            Pianoforte, Bartolomeo Cristofori, 1722
            と紹介しています

              
  
                                展示室へ入る前に置かれた
            マンドリンのショウーケース
              イタリア各地でられたものです

              

             楽器だけ 博物館は 画期的  
                   

             バロック期 楽器の由来 愉しけり

                              元鷹

2014年8月6日水曜日

第260話 七大聖堂巡り その4 サンタ・クローチェ・イン・ジェルザレンメ聖堂

盛夏の日本の各地では大変な暑さを記録していると、ネットニュースは伝えています。読者のみなさんには、元気にいらっしゃることと願っております。

さて、今年も八月に入りました。七大聖堂巡りも今回で4回目の
アップとなります。其のたびに、どの聖堂へ行こうかなと思い巡らしながら
今回は、余り知られて居ないサンタ・クローチェ・イン・ジェルザレンメ聖堂
を訪ねてみました。私にとっては、これは4回目の訪問となりました。

聖堂の概要をいつも参考にさせて頂いております『「ROMA」同朋舎出版』
より抜粋してお届けします。

p181
320年にこンスタンティヌス帝の母の聖ヘレナが、
自分の宮殿内にこの聖堂を建てた。
彼女がエレサレムから持ち帰った聖遺物が納められた
ため、多くの巡礼者が訪れるようになった。
最高の聖遺物は、キリストが磔になった十字架の断片と、
・・・・・以下省略、とあります。

聖堂は、サン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂〔メトロA線サン・ジョバンニ駅下車5分〕を背にして徒歩10分も歩いただろうか、という位の距離であります。

聖堂までの幅のたっぷりある歩道、そして両側に聳えるポプラの並木は、灼熱の日差しを遮り、爽やかな風が吹き抜け、巡礼者には何と心地よい
アプローチであろうか、と感心します。

静かな佇まいをみせる聖堂前の広場には、巡礼者をのせて来たのだろうか、大型プルマン〔バス〕が停まっていました。聖ヘレナ像が、正面ファザードのトップ左側に建ち、十字架を左手に抱えている姿が印象的でした。

聖堂や教会を説明することほど困難な作業はありません。
それほど聖堂・教会という建築物は、神の家、神の子の家の
宗教的かつ歴史的物語りを私たちに教えを与えてくれるもの
、否、場所なのです。

聖堂の中に入りました。これまでの聖堂と違った空気を感じました。
柔らかで、静かな清らかな空気です。

この聖堂の見もの〔十字架の断片〕は、聖堂奥左側にある入口から入るのですが、私が入ろうとすると、聖堂に勤務する40歳代の男性が断りを言ったのです。
「今日はこれから葬儀がふたつあるので、入場は出来ません。」と。

この聖堂は、中々ユニークな感じを発信してくれますので、興味が尽きません。以前に見た限りでは、キリスト磔刑の十字架の断片をまじかに見て
驚いた次第です。

ローマに在る400とも言われる教会・聖堂のなか、時間制約のある
観光客の見所或は巡礼先のひとつとして、この聖堂は十分に精神的な
満足を与えてくれるものでありましょう。



           全体的に優しい印象を受ける聖堂のファザード


              聖ヘレナ像《ファザードTOP左側に建つ》
            聖堂のシンボル的存在の聖ヘレナ
 

            

            聖堂一番奥に飾られた見事なフレスコ画



              エレザレム 十字架運ぶ 聖ヘレナ

                                     元鷹