2014年6月7日土曜日

第245話 ことばの押す文化と引く文化

新緑の美しい6月に入りました。とは書いてみたもののローマの街並みには、比較的緑の木々が植えられているせいでしょうか、日本ほど季節の変化を表現しながら挨拶をする人が少ないような気がしてなりません。

例えば、久し振りに逢った友人同士の出合いでは、互いの健康を喜びあい、次に家族のこと、そして最近は何をしていたのか〔しているのか〕などと、限りなく延々と〔そうです!延々となのです。〕止まりません。

勝手な解釈ではありますが、これらのことはコミュニケーションの取り方が
イタリア式〔押す・ことば文化〕と日本式〔引く・ことば文化〕の差異に起因するのではないだろうか、と最近思えてなりません。

さてここで言う「押す」とは、”自らの考え方や意見”を中心に、率直に相手へ話しかけるマナー〔態度・動作〕のことです。

片や「引く」とは、”相手〔周囲〕の考え方・意見”の間合いを見ながら、控え目に自分の意見〔考え方〕を伝えよう、とするマナーです。

ある時は、黙っている場合〔相槌だけ〕さえあるわけですが。即ち、場や
情況の空気を読む〔読み過ぎることもある〕ことに心配りをするのです。

ざっくばらんに申せば、自分の感情を抑えずに〔率直に〕伝えようとする
イタリア方式〔押す文化〕と相手の立場を見ながら〔婉曲に〕伝えようとする
日本方式〔引く文化〕との違いです。

このことが、”挨拶”という人間共通の出逢いがしら〔頭〕の表現方法に違いをもたらしているのではないでしょうか?

例えば、日本人にとって季節感を話題に、或は書状などに取り込むことは自然なノウハウと言っても良い、互いの関係性作り上のエッセンスなのであります。

勿論、これらのことは四季の美しさの変化を楽しむことが出来る日本ならではの自然環境や、日本人の感性に負うものであることは、言うまでもないことであります。


街角の電気屋さんをパチリ!
                イタリア三色旗デザインが眼に
                  はいりこんで来ました!
                ※写真は、文章と関係ございません。


            あいさつに 押すも引くもあり 文化なり 
                                      元鷹


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