私の小さな本棚から、小冊子「ローマ案内 平成3年9月 在イタリア日本国大使館」を見つけて調べてみました。詳細は下記の通りです。〔p、5〕
330年コンスタンティヌス帝が258年殉教したサン・ロレンツォの
墓の上に礼拝堂を建てたのが初め。1943年戦災に会い、13世紀
の再建時の姿に修復された。教会内部は二つの教会が結びついて
います。地下礼拝堂にはサン・ロンレンツォ、サン・ステファノ及び
サン・ジュスティーノの各殉教者の遺体が納められています。
ここに記されたコンスタンティヌス帝〔306-337〕は、313年ミラノ勅令
にてキリスト教を公認した人物です。
それ以前は多神教の中にあって、キリスト教は勢力〔信者〕を増してきたがために、そのリーダーであったロレンツォ〔この人物の詳細は不詳〕〔司祭?〕は、軍人皇帝ヴァリアヌス帝〔253ー260〕によって迫害を受け火刑〔258年〕に処せられた。
簡単ですが、以上が「サン・ロレンツォ」について調べたことです。
古代ローマにおける初期キリスト教のリーダーは、命がけの布教活動を
強いられたのですネ。
余談ですが、この聖堂に眠る殉教者の一人サン・ステファノは、毎年12月26日に祝日≪サン・ステファノの日≫として知られています。
ローマの散歩を楽しんでおりますが、キリスト教文化あるいは西洋史やローマの歴史に多少の知識を持ち合わせていなければ、散歩の歩幅も
狭まってしまう気が致します。
さらに申せば、教会や遺跡の説明には、ラテン語表示が普通ですから、
素養のない私などは、”ウーム?”と有無を言う前にチンプンカンプンです。
それでも関心が薄れないのは、少しでも知ることの面白さへの興味がワクワクと湧いてくるからでしょうか。そんな気がして成りません。
ラテン語標記の説明書き
聖堂前に建つサン・ロレンツォ像台座
の銘を撮影したものと思われます。
(時間が経ってアヤフヤです。)
スラスラと いつか読みたい ラテン文字
元鷹
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