2015年5月21日木曜日

第352話 フェリーチェ通り 中編

フェリーチェ通りとは、かつての第227代法王シストⅤ〔1585-1590〕
の名前を付けたものです。その理由を訪ねてみることに致しましょう。

先ず、この通りは何処にあるのか?という素朴なご質問にお答えしなければなりません。実際には、今では存在していない道路ですから、ローマ人でも知っている人は極々少ないのであります。

ローマにお越しの方は、ヴァチカン市国4大聖堂のサンタ・マリア・
マッジョ大聖堂の位置を覚えていらっしゃるでしょうか?

この聖堂の後陣に、広場があります。エスクリーノ広場と呼ばれます。
ここが、フェリーチ通りのスタート地点です。ここから始まる道路は、①アゴスティーノ・デプレティス通りです。

およそ100Mほどで、市内の大動脈のナチォナーレ通りに突き当ります。

このナチォナーレ通りを超えて、真っ直ぐ進みます。ここが、②クワットロ・フォンターネ通りと呼ばれる道路です。さらに真っ直ぐに進むのですが、100Mも歩かない内に交差点QUATTORO FONTANE に出遭います。

ここまでは、やや急激な登りスロープとなります。出逢う道路は、9月20日通りです。この通りは、左にクィリナーレ宮殿と右にピア門とを結ぶおよそ1.5KMの長さがあります。

この交差点からは下り坂です。一気にバルベリーニ広場まで進みます。この間、やはり100m位でしょうか?途中には、国立絵画美術館が現われます。映画「ローマの休日」の中で、アン王女がローマに滞在した処です。 

坂を下ったところが、バロックの鬼才G・L/ベルニーニ〔1598-1680〕作 「トリトーネの噴水」で有名なバルベーニ広場になります。もう、ここまで来れば目的地のスペイン階段の見える高台まで僅かとなります。

即ち、最後〔3番目〕の道③システィーナ通りへ向かいます。
ここの交差点は混みあいますので要注意です。

システィーナ通りは、またまた登り坂となっています。しかし、オベリスクを目前に元気が出てくるから不思議です。途中には、以前にもご紹介したことのあるデンマークの作家ハンス・C/アンデルセンが、2年間住んでいたというアパートが、今でも残っています。〔1833-1834〕

丘の三位一体教会のオベリスクの台座まで、およそ150M位でしょうか?システィーナ劇場など、この通りならではの雰囲気が醸し出されていて
散歩には持って来いの道路です。フェリーチェ通りも間もなく終わりです。

このように、現在は①アゴスチーノ・デプレティス通り、②クアットロ・フォンターネ通り、そして③システィーナ通りが、ほぼ1本道に整備された状態と
なっています。

これら3道路を16世紀末から暫くの期間〔いつ頃までかは不詳〕、フェーリチェ通りと呼び慣わしたのは、ローマの道路を整備した法王シストⅤ世の俗名フェリーチェ・ペレッティからの由来だそうです。

前編に掲載しました写真は、その当時の面影を偲ばせてくれた古い時代の痕跡を教えてくれたのでした。

             

          これほどに フェリーチェ通り 坂多し
                              元鷹

            ※写真は後編に掲載予定です。

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