2014年3月27日木曜日

第229話 PORTA PIA を訪ねる

21日はお彼岸の中日でした。日本に居た時と違い、先祖のお墓参りはできませんでしたが、その代わりここローマでは歴史のモニュメントや聖堂、教会を逍遥してはこころの洗濯をしております。

さて、前回ご紹介の”音楽師”が演奏をしていたⅩⅩSETTEMBRE通りのスタート地点は「ポルタ・ピア」と言いまして、イタリアの近代歴史上重要な位置つけを有するところです。
          ※「ポルタ・ピア」のポルタは「門」であり、ピアは「PIAⅣ第255代法王」
            (1846-6-21~1878-2-7)の名前を冠したものです。

いつも素通りだけで横目で観た程度だったものですから、今回は時間をたっぷり取って「ポルタ・ピア」を見てみようと出かけて参りました。

先ず「ポルタ・ピア」のインサイド(内側面/ⅩⅩセッテンブレ通り側)から
門の中央に入りました。その中に入って門の外側は、木製の大きな扉で締められています。要は中庭状態です。

右側は管理事務所に、左側は小粒ですが歴史博物館の設えとなっています。1970年9月20日〔ヴェンティ・セッテンブレ〕にイタリア王国軍が、
ローマに入城(アウレリアヌス城壁を破る)した様子が詳しく伺えてワクワクします。

ただ残念ながら、当時のローマの歴史を知らないものですから、貴重なローマ入城の戦いの内容を理解出来ずに隔靴掻痒の感が残りました。

でもこのミニ歴史資料館は、イタリアの近代史を語る上でとても参考に成る遺品を残していることに間違いはありません。

ところで、ⅩⅩSETTEMBRE通りが名付けられた経緯は良く分ったのですが、名付けられた前の通りの名前は、どんな通り名だったのだろうか、と
気になってなりません。



        ※写真の取り入れが不具合状態のため後日の実行と
          させて戴きます。何卒ご了承のほどお願い致します。



          ピア門は アウレリアヌス 狭き壁
                時代の光 ここに入る         元鷹
           

2014年3月22日土曜日

第228話 ⅩⅩSETTEMBRE通りの音楽師

私がよく散歩をするときのルートのひとつに「ⅩⅩSETTEMBRE通り」(ヴェンティ・セッテンブレ通り)と呼ばれる通りがあります。大統領官邸の在るクイリナーレ広場から、ピア門まで一直線の通りです。

さて、一週間ほど前にもなりますが、この通りを歩いていると車の騒音とは違って耳に心地よいサウンドが聞こえて参りました。何処からか分らないのですが、ブラスバンドの生のサウンドが確かに鳴り響いていました。

成程20-30mもさらに歩くと直ぐに音楽師の姿が眼に入って来ました。
ローマの街では、このような音楽師の活動は珍しいものではありません。

この日の音楽師の楽器は、トランペットとドラムを使ったものでしたが、
これまで見かけた楽器はバイオリン、ギター、アコーディオン、名前不詳な弦楽器など様々でした。

音楽師は、お帽子(ハット)をやや深めに被って演奏する姿は、きまっていました。また、蝶ネクタイもお似合いでした。演奏曲目は、映画音楽のテーマのようでしたが、私には分りませでした。

しかし、行き交う通行人には多少の驚きと意外な街角での快音に、
思わず笑みを浮かべながら傍を通り過ぎて行くように見えました。

先を急ぐ必要の無かった私も、少しの間だけでしたが音楽師のパオフォーマンスに耳を傾けて、「ⅩⅩSETTEMBRE通りの午後の音楽会」を楽しませて頂きました。エッ?拝聴料は!スミマセン、”タダ聴き”でした。



             3月14日の午後、ヴェンティ・セッテンブレ通り
             オシャレな音楽師のミニ演奏会風景


            
  演奏に熱が入る音楽師の傍らを
  忙しそうに歩き過ぎる通行人も。
 

              大きなアンブレラにはトランペットが
              ぶら下がっているのが見えます。
                商売とは言え、本当に音楽が大好き
                なんですね!


             春の午後 風に連れられ 舞う♫   元鷹    
 

2014年3月19日水曜日

第227話 これは何だ?!

日本ではもう春一番が吹いた、とお知らせを頂きました。

そういえばここローマでは、「春一番」の強い風は吹かずにいつの間にか
ポカポカ陽気になっています。青い空、白い教会とのコントラストは素敵です。

街を歩いていると新しく開いたお店を眺めたり、ウインドー・ショッピングを
愉しんだりと、意外性との出合いが大変面白いものです。

今日ご紹介しますのは、「歩く広告塔」と名付けたものの正式な呼名は判りません。ローマ・テルミニに近い共和国広場から、ヴェネチア広場へ続きます大動脈・ナツォナーレ通りでは、毎日「歩く広告塔」を楽しめます。

どうも”ラザーニャ”を食べさせてくれる新しいレストラン「LASAGNAM」の
宣伝らしいのです。この風船状の広告塔は丁度、自動車のタイヤの大きさ位はあるのでしょうか、一風も二風も変わったアイデアのPR方法です。

遠目にも近めにも「オヤッ!何だろう?」と興味と親近感を抱いてしまうから不思議です。このタイヤ?を担ぎながら彼あるいは彼女は、チラシを配っています。

15×21cmほどのチラシには、美味しそうなラザーニャのメニューが満載です。€5(およそ750円)~€6.9(およそ1000円位)までの価格帯です。

しかし待てよ!パスタの本場の街に居ながら、意外とラザーニャを食べていないのはなぜだろうか?などと手元のチラシを読みながら考えてみた。
自分の好みでない?レストラン、トラットリアなどでメニューにない?

何れにせよ、ローマに来て3年近くにもなるのに食した記憶は指で数えられる程度です。Uh-m、この機会に一度、ラザーニャ詣でをしてみようか!


            Via Nazionale,259周辺の信号機にて。
            背中に風船状の広告塔を背負ってチラシを
            配っていました。アルバイトの学生だろうか。
              

              
 
            このお店の所在は、風船の通りですが、
            イタリア銀行の前、エリーゼオ劇場から10m、
            市立展示館から70m、とチラシにかかれてます。
            おおよその場所が分かった方は、ロマニスタです?


        
              街歩き 広告塔も 街歩き    元鷹
 

2014年3月15日土曜日

第226話 3月15日は、シーザーの命日の日です。

温かな日ざしに誘われて、今日は「トッレ・アルジェンティーナ広場」
"Largo di Torre Argentina"へ出掛けて参りました。

市営バス(NO60、64など)の主軸路線であるコルソ・ヴィットリア・エマヌエルに沿ったゾーンに位置する「トッレ・アルジェンティーナ広場」は、
はやりローマ観光のスポットのひとつです。

しかし、意外と知られていないことには、この場所こそ今から2058年前の3月15日、ジュリアス・シーザーことガイウス・ユリウス・カエサル(独裁官)が、キャシアス、ブルータスらによって暗殺されたところだったのです。

正直な話、いつも路線バスでここを通りながらも、この広場の遺跡では
一体何が発掘されたのだろうか?と疑問を持たないままに相当の年数を経てきたことに、我ながら物事への突っ込みの甘さを反省しています。

ところで、この遺跡の説明看板を読む限りでは、ほぼ広場の中央部分で
暗殺事件が起こった事を伝えています。シーザーは、紀元前100年生まれで、暗殺されたのが紀元前44年だったそうですから、亨年56才ということになります。

広場には、エンタシスの残がいが無数に散らかっていますが、所々にクロネコや三毛猫が、日向ぼっこを楽しんでいるかのように悠悠と休んでいる
景色は、中々ユーモラスに感じて思わず頬が緩んでしまいます。

今日は、偶然にも命日の1日前でした。これも何かの因縁なのでしょうか?不思議な感じが致しました。

広場の周囲は観光本片手のツーリストが、記念写真を楽しいんでいましたが、すぐ横の通りには客を待つタクシーが並んでいる今日という現実の姿が、シーザー暗殺事件の地だった遺跡との不釣り合い具合が面白いと
感じられたのです。

 

              トッレ・アルジェンティーナ広場
              中央に見える松の木付近が、シーザー暗殺事件が
                   起った場所らしい。

               
  
            
            4つの神殿の一つ Aと呼ばれている神殿です。
               幹線道路側にあります。紀元前?世紀の神殿跡が
            今日のローマと共存していることが歴史の不思議さを
               味わせてくれるのです。


                

                    遺跡に残る神殿跡を示す説明看板です。



                    いにしえを 想い巡らせ カイサルを  
                                        元鷹  


 

2014年3月8日土曜日

第225話 ローマ日本人学校校歌

3月2日〔日〕には、所用があって久方ぶりにローマ市内、とは言っても少々時間が掛かるのですが、に在るローマ日本人学校を訪れました。

学校の鉄扉を開けて貰って、玄関の硝子扉を開けるとそこは広々としたホールになっている。先ず眼に入ったのが、校歌の扁額でした。

堂々とした書体で書かれた校歌の詩に暫し眼を離すことは出来ませんでした。詩も良いが、書体も素晴らしかったからであります。

眺めているうちに脳裏には、部分的にですが校歌のメロディーがかすめて
きて、遠い昔のローマでの生活や楽しかった学校での行事などが想い出されて懐かしかった。

そういえば、もう16年前になりますが当時の日本国大使館の領事をされていらっしゃったMさんから、こんな短歌を帰国の際に進呈して戴いていた。
               
                 いにしえの歴史の薫る石畳
                 君と語りし ローマの街角

不思議なことにローマ日本人学校の校歌の詩にも、「歴史が香る」、
「石畳」、「語り合ったよ」といったことばが入っているのです。

校歌の作詞は、長井由紀さん、曲は岡本久人さん、編曲は門田幸子さん
と学校のHP校歌のページに紹介されています。 ※ ぜひ、HPをご覧ください。 

長い時間、ローマに暮らしていると世界遺跡の数々にも感動が薄れがちですが、それでも春夏秋冬其々の季節にぶらっと市内の石畳を歩きますと、歴史を感じないわけには参らないのが、ここローマであります。

校歌を創った人も領事だったMさんも、さぞかし時を惜しんでローマのあちこちを散策したのだろうか、と思い巡らした次第です。

ローマ日本人学校玄関ホールに掲げられた校歌の扁額
            素晴らしい筆跡に固唾を飲んで見上げておりました。
                詩と曲は、ローマ日本人学校HP(校歌)でご覧下さい。


                夢・希望 育む校舎 詩に乗せ   元鷹    

2014年3月1日土曜日

第224話 世界のソプラノ Anna Netrebko ローマ歌劇場に

昨日2月27日〔木〕のローマ歌劇場は、興奮の渦で湧きあがった!
それもそのはず、世界のソプラノ、アンナ・ネトレブコが遂に「Manon Lescaut」ステージの初日に登ったのですから。

実は、開催が危ぶまれる問題が1週間前の新聞にスクープされたのでした。ローマ市長が、歌劇場への経営改善へ乗り出して構造改革をする矢先に劇場所属オーケストラ・メンバーの一部が猛反対の対決姿勢を見せたからだそうです。

このニュースにはオペラ・ファンのみならず藝術監督を任された指揮者の
R/ムーティや出演者並びに舞台関係者全員が、肝を冷やした問題でした。

しかし、どのような解決策が為されたかは不明ですが、27日午前8時30分ころ、歌劇場チケット販売責任者名でメールレターが届きました。

  年間会員各位
拝啓 今夕に予定されておりました舞台上演の「Manon Lescaut」は、実施される
運びとなりましたこと嬉しくご案内申し上げます。
 尚、ご迷惑をお掛けしましたことお詫び申し上げます。
                                   敬具
ローマ歌劇場 チケット販売責任者
   ダニエラ パスクアリ

舞台は、期待通りのアンナ・ネトレブコの大熱唱が歌劇場の隅々まで響き渡り、観客席からは感動感激の大喝采が湧き起りました。

このあとのローマ歌劇場での「Manon Lescaut」上演は、3月2日、4日、6日、8日の4回となりますが、4日と8日のマノン役は、アンナ・ネトレブコに代わって、セレーナ・ファルノッキアが演じます。