いよいよ後編となりました。同日に3編綴ることはこれまでありませんでしたが、若い時と違って記憶が直ぐに何処かへ飛んで行ってしまわないうちに書き記したいと思います。
聖堂以外の見所は、八角形の洗礼堂であります。隣接したところにあり。
しかし、訪れた日は残念ながら扉が閉じておりました。
因みにこの洗礼堂は、コンスタンティヌス帝(在位306-324年)が洗礼を受けたという伝承が残る位置に作られたとのことです。帝は、313年に
キリスト教を公認したことで有名です。(ミラノ勅令)
聞くところによれば、午後4時過ぎでないと開かないと云われてしまい、後日の楽しみへ回さざるを得ませんでした。しかし、これまでにも数度となく洗礼堂を見ておりましたので、あっさりと引きさがることができました。
さて、次には広場に建つ巨大なオベリスクをご紹介します。
前出の法王シストⅤ世が腹心の建築家ドメニコ・フォンターナに命じて
オベリスクを4本建てさせたうちの1本です。
もともとは古代エジプトの王トトメス3世(第18王朝6代目の王)の為に
カナック宮殿(エジプト)に建っていたものを略奪したものらしいのですが。
1587年ローマのチルコ・マッシモで、三片に折れて埋もれていたものを発見して、翌年1588年大聖堂の広場へ移したと云うことであります。
私は、鞄からオペラガラスを取りだして、オベリスクの象形文字を眺めてみたのですが、すっきりしたキレイなデザインだったのには驚きました。
特に鳥を表わした象形文字は、いくつも彫られているのが見えて気を引きました。
してみるとデザイン(見る人を感動させる美)とは、紀元前3000年、いや
4000年も前から、エジプトでは創られていたのですね。
芸術の始まりは古代エジプトに在り、でしょうか。
最後にもう一つ是非に見て置きたい場所があります。
「サンタ・スカーラ」(聖なる階段)と言いますが、これはクリスチャンにとっては大変重要な聖地の一つです。聖金曜日には、信者が苦行の一つとして、この階段を膝をついて昇る光景が見られます。
現在、ラテラーノ宮殿には入ることが出来ません。宮殿は1309年まで
法王の住居だったとのことです。1586年ドメニコ・フォンターナが再建した、と伝えられています。
以上で、「サン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ聖堂」のご紹介は終わります。
余りにも「サン・ピエトロ聖堂」が輝き過ぎていて、目だ立たない存在ですが、この聖堂の歴史的役割は七大聖堂の中で光ったモノがあることが分りました。
皆さまがローマへお越しの際には、お時間を組入れても惜しくない見学すべき聖堂あることは間違いないかと思います。是非ともご一考のほどお願いしたいと存じます。
古代エジプトに在ったオベリスクが10本以上
現在のローマに脈々と残っています。
こんな大きくて重いものをどのようにして、
運んできたのか、知りたいものです。
八角形の洗礼堂をアップで撮りました。
生憎この日は、時間の関係で中へ入れません
でした。
道路を挟んで「聖なる階段」の入口が見えます。
多くの信者の巡礼のメッカの一つになっている
そうです。
解からずも インテラオ丘 幾度なく
元鷹
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