さて、アニタ・ガリバルディの騎馬像を後にして次のモニュメントへ急いで移動することにしました。このジャニコロの丘には、多くの見物したい所が在ることに加えて、どうも空模様が怪しい動きをしてきたからでした。
下り坂に向かって、右側の引っ込みにはまるで「丘の灯台」でもあるかのように真っ白い建造物が眼に入って参りました。
それは、昔アルゼンチンに移民したイタリア人から、イタリア統合50周年《1911年》時にローマ市へ贈られた《灯台》でした。※写真ご参照
坂になった散歩道は5分ほどで一般道に連絡するのですが、そのエンディングのスポットでは、全く偶然の発見だったので驚いてしまったのですが、いわゆる”タッソの樫の木”①に出遭ったのでした。※写真ご参照
そうこうとぼんやりと今日見たモニュメントなどのことを思い浮かべつつ、
バス通りを歩いてみれば、枯れた感じのする教会②に出逢いました。
いつかどこかでみたことのある教会だったのではないだろうか、とイメージが湧いてきて困った。リュックに仕舞った観光本を直ぐに開けばいいものを、そうせずに「どこだったか?いつだったか?」などと解決への糸口のないままに、ついぞその場を去ってしまった。
この教会の名前の着いた細くて急な坂道を選んで、丘の下へ下へと向かうことにしました。幸いにも雨には降られずに、いつも見慣れた大通りに
辿りつくことになって、どうにか晴れやかな気持ちにもどることができた。
注① 16世紀の大知識人・詩人トルクァート・タッソ《1544-1595》
近くの修道院に住んでいたタッソは、散歩思索の折りに緑に囲まれた
樫の木に寄りかかっては、丘の下に広がるローマの街並みを見下ろした、という。
注② サントノフーリオ教会 1419年創設 隣接する修道院にはここの1室で亡くなった
詩人タッソの記念館がある。
マンフレディの灯台は1911年
アルゼンチン在住のイタリア人たちから
ローマ市へ寄贈された。
”タッソの樫の木”は雷でまる焦げになった
そうです。現在は、倒木防止に鉄骨やコンクリートで
支えられています。
16Cに生きた詩人タッソが見たら、
どんな詩をつくるのだろうか?
SALITA DI S. ONOFRIO 聖オノフーリオの坂道
私は、この狭い聖オノフーリオの坂道をサントノフーリオ
教会を背中にして、滑らないように踵に重心をかけて
大通りへ抜けた。
詩人タッソ 何にをか思う 丘の上
元鷹
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