2015年5月31日日曜日

第357話 屋台の西瓜売り

皐月5月今日で終わります。ローマの季節は、日一日と盛夏に向かって、まっしぐらです。夏の始まりの風情を”屋台のスイカ売り屋”に感じております。

ずっと以前にもこのブログでご紹介しておりますが、今一度おつきあい願います。場所は、テルミニ駅近くの共和国広場の一角です。

5月後半から毎年同じ場所で展開されます。正式な呼称を知りませんが、
「屋台のスイカ売り」とでも名付けてみたいと思います。

販売の商品は、スイカの切売り〔一切れ1€〕ほか、メロンの切売り、サクランボまであります。営業時間は、朝10時過ぎから、夜半の23時前後と
おもわれます。

仕事が終わって、帰り道に寄り道して、冷えたひと切れのスイカを食べますと、疲れがスーッと抜けるように感じます。

この屋台が姿を消す頃には、朝夕に秋風が立つころになります。
今の夏は、何度立ち寄るのだろうかとふと頭を掠めました。


           風物詩 スイカ食べ食べ 石畳
                              元鷹 




2015年5月30日土曜日

第356話 フェリーチェ通り 写真集 下編

いよいよ「フェリーチェ通り」シリーズ最後の一編となります。

シストⅤ世は、北イタリア・マルケ州のグロッタマッレに1521年生まれた法王でした。極々貧しい家に生まれた為に、すくなくても名前ぐらいは、
立派に幸せになってほしい、と親の願いが名前に託されたのでした。

名付けられたのが、PERETTI家のFELICE〔幸せ〕と言う意味合いを持つ
「FELICE PERETTI」でした。
名は体を表すの例えを絵に書いたようにシストⅤ世は、みるみる金持ちになってとうとう法王様まで出世したのでした。

私は、シストⅤ世のことについて針の穴ほどしか知らない訳ですが、
ローマの現在の姿の原型を築いた都市計画推進者の顕著な功労者の
ひとりとして、今日のローマを散歩する一人として崇めたいのであります。

そして、このストーリーをご存知になられた皆さま方には、是非ともシストⅤ世の足跡を知る上でも、”フェリーチェ通り”をいつの日か、散歩して頂ければ、と願っております。

バルベニーニ広場中央にはトリトーネの泉が
ローマ市民や世界からの観光客を迎えます
 

            やっとゴールにつきました。
            ハスラーホテル前の広場に到着しました。


            下のショーウィンドーの中にディプレイされた
            絵画から VIA FELICE の文字を拡大
            したものです。    

            
バブイノ通りにあるギャラリーの
            ショーウィンドーに見つけた絵画です


            バロックの ローマ逍遙 夏の風
                               元鷹

2015年5月28日木曜日

第355話 フェリーチェ通り 写真集 中編

さて、フェリーチェ通りの写真集その2中編となります。

ローマの空模様は変り易いのだろうか?5月に入って比較的晴れ間が続いて、アズーッリ〔紺碧の空〕を仰ぎ、強い光線を浴びる日が多かったのですが、昨日27日午後には突然の大雨をもたらした。

ローマの観光は、殆どがアウトサイド〔野外〕の歩行となります。
コロッセオ、ナボナ広場そしてパンテオンもトレヴィの泉も、ETC...

ですから聖地巡礼の旅人、世界からの世界遺産の観光客の人々には恵みの雨であれば良いのですが、雨具はローマ観光七つ道具となります。 

それでは、写真集その2、中編をお楽しみ下さい。


クワットロ・フォンターナ交差点より
クイリナーレ宮殿のオベリスクを観る
ここのオベリスクもシストⅤによるもの
 
同所から九月二十日通りを眺めれば、
            ピア門がハッキリと見ることが可能です

             
マリオ・ルッテリ〔1909年作〕のブロンズ像
             偶然にクワットロ・フォンターネ通りにある
             住宅・事務所に入ったアパート中庭にて発見
             共和国広場のナイアディの泉の彫刻家です

             
映画「ローマの休日」の最初に見られる
            アン王女のローマでの仮住まい
            ここから物語りが始まったのです!   

            バロックの ローマの噴水 飛沫上げ
                                 元鷹 

2015年5月27日水曜日

第354話 フェリーチェ通り 写真集 上

長々と前・中・後編と”フェリーチェ通り”のお話しにおつき合いを頂き、有り難うございました。途中、p/cの具合が余り上手く運ばずに手間取りました。写真集にてごゆっくりと「フェリーチェ通り」をお楽しみ下さい!

                               ここからスタート!エスクィリーノ広場
            丘の三位一体教会まで、1488mです

   
                             可愛い自転車に出あいました。
           持ち主には、自慢の逸品のようでした。
           S/C/A/U/Tというイニシャルがみえました。

           
クワットロ・フォンターネ交差点には、
            4〔クワットロ〕つの泉が各角角に置かれて
            見事です。交通が激しいので要注意です。 

             クワットロ フェリーチェ通り 半ばなり
                                 元鷹   

           
 
 
  

2015年5月23日土曜日

第353話 フェリーチェ通り 後編

さて、前編、中編をご覧頂いて”フェリーチェ通り”のストリーをご理解戴けましたでしょうか?ご関心は,いか程でございましたでしょうか?

ローマにお越しの際には、一度この通りを散歩されることを是非ともお薦めしたいと思います。沢山の歴史が詰まった道ですから。

いつも参考にさせて頂いているのですが、河島英昭著「ローマ散策」〔岩波新書〕によりますと、フェリーチェ通りの全長は1,488mだそうです。
およそ1.5Kmの距離ですから、ゆっくり歩いても30分内外です。

今回、その3倍近くを掛けてゆっくり・じっくりと”フェリーチェ通り”を愉しみました。一番の大きな発見は、彫刻家マリオ・ルッテリ〔共和国広場のナイアディの泉の製作者〕の彫刻に偶然に出会えたことです。

ご紹介しましたクワットロ・フォンターナ通りをゆっくりと歩いておりましたら
偶然気になる彫刻を発見しましたので、建物の中に入り許可を得て、写真を撮らせて貰いました。

かのマリオ・ルッテリの作品に巡りあえることが出来たことは、望外の喜びでした。正に天の恵みと言いますか、”フェリーチェ通り”散策のお陰です。

また、通りすがりでしたが、お洒落な自転車にも驚きました。
流石、デザインのお国柄です。自分も乗ってみたくなるような素敵な自転車についつい酔ってしまいました。御断りをして写真を撮りました。

そして、ユニークな建物にもぶつかりました。また、ハンス・C/アンデルセンが下宿していた建物も顕在です。壁面に石板が付けられています。

成程、彼の作品「即興詩人」はこのフェリーチェ〔現在、システィーナ〕通りから近いバルベリーニ広場のトリトーネの泉の話から始まっていました。

改めてアップ・ダウンの在ることにも驚かされました。でも、それだからこそ前方に或はまた、後方にオベリスクが見えて、地図の代わりとなったのは、昔も現在も同様であります。

シストⅤ世の右腕となって活躍した建築家D/フォンターナのデザイン力の
素晴らしさは、今に尚、街歩きをする私たちに感動を与えてくれることであります。16世紀後半の都市開発を、今日でも垣間見ることができました。

末筆ながら、先ほどにご紹介させて頂きました「ローマの散策」の著者である河島英昭氏〔岩波新書/698〕にこころからの感謝を申し上げたいと
思います。

氏の詳細かつ正確な、そしてその物語性の秀逸さは、他書の追随を遥か遠くにしているかのように、私には思えてなりません。素晴らしい体験を本にして頂いたご尽力に、一読者として厚く感謝を申し上げます。


            オベリスク シストⅤ世の 意気高し
                               元鷹

            ※写真がなかなか上手く添付できません。
              回復次第、アップ致します。少々お待ち願います。 


 


2015年5月21日木曜日

第352話 フェリーチェ通り 中編

フェリーチェ通りとは、かつての第227代法王シストⅤ〔1585-1590〕
の名前を付けたものです。その理由を訪ねてみることに致しましょう。

先ず、この通りは何処にあるのか?という素朴なご質問にお答えしなければなりません。実際には、今では存在していない道路ですから、ローマ人でも知っている人は極々少ないのであります。

ローマにお越しの方は、ヴァチカン市国4大聖堂のサンタ・マリア・
マッジョ大聖堂の位置を覚えていらっしゃるでしょうか?

この聖堂の後陣に、広場があります。エスクリーノ広場と呼ばれます。
ここが、フェリーチ通りのスタート地点です。ここから始まる道路は、①アゴスティーノ・デプレティス通りです。

およそ100Mほどで、市内の大動脈のナチォナーレ通りに突き当ります。

このナチォナーレ通りを超えて、真っ直ぐ進みます。ここが、②クワットロ・フォンターネ通りと呼ばれる道路です。さらに真っ直ぐに進むのですが、100Mも歩かない内に交差点QUATTORO FONTANE に出遭います。

ここまでは、やや急激な登りスロープとなります。出逢う道路は、9月20日通りです。この通りは、左にクィリナーレ宮殿と右にピア門とを結ぶおよそ1.5KMの長さがあります。

この交差点からは下り坂です。一気にバルベリーニ広場まで進みます。この間、やはり100m位でしょうか?途中には、国立絵画美術館が現われます。映画「ローマの休日」の中で、アン王女がローマに滞在した処です。 

坂を下ったところが、バロックの鬼才G・L/ベルニーニ〔1598-1680〕作 「トリトーネの噴水」で有名なバルベーニ広場になります。もう、ここまで来れば目的地のスペイン階段の見える高台まで僅かとなります。

即ち、最後〔3番目〕の道③システィーナ通りへ向かいます。
ここの交差点は混みあいますので要注意です。

システィーナ通りは、またまた登り坂となっています。しかし、オベリスクを目前に元気が出てくるから不思議です。途中には、以前にもご紹介したことのあるデンマークの作家ハンス・C/アンデルセンが、2年間住んでいたというアパートが、今でも残っています。〔1833-1834〕

丘の三位一体教会のオベリスクの台座まで、およそ150M位でしょうか?システィーナ劇場など、この通りならではの雰囲気が醸し出されていて
散歩には持って来いの道路です。フェリーチェ通りも間もなく終わりです。

このように、現在は①アゴスチーノ・デプレティス通り、②クアットロ・フォンターネ通り、そして③システィーナ通りが、ほぼ1本道に整備された状態と
なっています。

これら3道路を16世紀末から暫くの期間〔いつ頃までかは不詳〕、フェーリチェ通りと呼び慣わしたのは、ローマの道路を整備した法王シストⅤ世の俗名フェリーチェ・ペレッティからの由来だそうです。

前編に掲載しました写真は、その当時の面影を偲ばせてくれた古い時代の痕跡を教えてくれたのでした。

             

          これほどに フェリーチェ通り 坂多し
                              元鷹

            ※写真は後編に掲載予定です。

2015年5月19日火曜日

第351話 フェリーチェ通り 前編

現在の法王フランチェスコは、歴代266代目〔2013年3月~〕の法王となります。アルゼンチンからの法王は南北アメリカで最初だそうです。
また、フランチェスコと名前のついた法王も歴代最初とのことです。

まだ最近ですが,フランチェスコ法王は聖年〔GIUBILEO〕を今年12月8日から向う一年間行うことを宣言したそうです。本来今年は、聖年では無いわけですが、前倒し〔次は2025年だったはず?〕にした訳ですネ。

ミラノEXPOは、5月1日スタートして10月31日までの半年間開催です。
そして、ヴァチカン市国の聖年が続くという次第で、なにやら忙しい一年になりそうな気配です。

さて、本論である「フェリーチ通り」へ戻りましょう。
今回は、現在のフランチェコ法王から遡ること428年前の法王シストⅤ世
〔第227代法王1585-1590〕の御代のお話しであります。

ずっと以前にもこのお話しは、皆さんへお届けして居たかも知れません。
しかし、今回は机上のお話から、実際に「コレダ!」と言う”証拠”を偶然にも、バブイノ通りのギャラリーのベトリーネ〔ショーウィンドー〕にて発見したものですから、急ぎご紹介したいと思います。

ご存知のようにバブイノ通りは、スペイン広場からポポロ広場へ伸びる200メートル程の長さですが、お洒落なお店や、プチ・ホテルも有り、の瀟洒な雰囲気を持つ老舗通りであります。

今回のストーリーの展開は、このバブイノ通りに在ります或るギャラリーの
絵画”バルベリーニ広場”を描いた一幅の絵画から始まったのでした。
先ずは、下記の写真をとくとご覧下さいませ。

                               VIA BABUINOの或るギャラリーの
            ショーウインドーにあった油絵の中に
            VIA FELICE を発見しました!

何やらバルベリーニ広場に人だかりの風景です。
写真では、ご覧戴けないのが真に残念ですが、ショーウィンドウー越しにしっかりと道路標示が壁の一角に印されているのが、目を細めれば肉眼で分りました。

”VIA FELICE”と表示されているこの通りは、実は法王シストⅤ世の名前から取ったものだったのです。では、何故そのようなネーミングになったのか?続編にてお伝え致します。

                               絵画の一部に見える文字は
             VIA FELICE と書かれています。

            ブラ歩き ローマの街角 歴史道
                               元鷹    

2015年5月13日水曜日

第350話 祈りの壁

今日のローマの空も真っ青に晴れています。昨年より夏の到来が早く来るのでは、と思わせるような5月の天気ではあります。

春から夏への移り変わり時期の今が、街歩きには最高です。さて、今日は、”祈りの壁”と題しましたローマの街角の風景をお届け致します。

ローマ日本文化会館を訪問した際に、アントニオ・グラムシ通りとブルーノ・ブオッツィ通りの交差点、左向う側〔会館へ左折する交差点〕に見つけた「祈りの壁」です。

さて、映画「ローマの休日」の中、”祈りの壁”を前にしたヘップバーン〔アン王女〕とグレコリーペック〔新聞記者ジョー〕とのしんみりとした会話のシーンがありました。このシーンを覚えていらっしゃいますでしょうか?

ローマに現在も映画に出てきた「祈りの壁」があるのだろうか、と数人のイタリア人に聞いても、分る人は居ませんでした。一番、成程と思われた
回答は、市街開発の為に壊されたのではないか?と云うものでした。

そんな経緯もあってか、規模は決して大きくないのですが、街角に「祈りの壁」を見つけた時には、不思議な感動を覚えました。

恐らくですが、他の地域にもこのような壁〔陶板、メタル板などを石垣に嵌め込んだ壁〕はあるものと思われます。

交差点の一角に嵌め込まれた陶板には 
           年月日、名前、感謝の言葉などが刻まれています

陶板、金属板には家族の気持ちが入った
            ことばが刻まれています。
            ローマならではの街角風景ではあります

             

            祈りが叶ったからでしょうか?
            「GRAZIE」と感謝のことばが刻まれてます

            
             手を合わせ 祈りの壁 過ぎ去りし
                                 元鷹
             

2015年5月9日土曜日

第349話 美術家 篠田桃紅さんのこと 後編 

今日は5月5日日本は、G/Wの中、”子供の日”の一日でした。
日本の空には鯉のぼりが、風に揺られて泳いだことでしょう。

                               ローマ日本文化会館玄関に飾られた
            大きな鯉のぼり 4月29日撮影    


さて、前編の続きとなります。善は急げとばかりに4月29日には、メトロA線にて、フラミニオ駅まで行き、トラムに乗り換えてアントニオ・グラムシ通りに在るローマ日本文化会館を訪ねたのでした。

お忙しい中、館長の松永さんに事情をご説明申し上げて、篠田桃紅さんの作品を拝見させて頂きました。

 
 
ダイナミックな構図に感動しました!
 
ローマ日本文化会館には篠田さんの作品のみならず世界に誇る日本の
著名な版画家、彫刻家、画家の作品が展示されて居ります。流石に日本の藝術をイタリアで紹介し得る素晴らしい施設であると嬉しく思いました。
 
さて、すかっり館内の作品の数々を堪能させて頂いた訳ですが、今もういとつご紹介します。会館玄関入口に取りつけられた銘板についてです。
 
館長の松永さんのお話しに依れば、この銘板は吉田茂元総理の筆になる
ものだそうです。なるほどこの文字には貫禄があってりっぱな銘板です。
ローマで、筆で書いた銘板をみますと日本人であることが嬉しく思えます。
 
吉田茂元総理の筆による銘板が玄関に
掲げられています。
 
篠田さん 百歳の力 ローマにも
               元鷹
 
※文章の中、日付が既に過ぎております。
        これは、アップするまで日にちが経過した為です。
ご了承くださいませ。
 
 

2015年5月2日土曜日

第348話 美術家 篠田桃紅さんのこと 前編

5月に入りました。晩春というより初夏といった方が、肌合いにピッタリの季節を迎えました。5月のヨーロッパは、花が咲き誇り山に里に色合いが増して参ります。日本の今日は、「八十八夜」ですね。

今日は、美術家篠田桃紅さんとの出逢い、と云うよりも正確には篠田さんが書かれた新書との出合いからのお話しを申し上げたいと思います。
お名前が”桃紅さん”ですから季節にタイミングがピッタリかもしれません。

同僚のMさんから、是非お読み下さいと頂いた雑誌の記事は、今日の話題の人「篠田桃紅さん」のことでした。何と興味深い記事なんだろうか!

記事によりますと、篠田さんは新書をお書きになられているようでしたから、Mさんに頼んでその本を手に入れて頂きました。ですからまだ読み終えたばかりです。文体は、全章を通じてリラックスしていました。

簡単にご紹介させて頂きますと、篠田さんは1913年3月28日お生まれで、既に100歳を超えていらっしゃいます。満州にてお生まれになられ、
本名は満州子さんとのことです。

5歳の時から、お父上様のご指導を頂いて、書道を学ばれたとご紹介されています。43歳の時にアメリカへ渡ったそうですが、戦後間もない当時のことです。

ご苦労にご苦労を重ねられたことと思いきや、新書に依れば、その辺のことはサバサバとしたタッチで筆をお進めになられています。アーティストならではの語り口で、楽しく興味津津のこころで読ませて頂きました。

アーティストならでは、と申しましたが訂正させて頂きます。篠田桃紅さんだからこその素晴らしい発想と行動力とが読み取れました。100歳を過ぎてから執筆された篠田さんの新書ならではの味わい深さも感じました。


そんな感想を抱いておりましたところ、書道をご指導頂いております
K先生に、練習の合間の休憩時間にこの読書感想をお伝えしました。

すると先生は即座に「ローマ日本文化会館に行って篠田さんの作品をご覧になさったら良いですよ!」とアドヴァイスをして下さったのでした。

海外に居ながらにして、篠田桃紅さんの実作品を観ることが出来るとは、
何とラッキーなことかと腹から喜んだ次第です。さあ、文化会館へ!!!
乞うご期待!

つづく

ツツジ満開のスペイン階段 4月30日午後1時ころ
            第348話のブログ内容とは、関連性はありません。

            人のせぬ 書アートこそ 篠田流
                                元鷹 
           

2015年5月1日金曜日

第347話 イタリア解放記念日式典印象記

ローマは五月晴れの一日となりました。全ての窓を開放をしましたら、
微風が心地よく部屋の中を自由に流れ廻っています。

さて先月の4月25日〔土〕は、イタリアにとって大切なと言いますか、重要な記念日の祝日〔イタリア解放記念日〕の日でした。

何処でどんな祭典〔式典〕が行なわれるのか、下調べもせずに”ここであろう?”と思われた大統領官邸を午前9時過ぎに訪ねましたが、どうもその気配は一切ございませんでしたので、”諸皇帝通り”方面へ向かいました。

幸いにも”ベネチェア広場”に近づきますと式典が、丁度スタートしたばかりの様子で、ブラスバンドの国歌演奏が聞こえて来ました。見物客はヴィットリオ・エマヌエレⅡ世記念堂を囲むように歩道の立ち見席でした。

無名戦士の慰霊のため、今年は70年目の節目の年のようでしたが、セルジオ大統領、レンツィ首相、マリーノ市長、そしてヴァチカン市国からの
大司教〔と思われる〕ほか、参列代表の姿を垣間見ることが出来ました。

さて、式典は私には良く分らなかったのですが、終了後に面白い場面と言いますか、イタリアらしさを感じるシーンを眺めることが出来たのでした。

大統領、首相ら超VIPが黒塗りの高級車に乗って、その高級車の前後を護衛の車に挟まれて広場をさっと後にしたのでした。

ところが、市長のマリーノ氏は、何処から持ち出してきたのか、自前の自転車、それもごく普通のありふれた自転車に跨って、広場を後にしたのでした。

勿論、参加者市民や観光客に向かって片手を上に挙げて、左右に大きく振るのが、私のポジションからもはっきりと見えました。

噂には聞いておりましたが、ローマ市長マリーノ氏は堂々と自転車を踏みながら広場を後にしたのでした。

まあ、中々出来ない行為であります。通常なら、財政が悪くてもローマ市長には、運転手付きの高級車も用意されていることでしょうに。

翌日、私が直々に観たこの光景をイタリア人同僚、勿論ローマ市民である訳ですが、話しましたら、にわかにこのように言われたのであります。

”市長は、そのようにして人気とりをしているのです。横道に入れば、
市長専用の高級車に乗り移るんですよ!”と。

人の口に戸はたてられない、と昔から言います。このようにみる市民も居るものかな、と少々考えさせられました。



式典スナップ 4月25日午前10時ころ

           
イグナッオ・マリーノ市長の後ろ姿に
見入ってしまいました。感動!
 
ローマぶり 自転車市長 いざ行かん
           元鷹