2012年11月11日日曜日

研究 マーキュリー像の謎 そのⅢ

ギリシア神話、ローマ神話といったファンタジックな世界の物語は、いつか読みたいものだと思いつつも只只時間が、矢のように過ぎ去ってしまい興味も関心も失せてしまう性質を持っているのでしょうか?
 
さて、日本人には比較的馴染みがあるものに「マーキュリー」を挙げることが出来るかも知れません。
マーキュリー〔メリクリウス、ヘルメスとも〕は、神話では全能の神”ゼウス”の末っ子という設定であります。ヘルメット、両腕、両足には小さな翼をつけていて、韋駄天のように素早く動き回るので、伝達の神、技能の神、商業の神、等々と崇められています。
 
このブログでは、タイトルのように「研究 マーキュリー像の謎 そのⅢ」と題して、その後の調査〔オーバーかな?〕をお伝え致します。お時間のとれる読者の皆さんは、ぜひともアーカイブにて2月のブログから、そのⅠ、そのⅡをお読み戴けましたら一段の興味が湧くことと存じますので、お勧め致します。
 
★テーマを整理してみたいと思います。
  • 1)三越本店正面玄関〔ライオン像のある〕中層階にマーキュリー像が設置された当時〔1923年〕のことですが、誰がなぜマーキュリー像を設置することを決めたのでしょうか?
  • 2)像の原型は、ローマ市Villa Medici〔スペイン階段上・丘のトリニタ教会左お隣。現在は、フランス文化省所属、一日数回のガイド付ツアーが、仏・英語であり。〕公園内噴水のオブジェと紹介されています。また、そのオリジナルは国立フローレンス博物館〔実際には、フィレンツェ・BARGELLO国立博物館〕に所蔵されている。
  • では、その実態を確認してみよう、という追跡調査をすること。
テーマの1)は、資料文献を、或はご担当の方に将来ご協力を願いたいと勝手に念じている次第です。さて、ここに居てテーマ2)は、幸いにも都合をつけて足を運ばせれば、可能なことと思われます。
 
従いまして、以下の通り2)のチャレンジをしてみました。
 
①2011年9月10日〔土〕フィレンツェ市  バルジェロ国立博物館 訪問
                ミケランジェロの間にて、”マーキュリー像”を観る〔写真参照〕
 
                   ① ポーズは似ているが、全体に飛んでいるように見えます。
                     左手、右足は三越本店にある像に比べ、動的です。
 
②2011年9月20日〔火〕ローマ市     Villa Medici 訪問
                公園内噴水中央に飾られた”マーキュリー像”を観る〔写真参照〕

②公園に向かって後ろ姿を撮影しました。
広い庭園の最初の出口にその美しい姿を見つけました。
やはり、①同様に動的な姿です。              
                    
 
※①と②の写真を比較しますとほぼ同型の作品であるように思われますが、三越本店のマーキュリ  ー像とは、デザインが違います。その為、同博物館に電話にて確認しますともうひとつの像が、2F〔日本の3F〕に在る、との回答を得て、ホットした覚えがあります。
 
③2012年11月5日〔月〕バルジェロ国立博物館 再訪問
                目的:もう一つのマーキュリー像を観ること。
                結果:残念ながら、収納されているという2Fは、一般公開されずに閉鎖に
                   なっていました。
                ※博物館入口係員にいつ公開になるのかを聞いても分らない、と言います
                  悔しくても一旦引き下がることにしました。

以上のことから、総じてお伝えできますことは次のような仮説です。

  • A.作家ジャンボローニャ〔別名:ジョヴァンニ・ダ・ボローニャ〕は、マーキュリー像をいくつかの型を作っていた。①,②とも三越本店の原型〔オリジナル〕でないのは、他のデザインの作品と
    その後並び替えられた為である。その原型は、③のように非公開になっている。
  ・ B.①,および②は、1598年以来414年変わらないものの、三越本店のマーキュリー像は、
    コピーした時点で、デザインはモディファイ〔変更・修正〕された為に、各部位が違った角度、カタ 
    チを作っている。
  • C.原型を模したもの〔銅像〕を大正12年7月に設置したとの説明〔三越〕であるが、誰がどのように模したものかは、明らかではありません。よって、原型に拘らずに「模したもの〔コピー〕」
    を銅像にしたのではないだろうか、という見方には無理があるでしょうか?

  ・ 仮説A,B,Cは、仮に非公開のマーキュリー像が、どのようなデザインなのかが判明した時点で
    ハッキリとした答えを得ることになりそうです。

    従いまして、これ〔そのⅢ〕を持ちまして「研究 マーキュリー像の謎」は、一先ずお開きとさせて
    頂きます。※新しい情報を入手しだい、お知らせ致します。

ところで、マーキュリー像が大正12年7月に設置されたわけですが、2カ月後の9月1日に起った関東大震災によって消失した〔或は、太平洋戦争中に軍に供出された、との説あり〕後は、1972年〔昭和47年〕の創業300周年記念事業の一環として再設置されるまでの半世紀は、席を空けたまま状態だったわけです。今日、私たちが仰ぎみます「マーキュリー像」は、表面を合金で黄金色に仕上げられF/R/P〔強化プラスティック〕材質で出来た2代目の「マーキュリー像」なのです。

           三越の マーキュリー像 獅子の上      元鷹    
          
                                                                 

0 件のコメント:

コメントを投稿