ローマ滞在通算10年達成記念
北イタリア紀行
北イタリア紀行最終章は、中世の古都BOLONGA/ボローニャであります。
急ぎ足でモデナから電車で乗り継ぎました。ボローニャでの目指す観光は、市立考古学博物館です。それとノンビリと蚤の市の見物、食の
ボローニャでのプランツオを楽しみに出掛けました。
◎BOLONGA/ボローニャ 9月17日(木)午後の半日
ここボローニャは、今回の記念ツアー最後の街となりました。
昼食をどこか美味いところで楽しみたいと事前から希望していました。
さて、丁度毎週木曜日には骨董市がたつとガイド本に紹介されていた
ので見学に参りました。テント張りの簡単な設えの市でしたが、これ
と言った気を引く骨董は、残念ながら見つかりませんでした。
それでは先へとマッジョーレ広場を目標に再び歩き始めました。荷物を
一時預かり所(駅にある)へお願いしてきたので、人混みの中でもゆっ くりと景色を楽しみながらボローニャの繁華街を歩く事が出来ました。
ボローニャの大通りには、ポルティコとよばれるアーケイドが張り巡らせており、雨・雪などの日には効果を発揮しそうです。最も夏には日除け役にもなりますね。そう言えば、フェラーラでも見かけたことを想い出しました。
随分、そのポルティコ(アーケイド)を歩いた気がしました。やっとマッジョーレ広場に到着。観光客を随分と惹き付けるボローニャの見所が集まっているゾーンなのです。
私は、2~3枚の写真を撮りながらも次の見学先である”市立考古学博物館”を
さがしました。やっと辿りつくと、大きなドアは閉まったままでした。
ところが修復工事の為、閉鎖中であると案内している説明書きが眼に入りました。”ウ~ムッ、残念だ!”数ある見学先の中で、この博物館を見てみたいと
希望したのは、数あるコレクションの中で特にエトルリアの壷類が見事に展示されている、とガイド本に強調されて記載されていたからでした。
正月から、今年のテーマに”エトルリア文明”の勉強を上げておりましたから、このチャンスにボローニャでも見学したい、と考えていた矢先でした。
もうこうなれば、ボローニャの美味い昼食を愉しむだけだ!と開き直って?
レストランまたはトラットリアを探すことにしました。
ポルティコと呼ばれるアーケイド
建物と一体となったカタチがユニーク
ボローニャ名物 斜塔2本
12~13Cには、200本もあったとか!?
かのダンテもびっくり?!
マッジョーレ広場
海神ネプチューンの噴水
ボローニャ 古都の栄華 此処彼処
元鷹
2015年9月25日金曜日
第398話 北イタリア紀行 モデナ
ローマ滞在通算10年達成記念
北イタリア紀行
パルマは、朝型観光方式を採用しました。と言いますのは、昨夜付いたばかりで、17日(木)が最終日でしたから、時間が朝散歩から始まって、朝食の時間までの余裕しか有りませんでしたから。
それでも、ドゥカ-レ宮殿、礼拝堂など近隣の散歩を愉しむことが出来たのは、収穫でした。早起きは、3文いや3ユ-ロの得でありました。
爽やかな朝の時間の散歩後のバールでの一杯のエスプレッソの味と店主との挨拶など、旅先ならではの出逢いの面白さでした。
◎9月17日(木)MODENA/モデナ
さあ、MODENA/モデナへ。モデナには、パルマから電車で30~40分位の距離だったと思います。ここでは、スーパーカーの元祖フェラーリの生みの親・ENZO FERRARIの生家跡に造られたミュージアムを尋ねます。
パルマから目的地のモデナに到着したのは、およそ午前9時だったでしょうか。MUSEO ENZO FERRARIまで徒歩で行ける距離でしたので、出口へと急ぎました。
どうやら反対側に出てしまった様子で、人通りもなくタクシーも停車して居ませんでした。ベビーカーを押すシニョーラに道を尋ねますと、やっぱり反対側の出口だったことがハッキリしました。
地下構道を潜りなおして、正面口に。早速、殆どの駅近くに有る行き先案内ボードを見つけたり、また通り掛かりの地元の人にも道を尋ねました。
そうこうしながら、なんとか無事、美術館に辿りつきました。開館より少々早く到着出来ました。
先ずは入場料の13ユーロを払いました。創業者エンツオ・フェラリー生家の地に造った美術館は、私のようなスーパーカーに無頓着な人にも分り易く創立の歴史、歴代の開発車の展示、エンジンの進化、等々興味深く展示説明がなされていました。
すぐお隣には、イタリア・モダンな建築が建っていますが、こちらには小ぶりながらもカフェ・テラス、フェラリー・グッズショップ、そしてメインの展示会場があって、20台程のフェラリー車が所狭しと並べられています。
ぐるっと会場を一巡した後、出入り口に近いカフェ・テラスで、エスプレッソを味わった。隣の席には、英語で会話している女性3人連れが居て、カップチーノ片手に、何やら賑やかに美術館の感想を交換している様子だった。
最初に入った生家跡の美術館でのエンツオ・フェラリーをモデルにした動画の中で、彼の残したことばとして「coraggio e passione」(勇気と情熱)がありましたが、心に残る大切なことばを頂けたと感謝しています。
エンツオ・フェラリー生家跡の美術館
超モダンなフェラリー美術館
お隣(写真は上)の生家跡美術館と
対をなすコントラストに感動します。
生家跡美術館展示車/時代別に紹介
見ているだけでワクワク感がこみ上げてきます
フェラリー美術館の展示車の一台です
およそ20台が美・技・デザインを競い
合っているかのようです
モデナでは フェラリーの夢 大輪に
元鷹
北イタリア紀行
パルマは、朝型観光方式を採用しました。と言いますのは、昨夜付いたばかりで、17日(木)が最終日でしたから、時間が朝散歩から始まって、朝食の時間までの余裕しか有りませんでしたから。
それでも、ドゥカ-レ宮殿、礼拝堂など近隣の散歩を愉しむことが出来たのは、収穫でした。早起きは、3文いや3ユ-ロの得でありました。
爽やかな朝の時間の散歩後のバールでの一杯のエスプレッソの味と店主との挨拶など、旅先ならではの出逢いの面白さでした。
◎9月17日(木)MODENA/モデナ
さあ、MODENA/モデナへ。モデナには、パルマから電車で30~40分位の距離だったと思います。ここでは、スーパーカーの元祖フェラーリの生みの親・ENZO FERRARIの生家跡に造られたミュージアムを尋ねます。
パルマから目的地のモデナに到着したのは、およそ午前9時だったでしょうか。MUSEO ENZO FERRARIまで徒歩で行ける距離でしたので、出口へと急ぎました。
どうやら反対側に出てしまった様子で、人通りもなくタクシーも停車して居ませんでした。ベビーカーを押すシニョーラに道を尋ねますと、やっぱり反対側の出口だったことがハッキリしました。
地下構道を潜りなおして、正面口に。早速、殆どの駅近くに有る行き先案内ボードを見つけたり、また通り掛かりの地元の人にも道を尋ねました。
そうこうしながら、なんとか無事、美術館に辿りつきました。開館より少々早く到着出来ました。
先ずは入場料の13ユーロを払いました。創業者エンツオ・フェラリー生家の地に造った美術館は、私のようなスーパーカーに無頓着な人にも分り易く創立の歴史、歴代の開発車の展示、エンジンの進化、等々興味深く展示説明がなされていました。
すぐお隣には、イタリア・モダンな建築が建っていますが、こちらには小ぶりながらもカフェ・テラス、フェラリー・グッズショップ、そしてメインの展示会場があって、20台程のフェラリー車が所狭しと並べられています。
ぐるっと会場を一巡した後、出入り口に近いカフェ・テラスで、エスプレッソを味わった。隣の席には、英語で会話している女性3人連れが居て、カップチーノ片手に、何やら賑やかに美術館の感想を交換している様子だった。
最初に入った生家跡の美術館でのエンツオ・フェラリーをモデルにした動画の中で、彼の残したことばとして「coraggio e passione」(勇気と情熱)がありましたが、心に残る大切なことばを頂けたと感謝しています。
エンツオ・フェラリー生家跡の美術館
超モダンなフェラリー美術館
お隣(写真は上)の生家跡美術館と
対をなすコントラストに感動します。
生家跡美術館展示車/時代別に紹介
見ているだけでワクワク感がこみ上げてきます
フェラリー美術館の展示車の一台です
およそ20台が美・技・デザインを競い
合っているかのようです
モデナでは フェラリーの夢 大輪に
元鷹
第397話 北イタリア紀行 パルマ
ローマ滞在通算10年達成記念
北イタリア紀行
ローマを出発する時には、北にある街は、この時期既に冷え込んでいるだろうと想像していたのですが、実際には、汗をかくほどの残暑でした。
額と後頭部の汗を拭きとる為に、厚手生地のタオルハンカチを肌身離さず持ち歩く旅となったのは、全くの誤算でした。寒さよけにセーターを持っていったのですから。
◎PARMA/パルマ 9月16日(水)~17日(木)
”モザイク美術の街”から”食の街”と呼ばれるパルマには、丁度日暮れ時でしたから午後7時位の到着だった。一目さんに宿泊先を目指しました。
ホテルは、ALBERGO BRENTAという☆☆☆三つの気軽なホテルでした。
パルマ駅からは150mの至近距離でしたので、とても助かりました。
さてここパルマでは多くの時間を持てませんから、早々にシャワーを浴びて夕食を愉しむことにしました。ホテルの若旦那(跡取り息子)のステファノさんに”近くで美味しいパルマハムを食べたい。何処かご紹介願いたい。”と願い出ました。
”はい、分りました。”と二つ返事で教えてくれたのが”トラットリア・コッリエリ”でした。20分位は歩きましたが、結果オーライ!でした。
1800年創業の老舗トラットリアです。200人は入ると思われます席数が有りました。
案の定、お客は次から次からと、地元の老若男女が出入りしていました。
驚きましたのが、カメリエリ(ホールのサービス係のこと)の仕事ぶりでした。
担当責任の席数が多いのでしょうか?注文さばきの為に、無駄口ひとつなく働く姿を目前にして、「パルマ人は、やるものだなあ~!」としばし感心してしまいました。私の席は、キッチンに近いところでしたので、カメリエリが頻繁にテーブル脇を通過します。
ホールとキッチンに仕切られた窓枠付きの白いドアを彼ら彼女らは、足蹴りして開けていたのですが、これも随分慣れた手つき、否足つき(?)でしたから、いやな感じはせずに寧ろその動きの妙技に滑稽さを覚えました。
★参考までに私の注文したメニューを書きとめて置きます。
☆anti pasti
Tarta fritta 2.50
Prosciutto di Parma 6.00
☆Primi
Tris di tortelli 5.00
尚、飲み物は小瓶ビール、炭酸水、そして赤のグラスワイン
肝心の料金ですが、ローマでは在り得ないと言っても良いほどに廉価そのものでした。合計32.00ユ-ロです!!!
仔細は書ききれませんので、写真にてご覧下さい。
また、お店情報を記して置きますのでご参考に願います。
TRATTORIA/ CORRIERI
Via Conservatorio, 1 43121Parma
tel 0521-234426 fax 0521-285604
e-mail; info@trattoriacorrieri.it
www.trattoriacorrieri.it
事前の予約がご安心です。嬉しいことに年中無休とパンフレットには記載がありました。
パルマハム 食べて尽くして 旅の宴
パルマ朝 ドゥカーレ庭の 鳥の声
元鷹
前菜 トルタ フリッタ
柔らかくモチモチ感あり、プロシュット
を挟んで頂きます。
ボリュームも凄い!パルマのプロシュット
北イタリア紀行
ローマを出発する時には、北にある街は、この時期既に冷え込んでいるだろうと想像していたのですが、実際には、汗をかくほどの残暑でした。
額と後頭部の汗を拭きとる為に、厚手生地のタオルハンカチを肌身離さず持ち歩く旅となったのは、全くの誤算でした。寒さよけにセーターを持っていったのですから。
◎PARMA/パルマ 9月16日(水)~17日(木)
”モザイク美術の街”から”食の街”と呼ばれるパルマには、丁度日暮れ時でしたから午後7時位の到着だった。一目さんに宿泊先を目指しました。
ホテルは、ALBERGO BRENTAという☆☆☆三つの気軽なホテルでした。
パルマ駅からは150mの至近距離でしたので、とても助かりました。
さてここパルマでは多くの時間を持てませんから、早々にシャワーを浴びて夕食を愉しむことにしました。ホテルの若旦那(跡取り息子)のステファノさんに”近くで美味しいパルマハムを食べたい。何処かご紹介願いたい。”と願い出ました。
”はい、分りました。”と二つ返事で教えてくれたのが”トラットリア・コッリエリ”でした。20分位は歩きましたが、結果オーライ!でした。
1800年創業の老舗トラットリアです。200人は入ると思われます席数が有りました。
案の定、お客は次から次からと、地元の老若男女が出入りしていました。
驚きましたのが、カメリエリ(ホールのサービス係のこと)の仕事ぶりでした。
担当責任の席数が多いのでしょうか?注文さばきの為に、無駄口ひとつなく働く姿を目前にして、「パルマ人は、やるものだなあ~!」としばし感心してしまいました。私の席は、キッチンに近いところでしたので、カメリエリが頻繁にテーブル脇を通過します。
ホールとキッチンに仕切られた窓枠付きの白いドアを彼ら彼女らは、足蹴りして開けていたのですが、これも随分慣れた手つき、否足つき(?)でしたから、いやな感じはせずに寧ろその動きの妙技に滑稽さを覚えました。
★参考までに私の注文したメニューを書きとめて置きます。
☆anti pasti
Tarta fritta 2.50
Prosciutto di Parma 6.00
☆Primi
Tris di tortelli 5.00
尚、飲み物は小瓶ビール、炭酸水、そして赤のグラスワイン
肝心の料金ですが、ローマでは在り得ないと言っても良いほどに廉価そのものでした。合計32.00ユ-ロです!!!
仔細は書ききれませんので、写真にてご覧下さい。
また、お店情報を記して置きますのでご参考に願います。
TRATTORIA/ CORRIERI
Via Conservatorio, 1 43121Parma
tel 0521-234426 fax 0521-285604
e-mail; info@trattoriacorrieri.it
www.trattoriacorrieri.it
事前の予約がご安心です。嬉しいことに年中無休とパンフレットには記載がありました。
パルマハム 食べて尽くして 旅の宴
パルマ朝 ドゥカーレ庭の 鳥の声
元鷹
前菜 トルタ フリッタ
柔らかくモチモチ感あり、プロシュット
を挟んで頂きます。
ボリュームも凄い!パルマのプロシュット
名物料理/Tris di tortelli
3色風味ー若草・カボチャ・ジャガイモにハム
トラットリア玄関口
1800年創業の文字が光ります
奥のほうにキッチンがご覧戴けます
第396話 北イタリア紀行 ラベンナ
ローマ滞在通算10年達成記念
北イタリア紀行
この日は、今回の観光では最も忙しく動いた。そうです、動いたという言葉がピッタリの
一日でした。朝のフェラーラ観光を終えて、正午前にはバスにてフェラーラ駅へ向かいました。次に目指すは、いよいよメイン・エヴェントのラベンナです。
◎RAVENNA/ラベンナ 9月16日(水)午後半日コース
ああ、憧れの街ラベンナについに到着した!疲れも吹っ飛んで、先を急ぐ自分が何だか
子供のように思えて可笑しかった。ラベンナ駅周囲の空気は、これまで歩いた街と空気のにおいが違っていた。
先ずは、荷物を何とかしたいと荷物預かりサービスを探してみれば、スンナリと(珍しいことですが)デポジット(預かり)してくれる施設が駅の直ぐ近くに見つかりました。
ヤレやれです。一人旅では、当然のことながら全て一人で動かねばならず、その為にも荷物は最小限に限ります。
手軽になったところで、地図を何度も確認してから目的地へ、いざ出発!!!
ラベンナでの観光の目的は、2か所と事前に決めて到着しました。
1.ガッラ・プラチーディアの廟(サン・ヴィターレ教会と同じ敷地内にある)
お聞き慣れないカタカナ文字ですが、西ローマ帝国最後の女性皇帝の名前です。
数奇な運命に翻弄されながら生き抜いたというガッラ・プラチーディアの眠る霊廟を
訪れてみたい、と以前から願っていました。しかし、石棺は霊廟の中央にあるものの
棺の中は、空っぽとのこと。一説では、小さな穴から中を見ようと蝋燭を使い、誤っ
て、焼いてしまったというものです。そして、今回訪ねてみたところ入口の係員に依 ればローマの或るカタコンベに移されている、と自信ありげに説明してくれました。
調べれば、もっと色々な説が有るのかも知れません。
2.ダンテの廟
イタリアの大詩人・大文豪ダンテが、「神曲」を書いたところがラベンナだと云われて
います。そして、お墓もラベンナに在ることを以前から聞いていましたので、訪ねて
みました。霊廟(お墓)は、小じんまりとしたつくりでしたが、誰でも入り易いし、
見易い場所にあります。現在のイタリア語の基礎を創ったとも言われますダンテは、
イタリア語を学ぶ人なら、ほっとけない大詩人ではあります。
サン・ヴィターレ教会天井のモザイク
ラベンナは、モザイク美術の宝庫です。
ガッラ・プラチーディアの廟
ラベンナでは、ここに焦点を当てていました。
手を合わす ダンテ眠るや ラベンナで
元鷹
北イタリア紀行
この日は、今回の観光では最も忙しく動いた。そうです、動いたという言葉がピッタリの
一日でした。朝のフェラーラ観光を終えて、正午前にはバスにてフェラーラ駅へ向かいました。次に目指すは、いよいよメイン・エヴェントのラベンナです。
◎RAVENNA/ラベンナ 9月16日(水)午後半日コース
ああ、憧れの街ラベンナについに到着した!疲れも吹っ飛んで、先を急ぐ自分が何だか
子供のように思えて可笑しかった。ラベンナ駅周囲の空気は、これまで歩いた街と空気のにおいが違っていた。
先ずは、荷物を何とかしたいと荷物預かりサービスを探してみれば、スンナリと(珍しいことですが)デポジット(預かり)してくれる施設が駅の直ぐ近くに見つかりました。
ヤレやれです。一人旅では、当然のことながら全て一人で動かねばならず、その為にも荷物は最小限に限ります。
手軽になったところで、地図を何度も確認してから目的地へ、いざ出発!!!
ラベンナでの観光の目的は、2か所と事前に決めて到着しました。
1.ガッラ・プラチーディアの廟(サン・ヴィターレ教会と同じ敷地内にある)
お聞き慣れないカタカナ文字ですが、西ローマ帝国最後の女性皇帝の名前です。
数奇な運命に翻弄されながら生き抜いたというガッラ・プラチーディアの眠る霊廟を
訪れてみたい、と以前から願っていました。しかし、石棺は霊廟の中央にあるものの
棺の中は、空っぽとのこと。一説では、小さな穴から中を見ようと蝋燭を使い、誤っ
て、焼いてしまったというものです。そして、今回訪ねてみたところ入口の係員に依 ればローマの或るカタコンベに移されている、と自信ありげに説明してくれました。
調べれば、もっと色々な説が有るのかも知れません。
2.ダンテの廟
イタリアの大詩人・大文豪ダンテが、「神曲」を書いたところがラベンナだと云われて
います。そして、お墓もラベンナに在ることを以前から聞いていましたので、訪ねて
みました。霊廟(お墓)は、小じんまりとしたつくりでしたが、誰でも入り易いし、
見易い場所にあります。現在のイタリア語の基礎を創ったとも言われますダンテは、
イタリア語を学ぶ人なら、ほっとけない大詩人ではあります。
サン・ヴィターレ教会天井のモザイク
ラベンナは、モザイク美術の宝庫です。
ガッラ・プラチーディアの廟
ラベンナでは、ここに焦点を当てていました。
手を合わす ダンテ眠るや ラベンナで
元鷹
第395話 北イタリア紀行フェラーラ
ローマ滞在通算10年達成記念
北イタリア紀行
クレモナでは宿が見つからず、しからば急げとばかりタクシーを拾いクレモナ駅へ向かいました。次の行き先は、フェラーラです。
イタリア国鉄(TRENITALIA)は、日本のように時刻表を販売して居ないのか何処の駅のキオスクや本屋でも見たことがありません。
ですから、本線、支線が、解からずに困ります。どの線で行けばいいのだろうかと手持ちのイタリア地図を見ながら、見当だけつけて電車に乗る訳です。イタリアでは、3人の人に道を聞け、と云われますが、これがまた中々大変なことであります。
因みにイタリア語では時刻表は、ORARIO/オラリオと言います。
◎FERRARA/フェラーラ 9月15日(火)~16日(水)
短時間で街並みを愉しむには、あれやこれやと見物先を行くことは難しいと思い、一番のりで最も見学してみたかったエステンセ城を尋ねてみました。午前9時には、チケット売場についたのですが、入場は9時30分からですと断られてしまった。
それではと、お城の周りをひと巡りしながら、フェラーラの空気を腹の底へ押し込んでみた。このお城は、とても重厚でカタチも気に入った。イタリアのお城も如何なる建造物も、いつも驚くのですが、機能的でありデザインが優れていることです。
どうしてだろうか? ローマのパンテノンは、巨匠ミケランジェロが人間技では無い、と溜息をついたとかという言い伝えが在るそうです。
してみると古代ローマ時代から、いやそれ以前からこの国の建築物創造者(建築家、土木家、測量士、デザイナーほか建物を作る仕事に就いていた人たち)の巧みさを今日に至るまで繋いできているということだろうか?
話が逸れてしまいました。まあ、そんなこんなことを思いながら開場までの30分をエステンセ城の周囲360度を巡りました。
このお城の中に大変立派な絵画館が併設されていました。
作家は、GIOVANNI BOLDINI、FILIPPO DE PISISの2人です。フェラーラ出身の画家なのでしょうか?十分なスペースを取ってあり、入場者にはゆっくりと観賞できる環境が有難かった。
地上階の中庭に接したコーヒーハウスに経ち寄ってみたところ、気になるPRが眼に入りました。この地、FERRARAで撮影した映画のパネルだったのです。成程、景勝の地、歴史の街は映画監督にとっても、自然、街並み、建造物など魅力いっぱいの材料が満ちている
のかと想像してしまいました。
◇フェラーラを舞台に撮った映画は、1950年~2009年の59年間に80本を数えます。〔頂いた小冊子に依る〕
フェラーラ・エステンセ城の一角
城は、お堀に囲まれています。
北イタリア紀行
クレモナでは宿が見つからず、しからば急げとばかりタクシーを拾いクレモナ駅へ向かいました。次の行き先は、フェラーラです。
イタリア国鉄(TRENITALIA)は、日本のように時刻表を販売して居ないのか何処の駅のキオスクや本屋でも見たことがありません。
ですから、本線、支線が、解からずに困ります。どの線で行けばいいのだろうかと手持ちのイタリア地図を見ながら、見当だけつけて電車に乗る訳です。イタリアでは、3人の人に道を聞け、と云われますが、これがまた中々大変なことであります。
因みにイタリア語では時刻表は、ORARIO/オラリオと言います。
◎FERRARA/フェラーラ 9月15日(火)~16日(水)
短時間で街並みを愉しむには、あれやこれやと見物先を行くことは難しいと思い、一番のりで最も見学してみたかったエステンセ城を尋ねてみました。午前9時には、チケット売場についたのですが、入場は9時30分からですと断られてしまった。
それではと、お城の周りをひと巡りしながら、フェラーラの空気を腹の底へ押し込んでみた。このお城は、とても重厚でカタチも気に入った。イタリアのお城も如何なる建造物も、いつも驚くのですが、機能的でありデザインが優れていることです。
どうしてだろうか? ローマのパンテノンは、巨匠ミケランジェロが人間技では無い、と溜息をついたとかという言い伝えが在るそうです。
してみると古代ローマ時代から、いやそれ以前からこの国の建築物創造者(建築家、土木家、測量士、デザイナーほか建物を作る仕事に就いていた人たち)の巧みさを今日に至るまで繋いできているということだろうか?
話が逸れてしまいました。まあ、そんなこんなことを思いながら開場までの30分をエステンセ城の周囲360度を巡りました。
このお城の中に大変立派な絵画館が併設されていました。
作家は、GIOVANNI BOLDINI、FILIPPO DE PISISの2人です。フェラーラ出身の画家なのでしょうか?十分なスペースを取ってあり、入場者にはゆっくりと観賞できる環境が有難かった。
地上階の中庭に接したコーヒーハウスに経ち寄ってみたところ、気になるPRが眼に入りました。この地、FERRARAで撮影した映画のパネルだったのです。成程、景勝の地、歴史の街は映画監督にとっても、自然、街並み、建造物など魅力いっぱいの材料が満ちている
のかと想像してしまいました。
◇フェラーラを舞台に撮った映画は、1950年~2009年の59年間に80本を数えます。〔頂いた小冊子に依る〕
フェラーラ・エステンセ城の一角
城は、お堀に囲まれています。
エステンセ城近くにある建造物
確か商工会議所?と思われます。
フェラーラに 来て良かったと エステンセ
元鷹
第394話 北イタリア紀行 クレモナ
ローマ滞在通算10年達成記念
北イタリア紀行
◎クレモナ/CREMONA 9月15日(水)
さて、風の街、丘の街トリエステを後にして向かう処は?
風の吹くまま、実はパドヴァという街へ行くところでしたが、何を間違えたのか、クレモナ《ヴァイオリンの街》につきました。
静かで時間がゆっくりと流れているような街でした。
クレモナ駅を出て真っ直ぐに歩くと目的地である「ヴァイオリン美術館」へ辿りつきました。入場料は、10€でした。荷物は、見学時間の間、rオッカーを使用できましたから、大変助かりました。
地方に在る美術館のメリットですが、入場者が平日は真に少ないのが、見学者としては助かります。世界の遺産とも言える名品の数々をじっくりと眺める幸福感は、何に例えればいいのだろうか?
Amati,Stradivari,Guanneri,Rugeri と言ったマエストロらが創った作品が、目前に並べられていました。俗人が考えることは価格です。
もし、市場に出れば、出る訳は無いのですが、勝手な価格ですが、
何十億円!!!もの超逸品ばかりが、かぞえ切れないほど展示されていたのですから、ビックリ・ドッキリであります。
音楽ファン、ヴァイオリン・ファンと云わずとも、ここで過ごす時間は、不思議とこころに落ち着きを戻し、気持ちを豊かにしてくれるでしょう。
余りに美術館の空気が、ここまで来たことに幸せな感情を与えてくれ
たので、この街で一泊して、明日今一度再館したいと想ったほどでしたが、突飛なことで、ホテルも無く、次回に譲ることに決めて、フェラーラへ向かうことにしました。
フェラーラへは、ローカル線で向かったのですが、大作曲家G.VERDI/
ヴェルディの生誕の地/Busseto駅を通過したのには、感激しました。
車窓からでしたが、自然がそのまま残っている静かな景色でした。
クレモナ駅の表情
人気の少ない静かな駅周辺でした。

Museo del Violino ヴァイオリン美術館
入口正面から撮影しました。
入館者は少なくゆっくりと楽しめました。
北イタリア紀行
◎クレモナ/CREMONA 9月15日(水)
さて、風の街、丘の街トリエステを後にして向かう処は?
風の吹くまま、実はパドヴァという街へ行くところでしたが、何を間違えたのか、クレモナ《ヴァイオリンの街》につきました。
静かで時間がゆっくりと流れているような街でした。
クレモナ駅を出て真っ直ぐに歩くと目的地である「ヴァイオリン美術館」へ辿りつきました。入場料は、10€でした。荷物は、見学時間の間、rオッカーを使用できましたから、大変助かりました。
地方に在る美術館のメリットですが、入場者が平日は真に少ないのが、見学者としては助かります。世界の遺産とも言える名品の数々をじっくりと眺める幸福感は、何に例えればいいのだろうか?
Amati,Stradivari,Guanneri,Rugeri と言ったマエストロらが創った作品が、目前に並べられていました。俗人が考えることは価格です。
もし、市場に出れば、出る訳は無いのですが、勝手な価格ですが、
何十億円!!!もの超逸品ばかりが、かぞえ切れないほど展示されていたのですから、ビックリ・ドッキリであります。
音楽ファン、ヴァイオリン・ファンと云わずとも、ここで過ごす時間は、不思議とこころに落ち着きを戻し、気持ちを豊かにしてくれるでしょう。
余りに美術館の空気が、ここまで来たことに幸せな感情を与えてくれ
たので、この街で一泊して、明日今一度再館したいと想ったほどでしたが、突飛なことで、ホテルも無く、次回に譲ることに決めて、フェラーラへ向かうことにしました。
フェラーラへは、ローカル線で向かったのですが、大作曲家G.VERDI/
ヴェルディの生誕の地/Busseto駅を通過したのには、感激しました。
車窓からでしたが、自然がそのまま残っている静かな景色でした。
クレモナ駅の表情
人気の少ない静かな駅周辺でした。
Museo del Violino ヴァイオリン美術館
入口正面から撮影しました。
入館者は少なくゆっくりと楽しめました。
ヴェルディを産んだ偉大な大地を
とくとご覧下さいませ!
ブセット駅をボローニャ方面へ
クレモアは ヴァイオリンの音 旅癒す
元鷹
2015年9月18日金曜日
第393話 北イタリア紀行 トリエステ
ローマ滞在通算10年達成記念
北イタリア紀行
私ごとですが、ローマでの滞在が早4年(2011年7月10日~今日)を超えました。そして、かつて家族と一緒に駐在したローマ生活の期間を加えますと、都合10年を経過した、ことになります。
これまでローマの話題を中心にブログを作成してきた訳ですが、
「元鷹ローマを出る!」とばかり、念願の”北イタリア紀行”(3泊4日)を断行して参りました。
素晴らしい街での感動、人との出逢いなどをお伝えしたいと思います。
今日のその第一弾は、北イタリアはトリエステでのお話しです。
◎トリエステ/TRIESTE 9月14日(月)~9月15日(火)
イタリア最北東の街。詩人ウンベルト・サバが、生まれた故郷であったこと、20余年前に当時ローマでレストランを経営されていたミミさん≪ニック・ネーム≫(日本人女性)から、街の様子を聞いていたことが長年忘れられずに居たことが、ベースにありました。
しかし、直接的なきっかけはブログに紹介しました作家須賀敦子さんの
小説からの影響があったことは間違いありません。折角、イタリアにいるのだから、とやっとこの機に腰を上げた次第です。
4日前の14日(月)朝07時15分発の特急”イタロ”に乗り込みました。
目指すは、坂の道の街、海の街”TORIESTE/トリエステ”です。
特急イタロは、ベネチア・メストレまで乗車。ここで、ローカル線に乗換えて目的地へ向かいました。駅構内は、正直言って、寂れている雰囲気を感じました。駅の外に出てみますと、早速、「海風の歓迎」を受けました。
先ずは、電車内で検討していたように、「イタリア統合広場」へと向かいました。ここまでの距離は、1kmぐらいだったでしょうか。リュックを肩に背負い、小型のカーゴを引っ張っての街歩きでした。
やがて、ホテル(☆☆)に入って、荷物を部屋に置いて夕食まで自由気ままに観光名所を巡りました。何せ、急な旅支度でもあり、行き先も風の吹くまま、気の向くままよ、と言った映画のトラさんのような小旅行ですから。
トリエステの丘にあるサンジュスト聖堂までの坂道は、結構な勾配が付いていて、汗が噴き出る始末でした。これでは、丘までぎっしり詰め寄せたようなアパート群の住人らは、日々大変な生活だろうなあ?と勝手な心配をしてしまいました。
途中、”VIA DELLA BORA” という名前のついた細い道を発見しました。トリエステでは冬の期間だけ、それはそれは強風が毎日吹き荒れるそうです。その風の名を「LA BORA」(ラ・ボーラ)と呼ばれるのだそうです。
壁標にVia della Bora と表示されいます。
想像以上に大風で大人でも、吹き飛ばされるほどの強風なのだとか。
須賀さんの書かれた本にも詳しく紹介されていたことを、ふと思い出してしまいました。
トリエステは、丘と海とに挟まれた街です。
恐らく、夏のシーズンには、世界から数多くの観光客を豪華客船が運んでくるのだろうか、と想像させてくれるハーバーでした。
それから街並みが、とてもキレイであることに驚いた。
ローマに居るとローマの喧騒が、当然の様な気がしてしまいますが、
自然が前後に豊かな街トリエステでは、建物がオシャレで、街を歩く人達がとてもエレガントに見てとれました。
まるでイタリアではない、ような街、静かにしかし堂々とした気運を感じさせる街であるような印象を受けました。
両脇には、カッフェバールが開き
ヴァイオリンのソロが旅情を掻き立てます
イタリア統合広場/P.zza dell'Unita d'Italia
サンジュスト聖堂となりに在る広場から
丘に向けてシャッターをパチリ!
トリエステのサンセット/ベネティア湾
11月3日海岸通り辺りから夕焼けを
ながめました。
トリエステ 坂道登り 風が吹く
トリエステ ベネツィア湾に 丘の上
元鷹
北イタリア紀行
私ごとですが、ローマでの滞在が早4年(2011年7月10日~今日)を超えました。そして、かつて家族と一緒に駐在したローマ生活の期間を加えますと、都合10年を経過した、ことになります。
これまでローマの話題を中心にブログを作成してきた訳ですが、
「元鷹ローマを出る!」とばかり、念願の”北イタリア紀行”(3泊4日)を断行して参りました。
素晴らしい街での感動、人との出逢いなどをお伝えしたいと思います。
今日のその第一弾は、北イタリアはトリエステでのお話しです。
◎トリエステ/TRIESTE 9月14日(月)~9月15日(火)
イタリア最北東の街。詩人ウンベルト・サバが、生まれた故郷であったこと、20余年前に当時ローマでレストランを経営されていたミミさん≪ニック・ネーム≫(日本人女性)から、街の様子を聞いていたことが長年忘れられずに居たことが、ベースにありました。
しかし、直接的なきっかけはブログに紹介しました作家須賀敦子さんの
小説からの影響があったことは間違いありません。折角、イタリアにいるのだから、とやっとこの機に腰を上げた次第です。
4日前の14日(月)朝07時15分発の特急”イタロ”に乗り込みました。
目指すは、坂の道の街、海の街”TORIESTE/トリエステ”です。
特急イタロは、ベネチア・メストレまで乗車。ここで、ローカル線に乗換えて目的地へ向かいました。駅構内は、正直言って、寂れている雰囲気を感じました。駅の外に出てみますと、早速、「海風の歓迎」を受けました。
先ずは、電車内で検討していたように、「イタリア統合広場」へと向かいました。ここまでの距離は、1kmぐらいだったでしょうか。リュックを肩に背負い、小型のカーゴを引っ張っての街歩きでした。
やがて、ホテル(☆☆)に入って、荷物を部屋に置いて夕食まで自由気ままに観光名所を巡りました。何せ、急な旅支度でもあり、行き先も風の吹くまま、気の向くままよ、と言った映画のトラさんのような小旅行ですから。
トリエステの丘にあるサンジュスト聖堂までの坂道は、結構な勾配が付いていて、汗が噴き出る始末でした。これでは、丘までぎっしり詰め寄せたようなアパート群の住人らは、日々大変な生活だろうなあ?と勝手な心配をしてしまいました。
途中、”VIA DELLA BORA” という名前のついた細い道を発見しました。トリエステでは冬の期間だけ、それはそれは強風が毎日吹き荒れるそうです。その風の名を「LA BORA」(ラ・ボーラ)と呼ばれるのだそうです。
壁標にVia della Bora と表示されいます。
想像以上に大風で大人でも、吹き飛ばされるほどの強風なのだとか。
須賀さんの書かれた本にも詳しく紹介されていたことを、ふと思い出してしまいました。
トリエステは、丘と海とに挟まれた街です。
恐らく、夏のシーズンには、世界から数多くの観光客を豪華客船が運んでくるのだろうか、と想像させてくれるハーバーでした。
それから街並みが、とてもキレイであることに驚いた。
ローマに居るとローマの喧騒が、当然の様な気がしてしまいますが、
自然が前後に豊かな街トリエステでは、建物がオシャレで、街を歩く人達がとてもエレガントに見てとれました。
まるでイタリアではない、ような街、静かにしかし堂々とした気運を感じさせる街であるような印象を受けました。
両脇には、カッフェバールが開き
ヴァイオリンのソロが旅情を掻き立てます
イタリア統合広場/P.zza dell'Unita d'Italia
サンジュスト聖堂となりに在る広場から
丘に向けてシャッターをパチリ!
トリエステのサンセット/ベネティア湾
11月3日海岸通り辺りから夕焼けを
ながめました。
トリエステ 坂道登り 風が吹く
トリエステ ベネツィア湾に 丘の上
元鷹
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