2014年1月28日火曜日

第216話 ヘッディングのニコラエさん、元気にやっています。

昨年4月13日のブログにご紹介しました”ヘッディングのニコラエさん”の
再登場です。ご記憶にあるかもしれませんが、赤信号になると信号待ちの車の間に出てきて、見事なヘッディングを見せる「面白いオジサン」です。

たまたまテルミニ駅に向かうために、CAVOUR通りの歩道を歩いていましたら、アララ、あのニコラエさんが、お仕事《変わった仕事です。サッカーボールのへッディング技を見せては、チップをおねだりします》中でした。

久し振りにお会いしましたが、とても元気に活躍?されていらっしゃいました。眼と眼が会うなり”チャオ!”と挨拶を交わしました。私のことを覚えて
いてくれたのでした。

今日は路上でのお仕事をするのには、もってこいの上天気でしたから、
張り切ってガンバッテいたのかも知れません。

そういえばここ一週間ばかり、ローマは悪天候でした。
雨の日が続き、肌寒い日もありましたから、エコラエさんのご商売は暫くの間、あがったりだったのでは?

そうか、それで上機嫌でボールを高くヘッディングしていたのか、なんて独り善がりに思いながら駅に向かいました。♫あした、天気になーれ、と。

                                                     ボールを上手にヘッディングする元気な
                   エコラエおじさん!久し振りに再会しました。 

              
              
             寒中に 頭上高し ヘッディング   
                                       元鷹 

2014年1月24日金曜日

第215話 ジャニコロの丘めぐり Ⅰ その2 

さて、アニタ・ガリバルディの騎馬像を後にして次のモニュメントへ急いで移動することにしました。このジャニコロの丘には、多くの見物したい所が在ることに加えて、どうも空模様が怪しい動きをしてきたからでした。

下り坂に向かって、右側の引っ込みにはまるで「丘の灯台」でもあるかのように真っ白い建造物が眼に入って参りました。

それは、昔アルゼンチンに移民したイタリア人から、イタリア統合50周年《1911年》時にローマ市へ贈られた《灯台》でした。※写真ご参照

坂になった散歩道は5分ほどで一般道に連絡するのですが、そのエンディングのスポットでは、全く偶然の発見だったので驚いてしまったのですが、いわゆる”タッソの樫の木”①に出遭ったのでした。※写真ご参照

そうこうとぼんやりと今日見たモニュメントなどのことを思い浮かべつつ、
バス通りを歩いてみれば、枯れた感じのする教会②に出逢いました。

いつかどこかでみたことのある教会だったのではないだろうか、とイメージが湧いてきて困った。リュックに仕舞った観光本を直ぐに開けばいいものを、そうせずに「どこだったか?いつだったか?」などと解決への糸口のないままに、ついぞその場を去ってしまった。

この教会の名前の着いた細くて急な坂道を選んで、丘の下へ下へと向かうことにしました。幸いにも雨には降られずに、いつも見慣れた大通りに
辿りつくことになって、どうにか晴れやかな気持ちにもどることができた。

 注① 16世紀の大知識人・詩人トルクァート・タッソ《1544-1595》
     近くの修道院に住んでいたタッソは、散歩思索の折りに緑に囲まれた
     樫の木に寄りかかっては、丘の下に広がるローマの街並みを見下ろした、という。

 注② サントノフーリオ教会 1419年創設 隣接する修道院にはここの1室で亡くなった
    
    詩人タッソの記念館がある。


                                      マンフレディの灯台は1911年
               アルゼンチン在住のイタリア人たちから
                    ローマ市へ寄贈された。


                   
                 

                    ”タッソの樫の木”は雷でまる焦げになった
               そうです。現在は、倒木防止に鉄骨やコンクリートで
                    支えられています。
                    16Cに生きた詩人タッソが見たら、
                    どんな詩をつくるのだろうか?


                   
 
                    
             SALITA DI S. ONOFRIO 聖オノフーリオの坂道
             私は、この狭い聖オノフーリオの坂道をサントノフーリオ
                  教会を背中にして、滑らないように踵に重心をかけて
                  大通りへ抜けた。

              
              詩人タッソ 何にをか思う  丘の上    
                                            元鷹

                   
     

            
                                         





2014年1月22日水曜日

第214話 ジャニコロの丘めぐり Ⅰ その1

日本の気候に比べたら随分に温かいと言えるローマの1月の天気ですが、昨日そして一昨日は雨が降ったり止んだりで、ハッキリしない空模様でした。そして今日は雨こそないものの厚い雲に覆われた一日となった。

ぜひ見学してみたいところの一つだった”ジャニコロの丘”へ出掛けてみました。市内ほぼ中央を縦断するテヴェレ川右岸に在るジャニコロの丘は、
これまでにも車で素通りを何度かしたものの、ゆっくりと散歩をしたことはありませんでした。

この丘の中腹からは、ローマ市内が眼前にパノラマとなって楽しめること
で市民、或は多くの観光客の憩いのスポットになっているようです。

私は先ずいつものように市営バスを利用して目的地を目指すことにしました。テルミニの500人広場から64番(ローマで一番スリが多く乗るので有名)バスに乗って、サンタ・パウラ教会前にて乗り換えました。

870番バス停は直ぐに見つかった。これで、ジャニコロの丘まで登れると
聞いていたが、内心半信半疑ではありました。※ローマでは、3人の人に訊ねろ、と言われるほどに道案内は、大分いい加減なところが多いのです。

10分も走らないうちにバスの窓からローマの市内を一望に眺めることができそうな格好の場所に着いたので、エイヤーとばかりリュックを片手に持ってバスから降りることにしました。

しかし、ここはまだまだ丘の半分ぐらいの所でしたから、撮影が終わって私は又先ほどのバス停に戻って、次に来るバスを待つことにしました。

やがて、バス(115番)は「ガリバルディ記念碑」の近くまで走って来ました。この記念碑は、今日の見たいものの一つでしたから、ほっとしてバスを降りました。近くに寄れば、記念碑は何と大きな騎馬像なのでしょう!

今まで見た騎馬像の中で最大のものでした。1895年にエミリア・ガッローリによって作られたものだそうですが、余りの大きさなので写真を撮るのが大変でした。

空模様の変化もあったので、ゆっくりと歩きながら他のモニュメントを訪ねることにしました。坂道を下るように歩くと左側に今度は、「アニタ・ガリバルディ記念碑」(騎馬像)が建っていました。

この勇壮な銅像は、G・ガリバルディの妻なんだそうです。
えっ、何ぜだろう?とイタリア統一/リソルジメント時代の歴史の知識に浅い私は、この新発見に嬉しくなりました。この像は1932年マリオ・ルテッリが建てたものです。

マリオ・ルッテリは、確か1901年頃ローマ・テルミニに近い共和国広場《メトロA線》にナイアディの噴水を建てました。イタリア全土から公募された作品の中から選ばれた最優秀作品だった、とのことです。

また昨年9月のパレルモのイギリス公園で出逢ったヴィンチェンツォ・ラグーザのG・ガリバルディの騎馬像《昨年9月にご紹介しました》の前に
設えたライオン像が、やはりルッテリの作品であったことを想い出しました。《次回 その2へ続く》





            ジャニコロの丘から
            左にはV/エマニエル2世記念堂が大きく聳えています。

                
               
           

                巨大なG・ガリバルディ騎馬像
            ジャニコロの丘から、下界のローマを眺めるかのようなポーズです。
                リソルジメントの動と静を感じさせる雰囲気が伝わって参ります。
                1895年建立のこの記念碑は、エミリオ・ガッローリによるものです。



 

            

            アニタ・ガリバルディの勇壮な騎馬像
           G・ガリバルディの妻アニタの雄姿です。
               馬を巧みに操り、右手にピストル、左腕には赤子を
               抱いて、かけはしっています。M・ルッテリ作・1932年
           この像を見て、初めてアニタの存在があったこと知りました
               やはり、”ローマの歴史散歩”は本にも勝る発見のみなもとです!


                   


             一望に ジャニコロの丘 ローマ見ゆ  元鷹 
            

            


                







 

2014年1月2日木曜日

第213話 新年雑感

皆様、新年明けましておめでとうございます。

今年は、干支は「馬」ですから元気に軽快にギャロップ出来ます様に
祈りたいと思います。

大晦日夜から新年にかけてローマ市内および郊外では、恒例の打ち上げ花火で新年を迎えました。鎧戸を開けて寒空を見上げますと四方八方から大小の花火が打ち上げられて止むことを知りませんでした。

さて新年元旦の朝は、お屠蘇を戴き、お雑煮を作ってお正月を祝いました。雑煮のダシは、日本から送って貰った「白だし」と「つゆ出しの素」で仕上げました。どちらも「ニンベン」の商品です。

日本の味「ニンベン」はご存じのように日本橋室町にお店がございます。

三越日本橋本店と同じ伊勢から江戸へ出てきた商人だと聞いています。日本橋界隈には、何故か伊勢近江出身の大店が今でも息づいております。因みに松尾芭蕉も俳諧の出発は、日本橋から始まったとのことです。

お雑煮は、桃屋のザーサイとメンマをつまみに美味しく頂きました。
やっぱりお正月は、お餅がいいですね。

小さな食卓のあるリビングでの新春のBGMには、FRANZ LISZTの
Anne'es de pe'lernage (巡礼の年)Lazar Berman からItalie(2)を選んで
みました。

新年の空気を室内へ入れるために、テラスの鎧戸とガラスドアを開ければ、空が青く清々しい空気が漲っていました。

そうだお正月の記念にと写真を持ち出して、空を見上げますとかつて見たことがないようなカタチの雲がポカポカと浮かんでいました。馬蹄型のようなカタチの雲が新年の空をデザインして、私の眼を驚かせてくれました。


                               元旦の朝 見たこともない変った雲を捉えました。

             
           

 
おみそかの夜 ローマは華火で飾られた。
 
 


          ふと仰ぐ 馬蹄型雲 初空に    元鷹

2014年1月1日水曜日

第212話 謹賀新年 

      ブログ「ROMAの麗雅都だより」ご購読のみなさまへ

            新年のご挨拶を申し上げます。


     謹賀新年

   本年もどうぞ宜しく
   お願い申し上げます。

     
   この一年が素晴らしい年と
   なります様に祈念致しております。


            2014年 元旦

             元鷹 気涯
                       
             樽見 秀爾


              
       ガリバルディ将軍と愛馬マルサーラ
             

            2013年9月21日撮影 於:シチリア島パレルモ市  
          イギリス公園に建つ ヴィンチェンツォ・ラグーザ作  

                

         初春や 天馬でとどけ 我が想い   元鷹