2015年12月31日木曜日

第439話 サムアップ Di Roma その10 お便り

とうとう2015年12月31日(木曜日)、本年の大晦日を迎えました。
そして、既にご案内のようにブログ”ROMAの麗雅都だより”の最終便を迎えることとなりました。

最終月の千秋楽・大晦日です。
12月は、サムアップと題しまして、10のテーマを取り上げることにしましたが、ラスト・テンのお題目は、”お便り”です。日本を離れて生きる私、または数多くの在外に生きる日本人、否何処の国の人々にとりましても、関心度の高いテーマなのではないでしょうか。

便りの代表格として、私たちが学んだものに次のものがありました。
     「一筆啓上火の用心おせん泣かすな馬肥やせ」
江戸時代の侍ホンダなにがしが留守宅の妻宛てに書いたものでした。
短文で要件を満たした手紙であることに間違いありません。

先ずは、1.火事に注意せよ!そして愛娘おせんを2.しっかり養育せよ!最後に3.侍にとって大切な馬について3.縷々大切に世話をせよ!
と伝えています。※解釈は、元鷹流に咀嚼したものです。悪しからず。

良く見れば、この短文は7・6・7・5のリズムになっていて発音上のゴロが良いですね。一度覚えてしまうとしっかりと記憶に残るものです。

ところで、ローマに居りまして、胸がワクワク・ドキドキするものの筆頭格は
私にとりまして、さぞかし多くの同朋にとっては”便り”(封書・葉書)であります。仕事が終わって家路に着いた時に、”便り”を発見したときの嬉しさは格別です。

今日では、電子メールという真に便利な機器が好まれて世界の人々に使われています。一瞬時に情報が届いてします。ペンを取って、便箋を出して、切手をはる必要も有りません。しかも、タダ同然です。

そして、このブログ自体も電子メールと同様ですから、真に偉大なる発明発見です。

しかしながら、私にとりましては手書きの便りに優る情報交換は在りません。ペン、用紙、封書、切手、そしてインクの文具品は常に私を勇気づけてくれております。書く、という行為は相手をイメージしてこころを込めて
成されるもの。

こころの準備として、必要とする「間」も大切です。
手書きの便りには、そのような手順が問われるから、きっと好んで手書きの便りを創造すること、一種の小さな作品だと考えています。

         
             惜しむらく 今日が最後か 大晦日
             嬉しくもあり 寂しくもあり

                                元鷹

2015年12月29日火曜日

第438話 サムアップ Di Roma その9 無いものネダリ

今年2016年も残すところ、今日を含めて3日間となりました。
先日、ヴァチカン市国の郵便局へ出掛けて参りました。

ところが、局も広場の左側に常駐しています販売店もしまっていましたから、用を足すことはかないませんでした。なるほど、出かけた日はサント・ステファノの祝日でした。

大聖堂の広場には、海外から多くの観光客が、大聖堂への入場をめがけて列をなしていました。

12月8日に聖なる扉が開けられた訳ですが、この扉を潜(くぐ)る為に態々世界の各地からヴァチカン市国へ来る人々の大変さを思えば、ローマに住んでいる私などは、直ぐにでも駈けつけられそう思われるかもしれません。

25日には、4大聖堂のサン・ジョバンニ・イン・ラテラーノに立ち寄って、「聖なる門」を初めて潜ってみました。やはり此処でも、警備体制が敷かれて、入場時間が掛かりました。聖なる門は、まさに狭き門でもあるのです。

さて、今日のサムアップの話題は、「無いものネダリ」であります。
私は、時々まるで子供のように”無いものネダリ”をすることがあります。
勿論、ねだる相手は自分自身で、ねだるものは日本のものです。

例えば、ローマでは中々食べることが出来にくい「ざるそば」、「かつ丼/天丼」はじめ日本では普段に食べていたものばかりです。しかし、日本レストランへ行けば、食べられるものばかりですから、何と他愛ないことであります。

生活に不可欠な食べ物ばかりではありません。
頭の栄養滋養になる書籍についても同様です。日本では、傍らに在っても目を通さなかった本をここにいて、にわかに読みたくなることがあります。

無いものネダリとは、叶わぬことを欲すること、或は現実離れしたことをしたがる欲求である、と言い換えても良いかも知れません。

しかし、また若き頃を想い出しますと、目の前の宿題を放り投げて、好きな小説に時間を費やしてしまう逃避行為に似ていないだろうか、とも思えるるのです。

まあ、残されたローマの生活では、無いものネダリを棚に挙げて、ローマにだけしかないもの、特有のモノにこだわって楽しんでみたいと思います。


             日本離れ 無いものネダリ 頻繁に
                               元鷹

2015年12月25日金曜日

第437話 サムアップ Di Roma その8 郵便局について

クリスマスの今日のテーマには、持って来いのお話しをしたいと思います。クリスマス・カードを書いて、ポストに入れる時などワクワク感があって密かに嬉しいものです。

私は、子供の頃から郵便局が好きで切手、ハガキを良く買いに出かけた経験を想い出します。さて、ここローマの郵便局事情をひとつ。

”待たされる”のが、ローマの郵便局の一大特長なのです。
切手一枚買うのにも10分から30分も待たなくては購入出来ないことが在ります。次に観察の結果を書いてみます。

1.窓口に係員がすくない。
2.おしゃべりが多く、そして長い。
3.一人あたりにかける(接客)時間が長い。
4.システム(仕事手順)が悪い。
5.正確・迅速に仕事する姿勢がない。

といった悪さ加減であろうか?
郵便局にお世話になりながら、この様にリストアップすることに恐縮してしまうのですが、全く実感ですから致し方ありません。

例えば、切手購入を希望しますと窓越しの係員は、後ろのドアを開けて隣の部屋へ行き、切手を持ってくるのです。私が通う局だけではありません。殆どの局は、このようにしているのです。

切手は、かつてタバコ屋さんで購入出来たのですが、現在は殆どのお店が販売しておりません。雑貨屋さんに行けば、購入できる場合も有りますが、扱いが無いことも多く全く持って不便な限りです。

ですから、私の場合には朝早く局へ行って、まとめ買いするようにすることもございます。

もうひとつ困ったことには、切手の価格がいつの間にか、ドンドン値上がりしてしまうことであります。この4年半年間でも3~4回くらい値あがっています。現在、日本まで2.20ユ-ロですから、およそ300円超です。

因みに、日本からハガキでローマまで70円、封書で110円程ですネ。
ですから、葉書の場合4倍以上の価格差があるのです。

また、面白いと言いますか”良く分らない”のは、葉書と封書の切手代金は変わらないのです。勿論、封書は中身が増えれば、重さが増えますから、比例して高額になる訳です。

思わずに”良く分らない”と書いてしまいましたが、ローマに居りますと、この言葉を何度も使用せざるを得ない代表的な口癖が、”良く分らない”であります。

この郵便局事情のこと、”良く分って欲しい”と願っております。


            切手買う 待つ楽しさや 何処にやら
                               元鷹

第436話 サムアップ Di Roma その7 「時間」について

今日は、12月25日(金)ですから、クリスマスであります。
イタリアは、祝日休暇です。また、明日の26日(土)は、サン・ステファノ野日でありますので、同じく祝日です。翌日は、日曜日ですから3連休です。

今日は、”時間”について書いてみたいと思います。
一般的にイタリア人は、時間にルーズ(ゆるい、気に掛けない)であるようにに思われている節があります。

では、実際ローマの人達と仕事したり、お付き合いしている中で、感じる処を述べますと、やっぱり「ルーズである」と言えます。あくまで一般的なことですから、時間に厳しい人もいる訳ですが。

ここでイタリア人の時間管理のことを書いても余り興味を寄せられませんから、止めて置きます。但し、反対に時間の大切を人々に啓蒙したのは、イタリア人の先達でありますラテンの詩人ホラティウスであります。

Quintus Horatius Flaccus 紀元前65年-同8年 南イタリア生まれ
有名な警句/格言ですが、
CARPE DIEM  カルペ ディエム
この日を掴め 次の日に信を置いたりせずに

”カルペ・ディエム”のお話しはこれまで何度か申し上げて参りましたのでこの辺で止めて置きます。

そもそも私たち人間/ひと は時間の点から、考えますればLIMITA
(有限時間)の中で生きているわけですから、本能的に生きる時間のことを気にしているのでしょう。

プラトンもソクラテスも孔子も、2000年前以上にどう生きるか?如何に生きるか?を考えた訳ですから、大変なことであります。これらの大思想家たちが、時間をどのように考えたのか関心がありますが、未だ残念ながらその説に当って居りません。

時間と言うとらえようもない宇宙の中、私たちは生きている、否、生かされている訳です。上記の”カルペ・ディエム”の教えるところは、希望することがあれば、即実践せよ!ということなのかも知れないと最近思うようになりました。

日本でも古来より、”時を惜しめ”と言った戒めは存りました。人は、時間的有限の中で生きていることが、自覚出来た時にこそ、自分のおもいを実践するスタート/タイミングである、と思う次第です。

ローマ滞在中、街角で偶然出会ったこの”CARPE DIEM”と言うラテン語は、私に”時間”を考えさせてくれる起爆剤になったことだけは事実であります。

それにしても、不思議なモノ、その名は「時間」であります。


           ローマにて 時間の不思議 噛み締める
                                 元鷹     





第435話 サムアップ Di Roma その6 トイレ

フランチェスコ法王は、今年12月8日から来年11月までのおよそ1年間を聖年とは宣言(本年春)したわけですが、12月8日はサン・ピエトロ大聖堂の聖門(ポルタ・サンタ)が法王に依って開かれました。

また、続いて12月13日(日)には、4大教会のサン・ジョバンニ・イン・テラオとサン・パオロ・フィオリ・レ・ムラ聖堂の聖門が開かれたのです。
最後にサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂が、カポ・ダンノ(元旦/深夜)に開門されるそうです。

皆さまご存知のように本来は25年毎(中世紀には、100年、50年毎だったようですが)に聖年は行われるようですが、前回は2000年だったので、未だ10年先の2025年が本来だったように思われるのですが、今年2015年に行われました。

私の住むVia Calatafimi(カラタフィーミ通り)から、サンタ・マリア・
マッジョーレ聖堂は、徒歩15分程度ですから、元旦に行って見てみたいものです。

お話はタイトルの「トイレ」に戻ります。
イタリアのトイレ事情は、余り良い状態であるとは言い難いものがあります。世界から来た旅行者は困惑しているのではないでしょうか!

ここでは、如何に快適に「用」が足せるか?という実用的なことに的を絞りたいと思うです。

☆実際と対応方法などについて
A.レストランやバールのトイレ
  殆どの場合、便座が外されています。長くローマ居りましても、どうして か不明です。従いまして、お尻を付けないような恰好で用を足すほかありません。足腰の訓練にはなるかも知れませんが? 

B.観光中にトイレを探さなくてはならない場合
  先ずは出掛ける前にホテルで用を済ませておくことが前提です。
しかし、それでもトイレは必要になります。団体旅行であれば、添乗員・ガイドさんらが、親切にアドヴァイスをしてくれることでしょう。

中々公衆トイレは、無い訳ではありませんが、発見することが難しいと思います。一般的には、BAR/バールを利用します。(BARのことは既にご紹介していますが)

○借用する時のお願いの言い回し
 
 ブォンジョルノ!イル・バーニョ、ペル・ファヴォーレ?
  こんにちは!スイマセン、おトイレを貸して下さい?

 ※この表現は、旅行本には殆どの場合記載されているはずです。
   直ぐ使えるように目印を付けておくと良いでしょう。

C.有料トイレの場合
  金額は、0.5から1€が相場であります。
  小銭コインを常に携帯する必要が在る訳です。

  大別すれば、係員がいて0.5ユ-ロほどを渡すケース、或は自動ドア入口にコインを入れて入場できる仕組みとになります。
有料だけあって、トイレの清掃は行き届いているのが通常です。

おおよそは、以上のことが語っている通りですが、いろいろなケースがあるかと思われます。何事もあわてずにBARの、またはレストランの係員に率直に相談してみて下さい!

トイレは、整備されていなことがあっても、そこに働く係の人達は意外と親切で、頼りになることが多く有りますから、余り心配しないでください。


           バーニョとは 俺のことかと トイレいい
                               元鷹

2015年12月23日水曜日

第434話 サムアップ Di Roma その5 相違を愉しむ

今年も余すところ今日を含めて10日となりました。
毎年毎年越年の頃に前においては忘年会、後においては新年会を楽しんで参りましたが、今年は少し変わったカタチで歳末を楽しんでいます。

ローマで親しくお世話になった方々と席を挟んで来し方の想い出を語り懐かしんでおります。ローマ滞在は、1カ月を残すのみとなりました。

さて、本日のテーマは「相違を愉しむ」であります。
少々判りにくいタイトルではあります。

一口で申しますと、日本とイタリア、お米とパスタ、(アメリカン)とエスプレッソ、日本語とイタリア語、右側通行と左側通行、握手とイタリア式キッス、切りがありませんからこの辺で。

ローマは、コロッセオが象徴しておりますように真に”グランデ”(巨大である)なのですね。表現が難しいのですが、抽象的ですが”全てを飲みこむ”
と言ったら良いでしょうか!

兎に角、ここに存る空気は「懐(ふところ)が大きい」のです。

さて、このような空の下、今回4年と半年を過ごさせて戴き、思いますのは
タイトル書きの如く”相違を愉しむ”こころを大切に!とアッピールしたいと思うのです。

日本の便利さは、ローマでは得難いものになります。ローマは、近代的便利さを求めにくいところではあります。

しかし、日本のストレスは此処には在りません。
逆に、ローマ特有のストレスはありますから五分五分です。

ただ、その五分五分の中身が違います。
ローマのストレスは、人に依って違う訳ですが、時間の経緯と共に不思議と快感となるマジックを秘めているのです。

書き言葉では、言い表せない”ニュアンス”(微妙な差異)です。
このニュアンスを感得した外国人(私もその一人ですが)は、俗に言うイタリアに嵌(はま)った!という表現が用いられるのだろうと考えています。

日々の生活のなかで「相違」は、あらゆる点で存在しています。
私は、ここにきて(時間的経緯)どうもこの”相違の愉し
み方”に喜びを感じる程、病膏肓の域に入ってしまったようであります。


                          個性とは 相違を許し 立つおのれ
                             元鷹


2015年12月20日日曜日

第433話 南イタリア紀行 ヴェスヴィオ山

ソレントに宿をとったホテルのテラスから、海の向こう側にくっきりと
ヴェスヴィオ山が見えました。カタチは日本の富士山に似たなだらかな
稜線をしていて、何とはなく親しみを感じさせる雰囲気を感じました。
士ました。

いよいよ4日目の朝、ローマに帰る日でしたが寄り道をして、あの
ヴェスヴィオ山へ登ってみようと決心しました。

登ると言っても標高1281mもある山です。おいそれとは登れません。
ホテルのレセプショニストに訊ねてみれば、ほぼ火口近くまでバスで連れて行ってくれるとの情報でした。

さて、ソレントの駅から1時間は、たっぷりと電車に揺られて最寄りの駅である「エルコラーノ」で下車しました。駅前の猫の額程しかない広場の隅にヴェスヴィオ山行きの案内事務所がありました。

客はスペイン人夫婦(バルセロナ)と私だけの3名でした。小型バスに乗せられて山に向かったのは、事務所を訪ねてから1時間余り経ってからでした。料金は、往復一人17€ほど。

どのように小型バスが、火口近くまでルートを走ったのかを詳しくお名は市出来ませんが、40分前後で辿りついたような記憶です。
入場にはさらに10ユ-ロを支払いました。登山料金です。

ここからは、歩いて登らなくてはなりません。
生憎、太陽が雲に隠れていましたから下界の眺めは今一つハッキリしていませんでした。

それでも、遠くのナポリ湾を望む絶景には一見の価値をみることが出来ました。”ナポリを見て死ね”とは、この場からの景色を讃えた格言だったのでは、と思わせる一幅のシーンでした。

徒歩20分位で、やっと火口近くまで登りつめることが出来たのでした。
その間、スペイン人夫婦と励まし合うかのように雑談を楽しみながら、ゆっくりと登りつめたのでした。  

火口を見下ろせば、まるで巨大なすり鉢状の洞穴であります。
所々から、今でも白煙を天に向けてあげていました。

我々3人は、ゆっくりと火口周りをナポリ湾を眺めながら歩き、記念の写真を撮ったりして時間を費やしました。

火口側にまでお土産ショップ(2か所)があったことに驚きました。

ところでヴェスヴィオ山と言えば、カンツォーネの”フニクリ・フニクラ”(あの軽快なメロディです)が想い出されますが、山登りの車からも、そして火口からも当時の電車の遺跡?は見つかりませんでした。

ネット情報に依れば、1880年に始まったヴェスヴィオ登山電車は、1944年に起った噴火がもとで破壊されたそうです。

しかし、現在でも世界中で登山電車のPRソングは人々に愛されて歌われている訳ですから、何とも不思議な感じがします。

尚、ヴェスヴィオ山の大噴火でポンペイとエルコラーノが一昼夜にして
火山灰の下に眠ってしまったのは、西暦79年8月24日のことだったそうです。

                                ポンペイを ヴェスヴィオ火口 一気飲み
            ヴェスヴィオの 火口や広し 昔の火
            富士もよし ヴェスヴィオもよし 冬の旅

                                元鷹  




2015年12月10日木曜日

第432話 南イタリア紀行 アマルフィ

ここ10年来、南イタリア人気が日本では進んで来ております。
長い年月、具体的には何時頃のことを指すのでしょうか、1994年前後以来イタリア・ツアーに大ブームが起きました。

当時のツアーアイテナリー(日程)と言えば、主にミラノ⇒ヴェネチェア
⇒フィレンツエ⇒ローマ見物といった最も人気度の高い歴史的都市への旅だったと思います。

イタリアと日本との相性は真に良いように思っています。
国がらが似ている点も、或は反対に違うことも比較的歴然としている為でしょうか?観光立国イタリアにとっては、日本人は優良顧客であります。

さて、南イタリアのお話しに戻りましょう!

先ず、本論に入る前に最近読みました新書「イタリア旅行」に詳しいのですが、18世紀にヨーロッパ(特にイギリス)で起ったイタリア・ツアー、”グランド・ツアー”と命名されたようですが、ご紹介致します。

イギリスの貴族の間に長期間<数カ月~数年も>古代ローマを、ギリシア文化の足跡を訪ねるツアーだったようですが、ローマ・ナポリはその人気の中心にあったとのことでした。

さて、そのナポリ<ギリシア語から派生した言葉>から、更に電車で1時間チョット南のソレント<この街はご紹介しましたが>から、海岸線沿いを走る運行バスで更に1時間余走った辺りに”AMALFI”の小さな町があります。

この間の沿岸線道路は、切り立った崖スレスレに作られていますのでスリル満天のドライブを楽しめました。日光のイロハ坂を懐かしく想い出させてくれましたが、それ以上にスピードを出す運転手のハンドル裁きに拍手を送るほかはありません。無事に往復できてホット!しました。

時間の都合で、ほぼソレントとアマルフィの中間位に位置するポジターノには、下車出来ませんでした。当初には、見学先として印を付けていただけに残念でした!まあ、将来への楽しみにして置きましょう。

アマルフィは、冬のこのシーズンでも観光客が溢れていましたから、シーズンの夏には、どんなに込み合うのだろうか、と要らぬ心配をしてしまいました。

私は、細い道に並んだお土産ショップを眺めながら小散歩を楽しみましたが、1店舗だけ面白いグッズを販売しているお店に入ってお土産品を購入しました。それは、手作り商品のマリーン・グッズの品々でした。

バンディエラ<国旗>の小さめのモノを選びました。
ご存知のようにイタリア共和国の国旗は、左から緑・白・赤のストライブデザインです。購入した国旗は、その白い中央に中世紀のイタリアの4つの海洋国《アマルフィ・ジェノヴァ・ヴェネチェア・ピサ》の紋章がロープ柄で囲まれたものです。一眼で気に入って仕舞いました。

※美しいアマルフィの写真を添付出来ずに失礼します。
  未だに写真添付機能が上手く稼働しないのです。
  再開次第にご紹介致します。

      

           アマルフィ 映画で見た浜 此処に在り
           パラダイス アマルフィほど 目に余る
                                 元鷹
           


第431話 サムアップ Di Roma その4 噴水


今日は噴水に纏(まつ)わるお話しです。
ローマ市内、ヴァチカン市国、至るところに大中小の噴水がみられる風景は、ローマらしさの特長であります。

”噴水の在る街の風景”こそローマの大きな魅力のひとつなのだろうと思っております。ブログ始めてからこのかた街歩きの見所の一つとしまして、主な噴水を取材して参りました。

ですから、ローマの噴水のサムアップの役割は、個々の噴水のことはバックビュー(かつてのブログ)に任せまして、私の総論、まとめを書いてみることに致します。勿論、断片的な或は独断の発想にしかない点はご容赦を乞う処です。

ロンドンにはテムズ川があり、パリにはセーヌ川、そしてローマにはテヴェレ川があります。人々を魅了してきた大都市は何処も”川”が中央に流れています。

しかし、ローマには古代に、中世に作られた水道橋遺跡が残っているのはご承知の通りです。古き時代に皇帝が、中世には法王が水道をローマへ導き、或は再整備して市内へ水を引き浴場を噴水を作りました。

また1930年代には、ローマの10か所に区割りされた地域に、其々の
地域をイメージしたデザインで噴水が作られたのでした。

法王庁・ヴァチカン市国は、いつのころからでしょうか、世界からカソリック信者をローマへ巡礼させる為には、宿の整備は勿論、途中途中に水道(噴水)の設備を設置しなければならなかったのでしょう。

ですから、殆どのピアッア(広場)には、水飲み場(噴水)の提供がなされていたのだろうと思われます。生活者の飲料水、洗濯用の水、そして巡礼者への命の水の源になっていた大切な噴水だった訳です。

遡って古代ローマでは、歴代の皇帝は市民の為の浴場を作ったと云われて居ります。知名度が高いのは、現在でも夏の間だけですが、野外オペラの会場となります「カラカラ浴場」(カラカラ帝)です。

ローマ・テルミニ駅500人広場前に広がる一角、現在はローマ国立博物館や教会として活用されているテルメ・ディ・ディオクレツアーノが、よく知られております。

其々の浴場には、1、500人、3、000人の市民が浴場を楽しめたと云う巨大なものでした。これ程の規模の浴場ですから、相当な給水・排水システムを有していたものと考えられます。

古代ローマ時代から、土木建築技術に優れた技を発揮してきた歴史をみるたびに、ローマの街作りの憩いの場所(広場)に噴水を設置するというアイデアは、地下水が豊富であることがベースに在って初めて可能なことなのだ、と思うのであります。

そう言えば、皆さんが必ずローマに来たら訪れる映画”ローマの休日”に写されていましたが、”トレヴィの泉”は1年以上も掛かり、やっと最近になって修復が終わりました。

さてトレヴィの泉では、コインを肩越しに投げると再びローマに戻れる、といわれています。修復中、噴水は止まったままでしたが、見学者がコインを投げるポイントだけは、しっかりと用意してありました。

なるほど、世界の冠たる観光シティ・ローマ当局の”しっかり振り”には変な感心をしてしまいました。


            晴れた日の 水や輝く 生き生きと

                               元鷹     

2015年12月8日火曜日

第428話 南イタリア紀行 ソレント

さて、2日目は今回のツアーでは、私にとっての憧れの聖地となったソレントへ向かいました。宿泊のホテルからは、タクシー代わりのミニヴァンを出して頂きました。

幸いにも親切な運転手で、時間的余裕もあったこともあって、海の見える通りをみせて挙げるとばかり、遠回りしながらペストゥム駅へ向かってくれたのでした。

人懐っこい彼は、是非また来て下さい、次回は自分の車でご案内しますから、とPRをしながらもこの近辺の街の良さを訴えて居りました。
とは言っても、流石にこの地には中々来られるものではないなぁ、と自問自答しつつ私はただ聞いて置きました。

ペストゥム駅から、中継地点のナポリまで電車で戻ります。ナポリへ向かう通勤客で結構車内は込み合っていました。

ナポリで電車を乗り換えて、ナポリ⇔ソレントを往復している電車<片道3.60ユ-ロ>を利用したのですが、運賃は安く時間も1時間余でソレントに着きました。ポンペイやヴェスヴィオ山へ行くにも便利そうな路線です。

さて、ソレント駅の一角には、”帰れソレントへ”(Torna a Surriento)の名曲を作詞したG.B.De.Curtisのブロンズで出来た胸像が建てられていました。もう、駅周辺からは、南国ムードを誘う雰囲気が漂って来ていました。

宿泊先は、G.B.De Curtisが”帰れソレントへ”を作詞したテラス<ナポリ湾を望める>を持つ”Imeperial Hotel Tramontano”でした。

このホテルの敷地では、16世紀の詩人トルクアト・タッソ<1544年3月11日生>が生まれた、との説明がホテルから頂いたリーフレットに書いてあり、驚きました。

ずっと以前になりますが、”タッソの樫の木”のお話しをブログに紹介したことがあったからでした。詩人タッソは、ローマともご縁の深い詩人だったのでした。

その他、著名なアーティストが宿泊先として利用したホテルだったようです。風光明媚、気候温暖な南イタリアのソレントには、国内外からの多くの旅行客が、押しかけてくるのでしょう。

只、この12月はシーズン・オフらしく、街にもホテルにも外国人客は、余り目立ちませんでした。

ホテルに荷物を下ろして、早速海岸線を走るバスに乗って見ることにしました。アマルフィまで、バスにて1時間少々で辿りつけるそうです。
発着場所は、先ほどのソレント駅前広場でしたので、歩いて行ってみることにしました。

※前回同様に写真添付が儘なりません。
  後日纏めて実行させて戴きたいと思います。

           ペスカトーレ ソレントおきに 投げる網
           テラスから ベスビオ高く 靄の中
           憧れの トラモンターノに テラス見ゆ
           ソレントは レモンもミカンも街にあり
           ソレントは 熱海の夜に 似たりけり
                                元鷹 
           

第430話 南イタリア紀行 カプリ島

ソレントのホテル(インペリアル・ホテル・トラモンターノ)からは、カプリ島は岬の後ろ側に位置する為に見ることは出来ません。

しかし、直ぐ近くの小さな港から、快速船がカプリ島とソレントの間を何度も往復しているのが見えましたので、計画外でしたが20余年振りに行ってみることにした次第です。(12月3日正午過ぎ)

カプリ島まで船足は快速で波は静かでした。カンツーオの”サンタ・ルチア”でも自然と唸りたくなる様な景色を楽しみながら小さな港に着きました。不思議と20年余前と変わっていないのです、景色が一部の看板などを除けばですが。

バス乗り場(常にバスに乗りたがります)を探しました。
アナカプリ(島の上の方の町のこと)まで、カーブに揺れながらバスは、そこそこのスピードを出して走りました。因みにバス代金は、一律1.80ユーロでした。

お昼をアナカプリで食べよう!とソレントに居た時から決めていましたので、恰好なレストランを探しながらの散歩を楽しめました。

散歩しながら気がついたのでしたが、車道が細いこともあってのことでしょうか、日本では昭和30年代に流行ったオート三輪車が活躍しているのが眼に着きました。

形は同じでも赤、黒、黄、白色に塗られた三輪車は、アナカプリのオシャレ度を高めているように思えました。燃費も良いのでしょうが、それ以上に町で自由に動き易い機動力が人気なのかも知れません。

今一つ眼に止まりましたのは、お玄関口の表札です。
何れの家も陶製でオシャレなカタチ、カラーで飾っているのが印象的でした。お庭のお手入れも研ぎ澄まされているように見えました。

30分位歩きました。プチ・ホテルや一部の店舗は店を閉じていました。
ここも夏型集中ビジネス実施中!と言うことでしょうか?効率を考えての経営なのですね。オーナーが、半島から来る人なのでしょうか?

結局、お昼はアナカプリの大きめなレストランで、シーフードの具がたくさん入ったオリジナル・パスタをタップリと楽しみました。綺麗な海に囲まれたアナカプリのレストランで頂いたパスタは、一段と美味しく思えました。

※今日も写真が添付できません。ご了承願います


            カプリ島 むかし皇帝 いま旅人
            街興し カプリウオッチ 島中に
            アナカプリ 三輪車が 似合う道
            カプリ島 三輪車 ここかしこ
            快速船 湾を横切り 波残し 
            カプリ島 ”帰れソレント” 客船で
 
               
                            元鷹

2015年12月7日月曜日

第429話 サムアップ Di Roma その3 安全度

よく耳にする言葉のひとつに日本人旅行者から「安全ですか?」と聞かれて、返事に窮することがしばしばあります。

ローマは、安全であるかどうかはさて置き、安全とは?どういう状態をさすのでしょうか?中々難しい問題を孕んでおります。昨今は、世界的に「安全」に暮らすことに、当然ですが多くの関心が寄せられています。

概ね訊ねる方は、それほど深い意味を聞いているのではなくて、単に
安心を確認してから旅行をしたい、とお考えなのかも知れませんですネ。


もしくは、団体ツアーですと国内から添乗してくるツアー専門家<添乗員>から、耳にタコが出来るほど、バス・電車・地下鉄、歩行時、ひとの集まるところ、等々ではパスポート・財布を十分気を付けて、と注意が在るそうですから、私のように長く住んでいる同朋から現場の声を聞いてみたい、ということかも知れません。

実際の話しですが、<スリ,置き引き、など>の被害に遭った日本人の方のケア<大使館連絡、警察署案内、カード会社連絡、等々>のお手伝いを会社の方針として、出来る限りのことをお手伝いしています。

被害に遭った方々から直接に何処で被害にでくわしましたかと、最後に伺いますと、殆どの方が地下鉄(メトロ)と市営路線バスであり、タイミングとしては、乗車・下車の瞬間にトラブルに遭った、と証言されています。

従いまして、この対策としては、メトロ・バスには乗らない、という方針が
大切です。または、乗っても貴重品は持たないこと、などの事前準備が
問われます。

以前にもブログに書いておりますが、現金は少なめに、クレジットカードは2枚<1枚はVISAもしくMASTERカード>位は、お持ちになった方がベターです。尚、トラベラーズ・チェックは安全度は高いのですが、殆どのお店などで、受領しないようですから、ご注意を。

路上散歩中に時々、声<英語、日本語使用>を掛けてくる外国人?
が出てきます。相手にせずに耳を傾けないことです。言葉巧みに悪さをする人達ですから。

私も夜間に何度も出くわしては、困ったものかな!と思っています。
さて、いろいろなケースを挙げて防止法を書く事も出来ません。

個人旅行が増加傾向<もう20年以上前からですが>に在るようですが、
ローマのみならず、安全対策は所詮、自己責任と割り切って、事前の準備<パスポートは、身肌外せず!>が、最も肝要である、と言うことに尽きます。


          安全は 自分が作る 気概もて
                           元鷹
 

2015年12月6日日曜日

第427話 サムアップ Di Roma その2.バール

イタリアにおけるBAR<バールと発音>の存在は、格別なポシションを担っているように思えてなりません。

ローマは、教会の多い街並みですが、バールの数も相当なものでは
無いか、と平素から感じております。大ざっぱですが、通りの50メートルに1店舗は在るのかもしれない、と思うほどです。

イタリアへお越しの方でも、特に団体旅行ですとバールに立ち寄ることも無く過ごしてしまうのかも知れませんが、ちょっと勿体ない気がします。

日本には同じ形態の飲食店は少ないように思います。但し、銀座にはバールが在りましたね、確か。エスプレッソ、カップッチーノほか、数多くの飲物を提供してくれます。また、パニーニなどの軽食が食べられます。

朝食、昼食時間の取れない場合など、活用すれば便利です。
イタリア人は、朝食はカップッチーノとコルネットで、昼食はパニーニとエスプレッソ<カップッチーノ>を頂く人も多いようです。

さて、バールの一次的役割は飲食販売に在ることは申すまでもありません。しかし、バールは今一つの顔を持っているのです。

この要素がお馴染さんにも一見のお客さんにも大切なファクターですから、見逃せないのです。それは、あらゆるジャンルに亘っての
「情報交換の場」としてのバールです。ですから、バールはおしゃべりで大変賑やかです。

整理すれば、1.飲食をもてなす場 2.情報交換/収集の場
ということになります。今ひとつ加えますと”トイレ活用の場”としてのバールでもあります。多くのツーリストが、活用しております。

ローマならず多くの街で旅行中に困ることは、共通して「トイレ」を探さなくてはならないことです。そんな時、本当に助かるのはバールの存在であります。”バーニョ、ペル・ファヴォーレ!”と一言お断りして、使わせて頂く訳です。このタイミングを取ることが大切です。挨拶など必ず一言添えましょう!

使用した後すっきりしたところで、御礼代わりに、”ウン・カッフェ、ペル・ファヴォーレ!”とバリスタへ笑顔で注文すれば、彼は”グラッツェ!ウン・モメント!”(グラツェ!少々お待ちを!)とご機嫌に接してくれることでしょう。是非お試しください。

※その1.ことば にてお伝えのようにイタリア語の入門編学習は
  やはり楽しい旅をする為に不可欠ですね。

第426話 南イタリア紀行 ペストゥム

いよいよローマに居て最後の長期休み<FERIE>を得ることが出来ました。迷うことなく長年の夢であった南イタリア旅行を楽しむことにしました。

行き先は、ペストゥムとソレントの2つの街に的を絞りました。
ペストゥムは、ギリシア時代か<紀元前5*6世紀>の神殿が良い形で残っていることで知られています。

20年も以上のことでしたが、知人から頂いた本<題名も作家も忘れたのですが>に絶賛されていたことが頭をかすめて止まなかったのですが、長い期間、憧れとなってそのままになっておりました。

やっぱりこのままでは、日本へ帰れないとばかりに踏ん切りを付けて3泊4日の南イタリア旅行を催行した次第です。

そのご報告顛末をブログにてご案内申し上げます。

第一日目
ローマ ⇒ ペストゥム<ナポリ経由> 
およそ3時間<ナポリ乗り継ぎタイムあり>位掛かったでしょうか?
ビックリしたのは、ペストゥム駅は無人駅で、周辺は畑ばかりだったことです。ホテルに電話して迎えをお願いして、車で15分程でホテルへ。

早速に行動開始とばかりに、ギリシア神殿の見学へと徒歩で向かいました。ホテルからは、乗物は何もないところでしたから片道およそ45分を
てくてくと歩きました。

イタリア半島でみるギリシア神殿は、イメージ以上に荘重さを感じました。
ドシーンとした厳粛さに圧倒されながらもドッシリさの美と言いますか、2500年の歳月を過ごしてきた歴史の貫録に胸が打たれました。

ア~ッ、来て良かったなぁ!!と腹からおもいました。

※写真が本日の所、添付できません。
  後日チャレンジします。ご容赦願います。


    
            ペストゥム ドリスの柱 荘重なり
                              元鷹

2015年12月1日火曜日

第425話 サムアップ Di ROMA その1ことば

いよいよと言いますか,ついに2015年未年の師走に入りました。今年も
31日となりました。

皆さまのお住まいの街の気候は如何ですか?大分寒くなりましたでしょうか?ローマは、11月後半から急に冷え込みだしております。

さて、今日のタイトルは「サムアップ Di ROMA その1」としました。少々変なタイトルですが、”ROMAの麗雅都だより”最終月のネーミングとして他に妙案もなく、決定した次第です。

「サムアップ」とは、”纏めてみれば”、”総括すれば”と言った英語ですが、上手くサムアップできるかどうか判りませんが、兎に角サムアップしてみたいと思います。

先に参ります。その1.として「ことば」をあげたいと思います。
先ず「言葉ありき」では無いのですが、イタリア共和国の言語イタリア語についてサムアップします。

語学好きの語学オンチの私が申上げるのも野暮な感じです。
私自身は、延べ23年間もつきあって来ているわけですが、大した進歩をせずに来てしまったと反省しています。

個人的には語学学習への取組は、早い方がベターであるかと考えています。

昨今、国内では語学教育(殆ど英語が対象かと思いますが)について
熱心に各界において議論が活発のようですが、何れにせよ島国国家日本です。30年、100年の計をベースに武蔵ならぬ二刀流(母国語と英語、他の外国語)の方向に進めなくてはならないことは必須です。

旅行者としてのローマ(イタリア)を楽しむ上でのイタリア語を考えてみますと比較的簡単です。時間・経済(コスト)を考慮して、私自身の体験から申しますれば、NHKラジオ講座の語学テキスト、ヒヤリングがお薦めです。

個人差はありますでしょうが、1年から3年程継続した学習に励みますとイタリア人との平易な会話は、十分楽しめることかと思います。有難いことに一般的にイタリア人は、外国人好きなところがございます。

特に日本人への接し方、と言いますか日本(日本語・文化・歴史)への憧れもあってか、大変親切な対応をみせてくれるケースが多いかと考えています。少しのイタリア語でも、とても喜んで返事を返してくれます。

イタリア人によっては、外国人の使う間違った発音や使い回しを修正してくれる人もいる位です。

ですから、イタリアへ旅行をされる前に多少の時間を使ってイタリア語のイロハを学ぶことは、楽しいイタリア・ツアーをゲットするコツであると言えます。是非、お試しあれ!と叫ぶ?次第です。

末筆ですが、ここローマの人達が口癖のように語るフレーズをご紹介しまして、その1.を〆たいと思います。

☆街でよく耳にするイタリア語を上げますと
1.ヴァー、ベーネ!2.スト・アリヴァンド!3.チ・ペンソ・イオ!
4.アスペッティ!5.ブオンジョルノ!コメスタイ?
6.ノン・チェ、プロブレマ!7.アリヴェデルチ!
などです。

比較的大きな声で、ハッキリと発音するのが特徴と言えば特徴であります。是非とも、チャレンジ!して下さい。
イタリア旅行が一層楽しくなることと信じています。

       FORZA!(ガンバレ!)



Via Giulia にある中世紀の噴水はいまでも健全です!



              ホステリア「ラ クエルチア」
            ファルネーゼ宮殿の裏側で見つけました。
            一度出掛けてみたい、と思わせる佇まいでした。  


この真っ青な空がローマの元気です!
                Via Volturno テルミニ駅近く

             ※写真は文章とは関係なく掲載しております



             師走なり 麗雅都だより サムアップ
                                元鷹