”ほほ笑みを忘れないで”と,優しく訴えるような新聞記事が偶然眼に止まって以来〔2013年2月17日・日本経済新聞コラム「こころの時代」(編集委員 木戸純生)〕、この言葉の持ち主・渡辺和子さん〔ノートルダム清心学園理事長〕に私の関心は、ずっと今日まで惹きつけられてきました。
さて、その記事の一部を抜粋してご紹介させて頂きます。
「私は『神様のポケット』という自分で創作した言葉が好きです。他人にあいさつしても、ほほ笑みかけても、相手が返してくれない時があり、損した気分になることもあります。
そんな時、『私のほほ笑みは無駄になっていない。神様のポケットに入ったのだ』と考え、例えば『被災地で寂しい思いをしている人にあげて下さい』と祈るのです。心が穏やかになります。そして私の祈りはきっと叶えられると信じて、幸せになるのです」
この文章は、記事の最終章に掲載されたものですが、私は渡辺和子さんの発想の転換、神様にお願いするという天真爛漫な機知にナルホド!これは素晴らしいことだ!!と感動したのでした。
記事全体の内容も分り易くて、読後何か元気がワクワクと出て来るような
気がしたものでした。早速、紹介された本「置かれた場所で咲きなさい」を
入手して、読ませて頂きました。
さて、渡辺和子さんがおっしゃる「神様のポケット」を必要とする場面が、
私たちの日々の生活の中には沢山ある思いますが、如何でしょうか?
そんな時、相手を責めず、かつ自分に元気をくれる「神様のポケット」を持てないだろうか?と思い巡らしているうちに「神様のポケット」の一筆がきを創ってみたのです。(7月10日未明)
あれよあれよ、と云う間にイメージからカタチ《ロゴ》が出来上がりました。
筆記体のディをベースにしたものですが、[Dio ]を読み込んでいます。
ネーミングは?そのままイタリア語で書いてみました。
神様のポケット
LA TASCA DI DIO
私流[神様のポケット]=[LA TASCA DI DIO]を心の何処かに持って
から、気持ちが穏やかに持てるようになった気が致します。
私は、少し幅を広げてこのポケットを創ってみました。元鷹流?
生きて行く上で私たちは、幾つもの試練を乗り越えなければなりません。私流”神様のポケット”は、試練を堂堂と受け止める楯にもなるのです。
同僚のイタリア人スタッフに「LA TASCA DI DIO」(神様のポケット)の
話しをすると強い関心を示してくれるのです。
カトリックの国がらも当然影響しているかと思います。でもそれ以上に、
仕事上の、或は生活上の”悩み”や”苦しさ”を神様のポケットに預かって貰い、その重さを軽減してくれるストリーに興味を示してくれたのだと想像しています。
※ 「LA TASCA DI DIO」は、”神様のポケット”の意訳です。
人間の悩みや苦しみをも拾い上げてくれるのです。
中央の赤色のハートの上から一筆がきを
始めます。”DIO”と読み取れますか?
昨年2月17日付の日経新聞
コラム「こころの時代」切り抜き
私が関心を寄せていることを知って
同僚が、態々貸してくれたのです。
ただ今、読書中です。
ポケットに 一旦入れて 夢託す
元鷹
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