北イタリア紀行
クレモナでは宿が見つからず、しからば急げとばかりタクシーを拾いクレモナ駅へ向かいました。次の行き先は、フェラーラです。
イタリア国鉄(TRENITALIA)は、日本のように時刻表を販売して居ないのか何処の駅のキオスクや本屋でも見たことがありません。
ですから、本線、支線が、解からずに困ります。どの線で行けばいいのだろうかと手持ちのイタリア地図を見ながら、見当だけつけて電車に乗る訳です。イタリアでは、3人の人に道を聞け、と云われますが、これがまた中々大変なことであります。
因みにイタリア語では時刻表は、ORARIO/オラリオと言います。
◎FERRARA/フェラーラ 9月15日(火)~16日(水)
短時間で街並みを愉しむには、あれやこれやと見物先を行くことは難しいと思い、一番のりで最も見学してみたかったエステンセ城を尋ねてみました。午前9時には、チケット売場についたのですが、入場は9時30分からですと断られてしまった。
それではと、お城の周りをひと巡りしながら、フェラーラの空気を腹の底へ押し込んでみた。このお城は、とても重厚でカタチも気に入った。イタリアのお城も如何なる建造物も、いつも驚くのですが、機能的でありデザインが優れていることです。
どうしてだろうか? ローマのパンテノンは、巨匠ミケランジェロが人間技では無い、と溜息をついたとかという言い伝えが在るそうです。
してみると古代ローマ時代から、いやそれ以前からこの国の建築物創造者(建築家、土木家、測量士、デザイナーほか建物を作る仕事に就いていた人たち)の巧みさを今日に至るまで繋いできているということだろうか?
話が逸れてしまいました。まあ、そんなこんなことを思いながら開場までの30分をエステンセ城の周囲360度を巡りました。
このお城の中に大変立派な絵画館が併設されていました。
作家は、GIOVANNI BOLDINI、FILIPPO DE PISISの2人です。フェラーラ出身の画家なのでしょうか?十分なスペースを取ってあり、入場者にはゆっくりと観賞できる環境が有難かった。
地上階の中庭に接したコーヒーハウスに経ち寄ってみたところ、気になるPRが眼に入りました。この地、FERRARAで撮影した映画のパネルだったのです。成程、景勝の地、歴史の街は映画監督にとっても、自然、街並み、建造物など魅力いっぱいの材料が満ちている
のかと想像してしまいました。
◇フェラーラを舞台に撮った映画は、1950年~2009年の59年間に80本を数えます。〔頂いた小冊子に依る〕
フェラーラ・エステンセ城の一角
城は、お堀に囲まれています。
エステンセ城近くにある建造物
確か商工会議所?と思われます。
フェラーラに 来て良かったと エステンセ
元鷹
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