今年2016年も残すところ、今日を含めて3日間となりました。
先日、ヴァチカン市国の郵便局へ出掛けて参りました。
ところが、局も広場の左側に常駐しています販売店もしまっていましたから、用を足すことはかないませんでした。なるほど、出かけた日はサント・ステファノの祝日でした。
大聖堂の広場には、海外から多くの観光客が、大聖堂への入場をめがけて列をなしていました。
12月8日に聖なる扉が開けられた訳ですが、この扉を潜(くぐ)る為に態々世界の各地からヴァチカン市国へ来る人々の大変さを思えば、ローマに住んでいる私などは、直ぐにでも駈けつけられそう思われるかもしれません。
25日には、4大聖堂のサン・ジョバンニ・イン・ラテラーノに立ち寄って、「聖なる門」を初めて潜ってみました。やはり此処でも、警備体制が敷かれて、入場時間が掛かりました。聖なる門は、まさに狭き門でもあるのです。
さて、今日のサムアップの話題は、「無いものネダリ」であります。
私は、時々まるで子供のように”無いものネダリ”をすることがあります。
勿論、ねだる相手は自分自身で、ねだるものは日本のものです。
例えば、ローマでは中々食べることが出来にくい「ざるそば」、「かつ丼/天丼」はじめ日本では普段に食べていたものばかりです。しかし、日本レストランへ行けば、食べられるものばかりですから、何と他愛ないことであります。
生活に不可欠な食べ物ばかりではありません。
頭の栄養滋養になる書籍についても同様です。日本では、傍らに在っても目を通さなかった本をここにいて、にわかに読みたくなることがあります。
無いものネダリとは、叶わぬことを欲すること、或は現実離れしたことをしたがる欲求である、と言い換えても良いかも知れません。
しかし、また若き頃を想い出しますと、目の前の宿題を放り投げて、好きな小説に時間を費やしてしまう逃避行為に似ていないだろうか、とも思えるるのです。
まあ、残されたローマの生活では、無いものネダリを棚に挙げて、ローマにだけしかないもの、特有のモノにこだわって楽しんでみたいと思います。
日本離れ 無いものネダリ 頻繁に
元鷹
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