ソレントに宿をとったホテルのテラスから、海の向こう側にくっきりと
ヴェスヴィオ山が見えました。カタチは日本の富士山に似たなだらかな
稜線をしていて、何とはなく親しみを感じさせる雰囲気を感じました。
士ました。
いよいよ4日目の朝、ローマに帰る日でしたが寄り道をして、あの
ヴェスヴィオ山へ登ってみようと決心しました。
登ると言っても標高1281mもある山です。おいそれとは登れません。
ホテルのレセプショニストに訊ねてみれば、ほぼ火口近くまでバスで連れて行ってくれるとの情報でした。
さて、ソレントの駅から1時間は、たっぷりと電車に揺られて最寄りの駅である「エルコラーノ」で下車しました。駅前の猫の額程しかない広場の隅にヴェスヴィオ山行きの案内事務所がありました。
客はスペイン人夫婦(バルセロナ)と私だけの3名でした。小型バスに乗せられて山に向かったのは、事務所を訪ねてから1時間余り経ってからでした。料金は、往復一人17€ほど。
どのように小型バスが、火口近くまでルートを走ったのかを詳しくお名は市出来ませんが、40分前後で辿りついたような記憶です。
入場にはさらに10ユ-ロを支払いました。登山料金です。
ここからは、歩いて登らなくてはなりません。
生憎、太陽が雲に隠れていましたから下界の眺めは今一つハッキリしていませんでした。
それでも、遠くのナポリ湾を望む絶景には一見の価値をみることが出来ました。”ナポリを見て死ね”とは、この場からの景色を讃えた格言だったのでは、と思わせる一幅のシーンでした。
徒歩20分位で、やっと火口近くまで登りつめることが出来たのでした。
その間、スペイン人夫婦と励まし合うかのように雑談を楽しみながら、ゆっくりと登りつめたのでした。
火口を見下ろせば、まるで巨大なすり鉢状の洞穴であります。
所々から、今でも白煙を天に向けてあげていました。
我々3人は、ゆっくりと火口周りをナポリ湾を眺めながら歩き、記念の写真を撮ったりして時間を費やしました。
火口側にまでお土産ショップ(2か所)があったことに驚きました。
ところでヴェスヴィオ山と言えば、カンツォーネの”フニクリ・フニクラ”(あの軽快なメロディです)が想い出されますが、山登りの車からも、そして火口からも当時の電車の遺跡?は見つかりませんでした。
ネット情報に依れば、1880年に始まったヴェスヴィオ登山電車は、1944年に起った噴火がもとで破壊されたそうです。
しかし、現在でも世界中で登山電車のPRソングは人々に愛されて歌われている訳ですから、何とも不思議な感じがします。
尚、ヴェスヴィオ山の大噴火でポンペイとエルコラーノが一昼夜にして
火山灰の下に眠ってしまったのは、西暦79年8月24日のことだったそうです。
ポンペイを ヴェスヴィオ火口 一気飲み
ヴェスヴィオの 火口や広し 昔の火
富士もよし ヴェスヴィオもよし 冬の旅
元鷹
2015年12月20日日曜日
2015年12月10日木曜日
第432話 南イタリア紀行 アマルフィ
ここ10年来、南イタリア人気が日本では進んで来ております。
長い年月、具体的には何時頃のことを指すのでしょうか、1994年前後以来イタリア・ツアーに大ブームが起きました。
当時のツアーアイテナリー(日程)と言えば、主にミラノ⇒ヴェネチェア
⇒フィレンツエ⇒ローマ見物といった最も人気度の高い歴史的都市への旅だったと思います。
イタリアと日本との相性は真に良いように思っています。
国がらが似ている点も、或は反対に違うことも比較的歴然としている為でしょうか?観光立国イタリアにとっては、日本人は優良顧客であります。
さて、南イタリアのお話しに戻りましょう!
先ず、本論に入る前に最近読みました新書「イタリア旅行」に詳しいのですが、18世紀にヨーロッパ(特にイギリス)で起ったイタリア・ツアー、”グランド・ツアー”と命名されたようですが、ご紹介致します。
イギリスの貴族の間に長期間<数カ月~数年も>古代ローマを、ギリシア文化の足跡を訪ねるツアーだったようですが、ローマ・ナポリはその人気の中心にあったとのことでした。
さて、そのナポリ<ギリシア語から派生した言葉>から、更に電車で1時間チョット南のソレント<この街はご紹介しましたが>から、海岸線沿いを走る運行バスで更に1時間余走った辺りに”AMALFI”の小さな町があります。
この間の沿岸線道路は、切り立った崖スレスレに作られていますのでスリル満天のドライブを楽しめました。日光のイロハ坂を懐かしく想い出させてくれましたが、それ以上にスピードを出す運転手のハンドル裁きに拍手を送るほかはありません。無事に往復できてホット!しました。
時間の都合で、ほぼソレントとアマルフィの中間位に位置するポジターノには、下車出来ませんでした。当初には、見学先として印を付けていただけに残念でした!まあ、将来への楽しみにして置きましょう。
アマルフィは、冬のこのシーズンでも観光客が溢れていましたから、シーズンの夏には、どんなに込み合うのだろうか、と要らぬ心配をしてしまいました。
私は、細い道に並んだお土産ショップを眺めながら小散歩を楽しみましたが、1店舗だけ面白いグッズを販売しているお店に入ってお土産品を購入しました。それは、手作り商品のマリーン・グッズの品々でした。
バンディエラ<国旗>の小さめのモノを選びました。
ご存知のようにイタリア共和国の国旗は、左から緑・白・赤のストライブデザインです。購入した国旗は、その白い中央に中世紀のイタリアの4つの海洋国《アマルフィ・ジェノヴァ・ヴェネチェア・ピサ》の紋章がロープ柄で囲まれたものです。一眼で気に入って仕舞いました。
※美しいアマルフィの写真を添付出来ずに失礼します。
未だに写真添付機能が上手く稼働しないのです。
再開次第にご紹介致します。
アマルフィ 映画で見た浜 此処に在り
パラダイス アマルフィほど 目に余る
元鷹
長い年月、具体的には何時頃のことを指すのでしょうか、1994年前後以来イタリア・ツアーに大ブームが起きました。
当時のツアーアイテナリー(日程)と言えば、主にミラノ⇒ヴェネチェア
⇒フィレンツエ⇒ローマ見物といった最も人気度の高い歴史的都市への旅だったと思います。
イタリアと日本との相性は真に良いように思っています。
国がらが似ている点も、或は反対に違うことも比較的歴然としている為でしょうか?観光立国イタリアにとっては、日本人は優良顧客であります。
さて、南イタリアのお話しに戻りましょう!
先ず、本論に入る前に最近読みました新書「イタリア旅行」に詳しいのですが、18世紀にヨーロッパ(特にイギリス)で起ったイタリア・ツアー、”グランド・ツアー”と命名されたようですが、ご紹介致します。
イギリスの貴族の間に長期間<数カ月~数年も>古代ローマを、ギリシア文化の足跡を訪ねるツアーだったようですが、ローマ・ナポリはその人気の中心にあったとのことでした。
さて、そのナポリ<ギリシア語から派生した言葉>から、更に電車で1時間チョット南のソレント<この街はご紹介しましたが>から、海岸線沿いを走る運行バスで更に1時間余走った辺りに”AMALFI”の小さな町があります。
この間の沿岸線道路は、切り立った崖スレスレに作られていますのでスリル満天のドライブを楽しめました。日光のイロハ坂を懐かしく想い出させてくれましたが、それ以上にスピードを出す運転手のハンドル裁きに拍手を送るほかはありません。無事に往復できてホット!しました。
時間の都合で、ほぼソレントとアマルフィの中間位に位置するポジターノには、下車出来ませんでした。当初には、見学先として印を付けていただけに残念でした!まあ、将来への楽しみにして置きましょう。
アマルフィは、冬のこのシーズンでも観光客が溢れていましたから、シーズンの夏には、どんなに込み合うのだろうか、と要らぬ心配をしてしまいました。
私は、細い道に並んだお土産ショップを眺めながら小散歩を楽しみましたが、1店舗だけ面白いグッズを販売しているお店に入ってお土産品を購入しました。それは、手作り商品のマリーン・グッズの品々でした。
バンディエラ<国旗>の小さめのモノを選びました。
ご存知のようにイタリア共和国の国旗は、左から緑・白・赤のストライブデザインです。購入した国旗は、その白い中央に中世紀のイタリアの4つの海洋国《アマルフィ・ジェノヴァ・ヴェネチェア・ピサ》の紋章がロープ柄で囲まれたものです。一眼で気に入って仕舞いました。
※美しいアマルフィの写真を添付出来ずに失礼します。
未だに写真添付機能が上手く稼働しないのです。
再開次第にご紹介致します。
アマルフィ 映画で見た浜 此処に在り
パラダイス アマルフィほど 目に余る
元鷹
第431話 サムアップ Di Roma その4 噴水
今日は噴水に纏(まつ)わるお話しです。
ローマ市内、ヴァチカン市国、至るところに大中小の噴水がみられる風景は、ローマらしさの特長であります。
”噴水の在る街の風景”こそローマの大きな魅力のひとつなのだろうと思っております。ブログ始めてからこのかた街歩きの見所の一つとしまして、主な噴水を取材して参りました。
ですから、ローマの噴水のサムアップの役割は、個々の噴水のことはバックビュー(かつてのブログ)に任せまして、私の総論、まとめを書いてみることに致します。勿論、断片的な或は独断の発想にしかない点はご容赦を乞う処です。
ロンドンにはテムズ川があり、パリにはセーヌ川、そしてローマにはテヴェレ川があります。人々を魅了してきた大都市は何処も”川”が中央に流れています。
しかし、ローマには古代に、中世に作られた水道橋遺跡が残っているのはご承知の通りです。古き時代に皇帝が、中世には法王が水道をローマへ導き、或は再整備して市内へ水を引き浴場を噴水を作りました。
また1930年代には、ローマの10か所に区割りされた地域に、其々の
地域をイメージしたデザインで噴水が作られたのでした。
法王庁・ヴァチカン市国は、いつのころからでしょうか、世界からカソリック信者をローマへ巡礼させる為には、宿の整備は勿論、途中途中に水道(噴水)の設備を設置しなければならなかったのでしょう。
ですから、殆どのピアッア(広場)には、水飲み場(噴水)の提供がなされていたのだろうと思われます。生活者の飲料水、洗濯用の水、そして巡礼者への命の水の源になっていた大切な噴水だった訳です。
遡って古代ローマでは、歴代の皇帝は市民の為の浴場を作ったと云われて居ります。知名度が高いのは、現在でも夏の間だけですが、野外オペラの会場となります「カラカラ浴場」(カラカラ帝)です。
ローマ・テルミニ駅500人広場前に広がる一角、現在はローマ国立博物館や教会として活用されているテルメ・ディ・ディオクレツアーノが、よく知られております。
其々の浴場には、1、500人、3、000人の市民が浴場を楽しめたと云う巨大なものでした。これ程の規模の浴場ですから、相当な給水・排水システムを有していたものと考えられます。
古代ローマ時代から、土木建築技術に優れた技を発揮してきた歴史をみるたびに、ローマの街作りの憩いの場所(広場)に噴水を設置するというアイデアは、地下水が豊富であることがベースに在って初めて可能なことなのだ、と思うのであります。
そう言えば、皆さんが必ずローマに来たら訪れる映画”ローマの休日”に写されていましたが、”トレヴィの泉”は1年以上も掛かり、やっと最近になって修復が終わりました。
さてトレヴィの泉では、コインを肩越しに投げると再びローマに戻れる、といわれています。修復中、噴水は止まったままでしたが、見学者がコインを投げるポイントだけは、しっかりと用意してありました。
なるほど、世界の冠たる観光シティ・ローマ当局の”しっかり振り”には変な感心をしてしまいました。
晴れた日の 水や輝く 生き生きと
元鷹
2015年12月8日火曜日
第428話 南イタリア紀行 ソレント
さて、2日目は今回のツアーでは、私にとっての憧れの聖地となったソレントへ向かいました。宿泊のホテルからは、タクシー代わりのミニヴァンを出して頂きました。
幸いにも親切な運転手で、時間的余裕もあったこともあって、海の見える通りをみせて挙げるとばかり、遠回りしながらペストゥム駅へ向かってくれたのでした。
人懐っこい彼は、是非また来て下さい、次回は自分の車でご案内しますから、とPRをしながらもこの近辺の街の良さを訴えて居りました。
とは言っても、流石にこの地には中々来られるものではないなぁ、と自問自答しつつ私はただ聞いて置きました。
ペストゥム駅から、中継地点のナポリまで電車で戻ります。ナポリへ向かう通勤客で結構車内は込み合っていました。
ナポリで電車を乗り換えて、ナポリ⇔ソレントを往復している電車<片道3.60ユ-ロ>を利用したのですが、運賃は安く時間も1時間余でソレントに着きました。ポンペイやヴェスヴィオ山へ行くにも便利そうな路線です。
さて、ソレント駅の一角には、”帰れソレントへ”(Torna a Surriento)の名曲を作詞したG.B.De.Curtisのブロンズで出来た胸像が建てられていました。もう、駅周辺からは、南国ムードを誘う雰囲気が漂って来ていました。
宿泊先は、G.B.De Curtisが”帰れソレントへ”を作詞したテラス<ナポリ湾を望める>を持つ”Imeperial Hotel Tramontano”でした。
このホテルの敷地では、16世紀の詩人トルクアト・タッソ<1544年3月11日生>が生まれた、との説明がホテルから頂いたリーフレットに書いてあり、驚きました。
ずっと以前になりますが、”タッソの樫の木”のお話しをブログに紹介したことがあったからでした。詩人タッソは、ローマともご縁の深い詩人だったのでした。
その他、著名なアーティストが宿泊先として利用したホテルだったようです。風光明媚、気候温暖な南イタリアのソレントには、国内外からの多くの旅行客が、押しかけてくるのでしょう。
只、この12月はシーズン・オフらしく、街にもホテルにも外国人客は、余り目立ちませんでした。
ホテルに荷物を下ろして、早速海岸線を走るバスに乗って見ることにしました。アマルフィまで、バスにて1時間少々で辿りつけるそうです。
発着場所は、先ほどのソレント駅前広場でしたので、歩いて行ってみることにしました。
※前回同様に写真添付が儘なりません。
後日纏めて実行させて戴きたいと思います。
ペスカトーレ ソレントおきに 投げる網
テラスから ベスビオ高く 靄の中
憧れの トラモンターノに テラス見ゆ
ソレントは レモンもミカンも街にあり
ソレントは 熱海の夜に 似たりけり
元鷹
幸いにも親切な運転手で、時間的余裕もあったこともあって、海の見える通りをみせて挙げるとばかり、遠回りしながらペストゥム駅へ向かってくれたのでした。
人懐っこい彼は、是非また来て下さい、次回は自分の車でご案内しますから、とPRをしながらもこの近辺の街の良さを訴えて居りました。
とは言っても、流石にこの地には中々来られるものではないなぁ、と自問自答しつつ私はただ聞いて置きました。
ペストゥム駅から、中継地点のナポリまで電車で戻ります。ナポリへ向かう通勤客で結構車内は込み合っていました。
ナポリで電車を乗り換えて、ナポリ⇔ソレントを往復している電車<片道3.60ユ-ロ>を利用したのですが、運賃は安く時間も1時間余でソレントに着きました。ポンペイやヴェスヴィオ山へ行くにも便利そうな路線です。
さて、ソレント駅の一角には、”帰れソレントへ”(Torna a Surriento)の名曲を作詞したG.B.De.Curtisのブロンズで出来た胸像が建てられていました。もう、駅周辺からは、南国ムードを誘う雰囲気が漂って来ていました。
宿泊先は、G.B.De Curtisが”帰れソレントへ”を作詞したテラス<ナポリ湾を望める>を持つ”Imeperial Hotel Tramontano”でした。
このホテルの敷地では、16世紀の詩人トルクアト・タッソ<1544年3月11日生>が生まれた、との説明がホテルから頂いたリーフレットに書いてあり、驚きました。
ずっと以前になりますが、”タッソの樫の木”のお話しをブログに紹介したことがあったからでした。詩人タッソは、ローマともご縁の深い詩人だったのでした。
その他、著名なアーティストが宿泊先として利用したホテルだったようです。風光明媚、気候温暖な南イタリアのソレントには、国内外からの多くの旅行客が、押しかけてくるのでしょう。
只、この12月はシーズン・オフらしく、街にもホテルにも外国人客は、余り目立ちませんでした。
ホテルに荷物を下ろして、早速海岸線を走るバスに乗って見ることにしました。アマルフィまで、バスにて1時間少々で辿りつけるそうです。
発着場所は、先ほどのソレント駅前広場でしたので、歩いて行ってみることにしました。
※前回同様に写真添付が儘なりません。
後日纏めて実行させて戴きたいと思います。
ペスカトーレ ソレントおきに 投げる網
テラスから ベスビオ高く 靄の中
憧れの トラモンターノに テラス見ゆ
ソレントは レモンもミカンも街にあり
ソレントは 熱海の夜に 似たりけり
元鷹
第430話 南イタリア紀行 カプリ島
ソレントのホテル(インペリアル・ホテル・トラモンターノ)からは、カプリ島は岬の後ろ側に位置する為に見ることは出来ません。
しかし、直ぐ近くの小さな港から、快速船がカプリ島とソレントの間を何度も往復しているのが見えましたので、計画外でしたが20余年振りに行ってみることにした次第です。(12月3日正午過ぎ)
カプリ島まで船足は快速で波は静かでした。カンツーオの”サンタ・ルチア”でも自然と唸りたくなる様な景色を楽しみながら小さな港に着きました。不思議と20年余前と変わっていないのです、景色が一部の看板などを除けばですが。
バス乗り場(常にバスに乗りたがります)を探しました。
アナカプリ(島の上の方の町のこと)まで、カーブに揺れながらバスは、そこそこのスピードを出して走りました。因みにバス代金は、一律1.80ユーロでした。
お昼をアナカプリで食べよう!とソレントに居た時から決めていましたので、恰好なレストランを探しながらの散歩を楽しめました。
散歩しながら気がついたのでしたが、車道が細いこともあってのことでしょうか、日本では昭和30年代に流行ったオート三輪車が活躍しているのが眼に着きました。
形は同じでも赤、黒、黄、白色に塗られた三輪車は、アナカプリのオシャレ度を高めているように思えました。燃費も良いのでしょうが、それ以上に町で自由に動き易い機動力が人気なのかも知れません。
今一つ眼に止まりましたのは、お玄関口の表札です。
何れの家も陶製でオシャレなカタチ、カラーで飾っているのが印象的でした。お庭のお手入れも研ぎ澄まされているように見えました。
30分位歩きました。プチ・ホテルや一部の店舗は店を閉じていました。
ここも夏型集中ビジネス実施中!と言うことでしょうか?効率を考えての経営なのですね。オーナーが、半島から来る人なのでしょうか?
結局、お昼はアナカプリの大きめなレストランで、シーフードの具がたくさん入ったオリジナル・パスタをタップリと楽しみました。綺麗な海に囲まれたアナカプリのレストランで頂いたパスタは、一段と美味しく思えました。
※今日も写真が添付できません。ご了承願います。
カプリ島 むかし皇帝 いま旅人
街興し カプリウオッチ 島中に
アナカプリ 三輪車が 似合う道
カプリ島 三輪車 ここかしこ
快速船 湾を横切り 波残し
カプリ島 ”帰れソレント” 客船で
元鷹
しかし、直ぐ近くの小さな港から、快速船がカプリ島とソレントの間を何度も往復しているのが見えましたので、計画外でしたが20余年振りに行ってみることにした次第です。(12月3日正午過ぎ)
カプリ島まで船足は快速で波は静かでした。カンツーオの”サンタ・ルチア”でも自然と唸りたくなる様な景色を楽しみながら小さな港に着きました。不思議と20年余前と変わっていないのです、景色が一部の看板などを除けばですが。
バス乗り場(常にバスに乗りたがります)を探しました。
アナカプリ(島の上の方の町のこと)まで、カーブに揺れながらバスは、そこそこのスピードを出して走りました。因みにバス代金は、一律1.80ユーロでした。
お昼をアナカプリで食べよう!とソレントに居た時から決めていましたので、恰好なレストランを探しながらの散歩を楽しめました。
散歩しながら気がついたのでしたが、車道が細いこともあってのことでしょうか、日本では昭和30年代に流行ったオート三輪車が活躍しているのが眼に着きました。
形は同じでも赤、黒、黄、白色に塗られた三輪車は、アナカプリのオシャレ度を高めているように思えました。燃費も良いのでしょうが、それ以上に町で自由に動き易い機動力が人気なのかも知れません。
今一つ眼に止まりましたのは、お玄関口の表札です。
何れの家も陶製でオシャレなカタチ、カラーで飾っているのが印象的でした。お庭のお手入れも研ぎ澄まされているように見えました。
30分位歩きました。プチ・ホテルや一部の店舗は店を閉じていました。
ここも夏型集中ビジネス実施中!と言うことでしょうか?効率を考えての経営なのですね。オーナーが、半島から来る人なのでしょうか?
結局、お昼はアナカプリの大きめなレストランで、シーフードの具がたくさん入ったオリジナル・パスタをタップリと楽しみました。綺麗な海に囲まれたアナカプリのレストランで頂いたパスタは、一段と美味しく思えました。
※今日も写真が添付できません。ご了承願います。
カプリ島 むかし皇帝 いま旅人
街興し カプリウオッチ 島中に
アナカプリ 三輪車が 似合う道
カプリ島 三輪車 ここかしこ
快速船 湾を横切り 波残し
カプリ島 ”帰れソレント” 客船で
元鷹
2015年12月7日月曜日
第429話 サムアップ Di Roma その3 安全度
よく耳にする言葉のひとつに日本人旅行者から「安全ですか?」と聞かれて、返事に窮することがしばしばあります。
ローマは、安全であるかどうかはさて置き、安全とは?どういう状態をさすのでしょうか?中々難しい問題を孕んでおります。昨今は、世界的に「安全」に暮らすことに、当然ですが多くの関心が寄せられています。
概ね訊ねる方は、それほど深い意味を聞いているのではなくて、単に
安心を確認してから旅行をしたい、とお考えなのかも知れませんですネ。
もしくは、団体ツアーですと国内から添乗してくるツアー専門家<添乗員>から、耳にタコが出来るほど、バス・電車・地下鉄、歩行時、ひとの集まるところ、等々ではパスポート・財布を十分気を付けて、と注意が在るそうですから、私のように長く住んでいる同朋から現場の声を聞いてみたい、ということかも知れません。
実際の話しですが、<スリ,置き引き、など>の被害に遭った日本人の方のケア<大使館連絡、警察署案内、カード会社連絡、等々>のお手伝いを会社の方針として、出来る限りのことをお手伝いしています。
被害に遭った方々から直接に何処で被害にでくわしましたかと、最後に伺いますと、殆どの方が地下鉄(メトロ)と市営路線バスであり、タイミングとしては、乗車・下車の瞬間にトラブルに遭った、と証言されています。
従いまして、この対策としては、メトロ・バスには乗らない、という方針が
大切です。または、乗っても貴重品は持たないこと、などの事前準備が
問われます。
以前にもブログに書いておりますが、現金は少なめに、クレジットカードは2枚<1枚はVISAもしくMASTERカード>位は、お持ちになった方がベターです。尚、トラベラーズ・チェックは安全度は高いのですが、殆どのお店などで、受領しないようですから、ご注意を。
路上散歩中に時々、声<英語、日本語使用>を掛けてくる外国人?
が出てきます。相手にせずに耳を傾けないことです。言葉巧みに悪さをする人達ですから。
私も夜間に何度も出くわしては、困ったものかな!と思っています。
さて、いろいろなケースを挙げて防止法を書く事も出来ません。
個人旅行が増加傾向<もう20年以上前からですが>に在るようですが、
ローマのみならず、安全対策は所詮、自己責任と割り切って、事前の準備<パスポートは、身肌外せず!>が、最も肝要である、と言うことに尽きます。
安全は 自分が作る 気概もて
元鷹
ローマは、安全であるかどうかはさて置き、安全とは?どういう状態をさすのでしょうか?中々難しい問題を孕んでおります。昨今は、世界的に「安全」に暮らすことに、当然ですが多くの関心が寄せられています。
概ね訊ねる方は、それほど深い意味を聞いているのではなくて、単に
安心を確認してから旅行をしたい、とお考えなのかも知れませんですネ。
もしくは、団体ツアーですと国内から添乗してくるツアー専門家<添乗員>から、耳にタコが出来るほど、バス・電車・地下鉄、歩行時、ひとの集まるところ、等々ではパスポート・財布を十分気を付けて、と注意が在るそうですから、私のように長く住んでいる同朋から現場の声を聞いてみたい、ということかも知れません。
実際の話しですが、<スリ,置き引き、など>の被害に遭った日本人の方のケア<大使館連絡、警察署案内、カード会社連絡、等々>のお手伝いを会社の方針として、出来る限りのことをお手伝いしています。
被害に遭った方々から直接に何処で被害にでくわしましたかと、最後に伺いますと、殆どの方が地下鉄(メトロ)と市営路線バスであり、タイミングとしては、乗車・下車の瞬間にトラブルに遭った、と証言されています。
従いまして、この対策としては、メトロ・バスには乗らない、という方針が
大切です。または、乗っても貴重品は持たないこと、などの事前準備が
問われます。
以前にもブログに書いておりますが、現金は少なめに、クレジットカードは2枚<1枚はVISAもしくMASTERカード>位は、お持ちになった方がベターです。尚、トラベラーズ・チェックは安全度は高いのですが、殆どのお店などで、受領しないようですから、ご注意を。
路上散歩中に時々、声<英語、日本語使用>を掛けてくる外国人?
が出てきます。相手にせずに耳を傾けないことです。言葉巧みに悪さをする人達ですから。
私も夜間に何度も出くわしては、困ったものかな!と思っています。
さて、いろいろなケースを挙げて防止法を書く事も出来ません。
個人旅行が増加傾向<もう20年以上前からですが>に在るようですが、
ローマのみならず、安全対策は所詮、自己責任と割り切って、事前の準備<パスポートは、身肌外せず!>が、最も肝要である、と言うことに尽きます。
安全は 自分が作る 気概もて
元鷹
2015年12月6日日曜日
第427話 サムアップ Di Roma その2.バール
イタリアにおけるBAR<バールと発音>の存在は、格別なポシションを担っているように思えてなりません。
ローマは、教会の多い街並みですが、バールの数も相当なものでは
無いか、と平素から感じております。大ざっぱですが、通りの50メートルに1店舗は在るのかもしれない、と思うほどです。
イタリアへお越しの方でも、特に団体旅行ですとバールに立ち寄ることも無く過ごしてしまうのかも知れませんが、ちょっと勿体ない気がします。
日本には同じ形態の飲食店は少ないように思います。但し、銀座にはバールが在りましたね、確か。エスプレッソ、カップッチーノほか、数多くの飲物を提供してくれます。また、パニーニなどの軽食が食べられます。
朝食、昼食時間の取れない場合など、活用すれば便利です。
イタリア人は、朝食はカップッチーノとコルネットで、昼食はパニーニとエスプレッソ<カップッチーノ>を頂く人も多いようです。
さて、バールの一次的役割は飲食販売に在ることは申すまでもありません。しかし、バールは今一つの顔を持っているのです。
この要素がお馴染さんにも一見のお客さんにも大切なファクターですから、見逃せないのです。それは、あらゆるジャンルに亘っての
「情報交換の場」としてのバールです。ですから、バールはおしゃべりで大変賑やかです。
整理すれば、1.飲食をもてなす場 2.情報交換/収集の場
ということになります。今ひとつ加えますと”トイレ活用の場”としてのバールでもあります。多くのツーリストが、活用しております。
ローマならず多くの街で旅行中に困ることは、共通して「トイレ」を探さなくてはならないことです。そんな時、本当に助かるのはバールの存在であります。”バーニョ、ペル・ファヴォーレ!”と一言お断りして、使わせて頂く訳です。このタイミングを取ることが大切です。挨拶など必ず一言添えましょう!
使用した後すっきりしたところで、御礼代わりに、”ウン・カッフェ、ペル・ファヴォーレ!”とバリスタへ笑顔で注文すれば、彼は”グラッツェ!ウン・モメント!”(グラツェ!少々お待ちを!)とご機嫌に接してくれることでしょう。是非お試しください。
※その1.ことば にてお伝えのようにイタリア語の入門編学習は
やはり楽しい旅をする為に不可欠ですね。
ローマは、教会の多い街並みですが、バールの数も相当なものでは
無いか、と平素から感じております。大ざっぱですが、通りの50メートルに1店舗は在るのかもしれない、と思うほどです。
イタリアへお越しの方でも、特に団体旅行ですとバールに立ち寄ることも無く過ごしてしまうのかも知れませんが、ちょっと勿体ない気がします。
日本には同じ形態の飲食店は少ないように思います。但し、銀座にはバールが在りましたね、確か。エスプレッソ、カップッチーノほか、数多くの飲物を提供してくれます。また、パニーニなどの軽食が食べられます。
朝食、昼食時間の取れない場合など、活用すれば便利です。
イタリア人は、朝食はカップッチーノとコルネットで、昼食はパニーニとエスプレッソ<カップッチーノ>を頂く人も多いようです。
さて、バールの一次的役割は飲食販売に在ることは申すまでもありません。しかし、バールは今一つの顔を持っているのです。
この要素がお馴染さんにも一見のお客さんにも大切なファクターですから、見逃せないのです。それは、あらゆるジャンルに亘っての
「情報交換の場」としてのバールです。ですから、バールはおしゃべりで大変賑やかです。
整理すれば、1.飲食をもてなす場 2.情報交換/収集の場
ということになります。今ひとつ加えますと”トイレ活用の場”としてのバールでもあります。多くのツーリストが、活用しております。
ローマならず多くの街で旅行中に困ることは、共通して「トイレ」を探さなくてはならないことです。そんな時、本当に助かるのはバールの存在であります。”バーニョ、ペル・ファヴォーレ!”と一言お断りして、使わせて頂く訳です。このタイミングを取ることが大切です。挨拶など必ず一言添えましょう!
使用した後すっきりしたところで、御礼代わりに、”ウン・カッフェ、ペル・ファヴォーレ!”とバリスタへ笑顔で注文すれば、彼は”グラッツェ!ウン・モメント!”(グラツェ!少々お待ちを!)とご機嫌に接してくれることでしょう。是非お試しください。
※その1.ことば にてお伝えのようにイタリア語の入門編学習は
やはり楽しい旅をする為に不可欠ですね。
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