マーキュリー〔メリクリウス、ヘルメスとも〕は、神話では全能の神”ゼウス”の末っ子という設定であります。ヘルメット、両腕、両足には小さな翼をつけていて、韋駄天のように素早く動き回るので、伝達の神、技能の神、商業の神、等々と崇められています。
- 1)三越本店正面玄関〔ライオン像のある〕中層階にマーキュリー像が設置された当時〔1923年〕のことですが、誰がなぜマーキュリー像を設置することを決めたのでしょうか?
- 2)像の原型は、ローマ市Villa Medici〔スペイン階段上・丘のトリニタ教会左お隣。現在は、フランス文化省所属、一日数回のガイド付ツアーが、仏・英語であり。〕公園内噴水のオブジェと紹介されています。また、そのオリジナルは国立フローレンス博物館〔実際には、フィレンツェ・BARGELLO国立博物館〕に所蔵されている。
- では、その実態を確認してみよう、という追跡調査をすること。
ミケランジェロの間にて、”マーキュリー像”を観る〔写真参照〕
左手、右足は三越本店にある像に比べ、動的です。
公園内噴水中央に飾られた”マーキュリー像”を観る〔写真参照〕
②公園に向かって後ろ姿を撮影しました。
広い庭園の最初の出口にその美しい姿を見つけました。
やはり、①同様に動的な姿です。
目的:もう一つのマーキュリー像を観ること。
結果:残念ながら、収納されているという2Fは、一般公開されずに閉鎖に
なっていました。
※博物館入口係員にいつ公開になるのかを聞いても分らない、と言います
悔しくても一旦引き下がることにしました。
以上のことから、総じてお伝えできますことは次のような仮説です。
- A.作家ジャンボローニャ〔別名:ジョヴァンニ・ダ・ボローニャ〕は、マーキュリー像をいくつかの型を作っていた。①,②とも三越本店の原型〔オリジナル〕でないのは、他のデザインの作品と
・ B.①,および②は、1598年以来414年変わらないものの、三越本店のマーキュリー像は、
コピーした時点で、デザインはモディファイ〔変更・修正〕された為に、各部位が違った角度、カタ
チを作っている。
- C.原型を模したもの〔銅像〕を大正12年7月に設置したとの説明〔三越〕であるが、誰がどのように模したものかは、明らかではありません。よって、原型に拘らずに「模したもの〔コピー〕」
・ 仮説A,B,Cは、仮に非公開のマーキュリー像が、どのようなデザインなのかが判明した時点で
ハッキリとした答えを得ることになりそうです。
従いまして、これ〔そのⅢ〕を持ちまして「研究 マーキュリー像の謎」は、一先ずお開きとさせて
頂きます。※新しい情報を入手しだい、お知らせ致します。
ところで、マーキュリー像が大正12年7月に設置されたわけですが、2カ月後の9月1日に起った関東大震災によって消失した〔或は、太平洋戦争中に軍に供出された、との説あり〕後は、1972年〔昭和47年〕の創業300周年記念事業の一環として再設置されるまでの半世紀は、席を空けたまま状態だったわけです。今日、私たちが仰ぎみます「マーキュリー像」は、表面を合金で黄金色に仕上げられF/R/P〔強化プラスティック〕材質で出来た2代目の「マーキュリー像」なのです。
三越の マーキュリー像 獅子の上 元鷹
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