2013年9月30日月曜日

シチリア紀行Ⅶ シラクーサ ギリシア劇場

最後の訪問地シラクーサには、アグリジェントを出てカターニアにて電車を乗り換えて、19:35頃に到着した。40分の遅れ。

シラクーサ中央駅を出るとホテルへ行く前に、現金がショートしてきたので、近くのATMを探すことにしました。

偶然の出会いとは不思議です。ローマで、知り合った日本人のKさんと
バッタリ出逢ったからです。ここシラクーサで、同じ日の滞在だったので、是非お会いしましょう、と楽しみにした次第でした。

用を済ませて、Kさんの奥様が待つ宿泊のホテルへ戻り、3人で夕食を
ご一緒に愉しんだ。Kご夫妻とは、新鮮な海の幸を肴にして杯がすすむに
つれて、大いに話しが弾んでシラクーサの初日を飾った。

さて、翌日は早めに起床してホテルの周囲を散歩しました。
幸いにもシラクーサでの見学先の2か所が、ホテルから徒歩5分程度に
在ることをしって、旅の千秋楽での運の良さを感じられてうれしくなった。

ギリシア野外劇場へは、10:00開門前30分前に到着してしまった。
入場料は、10€でした。この日、一番最初の入場者となって、足早に劇場
を目指して5分も歩かないうちに、岩山のような古代ギリシア劇場の中腹に着きました。

買求めた絵葉の説明書きによれば、劇場は474年A.C.にできたと言いますから、アグリジェントの数々の神殿とほぼ同時期にあたる訳です。

劇場は、すり鉢状になっていて、石でできたベンチが、額(ひたい)の皺のように、或は波のウネリようなデザインで、上下に何段にも広がっている。なんとこれらは彫って造られたものであり、所謂一枚岩なのだそうです。

何千、何万の観客を収容できたのだろうか?と云う素朴な疑問が湧いてきます。劇場では、どんな演劇、弁論、集会、演奏会が、開催されたのだろうか?と想像が尽きません。

コミュニケーションの原点は、紀元前5Cのギリシア野外劇場の中に発見できるような気がしてきました。シラクーサは、ギリシア人が開拓して発展した町で、かのプラトンもやってきたそうです。

ギリシア劇場の上段からパチリ!木々の向うは
イオニア海です。素晴らしい眺望!このステージ
(中央)で、’o sole mio ! を歌いたかった(笑)。
 
すり鉢状の下(ステージ)から客席側を撮影。
マイクロフォンなしですから、発声技術もさること
ながら、音響効果には工夫が施された訳ですネ。
 
                   「ディオニソスの耳」と呼ばれる巨大洞穴。
                   高さは、20mくらいありそうです。石切り場
                   の跡だったのでしょうか?


                 

                   白草や 名も珍しき 古都のまち    元鷹

                   
                      
                   
                   シラクサは 見所多く 人も良し
                   グレコの遺跡 今も輝く  
 

 



シチリア紀行Ⅵ アグリジェント 海辺へ

アグリジェントは、一連のギリシア神殿を見物し終わると他に目立った
観光スポットはなさそうでした。

それなら、ここでシチリア滞在の半ばでもあり、一日海辺へ出て「甲羅干し」を楽しもうか、と室内にあった大判のタオル(砂浜で寝そべる為)をお借りして、正午頃には、”マダルーサ海水浴場”へ繰り出しました。

ホテルからは、10分位の至近距離で大変便利でした。
浜に降りると直ぐに所謂(いわゆる)海の家がありました。親父さんが、暇そうに一人カウンターに腰掛けて、客を待っている様子が伺えました。

あとでここの亭主には、お世話になったのですが、この眼の前の海は、地中海(メディテラネオ)であることを教わりました。

シチリアは、北側(パレルモなど)にはティレニア海、東側にはイオニア海、そしてこの街南側に位置するアグリジェントの海辺は、メディテラネオ(地中海)に囲まれて居ることを知りました。

甲羅干しを始めたものの昼下がりの海辺の日差しは、それなりにジリジリ
と熱いもので、チキン・ロースターのチキンのように体をグルグルと自転させては、午後の陽に体を当てるようにやってみました。

さぞかし、8月中であったならば、多くの海水浴の人達でこの辺は溢れかえっていた居たことだろうと想像すると、今日の誰もいない海辺は、随分と
贅沢なことのように思えてなりませんでした。

砂浜で、1時間も時間をすごしたでしょうか?海の家へ戻って、咽喉が乾いていたのでハイネケン・ビールの小瓶を、籐椅子に深々と腰を掛けて飲んだ時のゆっくりとした時間は最高でした。


            海辺近くから朝焼けの瞬間を撮影しました。午前7時5分ころ。


               
南国の国らしい原色の赤色の花が似合います。
                ホテル内庭園で撮影したものと思われます。

                

            海の家近くの砂浜周辺です。殆ど波がなくて
                穏やかな岸辺を楽しみました。

               
 
大型タンカーを望遠レンズで撮影しました。
何処から来て、どこへ行くのでしょうか?
 
 
      秋の浜 我一人来て マダルーサ   元鷹
 
  アグリジェント 波の音静か 浜に寝る
 
地平線 メディテラネオに 線を引く
 

2013年9月29日日曜日

シチリア紀行Ⅴ アグリジェント ギリシア神殿 

海辺≪メディテラネオ≫寄りのホテルからおよそ1時間歩いて、やっとギリシア神殿のある丘の麓に着くことができました。

神殿の見物料は、6€でした。さて、これでいよいよ紀元前5Cに建てられたギリシア神殿の前に立つという、憧れの実現となる訳ですからゾクゾクした感じがしてきました。

実際に神殿を眼の前に見つめますと、まるで2500年前の時代に遡ることが出来たような錯覚を覚えました。

ソクラテスやプラトンや、アルキメデスや、アリストテレスなどが、声を掛けてくるかもしれない、という,大袈裟に言えば、そんな空想さえ湧いてくる不思議な空間の世界でした。

どの位歩いたでしょうか、記憶が定かではありませんでしたが、いよいよ
午前中にタクシーの窓から見ることが出来たコンコルディア神殿が、ドーンという存在力をみせながら目前に現われてきました。

和辻哲郎著「イタリア古寺巡礼」に依れば、”中世には教会として使われた”ことがあり、その為に現在あるようなカタチがほぼそのまま残っているのだそうです。

氏は、1927年(S2)~1928年(S3)の1年半の間、文部省派遣留学生として欧州へ渡ったそうです。(ドイツ、フランス、イタリアを訪問)

余談ですが、今日でもこの一帯を訪れるのは、結構骨が折れる旅ですから、況や当時(90年前)のご苦労は並大抵のことでは無かった、と甚く同情するものです。

さて、もっと丘の先にはユノー神殿があります。
丘の先端に在ると言っても良い場所です。ここからの下界の眺望は、絶景でした。

カタチは、コンコルディア神殿のようには、整っていませんが、逆に太いドリス式のエンタシス(柱)の美しさを身近に感じられました。

瞼を閉じると遠い遠い昔のギリシアの時代へ誘(いざな)ってくれるような
空気を吸い込むことができました。

やっぱり2500年の神殿跡地には、神々しいMIRAGGIO(蜃気楼)が今日でも漂っているのだろうか、とおぼろげに思いつつ小雨の丘を下りました。


                堂々のコンコルディア神殿正面です。
                右側下に男性らしき人が立っています。
                全体の大きさをイメージしてみて下さい。


                
 
この写真は、ユノー神殿です。一連の神殿の中では
最古の神殿です。この壊れ具合が何ともはや。
ギリシア文明の力を感じさせてくれました。
 

                これはコンコルディア神殿をホテルの非常階段口
                から、早朝に撮影したものです。暗闇に神殿を浮かび
                
                あがせる憎い照明効果です。




                神殿や ゲーテと和辻の 書を読みて    元鷹
                堂々と グレコのドリス 丘に建つ
                満月や 神殿群を 相照らす            

 

2013年9月28日土曜日

シチリア紀行Ⅳ アグリジェント へ 

パレルモがシチリアの表玄関であるなら、次に訪問したアグリジェントは
シチリアの奥座敷と云えます。アグリジェントは、シチリア島のほぼ中央南に位置します。

パレルモから普通電車でおよそ2時間余り。紀元前5C頃には、ギリシア人が移り住んでいたところとのことです。

アグリジェント中央駅を出ても長閑な風景が在るだけで、駅前広場には、タクシーもバスの姿も見えませんでした。暫くブラブラしながら、街並みを見ようと散歩しました。

ホテルに電話をするとタクシー以外の手段は無いと言われ、されどタクシースタンドが在る訳でも無い静かな佇まい?。街路地で出逢った婦人警官にタクシーは何処で見つけられるのかを聞いて、やっと1台のタクシーに行き先を告げることができました。

ホテルへ向かう途中の車内から遠くに「ギリシア神殿」≪コンコルディア≫
を見つけた喜びと感激は格別でした。”ウワォー”と云う叫びは、こんな時に発声するものかなぁ?と。

チェック・インを済ませて、早々にギリシア神殿の丘を目指したいとレセプションで相談したところ、タクシーを呼びつけるほかはありません、との回答だった。

ここのホテルは、海辺に近いところにあって神殿群からは2~3KM程度離れた所にあった訳です。

結局、”テクテク歩くのもいいなぁ!”と出来るだけ荷物を少なくした上で、歩いて「ギリシア神殿」のある丘を目指すことにしたのです。


            パレルモ中央駅です。08:49発のアグリジェント行き電車。
               到着まで、およそ2Hの所要時間です。

               
  
              
            タクシーから急いで撮ったギリシア神殿≪コンコルディア≫
                厳粛な建築美に感動しました。

                 
                 



                
 
神殿の丘を目指して歩いていた時、ミモザの木に
花を見つけました。えっ、9月にミモザ?島南端だから?
 
 

                新市街地の建物が遠くに白色に見えます。
                ギリシア神殿群は、その手前右側に位置します。
                この写真は、海辺に近いホテルから神殿群に向かう
                途中で撮影したものです。



                遠くに見ゆ コンコルディア 車から      元鷹
             
                エンタシス 幼き頃の あこがれよ
 
 
 

シチリア紀行Ⅲパレルモ”ガリバルディ騎馬像”

パレルモ観光で今一つぜひ訪れたいと切望していたのが、イギリス公園の中に建つ「ガリバルディ騎馬像」でした。

彫刻家は、ラグーザ・ヴィンチェンツォ(1841~1927パレルモ生まれ)と言い、明治政府から、1876年日本へ招聘(しょうへい)されたイタリア人です。

工部美術学校で彫刻指導に当り、大熊氏廣・藤田文蔵らが後に活躍しました。大熊氏廣の作品の一つは、上野にある国立博物館に隣接した平成館玄関前のライオン像がであります。

さて、ラグーザは日本滞在中に絵画の才能豊かな日本女性清原玉を伴って、故郷パレルモに帰国(1882)したのでした。やがて、一緒に来伊した姉夫婦らと共にラグーザは、工芸学校を開校したとのことです。

ラグーザ、イタリア統一の立役者ガリバルディ、お玉さん(通称)、一人ひとりが奥深い魅力を感じさせてくれます。

はじめて、イギリス公園に建つ「ガリバルディ騎馬像」を見た瞬間、背筋に電気が走ったという表現がピッタリするような驚きと感動を覚えました。

まるで生きている馬にガリバルディ将軍が、跨って右腕を高く前方に差出し、人差し指を一点の方向に向けているかのようです。

ローマに居て、数多くのブロンズを噴水で、美術館で、街角で、見てきましたが、これだけの驚き≪生きているかのような勢い≫を味わったの初めての体験でした。

日本の明治時代の若き芸術家に指導されたラグーザ、日本人女性で
恐らくですが、最初にシチリアの地に赴いたお玉さん、このお二人の存在を知って以来、パレルモは私にとっては憧れの街になったいたのです。

それでは、どうぞ御紹介の騎馬像を写真でたっぷりとご覧くださいませ。


            ラグーザ・ヴィンチェンツォ作 ”ガリバルディ騎馬像”
                少々離れた場所から全景を撮影しました。
               


               
 
騎馬像の前に鎮座するライオン像は、ローマの共和国広場
に在るナイアディの噴水を作ったマリオ・ルッテリに依るものです。
今にも動き出しそうですネ。騎馬像に匹敵する渾身の作品です。

                像の直ぐ下から撮影しました。指先から馬の蹄まで
                真剣勝負で作成したことが、素人にも解かります。

                

 
ガリバルディ将軍の雄姿が輝いているかのようです。
馬は、将軍の命令を聞き洩らさないかのように耳を
立てています。人馬一体とは、このようなことでしょうか?!
 
 
騎馬像や 放つ力に 胸熱く     元鷹
 
騎馬像は 天下一品 RAGUSAなり

2013年9月27日金曜日

シチリア紀行Ⅱパレルモ”フェデリコⅡ世”

シチリアは、風光明媚、歴史・文化の多様性など興味もさることながら、
私にはもう一つのぜひ行ってみたい、という動機がありました。

それは、皇帝フェドリコⅡ世(1194~1250)の存在を中公新書
「物語イタリアの歴史」(第4話皇帝フェデリーコの物語)藤沢道郎著を
通じて、何度も読んではその度、大いに感動して勇気を頂いたからです。

その皇帝フェデリコⅡ世の墓を偶然に訪問した市内のカテドラル(中央寺院)の中に発見したものですから、驚くやら嬉しい限りでした。

墓は、寺院の一角に慎ましく畏(かしこ)まって居るように思われました。
入場料は、1.5€でした。絵葉書、CDなどをここで購入できました。

フェデリコⅡ世の石棺は大変立派な作りをしています。観光客が花束を捧げたのか、正面にそっと置かれていました。

フェデリコⅡ世は、その生涯を知る多くの人々の心の中で今でも生きているのでしょうか。係の若い女性の口から、「フェデリコⅡ世は、人気があるのですよ。」と言われ何だか嬉しい心持ちになったのでした。


            カテドラル(中央大寺院)正面左側部分
                全体は、さすがに貫録のある大寺院です。

               
  
             
            大寺院中央右側部分です。12c後半の建造物です。
                フェデリコⅡ世が誕生した時には、既に完成していました。

                
   
            
            フェデリコⅡ世が静かに眠る石棺です。
                ここには、厳粛な空気が漂っていました。
                神聖ローマ帝国、ノルマン・イタリア王国どちらも
                継承した大王だった。


               

               台座の上に花束が数本見えます。茎部分で失礼!
               石碑には、皇帝、シチリア王、と云った字を読むことができます。

               

            中央寺院を出て、バスを待っていると
                シチリア名物の賑やかな装飾を仕立てた馬車が
                 
                軽快なテンポで走り過ぎました。

            

               
                わが想い フェデリコⅡ世 めぐり逢う   元鷹
                
                歓喜なり フェデリコⅡ世 夢の跡    

シチリア紀行Ⅰパレルモ”モンレアーレ”

パレルモはシチリアの首都です。知人からの薦めもあって、市内観光は
2階建の観光バスを利用して、できるだけ多くの観光スポットを見ることに
しました。

パレルモは、2泊しましたが実際に観光の時間が取れたのは、1日だけでしたから、行き先を絞り込まざるを得ませんでした。

バスは、A.B.各ルートで観光地を廻りました。先ずは、Aルートを見て廻って、特別コースMONREALE(モンレアーレ)に参加しました。ここは、郊外
に在って、市内中央からバスで30分位かかりましたでしょうか。

丘から海を見るパノラマは、異国情緒に満ちて中々素晴らしいものでした。モンレアーレの見所の一つ「IL CHIOSTRO」を楽しみました。

シチリア庭園を四角に囲んだ回廊の庭側に、捻じりの入った大理石の柱が、均整、均衡を保って整然と建ち並び、全体に美しいシルエットを生み出しています。

シチリア庭園と云えば、ここパレルモは昔から、ボタニック・ガーデン、新種の植物育成を実験するガーデン、そして市民庭園つくりが盛んな土地柄だそうです。

今回は、ゆっくりとそれらの公園や庭園を愉しむ時間の余裕を持てずに
残念でした

             
                
                市内観光バスすれば、後は好みのスポットを選ぶだけで
                自由自在な観光が楽しめます。バスは、モンレアーレの
                バス・ストップに到着したところです。料金は、A,Bコースで
                20€、MONREALEコースを含めると25€。

                
                         
              
            モンレアーレにある”イル・キオストロ”は、清楚で
                整然とした雰囲気が特長です。柱の一つ一つは
                手彫りで動物、植物、架空(宗教上)のモノなどが
                彫られています。



                

               モンレアーレの丘から下界を望むスポットから撮影。
               ノンビリとした時間が止まっている世界のようでした。



               


                モンレアーレの中心地にある”DUOMO”(カテドラル)祭壇
                には、金ぴかの装飾が施されています。

               

                    ノルマン建築DUOMO/カテドラル背後からの写真
                    ユニークなデザインは、魅力的でした。

                   
                 
                 モンレアーレ カメラ頼むと アメリカーナ  元鷹
                 シチリアは 驚きの島と 見つけたり 
                     
   

2013年9月15日日曜日

ポポロ広場で”欧州宇宙博覧会”が開催されました。

もう2週間前になりますが、ポポロ広場で「欧州宇宙博覧会」※が開催されました。8月30日〔金〕~9月6日〔金〕の8日間の日程で開催されものです。※European Space Expo

私は、初日の8月30日〔金〕が都合が良かったので見学に出掛けて参りました。ポポロ広場をご存じの方は、広場の何処で開催したのだろうかと
思われたかも知れません。

結構広いスペースを持つ広場ですが、開催は山の手と言いますか、ピンチョの丘よりのスペースを使って大テント《ドームのような》の中で行われました。

大テントに入りますとまるで別世界に来たのでは、と言う錯覚《余談ですがローマでは良く体験します》をするほどでした。

天井からは、衛星ガリレオ《或は、衛星コペルニクス》が宙を泳いでいるように、5機程でしたでしょうか、正に宙吊り状態で飾られていました。

この企画主催は、どうも”ESA”{the European Spase Agency}らしいのですが、※「どうも」とは不確かで、キッパリと言い切れないものですから・・・

欧州全体で宇宙開発{衛星/サテライトを活用した地球の情報収集}の取り組みをしていることを市民に紹介しようという意味合いと、併せて自国イタリアのESA参加状況を知って貰うと言う趣旨のようでもあるようでした。

以上は、私の勝手な見方ですから正確な情報とは申せません。
会場内で配布されていたパンフレット類を読み返しても十分に意を解することが出来ずに隔靴掻痒です。

実際に会場に入ってみますと、数々の活動紹介ビデオ、主催者側からのレクチャーなど楽しむことが出来ました。

蛇足ですが、会場となった”ポポロ広場”についてお話し申し上げます。
16世紀後半に当時の法王シスト5世[在位1585~1590]の命で建築家ドメニコ・フォンターナが広場中央にオベリスクを建てて、広場を再整備したそうです。

古い歴史のローマの広場で、「欧州宇宙博覧会」という最新技術の粋を結集した科学展の開催は、大テント〔ドーム〕の中[宇宙]と外[バロック時代のROMA]とのコントラストを醸し出して、まことに新鮮でした。



 
ポポロ広場に会場を設定した”欧州宇宙博覧会”のドームです。
8月30日撮影
 

            8月30日午後6時から、専門家による宇宙開発の
                実態やサテライトから送られる情報の分析・解析に
                よって、欧州地区の自然災害への早期発見、対応
                などについて、レクチャーが行われました。



                

                宇宙サテライト「ガリレオ」、或は「コペルニクス」の模型が
                大テントの天井から、5~6機程ディスプレイされました。


                ご参考リンク先:
                http://copernicus.eu

                                          www.esa.it






 
                ガリレオも コペルニクスも 宙を舞う    元鷹



             





2013年9月11日水曜日

バブイ-ノの噴水

ローマきっての観光スポットのひとつ、スぺイン広場からポポロ広場を繋ぐVIA BABUINO(バブイーノ通り)※の一角に「バブイーノの噴水」を見ることができます。

数あるローマの噴水の中では、幾つかの理由で特別な存在にあると、言うことが出来るだろうと思います。

先ずは、その姿形ですが、至って変わり種です。
変なカタチをした噴水像であり、関心を引き付けずに通り過ぎてしまいそう
な噴水です。

この噴水の歴史を紐解くには、またまた竹山博英著「ローマの泉の物語」
に頼らない訳には参りません。〔P.168-170〕

一部引用をさせて戴きますと、アレッサンドロ・グランディなる裕福な商人が1570年代に水道を引く許可を得た見返りに、シレノス(ギリシア神話に出てくる半神半獣の山野の精)の像を市民に提供したものだそうです。

また、WILLY POCINO著による"LE FONTANE DI ROMA"(P.33)を紐解きますと、この泉のデザインは、フランコ・ザンペッチによるものであることが分かりました。

元々のこの通りの名前は、パオリーナ街(通り)だったそうですが、
この像が、余りにも変った?変な像である為、いつの間にか動物のヒヒ
伊語の《babbuino》に当たるBabuino《bb×⇒b×1》通りと名付けられてしまった、と言うエピソードも書かれています。

今日、このバブイーノ通りにはオシャレで世界に誇る欧米の有名老舗店※が軒を並べて、多くの観光客を魅了しています。

しかしながら、この噴水の前で足を止める人は少ないように見受けられます。書き出しに感想をお伝えしましたが、何かローマの他の噴水と違った
”特別な存在”を感じてしまうのであります。

ローマにお越しの際には、是非 VIA BABUINO へお立ち寄り下さり、
旅の道草をお楽しみされますように!

※映画「ローマの休日」に出てくる新聞記者ジョーのアパートは、
  via babuino から 入った bia margutta にあります。
  
※例えば、エトロ、ミュウミュウ、トリバーチ、ティファニー、シャネル、ツミ、
  ボルサリーノ、他セレクトショップ、教会、ホテルなどが並んでいます。


             シレノス《半神半獣》の像、或はサンコ・フィディオの像
               と名付けられところ、昔のローマっ子は”ヒヒの像”
               babbuinoと呼んだそうです。


               
  
            ワァー怖い! と思います?何と表現したら良いのか、
                私も困りました?頭部は、悪戯されて幾度も据え替え
                られたそうです。ナルホド、成程。

               

              

               バブイーノ  意味が解かって うっヒヒ!  元鷹