2014年4月23日水曜日

第234話 列聖 について

ここ1週間、朝夕の空気は少しヒンヤリとして、外出時には薄目のコートを着用するほどです。

寒さ暑さも彼岸までとか言いますが、ここローマでも夏時間(3/23)になったころから、春の到来を気温の変化や街を歩く人達の服装の色合いなどから感じる今日この頃です。。

さて、20日〔日〕、21日〔月〕はパスクア《PASQUA》、パスクエッタ《PASQUETTA》の休日でした。

そして、パスクア連休の後には直ぐ ”ANNIVERSARIO DELLA D’ITALIA”イタリア解放記念日/4月25日〔金〕となります。イタリア人には、家族・友人と絆を深めることができる恰好の4月の休日の連続ではあります。

ご存じのようにローマ市には、ヴァチカン市国があります。
今日のテーマは、タイトルの通り列聖《4月27日(日)》についてです。
但し、カソリックの習いのことですから的確にお話しできるどうか、一抹の不安があります。

来る4月27日〔日〕は、「列聖の日」として昨年7月5日以来、ヴァチカン市国教皇庁列聖省から公にされていた模様です。

なぜ今日の話題に取上げたかと申しますと、卑近な例で恐縮ではございますが、たまたま煙草・雑貨屋で購入しましたバス・メトロ共通券(ビリエット)に、「列聖の日」情報が印刷されていたからであります。

このようなことはかつてないことでしたから多少の驚きを感じた次第です。
そういえば、昨年来から時々話題に上っていたことを想い出します。

大変有名なかつての教皇様〔なぜか、様を付けてしまうのですが〕が、
「聖人」になられる儀式(CANONIZZAZIONE)が、執り行われ訳です。

即ち、第261代教皇ジョバンニ23世(在位1958年10月28日~1963年6月3日)と第264代教皇ジョバンニ・パウロ2世(在位1978年10月16日~2005年4月2日)のお二人が、福者から聖人へとなられる儀式です。

ローマに住み生きている以上、自分の宗教観は兎も角としても時の話題、
カソリックのお膝元のビッグ・ニュースには関心を寄せざるを得ません。

これらのニュースの詳細は、皆さんにおかれましても「ウイキペディア」にて、是非お目通しされます様にお薦め申し上げます。
国内においても27日前後にはTV,新聞などにて大きく報道されることでしょう。

”空飛ぶ法王”ジョバンニ・パオロ2世は、日本にお越しになられた最初の法王様だそうです。在位期間(26年5カ月)中に129カ国を伝道のために訪れられたそうです。正に空飛ぶ法王様でした。

聖人になるためには奇跡を2度起さねばならないそうです。
門外漢には、まことに分りずらいことではありますが、福者になる時、そして聖人にお成りになる時だそうですが、一体に市国の列聖省が公にされる(或は、既に公にされた)であろう情報を読んでみたいものです。



  スペシャル・エディションとして来る4月27日に
列聖式のプロパガンダが、メトロ・バス共通券に登場しました。
ジョバンニ・パウロ2世
 
                    恐れ入りますが、写真が横になったままです。
               モノトーンの法王は、ジョバンニ23世です。


               聖人に ジョバンニ共に なりにけり 
                                       元鷹      


2014年4月11日金曜日

第233話 続 サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 

さて、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂にまつわる話題は豊富です。

大聖堂は5世紀《430年》〔法王チェレスチーノⅠ世時代か、シストⅢ世によって拡張〕に建てられたと手元の小冊子には紹介されています。

この大聖堂には、ローマ・バロック彫刻・建築の代表的人物ロレンツォ・ベルニーニと、16世紀後半にローマの都市計画つくりを推進した法王シストⅤ世の墓が在ることで知られています。

大芸術家R・ベルニーニの建築物や彫刻作品は現在も市内の街角で、
美術館で楽しめます。

またローマに来たら大方の観光客が立ち寄るスペイン階段前の「バルカッチャの噴水」は、ロレンツォ・ベルニーニの父親ピエトロ・ベルニーニの作とも伝えられています。

法王シストⅤ世〔1585-1590〕の都市作りへの情熱は、物凄いものを
感じさせるのですが、特にヴァチカン市国サン・ピエトロ大聖堂の大クーポラの大仕事を仕上げたり、大聖堂前の広場に建つオベリスクの工事をした法王として有名です。

因みにこのオベリスクは、1586年に旧大聖堂にあったものをドメニコ・ファンターナに命じて難工事の末に現在の広場に移動再設置したと言われています。

話しがいろいろな所に飛んでしまいましたが、今一つの特記事項としましては、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の象徴的建造物「鐘楼」のことです。

1377年〔ベネデットⅦ世〕に建てられたロマネスク様式のもので
先にも書きましたように高さ75Mあり、ローマにある鐘楼の中では最も
高さがあるものです。

さて、おまけにもう一つの話題です。

1770年7月5日、モーツァルトはクイリナーレ宮殿にて”黄金の軍騎勲章”と剣を受賞したが、その3日後の7月8日には法王クレメンス14世
〔1769-1774〕にこの大聖堂で拝謁したと伝えられています。

大聖堂を前にして、当時のモーツァルト〔1756-1791〕は未だ14歳だった訳ですが、どんな想いでいたのだろうか?などと興味は尽きません。

大聖堂の天井です。豪華絢爛たる格間装飾に
            ただただ唸ってしまいます。

              モザイク画〔イアコポ・トッリチ作1295年〕
              大聖堂の一番奥クーポラ状になっています。 



            大聖堂一番奥に在る祭壇と天蓋



             聖堂の 歴史の凄さ 意尽くせず 
                                 元鷹 

第232話 七大聖堂巡礼 その2 サンタ・マリア・デッラ・マッジョーレ

これほど美しいフォルムを有した教会の後姿を見たことはありません。
教会とは、エスクィリーノの丘に建つ四大教会のひとつ「サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂」のことであります。

この教会には、他の聖堂にはないロマンティックなお伽話のような、しかし
名高い言伝えが在ります。それは352年に、時のほう法王リベリウスが
聖母のお告げを夢に見た、というものです。

お告げは言います。”雪が降ったところに教会を建てよ。”と。
実際に真夏8月5日にエスクィリーノの丘に雪が降ったのです。この奇跡
以来、「雪の聖母マリア大聖堂」と呼ばれて今日に至っております。

さて、以上はあくまで前置きでしかありません。

この大聖堂の教会建築に詳しい知識を持つわけではありませんので、何ともや残念ですが、一口で申せば、やはり美しい建物は美しいのであり、是非とも実際にご覧頂くほかはありません。

特に裏正面の半円形に張りだした後陣《アプシデ》を真ん中にしたカタチの美は、他の教会では味わうことができない見事さが見えてきます。

今回ご覧頂く写真は夕方7時前のころですが、観光客の心を掴んで離しません。※VIA CAVOUR 側、即ちエスクィリーノ広場からの後陣の眺めは、天下一品であり心を揺さぶられずに立ち去ることは困難な技です。

もうひとつ見事な建築物に高さ海抜75Mと言う鐘楼があります。ローマの中に在る教会の持つ鐘楼では、NO.1の高さを誇るのだそうです。

ナツォナーレ通りとクワットロ・フォンターネ通りの交差点辺りからもアズーリ色の天にも聳えようとするシャープなカタチを見せてくれる鐘楼は、巡礼者の心強い陸の灯台であり、見るものの旅の疲れを癒してくれたに違いありません。

 四大教会の一つ「サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂」
              の後陣風景 時間は夕方七時ころでした。

           
              大聖堂のデコラティヴな正面サイド
              鐘楼が一際目に入ります。


           

               聖なる扉 正面入口一番左側に見られます。
               ルイジ・E.マッテイ作

            
              見飽きずに 後ろ姿や 立ち尽くす  元鷹



2014年4月4日金曜日

第231話 なるほど!そうだったのか!!

3月の最終ブログ(第229話)の末筆に「ⅩⅩセッテンブレ通りのネーミングの謂れは分ったものの、それ以前の通りの名は?と気になってしょうがない。」と自問自答のような記述を申し上げました。

そのあくる日には、早速会社同僚の面々にその疑問をぶっつけてみたものの、「知らない」、「分らない」と云ったつれない返事ばかりでした。

そんななか3日後には、調べてくれてA4サイズのコピー紙にネットからの情報を持ってきてくれた同僚も現われました。本当に嬉しい限りでした。
しかし、その中には正解らしい説明は見つかりませんでした。

ところがです。この4月1日にたまたま散策中に立ちよった古道具屋の親爺さんにこの疑問を投げかけてみたところハッキリと自信ありげに教えてくださったのです。

「いやねぇ!1870年9月20日前には、道路なんか無かったのよ、CAMPO/原っぱ、畑だったんだよ!!」

 続いて曰く、
「ベルサリエレ(羽根のついた歩兵団)が、壁を破って突入したのはピア城門から少し離れたところだった。城門内は、法王様の敷地だった訳だから。」といろいろお話しを頂いた次第です。

これを聞いたとたん、私はギャフンと唸りました。
”なるほど!そうだったのか!!”、と積年の悩みが一気に解決できた時のあの感激を覚えました。良い人に会えてよかった、と挨拶をしてお店を後にしました。
 

        ※注意 以上のお話しは、立ち寄った古道具店のご主人の  
              お話しでありますが、必ずしも正解ではないかも  
              知れません。でも、その時の私の想いにピーンと
              応えて下さった「良く効くクスリ」であったことは事実
              です。


ピア城門 城門内側より撮影
            城門中央は閉鎖されています。中央の車は右側を
                廻り込んでノメンターナ通り方面へ抜けます。


               
城門内記念博物館にあった模型
城門を破ってなだれこむ兵士たち
 
 
ピア城門外側に設置された記念碑
BERSAGLIEREの像
《1816年創設のイタリア歩兵隊の兵団の名称》
並木道は、VIA NOMENTANA です。
 
 
 
  迷いごと 犬も歩けば 解を得る 
                          元鷹 
 
   

第230話 トリノ通りのこの人に 第1回 オクサナさん

カレンダーは、いよいよ4月卯月となりました。
4月はサクラの季節であります。日本のサクラ前線は、今時分は関東周辺にまで広がってきているのでしょうか?

この週末、或はつぎの週末にはサクラ大好きな多くの見物客がドット各所のサクラ並木に三々五々と笑顔で集まってくるのでしょうか?

さて、このブログ「ROMAの麗雅都だより」も折々のローマの街角の風景をお伝えしながら2年半を経過しました。ややもすればマンネリに陥りそうな時機もありましたが、七転八起の例えの如く何とか継続しております。

今年のブログのテーマは、一つには「七大聖堂めぐり」ですが、未だ一聖堂を巡ったのみです。年内には、残りの六聖堂をご紹介させて頂きますので、お楽しみにお待ちくださいませ。

そんな按配ではありますが、新・テーマ「トリノ通りこの人に」を今日からスタート致します。乞う御期待ねがいます。



トリノ通りは、読者の皆様が良くご存じの共和国広場近くに位置しますローマ三越の脇を走る、目測ですがおよそ250m程の通りです。
東側にはサン・ベルナンド広場、西側にはエスクイリーノ広場を従えます。

其々の広場の正面には、サンタ・スザンナ教会とサンタ・マリア・マッジョーレ教会が、この通りを挟み込むかのように天に向かって聳えています。

世界中の何処の通りにも日々ドラマがあるように、ここトリノ通りにも悲喜こもごもなるドラマが、そしていろいろな人がしっかりと生きています。

最初の「この人」は、トリノ通りとナツィオナーレ通り交差点の一角に在るお店(通称:バンカレッラ/露天商)に働くオクサナさんです。

オクサナさんは、お国の東欧からイタリアに来て13年になるそうです。
お国には、愛するご子息3人を残してのお仕事ですが、その商売熱心さは元気いっぱいです。

話す言葉は、ロシア語、イタリア語など4カ国だそうですが、やや早口でエネルギシュな語り口には、何か人を引き付ける魅力と人懐こさが漂います。

ここ数年のローマ観光客のなか中国人旅行客の増加には目を見張るものがありますが、やはり中国人のお買い上げがトップに上がるそうです。

先日は、日本語を教えて欲しいとの相談を持ちかけられました。
きっと、時々訪れる日本人客に少しでも日本語で接客したいとの思いから
だろうか、と勝手な解釈をしています。

しかし、伺ってみれば労働環境は厳しいものがありました。1日12時間働くそうですが、代わる代わる立ち寄るお客さん対応はいつもひとりです。その合間に商品の入れ替えや諸々の細かな仕事をこなします。

朝夕に”スィニョーラ!ブォンジョルノ!”、”スィニョーラ!ブォナセーラ!”と挨拶しますと目を細くして、右手を上に向けて返答してくれます。

暑い日も寒い日も、背中を丸くして黙々と元気に働くオクサナさんの姿に遠い国もとの家族への強い絆と信頼の情を感じせざるを得ないのであります。


素敵な笑顔のオクサナさん
            今日も明るく元気に「BUONGIORNO!」とお客様に
                お声をかけます。


               
ある日の20時ころです。体を冷やさないように
温かそうなダウンジャケットを着用して店に立ちます。
 
 
 
ひとの世は 生きる価値あり われ生きる
 
                       元鷹