2013年6月30日日曜日

ローマのジューン・ブライド

ここはヴェネチェ広場から、サンタンジェロ城へ続くヴィットリオ・エマニュエレⅡ世通りに面した教会のひとつです。

私は、ローマ市営のバス〔atac〕ルート40、あるいは64〔テルミニから、ヴァチカン市国往復するバスルートで、スリが一番多いと噂される程のバスです。〕を良く利用しますが、この通りは市内観光上、極めて肝心かつ
有用な道路です。

例えば、ナボナ広場、パンテノン、ゲットー、ヴェネチア広場、などなどへ
訪れる際には、欠かせない路線ではあります。

さて、この大きな教会の右入口に新婦とその父親とが、ヴァージンロードを進む直前で、待機してところに出遭いました。

純白に身を装った新婦の表情は、満面に喜びを表し、その横に正装して立つ父親はと言えば、愛娘の晴れ姿に喜びと同時に何とも書き尽くしがたい父親の心情を額の皺に表しておりました。

 
 
 6月のローマでは、いろいろな所で花婿、花嫁
の姿をみることができました。
 
 
 
 
 
 

2013年6月29日土曜日

サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会

Caravaggio本名Michelangelo Merisi(1573-1610)の3部作が、掲げられていると言う「サン・ルイージ・フランチェージ教会」を遂に訪れることができました。

ナボナ広場とパンテノンの間に位置するこの教会は、礼拝堂を左右に5堂づつ10を数えます。

左側一番奥に備えられた礼拝堂には、カラヴァッジョの「聖マタイ3部作」が見事です。3部作と言っても、私には正直チンプンカンプン≪It's Greek to me!と云うことを最近知りました。余談ですが。≫ですが。

教会に入った殆どの観光客が、この礼拝堂を目当てに集まってカメラ操作に夢中です。なるほど、他の宗教画とは違ったモチーフが、興味を誘います。カラヴァッジョ人気の実際を伺うことができました。

私には、3作の中では向かって左側に飾られた「聖マタイの召命」〔La vocazione di San Matteo/1598-1601〕が判り易くて気に入りました。

さて、この教会は大変明るく(太陽光線を教会の中へ採用していることもあってか)、他の教会とは違った趣を感じることが出来ました。大きさもコンパクトで、教会に馴染の少ない方々には過し易いのではないだろうか?

この教会は1518年に創設されたが、建築家ジャコモ・デッラ・ポルタとドメニコ・フォンターナの手に依って、1589年に完成された、と言われています。

※この二人は、ローマ・バロック期(16C後半~17C前半)の建築・道路・噴水・オベリスクなどに大きく関わっている著名なひと。これまでのブログにも紹介させて頂きました。時の法王シストⅤ(1585~1590)のお抱え建築家。巨匠ベルニーニとの関連も深い?

話題転じて、つらつら思いますには、ローマの散歩の愉しみは、教会に在り、と言っても良いほど教会では、藝術《美術・建築・聖遺物、等々》を見ることができるのです。〔独白:随分、教会に入らせて頂いております。〕

法王《庁》の存在、初代法王ピエトロから今日の266代法王フランチェスコまでの脈々として続いてきたキリスト教の総合文化、否、世界が、教会と言う建物に凝縮されてきたのでしょうか。

ところで本日6月29日は、初代法王ピエトロの1946回目の命日の日です。今日のテーマは、正にローマらしい話題になりました。

 
                                        聖マタイの召命(礼拝堂左):中央の貴公子の
                         表情が印象的です。

             


             聖マタイと天使(礼拝堂中央):写りがよくなかった
                  です。失礼しました!上に描かれているのが天使。  


             
 
              


              聖マタイの殉教(礼拝堂右):ダイナミックな
                   構図に息を飲みました!カラヴァッジョの明暗法
              
                   《キアロスクーロ》が、この3部作でも素晴らしい!



             
                   けふもまた 訪ね歩きて サン・ルイージ
                 
                                             3部作前 興奮の息     元鷹
              
 






2013年6月26日水曜日

アッシジのレストラン ” DUCA di S.FRANCESCO” のこと

前稿に続いてアッシジのお話しを致します。

2008年1月催行のイタリア・ツアー≪音楽の旅と副題をつけて≫の訪問地の一つが、アッシジでした。もう、かれこれ5年前にもなりますが、その時のエピソードです。

合唱団の仲間有志15名≪+添乗員≫で乗り込んだ年明け1月の厳しい条件の中でのイタリア縦断ツアーでした。オリジナル企画でしたが、ヴェネチア・フィレンツエ・ルッカ・アッシジ・ローマと盛りだくさんの全行程を楽しみました。

予想は外れて、晴れ男?・晴れ女?ばかりが参加してくれたこともあってか、旅行中は毎日がポカポカ陽気のまるで春のような天候に恵まれた旅行でした。とても1月のイタリアの陽気には思えないほどでした。

さて、その時の1月27日アッシジでの昼食をとったレストランが、なんと
先日立ち寄ったレストランと同じだったことに後で気づきました。

そのレストランの名前は、確か「DUCA di S.FRANCESCO」と言いましたが、今夏は後ろ側の道から入ったために直ぐには気がつかないでおりました。菩提樹の大木の木陰で食事が楽しめる中庭でのテーブルでした。

記憶の奥にしまってあったレストランの名前だけが、ひょっと想い出されてきて、お店を出るときにやっと店構えを見たところ、ここに違いない、という確信に至りました。

まあ、何と言う偶然だったことでしょうか!ビックリしたり、思いがけずに嬉しく何度も表玄関を眺めてしまいました。

サン・フランチェスコ聖堂まで続く細い坂道も6年前あの時と同じように何の変化も無く、あちこちの可愛らしい窓には、赤い花を咲かせたフラワー・ポットが、飾られていました。

まるで6年前に戻ったかのような錯覚をしてしまいました。
ところで、その時に作った句は、

”うんかいの うえにそびえる フランチェスコ”   でした。

合唱団有志でのイタリア旅行も先日のアッシジ観光ツアーも共通するのは、「いい仲間」と「いい天気」でした。

しかしこの間には、法王様は第265代ベネデット16世から、
第266代フランチェスコに代わられました。≪本年3月≫

聖地アッシジに再び来られたご縁に深謝したいと思いました。

 レストラン「DUCA di S.FRANCESCO」
                裏玄関の表札と入場口。左に見えるのは菩提樹
                の古木で、大きな木陰を作ってくれます。今回は、
                菩提樹の下で、美味しいお料理を戴きました。

               
 
ミネルヴァ神殿 コリント様式の列柱が6本並び
 
イタリア全土でも保存状態の良い神殿です。
 
現在では、教会に改造されているそうです。
 
 
 
アッシジの 上り下りに 振り返る
              いつか来た道 いつか来る道   元鷹
 
 
 
 
 

2013年6月25日火曜日

アッシジ巡礼

ローマから車でおよそ2.5時間の位置に在る聖地アッシジを巡礼〔実際には観光ですが〕してきました。

幸いにも天候にも恵まれ、仲間に恵まれての待ちに待った観光日和となりました。

ローマとアッシジのほぼ真ん中に当る処に、テルニという町がありますが
ここには、お馴染のヴァレンタイン・デイ〔2月14日〕で知られるサン・ヴァレンティーノ教会があります。

ロッカ・マジョーレ〔中世の城郭・見晴らし塔〕からのアッシジの町並みと周辺の田園一帯の風景は、新鮮な空気の入った一幅の水彩画のように美しく魅力的でした。

また、聖フランチェスコが修行で瞑想に耽ったり、祈りを捧げたと言われる
エレモ・デレ・カルチェリ〔隠遁所〕にも案内して頂いた。

カルチェリの気高い森には、不思議と神々しい空気が満ちていたように思われてなりませんでした。

そして、サンタ・キアーラ教会〔1265年建造〕、サン・フランチェスコ聖堂〔1253年献堂〕へと巡礼の旅は、正しくは観光ですが、ひたすら坂道を登ったり下ったりして続きました。どちらも感動感激の余りコメントは省略します。

いよいよ最終目的地のサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会へ到着!
丁度、日曜日午後のミサが行われていましたので、静かにそっと早足で
礼拝堂を見学させて頂いた次第。

さて、往復の高速道路から窓越しに見えたラッツィオ州、ウンブリア州ののどかな風景、遠くに見えた丘上の中世の町並み、そして万緑の自然は、日頃のストレスを和らげ、砂漠のオアシスのように身もこころも癒してくれるようでした。



           Rocca Maggiore 塔の頂きからは、素晴らしい
             アッシジの町並みが、一望できます。 


           

            訪問者を歓迎するかのように風に揺らぐ
              ポピーや草花の群れ。


             

            
            
            サン・フランチェスコ聖堂正面〔上層階〕
            ジョットによる28枚のフレスコ画は、
              聖フランチェスコの生涯を物語る連作を描いている。  


           


               アッシジは 緑豊かに 澄みわたり
              

                         静かに憩う 吹く風の中    元鷹



               

2013年6月22日土曜日

Via Appia Antica   アッピア旧街道

ローマの魅力の一つは、遺跡の中に、正確には遺跡の前にいるだけで、
まるで100年、500年、或は1000年も昔にタイムスリップしたかのように
「錯覚」を楽しむことができることです。

今回取り上げました"VIA APPIA ANTICA"(アッピア旧街道)は、2000年も昔に自分がタイムスリップしたような想像を味わしてくれる「道」です。

「紀元前312年に執政官アッピウス・クラウディウス・カエクスによって建設され、これが紀元前190年にベネヴェント、ターランド、ブリンディジの港と結ばれたとき、帝国領土とは1本の道でつながった。〔中略〕

16世紀半ばに法王ピウス4世によって修復されている。街道の両側には荒れ果てた墓が並び、地下には広大なカタコンベの迷路がある。主な名所は、ローマから逃れたペテロがキリストに会ったといわれる場所に建つ
ドミネ・クオ・ヴァディス教会、サン・カッリストとサン・セバスティアーノのカタコンベがある。チェチリア・メッテラの墓と、マクセンティウス帝の息子ロムルスの墓もこの通り沿いにある。」

引用が長くなりましたが、ここは観光本の力を借りなくては、適切にはご紹介出来ませんので、悪しからずご容赦願います。

※上記の引用部分は、「ROMAローマ〔イタリア〕㈱同朋舎出版」を参考にしています。


この街道の何と言っても驚くことは、当時〔2325年前に作られた〕敷き詰められた大小の黒い色をした石〔名前が分からないので単に石といいます〕が、目の前に現存しているということであります

これは「石の文化」の遺産だからに違いないのであります。
言うまでもなく日本は、「木と紙」の文化ですから大きな違いがあります。

しかし、素材だけの相違ではなさそうです。保存することへの執着心と言いますか、文化・伝統遺産への憧れと言いますか、そんな人間の営み〔生き続けてきていることへの証し〕を大切にするイタリア人のハートを感じるのです。

卑近な例えですが、お江戸日本橋のすぐ上には、高速道路が走っていますが、このような組み合わせはイタリアでは先ず「在りえない」発想ではないでしょうか?

逆に「在りえる」発想をもった日本人〔当時の政府・都行政役人?〕は、イタリア人に無い〔と思える〕発想を持ち合わせいる、と言えるのかもしれません。

ローマ観光の中では、一般的なスポットではありませんが、このアッピア旧街道は、とりわけそこに立つ私たちに色々なイマジネーションを与えてくれる遺跡のような気がしました。


            ヴィア・アッピア・アンチカ〔アッピア旧街道〕です。
                サン・セバスティアーノ門から車で5分ほどの所です。
                下り方面を撮影しました。保存の為、車の乗り入りはNO。

                

            紀元前312年に作られた道路は、大小の石の連続です。
                この時代の空気が、地下から蜃気楼のように地上へ
                吹きあがってくるかのようです。



                新緑に 古代の夢を 静かに想う         元鷹 
  

2013年6月14日金曜日

有島生馬の通ったレストラン「スカンヂナアヴォ」を探す

やっと来た、と言う言い方がピッタリするローマの夏の訪れに誘われて、最近、本で読んだ或るくだりのローマの路地にロマンを感じてしまった。

画家〔文学者でもあった〕の有島生馬が、明治39年〔1906〕ローマに遊学中にあしげく通ったというレストラン「スカンヂナアヴォ」を只探すために小さな旅を想いたちました。

共和国広場に近い VIA TORINOをS.マリア・マジョーレ大聖堂を背にして、サンベルナンド広場に向かい、VIA XX settembre を左折した。

VIA QUATTORO FONTANEの交差点を右へ下ると夕焼けに染まった
トリニタ・デイ・モンティ教会前のオベリスクが大きく浮かび上がった。

バルベリーニ広場の人混みを抜けて、さらに真っ直ぐ歩けば、VIA SISTINAであり、目的地にほぼ近づいた訳だ。時間はすでに午後8時30分を回っていたが、この時期のローマはまだぼんやりだが、明るくて見渡しも良好だった。

さて、本と地図の1枚〔地図帳は重いので切り抜き〕を片手に現場を歩きました。VIA F.CRISPI、VIA CAPO LE CASE、そしてVIA   GREGORIANA をゆっくりと回遊しました。

所々にあるBAR〔バール〕やトラットリアなどには、旅に観光に疲れた人達が、ワインやジョッキを美味しそうに傾け、ローマ観光の想い出を語っているのだろうか、家族で夫婦で、眼を細めている表情が素敵でした。

しかし、9時近くなってしまいましたが、本に記載されていた通り〔VIA〕には、目的のレストラン「スカンヂナアヴォ」は発見できず仕舞いでした。

気がつけば、スペイン広場の一番上のトリニタ・デイ・モンティ教会前の広場から、薄暗闇とだいだい色に彩られたVIA CONDOTTI の前方に広がる景色に見入っていました。

※有島生馬(1882~1974)画家・文学者
  有島武郎は実兄、里見淳は実弟。

※本=「ローマ散策」河島英昭著/岩波新書p.173~174参照

                 VIA SISTINAからトリニタ・デイ・モンティ教会前
                 のオベリスクを撮影(6月12日午後8時40分頃)


                     

                 
             夜9時になっても観光客が後を絶たないスペイン広場階下風景。
             中央は、ブランド老舗街のVIA CONDOTTI通り。左手前の建物は、
             英国詩人キーツ、シェリー記念館です。

               

            
           6月12日(水)21時頃撮影。暗闇に浮かび上る
              堂々の雄姿は、サン・ピエトロ大聖堂です。


             石ただみ ”スカンヂナアヴォ” 探す興(きょう)   元鷹  

            

            ※ 私ごとですが、今日6月14日は
                ”元鷹氣涯”の21歳の誕生日です。
               
             

2013年6月12日水曜日

ローマのひとつ残し

そう云えば昔から〔いつごろか?〕「関東のひとつ残し」という云い方がありました。若い読者にはピンと来ない言い回しであろうかと思われます。

掻い摘んで申すれば、お皿によせられた食べ物の最後の1ケには、手を付けずに、どうぞ「お召し上がり下さい!」とばかりに臨席の人に譲る行為が、「関東のひとつ残し」という美名として引き継がれているのでしょうか?

この辺の処は十分に分かっていない訳ですが、さぞかし〔さぞかし!ですよ〕昨今でも、この辺のアウンの呼吸とやらは、生きて残っていることかと
思われます。

さて、何故このようなお話しを申し上げるかと言いますと、ローマでも同じような慣習〔と言ってよいのやら〕が、存在するからです。

具体的には、例えば事務所の集会や差入れなどがあって、三々五々の仲間内で、用意されたクッキー菓子類を最後のひとつに手を出す人は、先ず居ないのであります。面白い現象ではありますが・・・

どういうわけかと申しますと、ラスト・イーター〔最後に食べる人〕が、使った食器類の洗浄、片付けをしなくては為らない、という不文律があるからだそうです。成程、それで合点〔がってん〕が行きました。

実は、今日〔6月11日〕の午後にこんなことがありました。

あるスタッフが誕生日だったので、彼は朝早くに近くのバールでおやつ用のパン菓子を皆に用意してくれたのでした。おそらく人数分の50人前の数を大きな紙のお皿に盛って食堂に置いてくれたのでしょうか。

私が、そこに昼食に立ち寄ったのが、すでに午後3時を回っておりました。
ふと3テーブルの内の或るテーブルを見れば、1ケだけ残った菓子を乗せた四角いお皿が眼に入りました。

そうです。トランプ遊びの「51」のルールで云いますと、私がジョーカーを偶然にも引いたことになります。なるほど、タマタマですが「ローマのひとつ残し」の瞬間に立ち会ってしまったことになった訳です。

結末は、簡単です。彼の気持ちに感謝しつつ「パクリ!」と一口で菓子を食べてしまいました。罰ゲーム?の後片付けを自ら処理したのは当然でした。何のことはありません。キッチン・ペーパーと紙皿の処分、フォークの
洗浄、片付けだけです。ただそれだけの作業をしてテーブルを奇麗にすればOKです。

もう賢明なる読者諸氏にはお解かりのように、「関東のひとつ残し」と「ローマのひとつ残し」の違いは、”相手をおもう気持ち”と”面倒くささからの逃避”であります。

私の率直な気持ちとしては、「関東のひとつ残し」の思いやりの方に軍配をおもいきり高く上げたいのであります。


              
            サン・ピエトロ大聖堂の夕暮れ。
                                    2012年6月撮影

    
           関東も ローマもひとつ 残せども
                  施主の気持ち 尚有難く   元鷹
             

2013年6月5日水曜日

ローマ 夕陽の丘 その1 ピンチョの丘

前々からローマの夕陽を撮影したい、と言う願望を今日から実行するぞ、と決心して「ピンチョの丘」を上りました。

「ピンチョの丘」は、ご存じの方も多いと思いますが、ボルゲーゼ公園の南出口方面に位置します。公園を体に例えれば、丁度”臍”〔へそ〕のような場所に在る、と言ったら良いでしょうか。

さて、ここから下界を見る展望は、石川五衛門ではありませんが、正に
「絶景かな!」であります。見渡せば、左側にはヴィットリオ・エマニエリⅡ世記念堂が聳え、右手奥にはサン・ピエトロ大聖堂のクーポラがひときわ大きく見ることが出来ます。

時間はすでに午後8時を回っていましたが、右手奥に陽が静かに沈ん行く様子が伺えるだけでした。街の騒音とはかけ離れて、ピンチョの丘には
静かな時間が支配し、ここに佇む人間だけに豊かな時間を与えてくれて
いるかのようでした。


            ピンチョの丘からポポロ広場を撮影しました。

                


            西方へ沈みかける太陽の行方。

                

            
               中央にはサンピエトロ大聖堂のクーポラが
                ひと際目立ちます。     


                夕陽追い ピンチョの丘に 上りたり
                周り静かに 広がる景色            元鷹

2013年6月4日火曜日

サクランボの想い出

もう6月となりました。通年であればローマの澄み切った青空の話しをお伝えしたいところですが、6月になった今日も天候不順ですので中々そんな訳にも参りません。

しかし、旬のくだものであるサクランボは、天候不順とは関係なく6月に入るとスーパーや屋台の軒先に大皿に盛られたり、パック売りにされたりして、まるで6月の到来を告げるかのように並べられている。

同僚のMさんから、採りたてのサクランボを食べて下さい!とドッサと重みのある紙袋を頂戴した。そろそろ買ってみようかな、と思っていた矢先だったので、とてもうれしく頂いた。

粒も大きく、歯ごたえも新鮮なこともあってか、果肉と歯のぶつかり合いが
楽しめて面白い。私には、この味を噛み締めて初めて6月になったんだ、という実感を覚えるから不思議であります。

そして、およそ20年前のローマの郊外の知人の別荘で家族で招待を受けて遊んだサクランボ狩りのことが想い出されるのです。

別荘主のKさん夫妻の中庭には、山羊が対で飼われていて、テニスコートほどの庭を自由に放し飼いされていたことを想い出す。その中庭の周囲には、何本ものサクランボの木が植えられていて、サクランボの実がたわわにぶら下がっていた。

また、別荘の裏側には、小川が走っているようで時間も遅くなってくると
ホタルの群れが、まるで天の川の流水のように現われては辺りを光らせ、
見る者の感動をいかんなく誘ったことなどが想い出されてきます。


           大きな粒で甘く ”al DENTE”〔歯ごたえのある〕でした。


               MさんへとKさんへ
                           感謝をこめて

              サクランボ 睦月のローマ 旬なれば
              想い出戻る 昔のことが               元鷹