2015年9月30日水曜日

第403話 ヘンリー・ムーア展

ヘンリー・ムーア展が、9月24日から来年の1月まで、テルミニ駅に近いローマ国立博物館にて開催されていることを博物館前通りに掛かった懸垂幕で知りました。
※Henry Spencer Moore(1898~1986)
  イギリス人彫刻家

主催者側の意気込みと言いますか、プロパガンダ(宣伝)に大変な力瘤を入れていることが読み取れたこともあって、興味をそそられてしまいました。

記憶に間違いが無ければ、1974年(昭和49年)には三越日本橋本店の特設会場(本館7Fだったか)にて、同展示会を観たように覚えております。随分と昔のことですから、全くの勘違いかも知れません。

さて、ご承知のようにここの博物館は、4世紀前半(306年)にときの皇帝ディオクレツァーノのよって造られたテルメ/浴場の跡に在る訳ですが、その遺跡あとを上手に残し、否残ったところを上手に活用しております。

一部は、共和国広場側にサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会として使われておりますし、残りの大部分がローマ国立博物館となっています。
1911年イタリア統合50周年記念事業として、博物館ができたそうです。

因みに博物館には、自動操作によるプロジェクトリーダーを使ったレクチャールームが用意されていて、4世紀のテルメ・ディ・ディオクレティアーノの構築イメージを詳しく分り易く解説しております。

ヘンリー・ムーア展は、いつもの特別会場(離れの会場)にて、観ることが出来ました。展示会場には、数多くのブロンズ像が立ち並び、そしてリトグラフが壁面に飾られていました。

昨年、ここの展示会場ではロダン展≪大理石彫刻≫を観賞しておりましたが、テルメ(浴場)跡の天井が高く古代の空気が漂う会場でのヘンリー・ムーア展は、やはり味わい深い展示会場であると言えます。

会期は、来年2016年1月まで。この間にローマへお越しの方は、一歩足を伸ばされてみては如何でしょうか?

                               ヘンリー・ムーア展 ブロンズ像
              9月30日(水)午前11時ころ

                 会場入口に置かれたブロンズ像


               ローマ国立博物館入口近いフェンス
               大きなバーナーが飾られています

           
             
                
              ムーア展 古代の遺跡 台にして
                               元鷹

2015年9月26日土曜日

第402話 雑記

今回の3泊4日の北イタリア旅行では、其々の街の人々に道を訪ねさせて頂きました。概算ですが、一日20人の方々に聞いたことに仮定しますとおよそ80人に道を、或は建物を尋ねたことになります。

そのような道聞きお願いの中で、一つ大失敗がモデナで
起ったのでした。恥ずかしながらも御披露させて頂きまして、
皆さまの今後の何かの糧?にして頂ければと願います。

モデナ駅を反対側に出てしまいました。行き先のフェラリー美術館への行き先を伺った後の会話です。シニョーラは、男の子(生後間もない)を
ベビーカーに乗せていました。
さて、以下の会話でした。

genyou: E' molto carino !  e' suo nipote?

Signora: No! e' mio figlio!!!


元鷹:お孫さん、とても可愛いですね!

シニョーラ: いえっ、私の息子ですのよ!!!

この後、直ぐにお詫びしたのですが、一体どのように
申し上げたのか、全く想い出せないのであります。


雑記ですから、旅行中に作った吾伊句(わいく
太利でを作る)を補足させて戴きます。

   
    パルマでは 美味くて安い トラットリア

    フェラーリに 努力と熱 ことばあり

    ボローニャは 店主の顔に 味が出て 

                         元鷹

パルマ ロマネスクゴシック様式
               洗礼堂 八角形6層 12C建築始まる
                     9月17日(木)朝7時ころ撮影

第401話 北イタリアの旅愁

北イタリア紀行をほぼ1週間かけて、ブログに書きあげてみました。
初めて訪れた街々には、やはり感動することが沢山ありました。
その一端だけですが、お伝え出来たとしたら嬉しい限りです。

見学先も数え切れないほどありましたが、所詮3泊4日の旅でしたから、つまみ食い式に駈け足での訪問となりました。

それでもイタリアの街は、其々歴史と伝統を持っています。その街に住む人達も、私は通り掛かりでしかないわけですが、自分の街を愛し、自分の人生をしっかり生きているなぁ、という印象を受けました。

それが何であるかをはっきりお伝え出来ないのですが、その姿・その表情を見つめるだけで元気をいっぱい頂いたように思います。

ローマは、今回訪問した北の街々と、どう違っているのだろうか?
先ず、やはりイタリアの歴史(古代ローマから)の基礎を知って置く必要がありました。

日本と違って、イタリアは1861年の統合までは全く違った国々が、イタリア半島の中で違った政治・文化・産業を持ち、違った暮らし・様式をしていたお国がらです。

ことばも北と南とでは、或は中部イタリアでもラテン語から派生しながらも其々のお国言葉を有して居たのでしょう。〔きちんと学習した訳ではございませんので、ご配慮願います〕

公国、王国、自治国と言った国々が、教皇派と皇帝派に分れて、戦いあった中世紀もあれば、近代ではオーストリア、フランス、スペイン、ノルマン、等との戦いもあったりして、中々イタリアの古代からの歴史を時系列に学び、知ることは容易ではありません。

しかし、皆さんがローマにお越しになって、歴史的建造物、遺跡、美術品などを見学されますと、大いに知識欲を活性化されはずだと思います。

16世紀中葉に鹿児島へ法王庁から派遣されてきた宣教師F/ザビエルの腕を、現在ローマのジィズ教会の祭壇で観ることが出来るのですが、真に歴史の不思議さであります。

教科書でしか知らなかった宣教師F/ザビエルの腕が、何故ローマの教会に祀られているのだろうか?!歴史への感心・興味は尽きません。

北イタリアの街々も、体験して感動したことがただございました。
点と点が、旅をしたことに依って細い線・糸になった、或はなりそうだ、という発見や想像は、本当に嬉しいものですし、楽しい限りです。

どうやら、私にとりましてはここで申しましたように旅の効用が、歴史上の点と線との結合、そして人との邂逅、に在ると思う次第であります。

2015年9月25日金曜日

第400話 北イタリア紀行 ボローニャ後編

                               ローマ滞在通算10年達成記念
           北イタリア紀行

恐縮ですが、最後に立ち寄ったボローニャの紀行だけが前編・後編の2編となってしまいました。前編は観光、後編はレストランの記事となりました。

◎BOLONGA/ボローニャ  9月17日(木)午後2時~

さて、いよいよプランツォ/昼食の時間だ!事前の調査は一切しておりませんでしたから、当てずっぽうの”勘頼り”であります。

ここがいいかなぁ、あそこがいいかなぁ、とヨチヨチ歩いている内にぶつかった通りが、VIA DE'CARBONESI という名前でした。
ここにオシャレぽいレストランがあったのです。

その名も「CESARI」と偉い(皇帝の称号)名前でした!時間は、午後2時30分を回っていましたので、中に入れば二組みの客人達だけでした。

店内には小奇麗なエレガントな空気が流れているのに気づくまで時間は掛かりませんでした。お店は、50席ほどの程良い大きさでサービスも味も期待できるだろうと直感しました。

注文品

飲物 ビール  MENABREA 小瓶 × 1
   グラスワイン         × 2
    アックア  小瓶       × 1    
第一の皿    タリアテッレ・アッレ・ボルネーゼ
第二の皿    フンギ・ポルチーニのグリル
   カッフェ           × 1  

私の席を担当してくれたのは、リカルッドさん。
とてもキメ細やかに、そして親切な仕事ぶりに感動しました。

特に第一のお皿、ボロネーゼ風タリアテッレは本場ボローニャの味で満足度の高いものでした。旬のフンギ・ポルチーニのグリルも新鮮な香りが漂って美味しかった。

お腹を満たしたところで、ボローニャ観光も終盤となりました。
再びマッジョーレ広場をゆっくりと通過して、ポルティコを歩いてボローニャ中央駅へ向かいました。

◇レストラン情報
 CESARI
  Via de' Cabonesi,8  Bolonga
Tel.051-237710
www.da-cesari.it
※日曜日休み
                                     本場ボローニャ 第一の皿
           タリアテッレ・アッレ・ボロネーゼ

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ハンバーグではございません!
イタリアの秋の香りフンギ・ポルチーニのグリル
 
 
レストランCESARI 店内風景
          もうお客様は私だけ!夕食の準備に
          入って居りました。


          ボローニャの タリアテッレの 味逸品
                        元鷹
 
   
 

第399話 北イタリア紀行 ボローニャ 前編

       ローマ滞在通算10年達成記念
           北イタリア紀行

北イタリア紀行最終章は、中世の古都BOLONGA/ボローニャであります。
急ぎ足でモデナから電車で乗り継ぎました。ボローニャでの目指す観光は、市立考古学博物館です。それとノンビリと蚤の市の見物、食の
ボローニャでのプランツオを楽しみに出掛けました。

◎BOLONGA/ボローニャ 9月17日(木)午後の半日

  ここボローニャは、今回の記念ツアー最後の街となりました。
  昼食をどこか美味いところで楽しみたいと事前から希望していました。
  
  さて、丁度毎週木曜日には骨董市がたつとガイドに紹介されていた
   ので見学に参りました。テント張りの簡単な設えの市でしたが、これ
   と言った気を引く骨董は、残念ながら見つかりませんでした。

   それでは先へとマッジョーレ広場を目標に再び歩き始めました。荷物を
   一時預かり所(駅にある)へお願いしてきたので、人混みの中でもゆっ  くりと景色を楽しみながらボローニャの繁華街を歩く事が出来ました。

ボローニャの大通りには、ポルティコとよばれるアーケイドが張り巡らせており、雨・雪などの日には効果を発揮しそうです。最も夏には日除け役にもなりますね。そう言えば、フェラーラでも見かけたことを想い出しました。

随分、そのポルティコ(アーケイド)を歩いた気がしました。やっとマッジョーレ広場に到着。観光客を随分と惹き付けるボローニャの見所が集まっているゾーンなのです。

私は、2~3枚の写真を撮りながらも次の見学先である”市立考古学博物館”を
さがしました。やっと辿りつくと、大きなドアは閉まったままでした。

ところが修復工事の為、閉鎖中であると案内している説明書きが眼に入りました。”ウ~ムッ、残念だ!”数ある見学先の中で、この博物館を見てみたいと

希望したのは、数あるコレクションの中で特にエトルリアの壷類が見事に展示されている、とガイド本に強調されて記載されていたからでした。

正月から、今年のテーマに”エトルリア文明”の勉強を上げておりましたから、このチャンスにボローニャでも見学したい、と考えていた矢先でした。

もうこうなれば、ボローニャの美味い昼食を愉しむだけだ!と開き直って?
レストランまたはトラットリアを探すことにしました。

ポルティコと呼ばれるアーケイド
               建物と一体となったカタチがユニーク

ボローニャ名物 斜塔2本
           12~13Cには、200本もあったとか!?
                  かのダンテもびっくり?!

マッジョーレ広場 
            海神ネプチューンの噴水


               ボローニャ 古都の栄華 此処彼処
                                  元鷹

第398話 北イタリア紀行 モデナ

         ローマ滞在通算10年達成記念
           北イタリア紀行

パルマは、朝型観光方式を採用しました。と言いますのは、昨夜付いたばかりで、17日(木)が最終日でしたから、時間が朝散歩から始まって、朝食の時間までの余裕しか有りませんでしたから。

それでも、ドゥカ-レ宮殿、礼拝堂など近隣の散歩を愉しむことが出来たのは、収穫でした。早起きは、3文いや3ユ-ロの得でありました。
爽やかな朝の時間の散歩後のバールでの一杯のエスプレッソの味と店主との挨拶など、旅先ならではの出逢いの面白さでした。

9月17日(木)MODENA/モデナ

  
  さあ、MODENA/モデナへ。モデナには、パルマから電車で30~40分位の距離だったと思います。ここでは、スーパーカーの元祖フェラーリの生みの親・ENZO FERRARIの生家跡に造られたミュージアムを尋ねます。

パルマから目的地のモデナに到着したのは、およそ午前9時だったでしょうか。MUSEO ENZO FERRARIまで徒歩で行ける距離でしたので、出口へと急ぎました。

どうやら反対側に出てしまった様子で、人通りもなくタクシーも停車して居ませんでした。ベビーカーを押すシニョーラに道を尋ねますと、やっぱり反対側の出口だったことがハッキリしました。

地下構道を潜りなおして、正面口に。早速、殆どの駅近くに有る行き先案内ボードを見つけたり、また通り掛かりの地元の人にも道を尋ねました。
そうこうしながら、なんとか無事、美術館に辿りつきました。開館より少々早く到着出来ました。

先ずは入場料の13ユーロを払いました。創業者エンツオ・フェラリー生家の地に造った美術館は、私のようなスーパーカーに無頓着な人にも分り易く創立の歴史、歴代の開発車の展示、エンジンの進化、等々興味深く展示説明がなされていました。

すぐお隣には、イタリア・モダンな建築が建っていますが、こちらには小ぶりながらもカフェ・テラス、フェラリー・グッズショップ、そしてメインの展示会場があって、20台程のフェラリー車が所狭しと並べられています。

ぐるっと会場を一巡した後、出入り口に近いカフェ・テラスで、エスプレッソを味わった。隣の席には、英語で会話している女性3人連れが居て、カップチーノ片手に、何やら賑やかに美術館の感想を交換している様子だった。

最初に入った生家跡の美術館でのエンツオ・フェラリーをモデルにした動画の中で、彼の残したことばとして「coraggio e passione」(勇気と情熱)がありましたが、心に残る大切なことばを頂けたと感謝しています。


エンツオ・フェラリー生家跡の美術館

超モダンなフェラリー美術館
            お隣(写真は上)の生家跡美術館と
            対をなすコントラストに感動します。


 
        生家跡美術館展示車/時代別に紹介
        見ているだけでワクワク感がこみ上げてきます  

フェラリー美術館の展示車の一台です
            およそ20台が美・技・デザインを競い
            合っているかのようです


         モデナでは フェラリーの夢 大輪に
                       元鷹                                     

第397話 北イタリア紀行 パルマ

        ローマ滞在通算10年達成記念
           北イタリア紀行

ローマを出発する時には、北にある街は、この時期既に冷え込んでいるだろうと想像していたのですが、実際には、汗をかくほどの残暑でした。

額と後頭部の汗を拭きとる為に、厚手生地のタオルハンカチを肌身離さず持ち歩く旅となったのは、全くの誤算でした。寒さよけにセーターを持っていったのですから。

◎PARMA/パルマ 9月16日(水)~17日(木)

 ”モザイク美術の街”から”食の街”と呼ばれるパルマには、丁度日暮れ時でしたから午後7時位の到着だった。一目さんに宿泊先を目指しました。
ホテルは、ALBERGO BRENTAという☆☆☆三つの気軽なホテルでした。
パルマ駅からは150mの至近距離でしたので、とても助かりました。

さてここパルマでは多くの時間を持てませんから、早々にシャワーを浴びて夕食を愉しむことにしました。ホテルの若旦那(跡取り息子)のステファノさんに”近くで美味しいパルマハムを食べたい。何処かご紹介願いたい。”と願い出ました。

”はい、分りました。”と二つ返事で教えてくれたのが”トラットリア・コッリエリ”でした。20分位は歩きましたが、結果オーライ!でした。
1800年創業の老舗トラットリアです。200人は入ると思われます席数が有りました。

案の定、お客は次から次からと、地元の老若男女が出入りしていました。
驚きましたのが、カメリエリ(ホールのサービス係のこと)の仕事ぶりでした。

担当責任の席数が多いのでしょうか?注文さばきの為に、無駄口ひとつなく働く姿を目前にして、「パルマ人は、やるものだなあ~!」としばし感心してしまいました。私の席は、キッチンに近いところでしたので、カメリエリが頻繁にテーブル脇を通過します。

ホールとキッチンに仕切られた窓枠付きの白いドアを彼ら彼女らは、足蹴りして開けていたのですが、これも随分慣れた手つき、否足つき(?)でしたから、いやな感じはせずに寧ろその動きの妙技に滑稽さを覚えました。

参考までに私の注文したメニューを書きとめて置きます
  
   ☆anti pasti

          Tarta fritta                     2.50
          Prosciutto di Parma       6.00

   ☆Primi

         Tris di tortelli                 5.00

尚、飲み物は小瓶ビール、炭酸水、そして赤のグラスワイン

肝心の料金ですが、ローマでは在り得ないと言っても良いほどに廉価そのものでした。合計32.00ユ-ロです!!! 

仔細は書ききれませんので、写真にてご覧下さい。
また、お店情報を記して置きますのでご参考に願います。

TRATTORIA/ CORRIERI
Via Conservatorio, 1       43121Parma
tel   0521-234426      fax  0521-285604
e-mail; info@trattoriacorrieri.it
www.trattoriacorrieri.it             

事前の予約がご安心です。嬉しいことに年中無休とパンフレットには記載がありました。



            
            パルマハム 食べて尽くして 旅の宴
                               
            

            パルマ朝 ドゥカーレ庭の 鳥の声

                         元鷹

              前菜 トルタ フリッタ
             柔らかくモチモチ感あり、プロシュット
             を挟んで頂きます。

   
            ボリュームも凄い!パルマのプロシュット

            
 
名物料理/Tris di tortelli
3色風味ー若草・カボチャ・ジャガイモにハム
 
トラットリア玄関口
1800年創業の文字が光ります
奥のほうにキッチンがご覧戴けます

第396話 北イタリア紀行 ラベンナ

          ローマ滞在通算10年達成記念
              北イタリア紀行


この日は、今回の観光では最も忙しく動いた。そうです、動いたという言葉がピッタリの
一日でした。朝のフェラーラ観光を終えて、正午前にはバスにてフェラーラ駅へ向かいました。次に目指すは、いよいよメイン・エヴェントのラベンナです。

RAVENNA/ラベンナ 9月16日(水)午後半日コース

ああ、憧れの街ラベンナについに到着した!疲れも吹っ飛んで、先を急ぐ自分が何だか
子供のように思えて可笑しかった。ラベンナ駅周囲の空気は、これまで歩いた街と空気のにおいが違っていた。

先ずは、荷物を何とかしたいと荷物預かりサービスを探してみれば、スンナリと(珍しいことですが)デポジット(預かり)してくれる施設が駅の直ぐ近くに見つかりました。
ヤレやれです。一人旅では、当然のことながら全て一人で動かねばならず、その為にも荷物は最小限に限ります。

手軽になったところで、地図を何度も確認してから目的地へ、いざ出発!!!
ラベンナでの観光の目的は、2か所と事前に決めて到着しました。

1.ガッラ・プラチーディアの廟(サン・ヴィターレ教会と同じ敷地内にある)
  お聞き慣れないカタカナ文字ですが、西ローマ帝国最後の女性皇帝の名前です。
  数奇な運命に翻弄されながら生き抜いたというガッラ・プラチーディアの眠る霊廟を
  訪れてみたい、と以前から願っていました。しかし、石棺は霊廟の中央にあるものの
  棺の中は、空っぽとのこと。一説では、小さな穴から中を見ようと蝋燭を使い、誤っ
  て、焼いてしまったというものです。そして、今回訪ねてみたところ入口の係員に依   ればローマの或るカタコンベに移されている、と自信ありげに説明してくれました。
調べれば、もっと色々な説が有るのかも知れません。

 
2.ダンテの廟
  イタリアの大詩人・大文豪ダンテが、「神曲」を書いたところがラベンナだと云われて
  います。そして、お墓もラベンナに在ることを以前から聞いていましたので、訪ねて
  みました。霊廟(お墓)は、小じんまりとしたつくりでしたが、誰でも入り易いし、
  見易い場所にあります。現在のイタリア語の基礎を創ったとも言われますダンテは、
  イタリア語を学ぶ人なら、ほっとけない大詩人ではあります。


サン・ヴィターレ教会天井のモザイク
            ラベンナは、モザイク美術の宝庫です。

ガッラ・プラチーディアの廟
            ラベンナでは、ここに焦点を当てていました。


            手を合わす ダンテ眠るや ラベンナで
                                  元鷹



第395話 北イタリア紀行フェラーラ

             ローマ滞在通算10年達成記念
                      北イタリア紀行

クレモナでは宿が見つからず、しからば急げとばかりタクシーを拾いクレモナ駅へ向かいました。次の行き先は、フェラーラです。

イタリア国鉄(TRENITALIA)は、日本のように時刻表を販売して居ないのか何処の駅のキオスクや本屋でも見たことがありません。

ですから、本線、支線が、解からずに困ります。どの線で行けばいいのだろうかと手持ちのイタリア地図を見ながら、見当だけつけて電車に乗る訳です。イタリアでは、3人の人に道を聞け、と云われますが、これがまた中々大変なことであります。

因みにイタリア語では時刻表は、ORARIO/オラリオと言います。


◎FERRARA/フェラーラ 9月15日(火)~16日(水)

 短時間で街並みを愉しむには、あれやこれやと見物先を行くことは難しいと思い、一番のりで最も見学してみたかったエステンセ城を尋ねてみました。午前9時には、チケット売場についたのですが、入場は9時30分からですと断られてしまった。

それではと、お城の周りをひと巡りしながら、フェラーラの空気を腹の底へ押し込んでみた。このお城は、とても重厚でカタチも気に入った。イタリアのお城も如何なる建造物も、いつも驚くのですが、機能的でありデザインが優れていることです。

どうしてだろうか? ローマのパンテノンは、巨匠ミケランジェロが人間技では無い、と溜息をついたとかという言い伝えが在るそうです。

してみると古代ローマ時代から、いやそれ以前からこの国の建築物創造者(建築家、土木家、測量士、デザイナーほか建物を作る仕事に就いていた人たち)の巧みさを今日に至るまで繋いできているということだろうか?
  

話が逸れてしまいましたまあ、そんなこんなことを思いながら開場までの30分をエステンセ城の周囲360度を巡りました

このお城の中に大変立派な絵画館が併設されていました。
作家は、GIOVANNI BOLDINI、FILIPPO DE PISISの2人です。フェラーラ出身の画家なのでしょうか?十分なスペースを取ってあり、入場者にはゆっくりと観賞できる環境が有難かった。

地上階の中庭に接したコーヒーハウスに経ち寄ってみたところ、気になるPRが眼に入りました。この地、FERRARAで撮影した映画のパネルだったのです。成程、景勝の地、歴史の街は映画監督にとっても、自然、街並み、建造物など魅力いっぱいの材料が満ちている
のかと想像してしまいました。

フェラーラを舞台に撮った映画は、1950年~2009年の59年間に80本を数えます。〔頂いた小冊子に依る〕


  
フェラーラ・エステンセ城の一角
            城は、お堀に囲まれています。

           
エステンセ城近くにある建造物
確か商工会議所?と思われます。
 
 
フェラーラに 来て良かったと エステンセ
                 元鷹 

第394話 北イタリア紀行 クレモナ

        ローマ滞在通算10年達成記念
             北イタリア紀行

◎クレモナ/CREMONA 9月15日(水)

  さて、風の街、丘の街トリエステを後にして向かう処は?
  風の吹くまま、実はパドヴァという街へ行くところでしたが、何を間違えたのか、クレモナ《ヴァイオリンの街》につきました。

静かで時間がゆっくりと流れているような街でした。
クレモナ駅を出て真っ直ぐに歩くと目的地である「ヴァイオリン美術館」へ辿りつきました。入場料は、10€でした。荷物は、見学時間の間、rオッカーを使用できましたから、大変助かりました。

地方に在る美術館のメリットですが、入場者が平日は真に少ないのが、見学者としては助かります。世界の遺産とも言える名品の数々をじっくりと眺める幸福感は、何に例えればいいのだろうか?

Amati,Stradivari,Guanneri,Rugeri と言ったマエストロらが創った作品が、目前に並べられていました。俗人が考えることは価格です。

もし、市場に出れば、出る訳は無いのですが、勝手な価格ですが、
何十億円!!!もの超逸品ばかりが、かぞえ切れないほど展示されていたのですから、ビックリ・ドッキリであります。

音楽ファン、ヴァイオリン・ファンと云わずとも、ここで過ごす時間は、不思議とこころに落ち着きを戻し、気持ちを豊かにしてくれるでしょう。

余りに美術館の空気が、ここまで来たことに幸せな感情を与えてくれ
たので、この街で一泊して、明日今一度再館したいと想ったほどでしたが、突飛なことで、ホテルも無く、次回に譲ることに決めて、フェラーラへ向かうことにしました。

フェラーラへは、ローカル線で向かったのですが、大作曲家G.VERDI/
ヴェルディの生誕の地/Busseto駅を通過したのには、感激しました。
車窓からでしたが、自然がそのまま残っている静かな景色でした。

クレモナ駅の表情
            人気の少ない静かな駅周辺でした。

            Museo del Violino ヴァイオリン美術館
            入口正面から撮影しました。
            入館者は少なくゆっくりと楽しめました。


             
ヴェルディを産んだ偉大な大地を
とくとご覧下さいませ!
ブセット駅をボローニャ方面へ
 
クレモアは ヴァイオリンの音 旅癒す  
                    元鷹
 
 

2015年9月18日金曜日

第393話 北イタリア紀行 トリエステ 

      ローマ滞在通算10年達成記念 
         北イタリア紀行

私ごとですが、ローマでの滞在が早4年(2011年7月10日~今日)を超えました。そして、かつて家族と一緒に駐在したローマ生活の期間を加えますと、都合10年を経過した、ことになります。

これまでローマの話題を中心にブログを作成してきた訳ですが、
「元鷹ローマを出る!」とばかり、念願の”北イタリア紀行”(3泊4日)を断行して参りました。

素晴らしい街での感動、人との出逢いなどをお伝えしたいと思います。
今日のその第一弾は、北イタリアはトリエステでのお話しです。

◎トリエステ/TRIESTE 9月14日(月)~9月15日(火)

イタリア最北東の街。詩人ウンベルト・サバが、生まれた故郷であったこと、20余年前に当時ローマでレストランを経営されていたミミさん≪ニック・ネーム≫(日本人女性)から、街の様子を聞いていたことが長年忘れられずに居たことが、ベースにありました。

しかし、直接的なきっかけはブログに紹介しました作家須賀敦子さんの
小説からの影響があったことは間違いありません。折角、イタリアにいるのだから、とやっとこの機に腰を上げた次第です。

4日前の14日(月)朝07時15分発の特急”イタロ”に乗り込みました。
目指すは、坂の道の街、海の街”TORIESTE/トリエステ”です。

特急イタロは、ベネチア・メストレまで乗車。ここで、ローカル線に乗換えて目的地へ向かいました。駅構内は、正直言って、寂れている雰囲気を感じました。駅の外に出てみますと、早速、「海風の歓迎」を受けました。

先ずは、電車内で検討していたように、「イタリア統合広場」へと向かいました。ここまでの距離は、1kmぐらいだったでしょうか。リュックを肩に背負い、小型のカーゴを引っ張っての街歩きでした。

やがて、ホテル(☆☆)に入って、荷物を部屋に置いて夕食まで自由気ままに観光名所を巡りました。何せ、急な旅支度でもあり、行き先も風の吹くまま、気の向くままよ、と言った映画のトラさんのような小旅行ですから。

トリエステの丘にあるサンジュスト聖堂までの坂道は、結構な勾配が付いていて、汗が噴き出る始末でした。これでは、丘までぎっしり詰め寄せたようなアパート群の住人らは、日々大変な生活だろうなあ?と勝手な心配をしてしまいました。

途中、”VIA DELLA BORA” という名前のついた細い道を発見しました。トリエステでは冬の期間だけ、それはそれは強風が毎日吹き荒れるそうです。その風の名を「LA BORA」(ラ・ボーラ)と呼ばれるのだそうです。
壁標にVia della Bora と表示されいます。

想像以上に大風で大人でも、吹き飛ばされるほどの強風なのだとか。
須賀さんの書かれた本にも詳しく紹介されていたことを、ふと思い出してしまいました。

トリエステは、丘と海とに挟まれた街です。
恐らく、夏のシーズンには、世界から数多くの観光客を豪華客船が運んでくるのだろうか、と想像させてくれるハーバーでした。

それから街並みが、とてもキレイであることに驚いた。
ローマに居るとローマの喧騒が、当然の様な気がしてしまいますが、
自然が前後に豊かな街トリエステでは、建物がオシャレで、街を歩く人達がとてもエレガントに見てとれました。

まるでイタリアではない、ような街、静かにしかし堂々とした気運を感じさせる街であるような印象を受けました。

両脇には、カッフェバールが開き
           ヴァイオリンのソロが旅情を掻き立てます
           イタリア統合広場/P.zza dell'Unita d'Italia  
           
           

            サンジュスト聖堂となりに在る広場から
            丘に向けてシャッターをパチリ!

            
トリエステのサンセット/ベネティア湾
            11月3日海岸通り辺りから夕焼けを
            ながめました。


             トリエステ 坂道登り 風が吹く

             トリエステ ベネツィア湾に 丘の上


                                元鷹 

        
                 

第392話 タッソーの樫の木

”タッソー”とは?皆さんには,若しかしたら全く耳慣れない人名では無いでしょうか?ご存知の方は、イタリアの歴史・文学に通じていらっしゃいますね。

Torquqto Tasso/トルクアート・タッソー(1544-95)とは、16世紀に活躍したイタリアの詩人です。南イタリアのソレントに生まれ、ローマで亡くなった人物です。

タッソーの父も名の知れた詩人ということでしたから、中世紀に於ける詩人の活躍・名声は、現代と違ったカタチで存在していたのですネ。

私もローマに来るまで、耳にしたことが無かったのですが、観光本や本屋さんなどで、その名を目にしたことが幾度かあった程度でした。

アニタ・ガリバルディ騎馬像を後にして、ゆっくりと5分も歩くか歩かない内に”タッソーの樫の木”(俗称ですが)にぶつかりました。

”樫の木”のイメージからは、真っ直ぐ天に聳え、枝葉をたっぷりとつけた大木を思い浮かべられるかもしれません。しかし、500年後の今は雷で裂けたかのように残骸だけが、地面から4mほどの高さを何とか姿を保っている状態です。

タッソーが、かつて詩想を思い巡らした場所には人気もなく、この残骸の様な老木とこの樫の木の謂れを語るパネルだけが、ひっそりと通りがかりの人々に何かを伝えているでした。

※タッソー代表作品
  ”Gerusalemme liberata”  
   (注)20編構成で大分なモノ・購入したものの何時になったら
      読めるのか、否ページを開くものかは?です。


落雷に遭っても尚且つ”生きている”
            タッソーの樫の木は、ひっそりと時代の
            流れをみつめているかのようです。


            

            タッソーが眠っているサントノフーリオ教会
            Piazza di Sant'Onofrioに在ります。
            タッソー記念堂もありますが、下調べが要ります。



            読み切れず 詩人の数は あまたなり
                               元鷹

2015年9月11日金曜日

第391話 アニタ・ガリバルディ騎馬像

前話にて記しましたガリバルディ広場(ジャニコロの丘)から少し下がった当りにアニタ・ガリバルディの騎馬像が建っています。

この騎馬像は、赤ん坊を抱えて馬を駆るアニタの勇壮な姿、その馬の天を走るかのようなタテガミやムーブメントを表わして見るものを感動へ誘います。

アニタ・ガリバルディは、ジュゼッペ・ガリバルディの妻でした。
騎馬像では、確か左腕で赤子を抱え、そして手綱を引いて、右腕は高く上に挙げて、ピストルを天へ向けていたかと思います。

それにしても時代を超えてリアルな構図であり、今でも目前を走り抜けてきたような勢いを感じさせてくれます。

このブロンズは、マリオ・ルテッリ(1859~1941)の作になるものであることが、説明書きスタンドにて読み取れました。

パレルモ出身の彫刻家マリオ・ルテッリの作品のひとつを5月28日のブログに写真を掲載しておりました。(1909年作)

また、大傑作の共和国広場の「ナイアディの噴水」(グラウコスの海神、ニンフ)は、彼が創ったものです。(1901年、1910年)

オマケに申しますと、シチリア島パレルモのイギリス公園には、真に素晴らしい「ガリバルディ騎馬像」(ヴィンチェンツオ・ラグーザ作)が建っていますが、その台座近くに勇ましい姿をしたライオン像(ブロンズ)もマリオ・ルテッリが創った作品であります。

さて、お話しは「アニタ・ガリバルディ騎馬像」を作ったマリオ・ルテッリの作品のことばかりになってしまいました。アニタと言う人物は、若くしてガリバルディと出会って彼の妻になった人物ですが、大変な女傑振りを発揮した女性でした。

今日は、調べる時間も無くなりましたので、暫くお時間を頂きましてから、再登場させたいと思います。ご容赦願います。

迫真のアニタ・ガリバルディの騎馬像
            赤子を抱えながらピストルも

            
            
 
 
 
 
 
まるで空を飛び回るかのような勢い
ここでマリオ・ルテッリの作品に出会えた
ことは幸運でした!
 
 
Mルテッリ その名留める ブロンズに
 
                 元鷹

2015年9月9日水曜日

第390話 正午の空砲

8月には行けなかった”ジャニコロの丘”へとうとう辿りつくことができました。今日は、憧れだったこの丘でのセレモニー”正午の空砲”を観賞してきましたので、お伝えしたいと思います。

丘には、8月の二の舞にならぬ様に時間に余裕を持って向かいました。
”正午の空砲”は、正に正午12時丁度に行われる儀式ですから、今日は兎に角、早めに現地に着きたいと動いたところ、11時35分には丘に到着出来ました。

丘(ガリバルディ広場)の中央には、見上げるようにイタリアの英雄の人物であるジュゼッペ・ガリバルディの騎馬像(ブロンズ)が、そそり建っています。

私は、何故か騎馬像に縁が深くあるようで、ついついデジカメを使って、何枚もの写真を角度を変えて撮ってしまうのです。

さて、セレモニー(空砲)についてお伝えします。
場所は、先ほどのガリバルディ広場です。広場からの眺望が抜群に良い東側と言って良いのでしょうか、テヴェレ川左岸を望む方向右側に階段が在るのです。

この階段を降りると砲台らしき10畳敷き位のスペースを見ることができます。正午20分前くらいでしょうか、キャノン砲が定位置に置かれます。
広場の下が倉庫になっているのです。

5分前くらいには、軍人らしい人達3名が砲台の後ろに並びました。女性の軍人が、声を発すると一人の男性軍人がキャノン砲に空の砲弾を詰めました。

いよいよです!時計係りの男性が、倉庫から出て来て1分前であることを伝え、10秒前と言いカウントダウンしました。ただ、5,4,3,2,1、と発したのは、女性の軍人でした。

1、と言ったかゼロと言ったか覚えていませんでしたが、時間通りにキャノン砲が、火を噴かずに轟くような爆音とともにに白煙を撒きました!

正にこの瞬間を逃すまいと、私はジットと息をこらえつつシャッターチャンスを待ち、12:00.00.01?にシャッターを切ることが出来ました。

驚きました。ドーン!!!と一発の爆音は、体内のコレステロールを瞬間に吐き出させたのではないか、と思わせるほどの威力を感じる程でした。

ローマ観光の中で、この体験は非常に楽しく良い想い出になることかと思います。ジャニコロの丘の広場からのローマ市内の眺望も素敵です。
感動、驚きの体験をここでお楽しみ下さい!

ジュゼッペ・ガリバルディ騎馬像が
             広場中央に建っています。


            

            貴重な?映像です!9月8日12:00
            00:01?シャッターを切りました。


一番右に白亜の殿堂V/エマヌエレ2世
記念堂が見えています。
絶景を愉しみました。
 
 
キャノン砲 ローマ一番 正確さ
 
                 元鷹

2015年9月3日木曜日

第389話 浪曲師 春野恵子さん

9月になりました。長い夏休みを山に海に遊んだローマの人々も少しずつ町に戻ってきたのでしょうか?道路の混み方も、8月までとは違って少し増してきた様子、ローマの夏は終わったのだなぁ!と実感しています。

さて、今日はローマ(否、イタリアでも?)では初めてのことでしたが、
「浪曲」の演奏会が開催されましたので、まことに珍しいことでしたので出掛けて参りました。(九月二日午後一時)

開催場所は、ローマ日本人学校の講堂でした。ローマ日本人学校の児童生徒さんらおよそ30名、そして先生やご家族の皆さん方も熱心に聞き入っていました。

日本、日本文化を愛好する約20名のイタリア人も駈けつけて、「浪曲」に耳を傾けておりました。(一部通訳、字幕スクリーンあり)

出演は浪曲師春野恵子さん、曲師(三味線)一風亭初月さんによるものでした。私にとりましても初めての「浪曲」観賞でしたので、終始ワクワクドキドキと日本の伝統芸能を楽しみました。

はじまりのご挨拶のなかで、春野恵子さんは分り易いことばで、浪曲の生い立ちや、仕組みやこれまでの活動の内容などをお話しされて、しっかりと視聴者の心を掴んで離しません。

拍手のタイミング、掛け声(待ってました!たっぷり!!大統領!!!)など発声の仕方など、楽しく説明してくれたのが大変面白く、かつ愉快に思えました。

子供たちは、一所懸命に練習するのですが、何のことやら分らずにやっていたお子さんも居たのでは?と内心思いました。

今日の演目は、”神田の松太郎”、”樽屋おせん”の二題でした。
  ”樽屋おせん”は、お子さん達には少々手が届かないストーリだったか?

浪曲師春野恵子さんは、「浪曲は魂の叫び」(確か、そう言っていた)と力説されていましたが、その通りまさに”入魂の舞台”でした。
会場に「気合い」が響き渡りました。”日本一!”

さぞかし、特訓に特訓を重ねたであろう語りの上手さ、音域の広さはソプラノからバスまで、そして男役・女役・子供役などを音質、声色で仕切る技術は、中々大変なものだと感心してしまいました。

日本の伝統芸能のひとつである「浪曲」の素晴らしさを味わってみて、日本の伝統芸能文化に、改めて興味関心を寄せてみたいと感じ入った次第です。

それにしても、浪曲師春野恵子さんの浪曲への熱い想いは、素晴らしいものがありました。何事にもあれだけの”熱情”を傾けたら、想いは人々の胸を打ち、世界の人に共感を呼び起こし、いつまでも人の心に”感動”を残すことでしょう。

  浪曲師春野恵子さん、 ”待ってました、大統領!!!”
 
  と場外から、エールを贈ります。


          
          浪曲は 七五調の 日本の美
          
          
     

          春野には 浪曲興す 風が吹き


          浪曲や 樽屋おせんの 意気地あり



                           元鷹