2013年11月29日金曜日

第205話 トリトーネの噴水 と 小説 即興詩人 

およそ1年間お化粧なおし(修復工事)のため大衝立で覆われていた
”トリトーネの噴水”が、再びホラ貝から冬空に向かって水飛沫を上げ
始めました。

11月12日付新聞IL MESSAGGEROのCRONACA DI ROMA p47
に掲載された記事に誘発されて、バルベリーニ広場に化粧直しされた
”トリトーネの噴水”を見学に行ってきました。

これほどに真っ白なトリトーネの噴水を見たのは初めてです。
まるで新しく造り直したかのように生まれ変わりました。

トリトーネの彫刻を真ん中に収めた大きな水盤には、満々と水を湛えて
薄いみどり色が輝くようでした。

この噴水は、彫刻家G/ロレンツォ・ベルニーニが45歳(1643年)の時に
法王ウルバヌスⅧ世の命を受けて創ったものです。

ベルニーニは比較的長生きした(82歳にて没す)芸術家ですが、このトリトーネの噴水は、彼の噴水創りへの意欲《パッション》を感じさせます。

ところでバルベリーニ広場と云えば、森鴎外がアンデルセンの「即興詩人」を文語体で翻訳した訳ですが、書き出しにはこの広場が出てきます。

手元にある「口語訳 即興詩人」安野光雅著/山川出版社より、その部分をご紹介致します。  《p-18 1行-3行抜粋》

  
ローマへ行ったことのある方は、きっとバルベリーニ広場にも行かれ   たことがあるだろう。そこには、ギリシャ神話に出てくる海神トリトンがほら
貝を吹いているところをかたどった噴水があって、その貝からは、
数メ-トルばかりも高く水が噴き出しているのを見られたにちがいない。”

何と簡潔で的を得た見事な描写なのでしょうか!
まるで眼前にトリトーネの噴水が水飛沫を上げているかのように、
シンプルですが、一句一句が噴水のイメージを作りだしています。

さて、1833年-1834年にアンデルセンは、この噴水の近くのアパートに住んでいたそうです。そういえば小説の主人公アントニオの家もこの
バルベニーニ広場の近くに設定していたことを想い出しました。

この時代には、ヨーロッパの貴族・文化人らは競って、アルプスを超えて南国イタリアを目指すのが憧れだったそうです。

この即興詩人は、小説の面白さはもとよりイタリアの観光本代わりに、各観光地《ナポリ・フィレンツェ・ヴェニス・など》が小説の中に紹介されているために広く翻訳され、多くの読者にイタリア旅行の疑似体験を楽しませてくれたのではないでしょうか。

森鴎外の文語体と安野光雅著の口語訳とを並読してみたいものです。

                バルベリーニ広場の中央に建つトリトーネの噴水
                やや中央にはvia Tritoneが走り、トレヴィの泉へ向かいます。


               


 

トリトーネの噴水 正面から撮影

海神トリトーネは空に向かって水を

吹きあげています。
 

               ウルバヌスⅧ世《在位1823-1844》の家紋は
               3匹の蜂です。噴水にしっかりと印されています。
               広場向うには「蜂の噴水」も映っています。



               寒空に ホラ貝の噴き出す 水高く       元鷹

 

2013年11月26日火曜日

第204話 ピアニスト・プーニンの想いで

先週は毎日のように雨が続いて、おまけに寒さも一段とすすみ、ローマは
まさに冬型の天候パターンに嵌ったような気がしてなりません。

15日〔金〕夜のフジコ・ヘミング女史のピアノリサイタルの感想を前回の
ブログにてお伝えしました。会場入口にて、4種類のCD/DVDセットを販売していましたので、私も1枚記念にご相伴させて頂きました。

次の日から朝に昼(休みの時だけですが)に、そして夜にフジコさんのピアノ曲が、私の小さなアパートの部屋で奏でられております。そして今も。

実は、ローマでのピアノリサイタル観賞は20年も前にも1度あった事を
懐かしく想い出しました。忘れられない演奏会だったのです。

それは、当時大変有名な世界的なピアニスト//スタニスラフ・ブーニンの
リサイタルでした。雨の中を妻と一緒に出掛けたことを覚えております。

20年も前のことですから、うろ覚えなのですが季節は丁度今時分でしたか、会場さえも想い出せないのですが、テベレ川に沿った地域でした。

さて、ブーニンがピアノ演奏中にステージ天井から雨漏りがあったのです。丁度、ピアノ(アップライト)の天板にでも雨水が当ったのでしょうか、
若しかしたら、暫くの間演奏しながら我慢をしていたのかも知れません。

客席側からは、その情況は何も伺えませんでした。
その時です。ブーニンは、やおら立ち上がってピアノを一人で引いて
移動始めたのです。

その時の瞬間の判断と行動には、ただただ驚いた次第です。
素早く移動を終えると何も無かったかのように再び演奏を開始しました。

オッー!この世界に冠たるピアニスト//ブーニンをもってしても、ローマの演奏会場は、ピアニスト自身に演奏中にピアノを引かせる! とは?
今でもこの光景を忘れられずにおります。


                 

                   ヴァチカン美術館に向かう途中のカベ
                    ※文章とは関係ございません。


                ショパン弾く リサイタルにて ピアノ引く  元鷹
 

2013年11月22日金曜日

第203話 アウグスト展

19日〔火〕古代ローマ皇帝の祖・アウグストの展示会を観るためにScuderie del Quirinale(クイリナーレ宮殿広場近く)へ行って参りました。

アウグスト展会場の展示品は、殆どがアウグストに関わる大理石彫刻でした。他には、カメオ、古代通貨(金貨)、銀製品、ガラスなどの当時に創られた美術品が展示されていました。

会場をゆっくり、じっくりと作品・遺品などを観ていて気が付きましたことなどご紹介させて頂きたいと思います。

先ずは、グループで観賞に来ている高校生たち(引率の先生らしい大人もおりますが)に出会ったことです。おおよそですが、少なくても3グループ・70人から80人は居たかと思われます。

街で会うこの年代(中・高校生)の印象とは全く違って、眼が輝いている若者たちでした。ローマの若者は、このように学校から課外活動の一環として市内の博物館や美術館を見て回れる機会が用意されている訳です。

自分の国の歴史や文化を若い時にじかに眼に触れることは、どんなに素晴らしい生きた学習体験でしょうか。しかもクラスメイトと一緒に。

そしていま一つは、次のことです。

彫刻品などの展示品の一つひとつには、貸出した美術館名の記載された
小さなスクリプトが置かれております。

その名前を見ますとローマ市内の美術館はもとより、ナポリの美術館ほか、イタリア国内もしくは海外美術館から、借り出して(そのように思えます)きているのですね。

2000年も昔の彫刻品、美術品ですから国内外の博物館・美術館に広がって、展示保存されていることは至極当然です。

驚くのは、このような文化活動の奥の深さ、幅の広がり、と申しますか、多分にですが、互助の精神でヤリクリをして、企画展示会を開催運営するというスタイルが、長い歴史の中で育まれていることであります。

このようなことを想い浮かべながら、「アウグスト展」を楽しんで参りました。本会場をでると直ぐにエレベターが設置されています。その場所からは、市内の雨上がりの風景を存分に眺められました。

中央にはサン・ピエトロ大聖堂、左端にはエマニエルⅡ世記念堂、そして
右端には、大統領官邸です。これら一幅の絵画のような街並みの展望は
この美術館が用意してくれた来場者へのオマッジョに違いありません。


            スクデリエ デル クイリナーレ美術館
                正面玄関口に飾られた大型バーナー

               

            英語の”picturesque”ということばがピッタリの
                一枚の絵葉書のようです。中央はサン・ピエトロ大聖堂。

               
 
☂あがりの泣きそうな雲行きの下、「堂々」と言うことば
ローマで一番似合うエマニエルⅡ世記念堂です。
 
 
ローマには 星の数ほど 美術品
    残る日数を そっと想う       元鷹

2013年11月16日土曜日

第202話 フジコ・ヘミング ピアノリサイタル

フジコ・ヘミングのピアノリサイタルが、ローマで開催されると知人から
1週間前にメールでの知らせが入って、小躍りする気分になりました。

今回は、ローマ日本文化会館にて開催されましたが、先月にご紹介
しました文楽公演に続く同館創立五〇周年記念事業の一環のイヴェント
です。素晴らしい記念事業にこころから御礼を申し上げたい気持ちです。
※ローマ日本文化会館は、アントニオ・グラムシ通りにあります。イタリアに於ける日本歴史文化の
 紹介はじめ、イタリア人にとっては日本全般の関心への窓口的な役割を果たしております。

今日は朝から生憎の☂模様でした。文化会館ホールは、100人着席可能でそれ以上は立ち見席となるとの情報でしたから、幸いにも休みでもあり早めに家を出ました。同館には、午後5時頃には着いてしまいました!
※因みに開演は午後8時でした。

日本からのビック・アーティストによるローマでの演奏会は、非常にまれですから、今日のステージは日本人には特に大変有難いものでした。

プログラムは、前半:ドメニコ・スカルラッティ、フレディック・ショパン、
休憩を挟んで後半:セルゲイ・ラフマニノフ、モーリス・ラヴェル、
助川敏弥、フランツ・リストと多彩な曲目です。何とリッチな気分でしょう!

私は、中でもリストの「ラ・カンパネラ」を聴くことを最大の楽しみに演奏会へ出掛けましたので、女史のピアノ演奏をライブで聴けた嬉しさは例えようがありません。しかも、最前列という好位置での傾聴は最高でした!

ピアノ演奏については語る素養も資格はありませんが、只館感動感激の
演奏会だったと申しつけたいと思います。

女史は、1曲が終わると立ち上がって会場の聴衆へ頭をさげ、ほんの少しだけ微笑むのですが、L・ダ・ヴィンチのモナリザのようで感動しました。

また、前半・後半ともステージ衣裳が何とも華やかで独創的でした。
前半は、黒地内掛けに金刺繍の鳳凰かと思えるデザインが背中にみえました。

後半の衣裳は、品のある紫色をベースにした薄地の生地を使ったお召し物で、お足もとには赤、否、朱色の裾が見えました。

フサフサされたゴールド色の髪には、やや大きめの飾りものが右半分を覆い、何ともフジコ流エレガントさを見せてくれていました。

さらには、ペダルを踏む黒の靴には、大きなリボンが可愛らしくチョコンと
飾られていて、メルヘンティックでした。イタリアファッションも顔負けです。

ご想像戴けましたでしょうか?
世界のピアニスタ、フジコ・ヘミングのこのサービス精神には度肝を抜く勢いが在りました!勿論、ピアノ演奏の素晴らしさは申すまでも無いのですが。

サービス精神と言いますと、全曲終わりましてご挨拶≪イタリア語、英語、日本語≫のあとには、ドビッシーの「月の光」、ヴェートベンの「ソナタ・テンペスタ」(と聞こえたような)をプレゼントして下さいました。ワァー感激!

感動の内に演奏が終了しますと会場は興奮止まず大拍手とスタンディング・オヴェションで女史へのローマ演奏会の大成功をお祝いしました。

私は、途中道だった老舗菓子屋の「DAGNINO」でマロングラッセを用意出来なかったことだけが、甚く悔やまれて成りませんでした。


            文化会館内ホール・ステージ中央にセットされ、
                フジコ・ヘミング女史を待つ”STEINWAY & SONS”.
                                          演奏は18曲(アンコール曲含み)にものぼりました
                今、こうしておりましても「ラ・カンパネラ」の音が耳に
                残っています。



                まぶた閉じ 流れるように ピアノ弾く      元鷹
               
   

                リサイタル フジコファッション 度肝抜く     
   


2013年11月15日金曜日

第201話 大聖堂の第九演奏会

第12回ヴァチカン国際音楽祭が10月29日から11月10日の期間、
ヴァチカン市国あるいはローマ市内の会場にて開催されました。

音楽祭のトリのプログラムを担ったのが、西本智実指揮ヴェートベンの
作品125いわゆる第九交響曲でした。日本からは、250名前後の大合唱団員とオーケストラの皆さんが参加されました。

さらにローマ在住の日本人音楽家、或はパリから駈けつけた音楽家、
そして「第九」好事家(私のような)が加わった大所帯となっての大演奏会と
成りました。

テノール、バリトンが少ないこともあってか、地元ローマ界隈からのプロの助っ人《いわゆる「トラ」》の方々ほぼ40名の参加もありました。

演奏会は、11月10日《日》午後9時開演、オスチエンセ通りに建つ四大教会のひとつサン・パオロ・フオリ・レ・ムラ大聖堂にて行われました。

注目すべき話題は、何と言っても女性指揮者西本智実への熱い眼差し、そのものであり、そして西本智実の指揮/或は「第九」オーガナイズへの
関心だったと思われます。

最前列には、教皇庁から枢機卿《お名前は分りませんでしたが》、始め
所謂、VIPがドーンと陣取っておられました。また、TVカメラが色々な角度
から、撮影している様子がステージから、眺められました。

大聖堂で歌う第九は、初めてでした。ソリストも合唱もグングンと響き渡る
声の反響は、第九の雰囲気にピッタリでした。迫力満天の歌声だったように感じました。

特に、第4楽章合唱前半の盛上り小節319から329までは、四声とも落ち着いて、のびのびと”sf”と”ff”を無難にこなして、フェルマータ《指揮者は比較的長く引張られました》まで、良い感じで歌うことができました。

終わってみれば、観客席からの大拍手、そして中央の席あたりからスタンディング・オヴェイションの波が前後左右に伝わって、とうとう枢機卿まで
お立ち上がりに成られて、にこやかに拍手を胸元でされていらっしゃいました。

ベートヴェンの”歓喜の歌”は高らかに大聖堂に響き渡り、歌う者も聴く者もそして奏でる者をも包み込み、最終小節922まで一気に西本智実の指揮棒によって見事に大聖堂全体が「歓喜」に導かれたのでした


                サン・パオロ・フオリ・レ・ムラ大聖堂正面入口
                石像は、サンパオロです。厳かな雰囲気は大聖堂
                ならではのものでした。


               

              
                第4楽章合唱です。西本先生の体全体で指揮を
                されるお姿は凛々しくかつ歌い易かったです。
                中央には、ソリスト2名が見えます。そして、私も?


               

            ベートヴェンが指揮者にのり移ったかのような、否                         
                指揮者がベートヴェンにのり移ったか、と思うような
                見事なdirettrice西本智実の指揮でした。BRAVA!

                
                第九聴き 枢機卿も お立ちなり       元鷹
                歓喜の波は 感動のうねり 

2013年11月10日日曜日

ブログ ”ROMAの麗雅都だより” 200号 issue 記念号

日本でブログをお読み戴いていらっしゃる皆さまには、「Buongiorno!」(午前11:00頃)、そしてイタリア(ローマ)でお読み下さっていらっしゃる皆さまには「Buonasera!」(深夜03:00)とごあいさつを申し上げます。

さて、今回のブログは発行200号(回?冊?)の記念号となりました。
折角の”200”と云う節目ですので、これまでを振り返ってみたいと思います。
お付き合いのほど宜しくお願い致します。

    1.ブログの動機
  2011年6月某日仲間が開催してくれた歓送会での席、Y夫人のご提案と
  同年7月某日成田に見送りに来てくれた親友夫妻からのアドヴァイスが発端。

  そして、このようなPC操作オンチの私を励まして、ブログ立ち上げを応援し
  くれた次男のヘルプがあって、スタートしたのは同年8月某日でした。 
  ですから、今日まで2年4カ月が経過しております。 

       2.ブログの趣旨
  これは、御覧下さっていらっしゃいます様に表紙右側に記載の通りです。
  家族へ、友人へ、そしてローマでお知り合いになった方々へ、勿論ご関心を
  頂ける方が対象となりますが、「身近で今のローマの街並み」を自分の眼で、
  自分の足で取材したものをお届けする、ということですが現在も基本は同じです。

       3.ブログの構成
  ブログは、基本的に「書きもの」、「写真2~3葉程度」、「吾伊句」の3部作にて
  構成しています。理由は、文字での情報発信、ビジュアル伝達、句(五・七・五)
  によるテーマのつかみ(掴み)をねらったものです。
  ※「吾伊句」とは、俳句でも川柳でもなく、自分流の五・七・五で創る句です。
    余談ですが、字足らず・字余りもOKとしています。 

        4.サマリー
  二年四カ月間で200号の発信ですから、850日÷200号=4,25日 
  5日に1度の割で、ブログを発信してきたことになります。

  購読者数(ヴュー)は、およそ延べ18、500回を数えますから、1日あたり
  平均20前後のご閲覧を戴いてきたことになります。
  真に有難うございます。感謝申し上げます。  

       5.今後とも宜しくお願い致します。

   これまでのご声援に深謝申し上げ、かつ一層のご愛読を賜りますように
   微力を尽くして参ります。何卒、倍旧のご指導ご鞭撻をお願い申し上げます。
 
  
   尚、ブログ”ROMAの麗雅都だより”についてご意見ご要望などがございましたら
   ご遠慮なく下記メールアドレス宛にお知らせ下さいます様にお願い致します。

    e-mail:  alibianca313@gmail.com



             サン・ピエトロ大聖堂の夕暮れ
                11月09日〔土〕17:10撮影 この時間でも世界から
                多くの観光客、巡礼者を引き寄せるサン・ピエトロ大聖堂。



               
                    
                       11月某日午後さがり via Torino
                    ローマの青空《アズーリ》は、元気をくれます。
                    正面は、サンタ・スザンナ教会です。通りの
                    反対側には、サンタ・マリア・マッジョレー大聖堂
                    のクーポラを見ることができる素敵な通りです。


                    感謝※ ローマだより いつまでも    元鷹
                     
                     誰だって 紺碧の空 元気出る    

                    
                      

                      


                 
              
   
  
            


  
    
  
  

2013年11月8日金曜日

 LAMBORGHINI GALLARDO

今年の天候はやはり少し異変です。11月にしては、温かな気候の毎日が続いています。

しかし、時には夕方、夜半には突然の大雨☂が降って、乾燥した古いアパートの屋根や、隙間なく道路わきに縦列駐車した車に被った埃を洗い落して、持ち主にとっては恵みの雨となります。

ところで11月は、銀行、諸聖人、そして今回はスーパーカーの話題と
まったく脈絡の無いテーマにて失礼致します。

先週の土曜日でしたか、ローマ歌劇場の近くの通り(via Torino)に
オレンジ色をつけたスーパー・カーが1台駐車していました。

"LAMBORGHINI-Gallardo"という車であることを周囲にいたイタリア人
から教わりました。観光客が、このスーパーカーの傍に立ち、連れの人に記念写真を撮って貰っている姿が、なんとも微笑ましい限りでした。

近くのレストラン店長のステファーノさんに、「一体誰の車なの?」と質問を向けると鼻高々に、「自分の知合いの車だよ!」と嬉しそうに、いや羨ましそうに答えてくれました。

車に詳しい知人に聞いてみると、新車の値段は200,000ユーロ前後
だそうですが、これを円にするとおよそ¥27,000,000-です!
”MAMMA MIA!”と云う声がこぼれてきそうですね。

それでは、その名車”ランボルギーニ・ガッラルド”の雄姿をご覧ください。
尚、機種によって違うのだと思いますが最高時速は、325km/hとのことです。私は、なるほど成程とただ頷くだけでした。


カラーは、アランチオーネといいます。
ローマ市内では、余り見かけない車です。
 
正面に向かって右サイドからアップで撮影。
美しい流線形が目立ちます。
 
 
 
オレンジの ランボルギーニ 柿に似て   元鷹 
 
 



2013年11月5日火曜日

諸聖人の日

先日11月1日は、「諸聖人の日」の祝日の日でした。
天候はと云えば、一日中風もない穏やかで温かな日和でした。

さて、この「諸聖人」とは、どんなことを意味するのかを知りたくて
多くのイタリア人、またイタリアに長く住む日本人に質問してみました。

結果、回答は様々でした。

毎日のように立ち寄るバールでは、「今日の祝日だけは、俺達も聖人に成れる日なんだよ。」と自信満々に云われてしまい、「えっ!そうなんだ?」と
一瞬納得してしまいました。

勿論、これは彼らの独特のジョークですから、お笑い下さい。

知人でいつもお世話になるプロ・ガイドの I さんからの説明がこの祝日
「諸聖人の日」を言い当てているのでご紹介します。

即ち、全ての聖人・殉教者を祀る祝日で、翌2日は[死者の日]となるとのこと。多くの人が、お墓参りに出かけるそうです。

お墓参りと云えば、ローマではサン・ロレンツォ教会に隣接したヴェラーノ共同墓地が大変有名だそうです。英雄ガリバルディ将軍と愛馬マルサーラもこの墓地に眠ると伺いました。

先先月にシチリア島パレルモ市のイギリス庭園で、息を呑んで感動しながら見詰めたヴィンチェンツオ・ラグーザ作のガリバルディ騎馬像を想い出しました。11月中にはヴェラーノ墓地へお墓参りに行ってみたいものです。

さて、さらに I さんからの取って置きのお話しが続きました。
来年2014年4月27日には、第261代法王ヨハネスXXⅢと第264代
ヨハネス・パオロⅡ世とが列聖されると云うのです。

今年のヴァチカン市国の話題は、新法王フランチェスコの大人気振りで
盛り沢山でした。来年も聖人の話題で賑やかになることと思われます

                2012年12月29日
                サン・ピエトロ大聖堂広場に造られた”キリスト誕生”
                の大模型を見物する観光客で賑わいました。


               
                                               
            2013年9月22日 シチリア島パレルモ市 
                イギリス庭園にて撮影。

                
                将軍も馬もローマのヴェラーノ共同墓地に眠っている。


                いつか見ん ヴェラーノ墓地に ガリバルディ   元鷹


                 

            






銀行のストライキ ?

さすがに驚いた!ことには、先日(10/31/木)は、近所のある銀行が終日ストライキ(sciopero)を決行したのです。と云っても争議があった訳でもなく、ただ単に営業を休止した状態だった、と申しましょうか!

イタリア人同僚に聞けば、そんなに珍しいことではないような言い回し
でしたが、私には初耳であり、「まさか!そんなことが。」とビックリでした。

銀行が近いこともあって翌日(11/01)は、祝日でしたが、念の為確認に行ってきました。張り紙が、「スト決行趣意書?」が1枚張ってあるだけでした。

ローマでは、1ヶ月に1~2度の”Sciopero”が発生して、バス、メトロ、タクシーなどの交通機関がマヒしますが、市民はとっくに慣れたもので特に騒いだりすることは無いようです。

一般的にシォペロは、金曜日に行われることが多いと言えますが、
ウィークエンドに繋いだ連休取得?ではないのか!と云うのが、市民の
”影の声”であります。

理由もよく分らずに決行されるこの悪習慣には閉口しますが、海外からの
多くの観光客には、迷惑千万な話であります。

さて、先に挙げた銀行のシォペロも翌日の祝日(金)を控え、土・日まで含めた4連休を所望したものではないのか、と勘繰ってしまうのであります。


                               via Nazionale の一角にあるこの銀行は、10月31日〔木〕に
               突然のシォペロを行った。なぜ?PERCHE'?


               
 

            ガラス戸入口に貼りだされた「お客様へご通知」の
                張り紙。8:30~17:00(通常は営業時間)に
                シォペロのため、扉は閉められると言うお知らせ。


                都合主義 これ幸いに シォペロやる    元鷹