前回の話題(“エスクィリーノの丘と教皇シスト五世”)の続きです。
特に教皇シスト五世に惹かれた理由は、ひと言で申しますと街つくりに対する
“アイデアと行動力”であります。
中世時代には、教皇の出身母体は、殆どの場合、通常俗に言う”名門貴族”でした。
しかし、シスト五世は違っていました。薄幸な境遇の中で育ち、やがて教皇まで昇り
つめたという稀有な人生を送ったひとです。
しかしそれでだけであれば、太閤秀吉の出世物語に類似するのですが、私の驚きは他に
あります。短い教皇時代(1585~90)の5年間で、ローマの新都市計画を企て実行したことにその非凡な、そして類いまれな“教皇像”をみたからです。
教皇の都市整備事業の一つにかつて”フェリーチェ通り”と呼ばれた道路が、今でも健在です。ローマにいらした方なら、きっとこの道を利用されたことがあるかもしれません。
スペイン広場を昇り切った所に「丘のトリニタ教会」が建っています。
ここシスティーナ通りから、遠くに見えるオベリスクを目印に真っ直ぐに歩くと、
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に辿りつきます。この通りが、当時(16C以降)
”フェリーチェ通り”と呼ばれていました。(およそ1.5kmの区間です)
シスト五世の本名が、「フェリーチェ・ペレッティ」だったことから、名づけられました。
”フェリーチェ通り”の途中には、「トリトーネの泉」や「四つの泉」などが楽しめます。
「四つの泉」は、交通量の多い交差点です。車に注意しながら、両端を望めばトリニタ教会とサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂のオベリスクの先端を見ることが可能です。
お気づきかも知れませんが、昨今のような地図案内が無い時代に、一般庶民が目印(建造物)を見ながら、目的地に向かえるようにオベリスク(石塔)を建て、道路を作ったのです。
アップダウンが、あって歩くのは少々大変ですが、途中途中には観光にはもってこいの
名所が、散らばっていて楽しい散歩道です。所要時間約25~30分程度でしょうか。
さて、ここで1冊の新書を皆さんへご紹介させて頂きます。
教皇シスト五世に関する殆どの情報は、この新書から学ぶことが出来ました。
感謝の意を表して、掲載させて頂きます。
河島 英昭 著 ローマ散策 岩波新書 698
≪ご注意≫文中の”フェリーチェ通り”とは、今日でいいます、
via sistina, via quattorofontane, via a.depretis の3つの通りを
指しました。
指しました。
227代教皇SISTOⅤ(シスト五世)の顔写真と
プロフィールです。サン・ピエトロ大聖堂の
クーポラ、広場のオベリスクを完成させた、
との解説があります。
9月25日撮影 VIA A. DEPRETIS 通りの中央から、
スペイン広場方向を撮った写真です。望遠レンズでは
ありませんので遠くのオベリスクは、青空の中に潜って?
写っておりません。
ヴァチカン ローマへと 世界から
シスト五世の都市つくり
元鷹
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