2012年9月28日金曜日

エスクィリーノの丘と教皇シスト五世

ローマの7つの丘も残すところいよいよあと2丘(きゅう)となりました。イタリア料理の注文の仕方風に言えば、”insalata”〔サラダ〕の食べごろとなりますでしょうか。因みに、手元の伊和辞書を牽いてみると「essere all'insalata」という表現は、「食事も終わりころである」という意味だそうです。なるほど、上手い言い方をイタリア人は、考案するものです。

さて、そもそも「エスクィリーノの丘」とは、どの辺りを指しているのでしょうか?
皆さんが良くご存じのテルミニ駅から、徒歩4~5分のところにある「サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂」 (四大教会の1つ)が、この地区のおヘソの部分になりそうです。先にご紹介しましたクイリナーレ地区とサン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂(四大教会のひとつ)のあるラテラーノ地区に挟まれた地域と申せば良いでしょうか。

観光名所としては、「サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂」を筆頭に、「サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会」(ミケランジェロ作のモ-ゼ像が有名)、「サンタ・プデンツィアーナ教会」(モザイクが有名)、また
メルラーナ通りを少し下ると、「東洋国立博物館」があります。ローマにある数多くの見所の中では、訪れる人はさすがに少ないと思われますが、ローマに来て、東洋の美術品を鑑賞するのは、またひと味違った楽しみになるのではないでしょうか。

ところでこのエスクィリーノの丘には、非常に興味深い人物の存在がありました。
ときの教皇シスト五世(1585-1590)です。ローマの都市計画を整備した教皇としてその名を馳せました。日本の安土桃山時代に天正遣欧少年使節の4人が、1585年教皇シスト五世の戴冠式に参加したという記録もあるそうです。詳しくは、次回のお楽しみに!



                エスクィリーノ広場からみたサンタ・マリア・マッジョーレ
                大聖堂の後側です。1587年、シスト五世は、建築家
                D・フォンターナにオベリスク(中央)を建てさせた。

                
                     ウルバーナ通りにあるサンタ・プデンツィアーナ教会。
                     モザイクが、有名とガイドブックには記されています。
                     入ってみると暗くてよく分からない、という印象でした。

                     オベリスク 巡礼の旅 目印に        元鷹  

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