2015年3月26日木曜日

第333話 ヴィテルボへ行く 続編

プレビスシト広場を一回りしたころ、13時をとうに過ぎていたこともあってか、少しお腹が空いてきた。

ここの広場まで歩いたロマーノ通りの途中に引っ込みがあり、気を惹く
レストラン、実際には”TAVERNA ETRUSCA”が第一候補として、
頭に浮かんだのでした。

※Via Annio,8/10  01100 Viterbo
     Tel.++0761/226694
      www.tavernaetrusca.net

最初に訪問して、最初に入るレストランほど緊張を要するものは有りません。しかし、入ると直ぐに明るい声を掛けてくれる食べ処ですと、一気に
ホッとして肩の力が抜ける想いがするのです。

店内は明るくてインテリアも凝っていました。名前が、「ETRUSCA」だけあって、天井にはネクロポリのようなフラスコ画をあしらっていました。
旅先での食事は、格別に興味もあって大いなる楽しみのひとつであることには違いありません。期待にそった良い味を満喫出来ました。

食後に精算後、店主にタクシーを呼んで貰って、いよいよランテ・ディ・バニャイアへ出発です。その前にここでタクシーの運転手シモーネ・
サルザーナ君のことを書いておかねばなりません。

シモーネ君は、31歳の若手運転手です。ヴィテルボをこよなく愛して止みません。街並みの説明を如何に由緒あるものかを訥々と話すその一所懸命さに後ろの座席で聴きながら感心しきりでした。

「日本のマンガとアニメが大好きなんです!」と嬉しそうに紹介するシモーネ君とは、本当に短い時間でのお付き合いでしたが、彼の真面目さが印象的でした。

そして、彼の様な優しい心根を持った運転手に、ローマでは長年居ても
巡りあって居なかったことを不思議に感じた位でした。

さて、タクシーは「ランテ・ディ・バニャイアの別荘」に到着しました。
50分後に迎えに来て欲しいことを約して、一旦別れました。
Villa Lante Bagnaia の入場料は、大人1名5ユ-ロ。

階段を昇るとまるで別世界に来たような景色が現われました。
”素晴らしいイタリア式庭園”が、眼下に眼上に眺められて、ただただ驚くばかりでした。実際に写真をご覧下さいませ!
まるでエトルスカ人の墓室の中で食事する
            錯覚を起こしそうな壁画でした。

           
テーブル・セッティングが素敵でした。

           
16世紀の別荘 ランテ・ディ・バニャイアの入口
             にある噴水  天馬と天使たちが無邪気に遊ぶ

            
イタリア式庭園を存分に楽しめました
            手入れの行き届いた幾何学模様
            
庭園を一番上まで見上げた風景
            ローマ・カンピドリオ広場の正面モチーフ
            に似た左右の人物像が面白い

                  
上の噴水から水路のように水が下に
向かいます。全体がシンメトリーで美しい
 
ヴィラ・ランテ 水の精かな 胸躍る
                      元鷹
 

2015年3月25日水曜日

第332話 ヴィテルボへ行く

最近のことですが、ローマ北西に在ります中世の町、イタリアは中世の町ばかりですが、「VITERBO」《ヴィテルボ》に出掛けて温泉に入ってきた、と愉しげに話す仲間の言葉に刺激されて、私もこの町に行ってみました。

随分昔から、ヴィテルボの話題は紀行本や、旅行本などで読んでいましたから、いつかは行ってみたい町と思っていた訳ですが・・・・・。
先週20日(金)に、例によってローマ・テルミニからスタートしました。

メトロB線にて、テルミニ駅からピラミッデ駅へ。乗り換えて、オスチエンセ駅にて国鉄を利用しました。VITERBO行きは、平日は1時間に1本程度走っているようです。

因みに日本と違って、電車時刻表の本・雑誌が在りません。≪私が知らないだけかも知れませんが≫ですから、まるで行き辺りバッタリのような
ツアー計画でした。それがまた、気ままで楽しいところもあります。

行き先は、「VITERBO P・R」《ヴィテルボ ポルタ・ロマーナ》です。
ローカル線でノンビリとゆっくりと車窓の景色を楽しみながらの癒しの”電車散歩”でした。

途中、とても感動したと言いますか、人間の持つ美しさ・優しさを味わせて
くれた場面〔シーン〕を偶然に観ることが出来ました。丁度、電車は途中のMANZIANA CANALE M.という駅に到着したところでした。

2階建ての上階窓側に私は居ましたので、見るともなくプラットフォームに目を遣りましたら、迎えに来ていた75歳前後と思われる白髪の男性に近寄った同輩の女性が、スット寄り添うカタチで唇を軽く合わせたのでした。

夫婦であろう男女の穏やかで慎ましやかな愛情を垣間見たような気がしまして、イタリア映画の一場面をまじかに観たようでもありました。

電車は、何の案内もなく静かに出発したのですが、私はこの小さくも微笑ましい感動を記録に残したくて、下手ながらも短歌にしてみました。

              春の午後 駅に帰りを待つ人に
              下車した妻の 淡い口づけ
                                元鷹

それから30分ほどしてからでした。やっと電車は目的地のヴィテルボP・R駅に到着。駅を出ても行き先を教えてくれるようなインフォメーション事務所らしきものは見当たらずに、ポルタ・ロマーナ方面に歩きだしました。
        
第一の訪問先としていた「VILLA LANTE DI BAGNAIA」
”ランテ・ディ・バニャイアの別荘”を目指して、初めて入ったヴィテルボの町をゆっくり散歩することにしました。

車窓の景色 ラツィオ州北西部郊外
            青と緑のコントラストが何とも美しく!


            
Piazza del Plebiscitoプレビシト広場に在った  
            眺めの良い、噴水のある高台にでて。

                      

            高台から遠くを望遠にて撮影
            是非とも行ってみたいと思わせるような
            いい雰囲気を醸し出している教会でした!


             ヴィテウボは 空気静かに 景色佳く 
                                   元鷹

2015年3月23日月曜日

第331話 東日本大震災ローマ追悼式

ローマは、やっと”PRIMAVERA”[春]を迎えたかのような今日この頃となりました。それでも未だ油断は出来ません。温度の変化は、急速に変わることが常にあるからです。

ほぼ10日前の早朝〔午前6時ころ〕、陽が顔を出す前の時間でした。
ローマのカンピドリオ広場には、この時間には50名位の人達が既に集まっていたのです。

この日3月11日は、東日本大震災が発生して4年目の日でした。
主催者の「ローマから東北を応援する会」が、オーガナイズした追悼式の
会場が、ここカンピドリオ広場だったのです。

日本と同じ時間に黙とうを捧げるためにこの日は、午前6時から式は開始されたのでした。未だ辺りは暗く肌寒さを感じる時間帯でしたが、会場の
カンピドリオ広場には、続々と賛同者が集まってざわついて来ました。

ローマ市長イニャツィオ・マリーノ氏、在イタリア共和国日本全権大使梅本
和義氏ほか、多くの参加者によって追悼式は、厳かに始まったのでした。

スピーチもそれ程長くなくて良かったのですが、ローマらしくと言いますか、合唱が組み込まれていたので、会場を清々しく盛り上げてくれました。

合唱は、開会後直ぐにイタリア人コーラスにより、「さくらさくら」が歌われて
後半には、「花が咲く」が日本人、イタリア人合同で合唱され、その歌声が
カンピドリオ広場全体に響き渡りました。

そして、午前6時46分、司会の市川純さんから”1分間黙とう”の案内がありました。この時間には、会場辺りは陽射しが入って寒さも和らいで助かりました。

黙とうが終了しますと、先ほどのコーラスの皆さんによって、G/ヴェルディの「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」《ナブッコ》が合唱されました。

式典の最後には、参加者全員によって白い菊の献花が行われて、追悼の念を新たに致しました。

追悼式のプログラムですが、
横になったままでご免なさい!
 
朝6時 追悼式は 日本時間に
                    元鷹



2015年3月20日金曜日

第330話 トスカ観劇 後編 中島啓江さんのこと

さて、第330話後編では歌劇場の座席に纏わる想い出をご紹介させて戴きたいと思います。※トスカに直接関係のないことで真に恐縮です。

確か、トスカ第一幕が終わった時でした。今、自分が座っている席は、もしかしたら、3年前の4月18日にソプラノ歌手中島啓江さんがお掛けになっていた座席だったのではないか、と不意に想い着いたのでした。

その座席とは、PLATEA≪劇場の1Fに並べられた席≫の11列32番席のことでした。ステージに向かって、PLATEA右側後方にあった一人掛けイスが、3席並んでいる中央でした。

しかし、今当時のチケットを確認しましたら、私の席は12列32番席でした。そして、今回トスカを観た席は14列26番席《通路側》でしたから、
当時中島啓江さんがお掛けになった席より3列後だった分けです。

さて、前置きが長くなりましたがお話しを続けます。
記憶を辿ってみれば、3年前《2012年》の4月18日のことです。

中島啓江さん≪以後、中島さん≫のお取り計らいだったのですが、旅行会社のKさんが当日のチケットを2枚お持ち下さったのです。

中島さん及び10余名のファンの方々とは、その日の開演時刻直前に先ほどのお席辺りで、お会いしてご挨拶と御礼を申し上げたのでした。

その際に、21年前《1994年》にローマのレストランでご一緒に撮った
記念写真のお話しをお伝えしました。確か、ビジネス・ランチのような機会だったのですが、お互い初めての出会いでした。

その場には、かつて日本でも名を馳せたニニ・ロッソ氏《トランペッター、作曲家》も同席されて居りました。驚いたことにこの年〔1994年〕の10月、氏は病に倒れて帰らぬ人となってしまったのでした。

この時の集いに、氏は私たちの為にトランペットを吹いて下さったのです。この突然のトランペット演奏には、私たちは本当に驚いて大感激したことを覚えております。以来既に21年前の昔のこととになってしまいました。

記念写真とは、食事会の後に皆さんと一緒に撮った写真のことです。
そして、私が日本に帰国した暁には、何らかのかたちでお届けさせて頂くことを、開演前に中島さんにお約束したのでした。

話は戻って、その日《2012年4月18日》の演目は、「セビリアの理髪師」《初日》でしたが、舞台美術からして華やかで陽気な舞台を愉しんだことを思い出します。

私の前〔11列32席〕にお掛けでいらした中島さんが、終始ご熱心に笑顔でステージを楽しまれて居られた様子を想い出します。さて、只管残念ながら、2014年11月には、今度は中島さんが急逝されてしまいました。

21年前〔1994年〕のニニ・ロッソ氏らとの食事会、20年前〔1995年〕のブランカッチョ宮殿での中島さんの歌声、そして3年前〔2012年〕のローマ歌劇場での再会、など忘れ難いこころの想い出であります。

時々、記念写真のことを想い出しては、天国に逝かれた中島さんにどのようにしてお届け出来るのだろうか、と果たせぬ約束のことが脳裏から離れないで居るのです。

            2012年4月18日”セビリアの理髪師”
            於/ローマ歌劇場 -初日ー

           
中島さんから贈られた記念の入場チケット
            チケットをみるたびに情景を想い出します。

             
            目を細め 全身込めて 観る姿
            プラテアの席 懐かしきかな
                              元鷹




2015年3月14日土曜日

第329話 トスカ観劇 前編

突然ですが、日本人にとって最も親しまれている代表的なオペラの傑作は、”トスカ”と言えるのではないでしょうか?今回は、普段から慣れ親しんだ”ローマ歌劇場”での”トスカ”(全第3幕)をご案内致します。

このオペラ作品は、舞台(3幕)が、現在でも全て観光名所に成っています。他の作品と違って、地の利が良いと言いますか、見慣れた景色が、イメージを湧かせてくれ、なんとなく近寄り易さが感じられます。

第1幕は、サンタンドレア・デッラ・バッレ教会、第2幕は、ファルネーゼ宮、そして第3幕は、サンタンジェロ城屋上が其々の舞台となっています。

ローマの観光に詳しい方であれば、舞台となったサイト(場所)は、懐かしく、かつ親しみを感じて頂けるものと思います。

”トスカ”は、ご存知のようにプッチーニの作品ですが、初演となったのは
このローマ歌劇場でした。 ※Giacomo Puccini 1858-1924 ルッカ生まれ

当時は、コスタンツィ劇場と呼ばれていましたが。1900年1月14日、ここローマの劇場にて初演が行われたのでした。

今回の「見所」と言いますと、いつもの音楽仲間からの情報によりますと舞台美術≪大道具≫が当時初演(215年前の初演)と同様のもので観られる、というものでした。

タイム・カプセルで時代を遡ったように、初演と同じような舞台を再現してくれて見せてくれるのは、中々素晴らしいアイデアだと感心しました。

数あるアートの中で、オペラは最大の総合芸術である、と言ったような称賛をしたことばを思い出しましたが、確かにオペラは色々な面から、心にやすらぎを与えてくれる生きたアートの代表格であることには間違いなさそうです。

                                   ローマ歌劇場入口に貼られた
             「TOSCA」のポスター
 
            
トスカ第1幕の舞台となった
            サンタンドレア・デッラ・バッレ教会正面
            3月13日(金)撮影

            
トスカ第2幕の舞台となった
ファルネーゼ宮殿の正面/現在は
フランス大使館として使われています。
3月13日(金)午後撮影
 
 
トスカなら 聴かせて欲しい 恋の歌
                   元鷹
 
 


            


2015年3月3日火曜日

第327話 春弥生の散歩路

春三月弥生となりました。さくらの季節を迎えます。ローマも一日一日と
春に近付いてきているなぁ、と言った感じを味わっています。

今日は、VIA NAZIONALE と VIA CAVOURの間をほぼ平行に走る
細い道 VIA BACCINA(バッチーナ通り) のご紹介です。

セルペンチ通りの日本レストランの「支倉」の前をさらにコロッセオ寄りに30~40mも歩きますと角にすしバー「DARUMA」があります。この角を右折したところが、VIA BACCINA(バッチーナ通り)になります。

ローマの街並みの面白いところですが、大通りから少しでも内側へ入りますと、概ね中世紀の時代に戻ると言いますか、入るといった方がよいやら、街並みは200~300年前の雰囲気を味わうことができて愉しい。

このバッチーナ通りは、特段の特徴を持った街並みではなさそうでしたが、ゆっくりと歩いてみれば、興味深い階段・古代遺跡・俳句の本を扱っている本屋・家具修理屋など次々と現われて、眼を楽しませてくれました。

この本屋さんへ入って店主と思しきシニョーラと会話を楽しむうちに、何と驚いたことに、かつての共通の知人が話題に登ったのでした。

それは、もう20年も以前に駐バチカン市国日本国大使でいらっしゃった
荒木忠男さんのことでした。氏は、外交官でありながらも俳人でもあった。

当時、美術関係の仕事で荒木さんには、大変お世話になったことがありました。また、大使官邸にも公用のご招待を受けたこともありました。

今では、只懐かしい想い出でしかないのですが、今日このような偶然に
イタリア人女性(本屋店主)との会話の中から、荒木さんのお名前が挙がったことが、とても新鮮で不思議に思えたのでした。

氏の著書「ローマのほそ道」《サイマル出版会》を私は、日本の親しい友人Yさんから数年前に頂いて読んでおりました。本との出逢いをつくって頂いたYさんにこころから感謝申し上げます。

この店主のシニョーラは、ローマの俳句協会に携わっておられる様子でしたから、荒木忠男さんのことをご存知だったのでしょう。

本棚をじっと眺めれば、普通の本屋さんと違ったものと言えば、俳句関連の小冊子が沢山並べられていたことでした。そういえば、入口のドアの真ん中には、”HAIKU IN ITALIA”と題した興味ありげなチラシが貼られていた。

やはりこの本屋さんの今一つの顔は、イタリアの俳句協会(或は、相似した団体のオーガナイザー)の事務所では、ないだろうかなどと思い巡らしてみた次第です。

「俳句」という共有したキーワードから、このブックショップ”Empiria”と私との邂逅は、20有余年前に一期一会の出逢いをさせて頂いた荒木忠男さんの想い出と彼の著書を私に引き戻させてくれたのです。

初めてヒョンと入ってみた”ローマの細道”は、そのまま偶然奇遇にも、
荒木忠男さんの本の題名であった、という何と不思議な顛末であります。


 
コロッセオは直ぐ近くに見える静かな街並み

            
                                       バッチーナ通りの真ん中辺りで見つけた
               階段のある景色 登りきった処にFontanellaが
               あって、何とも離れ難いと思わせる階段だった。


               
真っ直ぐ進めば古代ローマ時代のエンタシスが
3本ニョキニョキと顔を出してきました。
ここは、フォロ・アウグストの裏側に出ました。
 
 
Baccina 入れば邂逅 生れたり
道草は オアシスの水 飲む如し
                  元鷹