2015年2月25日水曜日

第326話 春を告げるカーニヴァレ

今日(24日)は、どんよりとした空模様だったのですが、とうとう外は雨が降り出したようです。気温もグンと下がって寒くなってしまいました。

三寒四温と言いましたか?寒さと温かさが行ったり来たりする冬から春へのバトンタッチシーズンの糊代(のりしろ)のタイミングですね、この時期は。

イタリア各地では、2月17日(火)まで”CARNEVALE/カーニヴァレ”と呼ばれるお祭りのシーズンでした。1月のいつ頃からでしょうか、ハッキリしませんが、お菓子屋さんはこの時期だけの菓子(フラッペ類)を販売します。

ヴェネチェアの仮面仮装行列は、余りにも有名ですが、各州各町々では大人も子供も一緒に成って、広場から広場へカッロ(山車のような乗物)とパレードするのです。

先週の17日(火)は、そのフェスタも最後の日だったのでしょう。
ウイークデイにも関わらず広場には多くの子供たちの姿や親御さんの見守る姿が目立ちました。≪タルクイニア、チベタ・ベッキア≫

                                  ローマ Via Nazionale パレード風景
            このような山車が8台連なったのです。

           
                                2/17 タルクイニアの路地裏を歩く
            貴族カップル?に仮装した男女。

            

            フェスタは絶頂に登り、大興奮が渦巻く。

                              
                                            チベタベッキャの海浜広場にて 2/17
            カーニヴァレ最後の日に抽選会を開催していました。 


            仮装して カーニバル楽し 家族連れ
                                    元鷹 
            


              



2015年2月24日火曜日

第325話 エトルスコ文明を知る タルクイニア 後編

〔後編〕

さて、博物館を終えて外に出てみれば時間は、13時を回っていました。

第2の目的地ネクロポリへ向かう前にお腹を満たしたいと云う気持ちになって、すぐさまインフォメーションCにて教えて貰ったレストランを探すことにしました。

訪ねたレストラン「AMBARADAM」※は、歩いても10分も掛からないマッテオッチ広場にありました。直感的にこの店は、評判が良さそうだなぁ、と思えました。なぜなら、地元のお客さまで賑わっていたからです。
※発音は、「アンバラダム」です。地元のイタリアレストランです。

案の定、オーダーした一品一品は、ローマには求められないローカルな、
それでいて味わいのあるピアット〔皿/注文品〕でした。キノコと栗を煮込んだズッパ〔スープ〕の旨さと具の多さは格別でした。

お腹を満たした後は、真っ直ぐネクロポリに向かいました。ネクロポリの入口は、不注意に歩いていれば見逃しそうなほど間口が狭く、かつ看板が、分りにくい処でした。

入場には、博物館で購入したチケットを見せて入りました。
入場口のショップをでれば、直ぐに小高い丘のように爽やかな風が頬をなぜてくれました。

青空のもと、貸して頂いたルートマップを片手にネクロポリ《お墓/文化》を見て回ることにしました。写真のように全てネクロポリは、地下に在って鉄製の階段を使って下り登りします。

UHHHH!何事も体力が必要だなぁ!などと溜息をつきながら、出来るだけ、紀元前5世紀前後の世界遺産を拝見させて貰いました。

ここ”TARQUINIA”のネクロポリの特徴は、壁画に在るようです。
一般に公開されているのは、およそ20か所ですが、その内の半分は見ることが出来ました。壁画/フレスコの色、デザインは非常に印象的でした。

さて、ここの管理人責任者と思われる方が、お話しして下さったのですが、この遺跡には100か所以上のネクロポリが存在しているのだそうです。驚きです!

益々にエトルスコ人文明にのめり込みそうな気がして参りました。
まだまだ「エトルスコ文明を知る」目標の一歩でしかありませんが、タルクイニアに来たことで、これから先にいい足あとを残した気がしております。


カレーライスみたいですね。
               これが特製キノコ&栗入りスープです。
               12€でした。

            
この様なキャビンの家から地下墓室に
入ります。死後の世界を信じて、家財道具
を持ちこみ、寝室もあるという徹底ぶりです。
 
彼らのデッサン力には驚きます。
 
タルクイニ そよ風撫でる 丘の上    
                  元鷹

2015年2月21日土曜日

第324話 エトルスコ文明を知る タルクイニア 前編

今日〔2/17〕の天気予報は雨を予想していたものの実際には、終日天候に恵まれて快適な「寒中晴れ間あり」と云った良い日でした。

前回に続いて、エトルスコ文明シリーズをご案内申し上げます。
今日は、「TARQUINIA」《タルクイニア》という町へ出掛けて参りました。

ローマテルミニ駅から、普通電車に乗って75分位でタルクイニア駅に到着します。駅からは、バスで市内へ向かいます。25分程乗って終点に着くと、中世の街並みが眼前に開けていました。

タルクイニアは丘の上にできた町らしく、高台からティニェラ海を眺望出来て、気持ちが晴れる想いがしました。メインの入口にインフォメーションセンターがあって、親切に博物館、お薦めのレストラン、ネクロポリスの在りかなど、手際よく教えてもうことが出来ました。

先ずは、目的のひとつだった国立タルクイニア博物館を見学しました。
入口にて、ネクロポリへの入場とセットになった入場券を求める為に、
8€を払いました。

ここの博物館は、城跡を利用したのではと思えるほど部屋数も多く、石棺が数え切れないほど部屋に廊下にと展示されていました。

殆どの展示品は後ほど見学に行くネクロポリ〔お墓〕から発掘されたものと思われます。それにしても、展示品の中では陶器類〔皿、壷など〕は群を抜いて豊富に並んでおりました。

しかし、多くの展示品の中でタルクイニア博物館のお宝物は「有翼馬」《CAVALLI ALATI》というオブジェ〔神殿のような建物の装飾に使われていたもの〕です。博物館の3階に展示されていました。

紀元前4~3世紀に作られたとされるこの「有翼馬」の見事さをどう表現したものか、戸惑うものであります。やっぱり来て良かったなあ、と感動のさざ波が沸き起ってきたのをどうしようも有りませんでした。

この生き生きした表情は如何に?
この静かなしかし息が伝わるかのような躍動感は如何に?

現代人には、到底入り込めないような神神しさは、一体どこから来るのだろうか、とジット見つめておりました。

発掘された石棺が数多く展示されています。
            蓋の部分には、男性像、女性像の彫刻がされていま
            す。

            
馬の絵が描かれた大壷です。
            見事なデザインです。線がとても綺麗です。

           
”有翼馬”は、今にも飛び出しそうな
             躍動美を感じさせます。
   
            
 
タルクイニアのネクロポリ〔お墓〕の高台
から遠く海を眺める風景。 


             海眺む タルクイニアの 丘に立つ

                                 元鷹   

2015年2月17日火曜日

第323話 サン・バレンタイン・デイを考える 後編 

後編

実は、調べてみますと意外なことにバレンタイン司教が実在していたのか、否かまで話しが飛び出す始末で、何処からどのようにお話しを進めて良いものやら、まるで迷路に入ったようで正直困惑してしまいます。

日本で最初に”サン・バレンタイン・デイ”の広告をしたのは、昭和11年に
神戸のモロゾフという洋菓子メーカーだったそうです。また昭和33年にはメリーチョコレートが新宿伊勢丹にて販売を行った、ということであります。
〔日本を楽しむ年中行事/かんき出版P.33~34参照〕

さて、テルニの守護聖人サン・バレンティーノは、愛を紡ぐ聖人として世界にその名を馳せているわけですが、今一つ何故故に今日のように広がって親しまれているのか、世界的文化的習慣現象?に興味があります。

教会のあるテルニの近く、ローマでは、私の周囲だけの狭い範囲でしかございませんが、この時期日本風のマスコミのPRは少なく、個人レベルでは比較的地味な?プレゼントの交換、お食事会開催などが想定されます。

さて、バレンティーノ司教は、97歳の時に殉教したとなっておりますが、
しかし、97歳の司教を殉教させたということには疑問が残ります。

また、1800年前の3世紀に97歳という超高齢者だったということは、驚きであり、信じ難いものがあります。いずれも勝手な想いではありますが。

サン・バレンタイン・デイのこの時期には、このようなことを考えてしまう訳ですが、近くにこれらの疑問に答えてくれるち知人も図書もないことから、暫くの間、これからも折に触れて調べてみるほかはないか、と思っております。

蛇足ながら、”真実の口”のある教会サンタ・マリア・イン・コメディン〔ローマ〕にサン・バレンタインの聖遺物〔頭蓋骨?〕が残されている、と伝える情報もあります。真に不思議ではありますが・・・?

読者の皆さんに於かれましては、今年の”サン・バレンタイン・デイ”は、どのような日をお迎えになられたのでしょうか?

贈る側も贈られる側も笑顔で心の通じたコミュニケーションが捗れるものであれば最高ですね。マスコミやプロパガンダなどに煽られずに、自分なりの「サン・バレンタイン・デイ」を持ちたいと願うものであります。


いつもの”ダニーノ”お菓子屋さんから
            ”CUORE”(ハート)をお贈りします。


            バレンタイン 君のハートを TANT*OCURE
                                    元鷹

        

2015年2月14日土曜日

第322話 サン・バレンタイン・デイを考える

毎年2月14日は、私たちは通常”サン・バレンタイン・デイ”、または単に
”バレンタインの日”とか言って、呼び合っております。

今日は、このサン・バレンタイン・デイについて、関連したお話しをお伝えしたいと思います。

先ずは、”現場に直行”ではございませんが、2月3日《火》にはサン・ヴァレンティーノ教会〔イタリア語ヴァレンティーノとなります〕を訪問してみました。※ローマから電車〔各駅〕にてテルニ駅下車。バス5番にて、15分位。

1998年2月14日訪問以来でしたが、懐かしく粛々と教会内を見させて頂きました。やや小ぶりのですが、清潔感のある教会です。前回〔1998年〕は、バレンタイン・デイ当日でしたから、人出も賑わいもありました。

また、特別に地下室に在る井戸〔ものの本によれば〕を参拝?したことを
覚えております。そこには世界各国から寄せられた”愛の手紙・カード”が
所狭しと飾られていたことが想いだされます。

さて、本論です。

バレンティーノ司祭は、ウンブリア州のテルニにて、A.D176年に生まれ、A.D273年2月14日に殉教された、と云われて居ります。亨年〔殉教が〕97歳ということになります。但し、年号には、諸説あります。

日本では、なぜこのイタリアのウンブリア州テルニの司祭バレンティーノのお話しが、どのように伝わって、今日のサン・バレンタイン・デイと発展してきたのでしょうか?大いに興味が湧くところでは有ります。

先ずは、曰く因縁を押さえておきたいところではあります。少なくても、
バレンタイン司祭は、イタリア人であったこと、テルニの町の人だったこと、時代は遥か昔3世紀の頃の話だったことを。時間の都合で、恐縮ですが
後編にて、お話しを続けたいと思います。


教会近くのY字路中央には、サン・バレンタインの
            彫像が植え込みの中に建っていました。


            
テルニ郊外に静かに建つ
             サン・バレンティーノ教会 

            
教会上層階のステンドグラスには、
            若い二人に結婚の秘蹟を授けるシーンが
            描かれています。


            赤い糸 チョコに託して キューピッド
                                  元鷹    


2015年2月12日木曜日

第321話 チェルベテリ 後編

後編

いよいよ、もうひとつの見学先である”ネクロポリ”(NECROPOLI)です。
国立博物館から、シャトルバスに乗って15分位経ったでしょうか?

丘の上にバスはつきましたが、降りた客は私一人でした。雨煙で遠くの見晴らしは、余り良くありませんでした。しかも足元は、泥だらけ状態でした。

直ぐにネクロポリ《お墓》※世界遺産です!の入場口を目指しました。
入口が、チケット売場兼ショップに成っています。ショップには、エトルスコ関連の解説本やガイドブックが数多く並んでいて、購買意欲を高めます。

ショップを出ると直ぐにネクロポリスのゾーンへ入ることになります。
ネクロポリス《お墓》のカタチは、まるで日本の古代古墳を想いださせる ようなつくり《円墳》をしています。

ただ、丸型屋根式《トゥムーロ》でしたが、どのネクロポリスも同型なのでビックリ。大きさも石のブロックの積み方さえパターンはどのお墓も同一といえます。

石の切り口丸め方など、技術的な面ではとても現代の石工でも追いつかないのでは、と思えるほどの巧みさでした。

入場口にて、係員から中でも重要なネクロポリスを是非見るようにと、教えて貰ったのですが、掲示板も良く分らずに、幾つ目のネクロポリスだったかも忘れましたが、正にコレだな!というお墓にぶつかりました。

地下に入ると入口手前にはガラスが張られていましたが、電気のスイッチを入れれば、明るく室内が見える仕掛けに成っています。たった30秒程度の長さですが、室内いや墓内の様子がおおよそ伺えました。

これは、セポルクラーレ通りの「浮彫の墓」と呼ばれているものでした。
中央に2本の太い柱が建っています。入口に戻ってから、左側は、「男の柱」、右側は、「女の柱」と係員が、説明してくれて成程と思った次第です。

と申しますのは、左側の柱には狩りに使われた道具が、右側の柱には
日用品、家庭雑貨品と思しきカタチのものが其々飾られていたのです。

地下へ降りる時の怖さはあるものの、実際にお墓の様子を見てしまいますと他のことは一切忘れてしまい、ただただ彼らのお墓文化への祈りの
敬虔さに驚くばかりでした。

円錐形のお墓/トゥムーロ
            同型のものが、ここには数え切れないほど
            静かに時を刻んでいました。

   

お墓の中を撮影することが出来ました。
            デザインもシンメトリーです。左右の柱には
            日用品を浮き彫りにした装飾が成されています。

道すがら遠方を望む景色は穏やかな雰囲気
            でした。雨上がりの空に名の知れない鳥が
            自由に飛び回っていたのが印象的でした。

            
            トゥムーロ 世界遺産や 誰も居ず
                                 元鷹

2015年2月11日水曜日

第320話 まぼろしの文明国 エトルスコ その2 CERVETERI 前編

「まぼろしの文明国エトルスコ」シリーズ”その2”となります。先週2月6日《金》実際にフィールドワーク先として「CERVETERI」を訪ねて参りました。今日はそのレポートをご案内致します。

CERVETERIは、チェルヴェテリと日本式に発音します。中々発音が馴染まず、私の場合ですが、直ぐに忘れてしまいホトホト困っている次第です。
いつものように電車とバスを駆使して目的地まで参りました。

先ずは、事前に調べますと博物館が在るとのことですから、テルミニローマ駅からスタートしました。ほぼ50分位でLADISPOLI-CERVETE駅に到着しました。この駅からバスで国立博物館を目指しました。

町中央と思われる処でバスは終着しました。何と直ぐお隣の中世紀の城のような建物の中に目指す博物館が在ったので助かりました。

博物館は大変小ぶりなものでそんなに時間を掛けずとも見学できました。
1月に訪ねたローマのヴィッラ・ジュウリア博物館に圧倒されましたので、
今回は、展示品も多くなく短時間で済ますことが出来ました。

博物館を出ると時間は既に正午を回っておりました。昼食をとらずに、その足で《ネクロポリ》と言うエトルスコ人のお墓巡りをすることにしました。小雨が降っていた為、早めに動いた方が良いかなと直感が働きました。

ネクロポリまでは、およそ2Kmです。シャトルバスの運行があることを先ほどの博物館受付係員から教えて貰っていましたから、アルファベットGのマークの付いたバスを20分程待ってから、目的地へ向かったのです。

チェルベテリへは、この駅でおります。
            ローマ・テルミニ駅からチベタヴェッキィア行きです。


           
この写真は、遺跡と関係ありません!
            バス停斜め前の八百屋さん軒先です。
            この地域の特産は”カルチョフィ”なのだそうです。


             
博物館ベランダから塔をパチリ! 
               建物は中世紀の城跡のようでした。

  

               エトルスコ チェルベテリ行き 初めなり
                                     元鷹
                  

2015年2月7日土曜日

第319話 ウンブリア州テルニの町 後編

《後編》
テルニの町の知名度を高めているのは、前編でご紹介しましたマルモーレの滝とサン・バレンティーノ教会だけでは有りません。イタリアの中でその存在を知らしめたのは、製鉄工業であります。

成程、国鉄テルニ駅前の広場中央には、鉄の町であることを誇るモニュメント《巨大なプレス機》がドーンと聳え建っていました。《写真ご覧下さい》

テルニが、イタリアのほぼ中央に位置していること、自然環境《水力発電?水が豊富である》に恵まれていること、等によってイタリアの産業の礎とも言える「製鋼」の町として、戦前から発展してきた町なのです。

また、食べ物では、山の幸「タルトッフォ」、川の幸「川魚」が名物になっているようです。《レストラン案内看板による》但し今回は、時間の都合もあって地元のレストランを訪ねることが出来ませんでした。

また、これは勝手な想像でしかないのですが、イタリアの大判の地図を広げてみますと、テルニの在る場所がローマへ通じる要所であることが分ります。

山々に囲まれているのですが、昔から道路交通の要《かなめ》であったことが伺えます。自然の美しさに旅人が、憬れますのは人間の情であり、もっともなことです。

旅人に混じって、国内からはもとより海外諸国からも著名な詩人作家や
音楽家らが訪れるのも、”むべなるかな!”であります。

ローマを左岸右岸に分け、ついにはティレニア海へ注ぐテヴェレ川の
源流のひとつのネラ川は、山脈を辿りここテルニの町を通過しています。

テルニのマルモーレの滝は、雄大そのものであり、その滝の轟音に圧倒されながらも、自分の眼に耳に感じたモノは生涯忘れないものに成りました。ローマで受けてきたものとは全く別の「自然の美」の感動であります。

駅前に巨大なプレス機がオブジェとして
               設置されています。テルニの歴史であり
               プライドを象徴しています。

全長165Mのマルモーレの滝は、
            第1、第2、第3の滝と3段階になります。
            第1の滝は、80M, 第2の滝は35Mの高さです。

この雄姿をご覧あれ!   
            旅の疲れも108つの煩悩も吹っ飛びます。

            

            Uhhhhh.......私は、滝に感動してしまい
            この眺めから暫し離れられませんでした。


            轟音に されど心は 静かなり 
            
                              元鷹
                             

2015年2月5日木曜日

第318話 ウンブリア州テルニの町 前編

昨日は、二十四節季の立春の日でした。ローマは、毎日のように小雨が降っております。雷や雹(ひょう)を伴う日もあったりして、会話の中では
「ブルット・テンポ!」《酷い天気だ》などと言って、挨拶を交わす日々です。

きのうは小雨にも関わらず遠出をしました。
ローマから、ほぼ80km北北東に在るウンブリア州の町「テルニ」へ出掛けて参りました。《TERNI》

目的は、二十年ぶりにこの町の守護聖人ST.VALENTINO(サン・バレンティーノ)が祀られているサン・バレンティーノ教会を訪れることでした。

今回は先んじて同じテルニの町にある有名な「マルメーラの滝」についてお話しを申し上げたいと思います。”サン・バレンタイン・デイ”までには、まだ日数が残されていますから。

教会を見学した後、再度テルニ駅に戻りました。13:05発のNO.7の
バスが、「マルメーラの滝」方面に行くことを確認して、30分余の待ち時間をちかまの散歩とバールでの時間に当ててみました。

出発後30分程掛かったでしょうか?市内から約7kmとのことでしたが、バスは山奥へドンドン進んできたように思われました。

車内のイタリア人女性に「次が降りるところですよ!」と親切な言葉を掛けて貰えたので、無事に目的地に到着することが出来ました。

降りてみると遥かかなたに滝が姿を現しているのを見て感激しました。
入口とおぼしき処から、綺麗に整備された歩道を進むと滝が全景を現わしてくれました。

20年前にもこの辺りに来ていたことを懐かしく想いながら、ただただカメラを滝の姿に向けてシャッターを押すことに夢中になってしまいました。

滝は、三段クッションと言っても良いかも知れませんが、段々畑を大きくしたかのように一段ずつ滝は分れて下方に勢いを増して流れています。

ところで公園入口には、係員が居らずそのまま入場してしまったのですが、チケットを購入してから入ることを出口側の係の人から注意される始末。滝を見て気を取られ、チケット購入を考えることもありませんでした。

このシーズンは、入場口に係員は居ないそうで、入場口から少し戻った場所で最初にチケットを購入しなくてはなりません。私は出口の係員に約束したように見学後、センターに伺い支払い《3€》を済ませました。

さて、ここの滝の雄姿は、下に掲げた写真をご覧頂けば一目瞭然です。
パンフレットによれば、昔、ハンス・C・アンデルセンやL・バイロンらが訪ねて感動した記録を伝えています。

また、トップから滝壺《川へ通じて居る》までの長さは、165Mあるそうで、何でもヨーロッパで一番長い滝だそうであります。《3クッションです》

ローマから電車で50分ほどでテルニへ。
サン・バレンタイン教会、マルモーレの滝などで有名です。
 
                               テルニのマルモーレの滝 最上層
            滝壺まで165mもあるそうです。


            轟音に マルモーレの滝 テルニかな
                                 元鷹   

            
            
 
 

2015年2月1日日曜日

第317話 カルチョフォを料理しました。

イタリアに来て初めて食べた時には、変なカタチをした野菜でしかなかったのですが、住み慣れて食べ慣れてみますと、こんなに旨いものかな、と
認識新たになったのが、「CARCIOFO(カルチョフォ)」《日本では、チョウセンアザミと呼ぶようです》であります。

今では、イタリアレストランやトラットリアなどで食事をする際には、前菜の部(スターター)に、このカルチョフォを見つけることを一つの愉しみにするようにまで好物の仲間入りをしております。

週に1度は出掛ける近くのスーパーや、一筋となりにあるモンテ・ベッロ通りの朝市の八百屋さんでは、カルチョフォが今が旬とばかりに店頭に山のように飾っています。

カルチョフォ料理にチャレンジしてみようと暫く考えておりましたところ、朝市のいつもお世話になる叔父さんが、親切に作り方を教授して下さったことをキッカケに決心?!してみた次第です。

余談に成りますが、カルチョフォはレストランにて注文する時、注意が必要です。大きく2種類あって、通常は「カルチョフォ・ロマーノ」と呼んで、良く煮込んだカルチョフォが出てきます。(オリーブ漬け)

もう一方は、「ユダヤ式カルチョフォ」とも呼ばれるものですが、焼きあげたカルチョフォにオリーブをかけて食べるものです。一度はお試しになられるのも良いかもしれません。私が好んで戴くのは前者ですが。

いまひとつの余談です。食する部分はツボミと茎ですが、ツボミは上から見ますとまるでバラの花のようであります。何とエキゾチックといいますか、ロマンティックな風合いを感じるのであります。

肝心の味のことですが、日本食では経験出来なかった味見です。
茎は、里芋のように柔らかく甘い味がします。ツボミ部分は、中央に入るほど柔らかく滑らかになります。

味は?食べ物のヴォキャブラリー(語彙)不足で、ご説明困難です!


          
             カルチョフォが店頭に山のように並べられています。
            この時期が旬なのでしょうか?

            
5本入れのものをゲットして、いざ クッキング?!
            初めてのチャレンジに胸ワクワクしました。


            
30分中火で煮込み出来上がり。     
            人参・ジャガイモも仲間入りです。
            少しうす味でしたが、「まあ・まあ」と言うところです。

             
             食べてみて 初めてわかる カルチョフォ
                                   元鷹