2015年12月20日日曜日

第433話 南イタリア紀行 ヴェスヴィオ山

ソレントに宿をとったホテルのテラスから、海の向こう側にくっきりと
ヴェスヴィオ山が見えました。カタチは日本の富士山に似たなだらかな
稜線をしていて、何とはなく親しみを感じさせる雰囲気を感じました。
士ました。

いよいよ4日目の朝、ローマに帰る日でしたが寄り道をして、あの
ヴェスヴィオ山へ登ってみようと決心しました。

登ると言っても標高1281mもある山です。おいそれとは登れません。
ホテルのレセプショニストに訊ねてみれば、ほぼ火口近くまでバスで連れて行ってくれるとの情報でした。

さて、ソレントの駅から1時間は、たっぷりと電車に揺られて最寄りの駅である「エルコラーノ」で下車しました。駅前の猫の額程しかない広場の隅にヴェスヴィオ山行きの案内事務所がありました。

客はスペイン人夫婦(バルセロナ)と私だけの3名でした。小型バスに乗せられて山に向かったのは、事務所を訪ねてから1時間余り経ってからでした。料金は、往復一人17€ほど。

どのように小型バスが、火口近くまでルートを走ったのかを詳しくお名は市出来ませんが、40分前後で辿りついたような記憶です。
入場にはさらに10ユ-ロを支払いました。登山料金です。

ここからは、歩いて登らなくてはなりません。
生憎、太陽が雲に隠れていましたから下界の眺めは今一つハッキリしていませんでした。

それでも、遠くのナポリ湾を望む絶景には一見の価値をみることが出来ました。”ナポリを見て死ね”とは、この場からの景色を讃えた格言だったのでは、と思わせる一幅のシーンでした。

徒歩20分位で、やっと火口近くまで登りつめることが出来たのでした。
その間、スペイン人夫婦と励まし合うかのように雑談を楽しみながら、ゆっくりと登りつめたのでした。  

火口を見下ろせば、まるで巨大なすり鉢状の洞穴であります。
所々から、今でも白煙を天に向けてあげていました。

我々3人は、ゆっくりと火口周りをナポリ湾を眺めながら歩き、記念の写真を撮ったりして時間を費やしました。

火口側にまでお土産ショップ(2か所)があったことに驚きました。

ところでヴェスヴィオ山と言えば、カンツォーネの”フニクリ・フニクラ”(あの軽快なメロディです)が想い出されますが、山登りの車からも、そして火口からも当時の電車の遺跡?は見つかりませんでした。

ネット情報に依れば、1880年に始まったヴェスヴィオ登山電車は、1944年に起った噴火がもとで破壊されたそうです。

しかし、現在でも世界中で登山電車のPRソングは人々に愛されて歌われている訳ですから、何とも不思議な感じがします。

尚、ヴェスヴィオ山の大噴火でポンペイとエルコラーノが一昼夜にして
火山灰の下に眠ってしまったのは、西暦79年8月24日のことだったそうです。

                                ポンペイを ヴェスヴィオ火口 一気飲み
            ヴェスヴィオの 火口や広し 昔の火
            富士もよし ヴェスヴィオもよし 冬の旅

                                元鷹  




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